2004年11月21日

Day127 Deep River

ラサについて10日が過ぎたこともあり、久しぶりに宿を換えてみた。移った先は最近できたと思われるユースホステル。清潔なのに利用者が少なく快適。人の入ってないドミルームを選んで泊まり、実質シングル利用で20元。ここも洗濯無料のうえ、ネット1時間無料という特典付だ。ドミだとカギをくれないので、いちいち小姐に言って開けてもらうのがちょっと面倒。寒いのはどこも一緒だから仕方ないだろう。
今日は日曜で寺にも行かなかったので、本の感想でも書いておこう。ディクンティゴンパへ行っていた間と昨夜で遠藤周作の「深い河」を読んだ。旅行者にはよく読まれている本らしい。「転生」が一つのテーマになっているので、そんな本をここラサで読むことになったのことに何かの縁を感じる。また、舞台はインドのバラナシなので、これからそこへ向かう身の自分にとって楽しみが大きくふくらんだ。
特に印象に残った部分は「玉ねぎがヨーロッパの基督教だけでなくヒンズー教の中にも、仏教の中にも、生きておられると思うからです。」という一節だ。いろんな所に行っていろんな宗教の人々に会い、そして宗教の違いがもたらした悲劇の遺産をいくつも目にして、僕なりに思ったことも同じようなことだ。いろんな宗教において、それぞれの神を持っているが、人々の心の支えという意味では同じような存在なのだろう。ただ、いろんな場所、時代で神の子や預言者が現れて、その時代の人々の心をさらっていってしまう(そして、今でも新興宗教といわれる名前でいろんな宗教が生まれている)というのはとても不思議だ。また、なぜそれらの多くは他の宗教を認めないのだろう(この点は宗教を運用する人間に問題があるのかもしれないが…)。
玉ねぎが今、生きていたとして、こも憎しみの世界には何の役にも立たない」その通りだと思う。しかし、信仰を持つ人々の心の中に玉ねぎは生きていて、救済を与えているのだろう。物語はヒンドゥー教の聖地であり、物乞いがあふれ、毎日多くの人々が行き倒れになるバラナシという地が舞台になっているが、信仰という点では、ラサの巡礼者を見ていてもいろいろ考えさせられることはある。楽しそうに五体投地を繰り返す人々、一心不乱にご利益を求めて額を仏様に擦りつける人々、物乞いをしながら巡礼を続ける人々。彼らを動かしているのもやはり信仰なのだ。

なお、これを読み終わった後で、宇多田ヒカルのDeep Riverを聴いてみたら「何度も姿を変えて…」なんて歌詞があったので、もしかしたらHikkiもこの本を読んだのかななんて思った(←CDの解説に書いてあったら失礼)。

↓洟垂れチベタン少女
HANATARE.JPG

Posted by kimkatsu at 2004年11月21日 19:50 | トラックバック
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