2004年08月31日

Day45 小姐とデート その3

明日、深センを出発することに決めた。最終日なので洗濯をして、Webでこの先の情報をチェック。もう10時過ぎになったので食事に出かけようと思ったとき、前に遊んだ小姐を誘ってみようかと思い電話してみる。起こしてしまったらしく、誰だか分かってないみたいな感じで「ごめんなさい、ゆっくりしてください」と断られた。ゆっくりするって…ゆっくりさせてくださいってこと?意味不明。
ま、いいや。食事をしに外へ出ると、さっきの彼女から電話。寝起きでよく分かってなかったと謝っていた。どこに行ってたのかと言うので、ずっと深センにいた、でも明日出発するので、ご飯を一緒にと思って電話したと言うと。今度はOKで、12時にこっちまで来てくれるというので、食事は後にして彼女を待つ。
12時半近くになって着いたとの連絡。客家料理の店で食事。中国人は料理をたくさん頼む。自分が金を出す側のときだけでなく、自分が奢ってもらう側の場合でも、こちらがよく分かってないと思っているのか、明らかに食べきれない料理を注文する。この日も、2人なのに4皿注文し、全然食べきれなかった。当然、食事は俺持ち…。
満腹になって、これからどこに行くか相談。結果、仙湖という湖に行ってみることになった。バスで一本だったので、途中は二人して眠って、着いてから起こされた。いかにもやる気のないデートだ(笑)。ここでお寺や植物園などを見ていたらいい時間になった。園内のバスは5時半までだったので、歩いて入口まで戻り、またバスに乗って帰る。帰りは彼女の家が手前だったので、途中で降ろして帰る。彼女は、僕が言葉が不自由でちゃんと家の近くのバス停で降りれないのではないかと心配して、運転手に着いたら教えるようにとかいろいろ言っていた。そんな必要ないのに…。
出稼ぎの小姐と話してると、世間知らずというか、住んでる世界が狭いなぁと思う。自転車に乗れないとか、自分の故郷と深センしか知らないとか、裕福でないとはいえ、日本人の感覚からすると不思議だ。自分の知らないところにいくのは抵抗あるみたい…好奇心とかないのかなぁ。知らないことが多いからあまり突っ込んだ話ができす、会話が面白くない。デートも最初の1~2時間はいいが、だんだん話題がなくなってくる。難しい話は言葉の壁と知識のなさから成り立たないし、どーでもいい話を続けるのは面倒だし、だんだんしゃべらなくなってくる。
夜は最終日ということで、友人が食後、バー等に連れて行ってくれたが、あまりパッとしたところはなかった。

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2004年08月30日

Day44 ディズニーランドを超えた

ついに民族文化村へ行った。天気は相変わらず雨混じりの曇りだったが、いつまで待ってもからっと晴れることはないだろうと思ったので、カサを持って行くことにした。
入場料は120元と高いが、数年前から隣にある「錦繍中華」というテーマパークと合併したため、共通チケットとなっている。民族村は夜9時半までOPENしているが、錦繍中華は6時までなので、要注意。
民族村はその名のとおり、中国に住むたくさんの少数民族にスポットをあて、各民族毎に伝統的な家屋のレプリカを作り、そこに民族衣装を着た実際の各少数民族の若者がいて、説明をしてくれたり、1日数回民族舞踊を踊ったりするというテーマパークだ。ちなみに錦繍中華は中国の名所80箇所以上を1/15のスケールで再現した中国版東武ワールド(ではなくチャイナ)スクエアだ。2つ併せた敷地はかなり広いので1日がかりになってしまうだろう。

少数民族は主に農業に従事しているので、家の内部や農機具に大きな違いはないようだが、服は様々で民族衣装好きにはたまらない(あ、俺か)。
実際に回ってみると、民族舞踊のパフォーマンスがだいたい30分おきにあるので、それを次から次へと追っていくことになる。しょぼいのもあるが、家のレプリカを見るよりは楽しいだろう。これから雲南省、チベットと少数民族ゾーンへ向かう自分にとってはその期待が大きくなるという意味でとてもよかった。
個人的なおすすめは、蒙古の「一代天○(漢字不明)」というものと、チベット、タイ族あたりかな(単にかわいいコがいたからという説もある)。

しかし、ここの最大のアトラクションは、各民族パフォーマンスではなく、ステージショーなのだ(と思う)!5時から中央シアターであるものと、7時半から鳳凰広場であるもの2つが毎晩開催されるので、どちらも必見。ラスベガスのようなゴージャスなショーで、個人的にはディズニーランドを超えていると思う。雑技団も登場するなど、クォリティは非常に高い。ダンサーもきれいで驚いてしまう(もちろんここにはワキ毛女なんか一人もいない)。そして、脇ではさっきまで各民族村で案内やパフォーマンスをしていた若者が踊っている。近くで見ると、あれ、こいつ○○族で太鼓叩いてたじゃんみたいな発見があって楽しい。
結局、11時過ぎに入場して8時半まで約9時間楽しんでしまった。深センに行く方はぜひここをお見逃しなく。

↓イチ押しのチベット族女性。頑張って少し会話してみたが、30秒ともたなかった(笑)
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2004年08月29日

Day43 中国人観2004

今日は日曜日だが、やっぱり雨。洗濯をして友人と一緒に昼食をとる。昼からビールを飲んだので、すっかりまったりモード。部屋に戻って本を読んでいたらいつの間にか眠ってしまい。どこへも出かけず1日が終わってしまった。いかんなぁ。そろそろ9月だし出発しないと…先は長いんだ。

と、書くことがないので、3年ぶりに来た中国(人)の感想など書いてみることにした。
深センは出稼ぎが多い町なので、ちょっと特殊かもしれないが(友人曰く、人を騙してでも金をとりたい人間が集まってるとのこと)、以前感じた無愛想さはかなりなくなってきたように思える。結構、親切な人もいるし、少し印象がよくなった。

僕は、日本人の中でもあまり中国人的な顔立ちはしていないと思うが、それでもやっぱりこっちで店に入れば中国人だと思われるし、まともに答えられないと、変な顔をされる。
中国人の多くは、相手が外国人で中国語が話せないということが分かっても(英語を知らないということもあるだろうが)ひたすら中国語でまくしたてる。他の国だと、カタコトの英語を話してみたり、あきらめたりすることが多いのだが、中国人はマイペースだ。相手の困惑なんて気にしないのだろう。
基本的に自己中心的で、他者への思いやりって感情があまりないみたい(悪気があるわけではなく、それが普通)。また、あまり勤勉ではないけど、自分にメリットがあること(だけ)は一生懸命やるところも彼らのらしさみたい。それも、超競争社会だから仕方がないのかもしれないけど…。

要するに、人によく思われようという感覚がないってことなのかな。僕なんか、その対極なので、とても疲れるし、ムカツクことも多い。
こっちでちゃんと理解しあえる友人ができれば、印象も変わってくるかもしれないけど、ちょっと旅人にはつらい国です。

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2004年08月28日

Day42 深センはずっと雨

昨日は朝5時まで「空から降る1億の星」を見てしまった。1日でドラマ11話分を見るということは24時間中、約10時間見てたってことだ。我ながらすごいなぁと思いながら、一方で正月にやっている12時間ドラマはほぼ連ドラ1クール分の長さなんだと認識。
朝9時に一回起きたが、また雨だったのでまた寝る。次に起きたら午後1時を回っていた。シャワーを浴びてから近くでちょっと出かけられるところをネットで探す。最近、見つけたエクスプロア中国はなかなか便利なサイトだ。
結局、ちょっとした散歩気分で蓮花山公園に行ってみることにした。少し晴れ間が見えたのでその隙を見て出たが、バス停に着くまでにまた大粒の雨が降ってきた。もう何なんだよ(><)。雨宿りを兼ねて食堂へ入り、遅い昼食。
少し小降りになったので、バスで目的地へ。土曜日だからか、こんな天気にも関わらずかなりの人がきていた。山頂までの石段を10分くらい登ると、鄧小平が闊歩する巨大な銅像があり、中国人がたくさん記念写真を撮っていた。なかなかいい景色だ…とはいってもビルばかりだが。
しばらく景色を楽しんでから下へ降り、すぐ目の前に見える巨大な「市民中心(センター)」へ行ってみるが、まだ工事中で入れなかった。深センは現在地下鉄の工事中で、開通すればここにも駅ができるようだ。もう5時過ぎになったのでバスで帰ることにする。この町の道路は広くて非常にきれいなのだが、歩行者の立場からすると、道路を渡るたびに数百m歩いて歩道橋を使わなければならないので面倒くさい。

夜は友人の会社の懇親会(?)に入れてもらって韓国料理を超満腹になるまで食べる。それから数人でその場でギャルを選べるちょっと珍しい(怪しい)按摩屋へ行ってリラックス。

↓蓮花山公園の鄧小平像
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2004年08月27日

Day41 日劇天王

昨日行けなかった民族文化村へ出かけるが、またも雨が激しくなりゲートまで行ってやめる。バスで電脳街へ移動し、前に見てなかったビルを見て回るが新しい発見はなかった。
帰宅して友人が持っていたDVD「空から降る一億の星」を見始めたらやめられなくなった。このDVDパッケージ、中国語で「日劇天王 木村拓哉…主演 明石屋秋刀魚、」と書いてある(笑)。
キムタクドラマは見逃さない僕だが、このドラマのことは全く知らなかった。アフリカか南米に行っていた数ヶ月間に皆既日食のように完全に重なっていた3ヶ月で放送されていたのだろう。展開としては「眠れる森」を思い出させるような、謎解きのような序盤、ヒントがだんだん集まってきて、エンディングの絵を考え出す中盤、そしてそれが正しいのか、あるいはもっと大きな謎があるのか確かめずにいられない終盤と途中でやめられなくなるドラマだった。
そして、悲しいドラマだ。今さらこのドラマの感想をこんなところで長々と書いても仕方ないのだが、自分が変わると見方も変わるんだなという点があった。それは「死」と「ピストル」。
このドラマでは何人もの人が死ぬが、今回はどうもそれに抵抗を感じてしまう。昔だったら、ドラマで人が死ぬのなんて当り前でそこに痛みなど感じることはなかったんだけど、最近(アジアの過去を見て)「死」、それも病気ではなく、殺されて死ぬ人も現実にたくさんいるんだなと認識したばかりだったので、痛みというか怖いというか、その瞬間の恐怖をいろいろ想像してしまう。
そして、ピストル。これも最近(初めて)撃ったから、ドラマで簡単に引鉄を引いて、パン!って乾いた音がして、次の瞬間には血を流して倒れているといった絵が受け入れづらくなってしまった。現実の死ってそんなにきれいなものじゃないよなって思いが消えない。
主人公の2人は運命に翻弄され、死という形でしか片付けることができなくなってしまうが、最後に柴咲コウが前向きに歩き出し、そして「完ちゃんは死なないでね」というところが唯一の救いだった。

ドラマ自体とは別にすごいなぁと思ったのが脚本家。この数年、ドラマや映画を選ぶとき一番関心を持ってみるのが脚本家だ。ものすごい数の引出しを持ってるんだなぁと思う。ちょっと悲しいラブストーリーが北川悦吏子のパターンかと思っていたけど、改めて彼女の作品リストを眺めてみると、えー、これも北川さんだったの~というのがたくさんあって、そんな単純なもんじゃないんだなぁと改めて見直してしまった。
好きな脚本家では前述「眠れる森」の野沢尚がいたが、今年、自ら命を絶たれてしまった。とても残念。

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2004年08月26日

Day40 小姐とデート その2

昨日カラオケ屋の小姐とデートの約束をしたので、ちょっと驚かせようかと思い、朝1ヶ月ほど伸ばしていたヒゲを剃りに行く。シャンプーとあわせ10元。坊主頭なのでシャンプーは特に必要なかったが、とても気持ちいいのでやってもらった。頭のマッサージみたいな感じで30分くらいかけて洗ってくれる。
待ち合わせは昼だったが、蛇口は遠いので余裕を持って1時間ほど前に出発。しかし、到着はON TIMEで全く余裕はなかった。待ち合わせ場所の近くから電話を入れ、15分ほどで彼女がくる。風と書いてフォンと呼ぶ彼女は四川の出身だ。僕の知る限りでは、この手の商売をしている出稼ぎのコは四川出身が多いようだ。まずは近くの店で食事。1時間半くらいかけていろんな話をしながら食べる。今日はほとんど化粧をしていない(ここでやる気のなさが感じられる…)が、それでも十分かわいかった。

自分で頭がよくないと言っていたが、学校を卒業して成都でガソリンスタンドに2年くらい勤め、それからタクシーの運転手をしていたという。24歳のかわいい女の子のキャリアとは思えず、笑ってしまった。今の店に来たのは、ママさんが友人で引っ張られたのだという。別に変な店ではないが、親にはとてもカラオケ屋で働いているなんて言えないんだそうだ。
食後、予定通り民族文化村へバスで向かうが、大雨が降ってきて、カサも持ってない僕らは断念。彼女は、別に自分が行きたいって言った訳じゃないし、どーでもいいよって感じだった。室内で遊べる場所も知らなかったので、とりあえず居候している友人宅へ行く。皮肉なことに雨はもう小降りになっていたが、彼女はバスに長く乗ったせいで気分がよくないというので民族村へ戻るのはやめ、彼女に今まで行ったところの写真を見せたり、ビンチー・ブー(某有名日本人女性歌手の中国語読みです…こう聞くとブスっぽいですが、本物はとてもかわいいです。分かった人はコメントください)のDVDを見たりして過ごす。
中国でもオンラインゲームが流行っていて、彼女がやっていたのは大富豪(ちょっとルール違ったが)。これは巨大な雀荘がネット上にあるようなもので、適当に相手を選んで卓に参加しオンラインでカードゲームをするものだ。なかなか面白そうだった。そして、5時過ぎにまた蛇口までバスで送っていった。
風はもともと日本に関心があって日本カラオケ屋で働いてるわけじゃないので、話していても、聞くのは一方的に僕のほうで、いかにもお付き合いという感じだった。正直なところあまり楽しそうじゃなかったし、僕も楽しかったのは最初の1~2時間だった。ま、僕が中国語を話せない以上、相手を選べないのだからしょうがないだろう。

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2004年08月25日

Day39 ムーツォン・ターサイ

ソ連の空母ミンスク号が深センで観光用に開放されているという話を聞いたので、早速行ってみることにした。15分くらい歩いた大通りからバスで東へ約1時間。バス停近くから見えたミンスクはさすがに大きかった。レーダーがぐるぐる回っていたが、実際機能しているのか、ただ回しているだけなのかは???
さて、このミンスクは「航母世界」というテーマパークの一部になっていて、乗るためには入場しなければならない。早速チケットを買おうと集票所に行くと、何と大人110元!高ぇ(><)
当然学割もない。僕はこの手のマニアでもないので、チケットは買わずに敷地につながる海岸沿いの道路からミンスクを眺め写真を撮るだけにした。現地人もそうやってる人が数人いて、双眼鏡を貸して商売しているオヤジもいた。
続いて、この近くにある中英街というストリートが名所となっているようだったので行ってみるが、どうやらそこは深セン特区内ではなく、香港特別行政府のエリアになるようでイミグレらしき建物で行き来を制限しているようだった。今日はパスポートを持ってきていなかったので断念。でも、地図上ではまだ深センエリアなんだけどなぁ???
さて、ここから街中へ戻り先日行った東門地区をぶらぶらする。たまたま日本ドラマDVDで「プライド」があったので、値切って40元で購入。これは日本で既にDVD化されているので、そのコピーだろうと思って買ったのだが、帰って再生してみたら見事に録画だった。「この番組は…の提供でお送りします」までバッチリ入っていた(さすがにCMはカットされていたけど)。こちらで人気の日本俳優はやっぱりダントツ木村拓哉(ただ中国語読みでムーツォン・ターサイと呼ばれているのでキムタクといっても通じない…)らしい。女優だと酒井法子が人気のようだ。ちなみに「ごくせん」は置いてあったが、仲間由紀恵と書いても知ってる中国人はいなかった。これからきっと大陸でもブレイクするだろう。DVDの他、香港ブランドの服が安くなってたので購入。
夜は宝安(ばおあん)で韓国料理屋で焼肉を食べてから蛇口の日本カラオケ屋へ行く。宝安は深セン特区外なので帰ってくるときは身分証をチェックされる場合がある。僕はそれを知らずパスポートを持っていなかったのでちょっと気になったが、問題なくパスすることができた。ここのカラオケ屋はコスプレ系で小姐がスチュワーデス(空中小姐)やOL、ナースなどの格好をしてついてくれる。僕は空中小姐を指名。目がきりっとした日本人的な顔立ちのコだ。周囲のバックアップもあり、またもや翌日デートの約束をとりつけてしまった。
前回と今回のヒアリング結果、中国では坊主頭はあまり受けがよろしくないことが判明。数年前の髪が少し長めだった頃の写真と今とどっちがいいと聞くと、遠慮なく写真の方がいいと言われてしまった。
中国に行く方、髪は伸ばしていったほうがいいですよー。

↓空母ミンスク
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2004年08月24日

Day38 停滞

深センは見所がテーマパーク系ばかりで、入場料が日本円で1000円以上するのが普通だ。そんな高いテーマパークに1人で行くのも気が進まないので、結局あまり出歩かなくなってしまう。今日は金のかからないところで、深セン博物館に行ってみる。歩いていったので30分以上かかった。
ここは学割OKで5元で入れた。展示は特別展でやっていた陶磁器関係と鄧小平生誕100周年記念パネル(これは全土でやってるようだ)に常設展。常設展は、自然科学系(動物や魚の剥製等)に深センの町やアヘン戦争以降の数々の戦いについてのプロパガンダ的なものが混ざっていた。正直、あまり面白いものではない。
それから近くにJUSCO(なぜか中国語では吉乃島になっていた)があったので入ってみる。作りは日本のスーパー的で、カードも使えた。日本製品も他のスーパーに比べると品数豊富で、キリン一番搾りやアサヒスーパードライなどのビール(作っているのは中国の会社)、寿司等の惣菜、キリン「生茶」等々。生茶のCMはこっちでも松嶋菜々子だったが、味は違っていた。なんと砂糖が入っていた!これはまずい。中国で普通のお茶をペットボトルで売っても売れないのだろうか。友人宅には冷蔵庫がないので、フードコートで惣菜の寿司と一番搾りをこっそり飲んで帰る。

夜は友人と近くの食堂で食事をして前回と同じ按摩屋へ。何度行っても気持ちいいもんだ。

↓中国で売っている砂糖入り「生茶」と亀ゼリー
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2004年08月23日

Day37 若者の町

今日も午前中天気が悪く、昼近くになって出かける。しかし、ブロードバンド環境だと無理に外に出なくても退屈しない。旅に出て引きこもっていてもしかたないのだが、やっぱりネットカフェで時間を気にしながらHPの更新や情報収集をしなければならないことを考えるとここでいろいろ時間がかかうことはやっておきたいと思う。
今日はとにかく両替をしなければならない。土日も中国銀行等は営業しているのだが、T/Cの両替業務していないらしく必要額だけキャッシングしていたのだ。初めてバスに乗って街中へ。エアコン付ワンマンバスだった。駅近くで下車(下車はそのまま中国読みでシァチョーというらしい)し、中国銀行深セン分行へ。ここが深センで一番大きな中国銀行なので間違いないだろう。日本の銀行よりゴージャスできれいなつくりだ。番号札をとって順番を待つが…長~い。
どうやら昼休みらしく、9席あるカウンターのうち3つしか開いてない。しかも、たまに30分くらいかかる人がいる。ここは昼休みを2時間とるのか、2時頃になって人が戻ってきてカウンターを開けだした。結局1時間半くらい待たされた(><)。
言葉はあまり通じなかったが、予定通り両替成功。しかし、T/Cのためか手数料をとられた。でも金額がレシートに書いてある手数料(450元)をひくと計算が合わないんだよな。よく分からん。いくらなんでも6万円両替して450元の手数料を取るというのはありえないと思うのだが。

ま、期待した額と近い金額が入手できたのでいいとしよう。ここから郵便局やデパートを覗いたりしながら若者の町「東門」地区へ。衣料品を中心に携帯屋などがたくさんある。ごちゃごちゃしてよく分からんけど。ここにあるマクドは中国一号店ということで非常にデカイ。若者はなかなかファッショナブルで、テイッシュ配ってたり、スカウトしてたりと日本と同じような光景があった。グラサンしてすかした感じの女の子がかなりいたけど、やっぱりアジア人は白人と比べるとグラサンが似合わないなぁ。ぱっと見あまり可愛いコはいなかった。日本の方がボニータ率は高いかな。でもメイク次第では逆転も可能かも。
CD屋の店先で日本のドラマのDVDBox売りがあったので見せてもらう。これは新しいやつといって「オレンジデイズ」とか出してきた。まだ日本でもDVDになってないんじゃないの?ということは録画をDVDに収めてあるだけなのだろう。DVD8巻で70元が言い値、もちろん日本語収録とのこと。何かいいドラマがあったら今度買ってみようかな。
雨になったので退散。昨日に引き続き近くの足浴に行く。店を変えてみたがやることはほとんど一緒だった(当り前か)。

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2004年08月22日

Day36 小姐とデート

昨日遅かったので、今日もゆっくり起きる。昨日のカラオケ屋小姐との待ち合わせは正午なので、それまでWebでオリンピック情報を見たりして過ごす。しかし、今回の日本はすごいなぁ。どうしちゃったの?という感じ。最近の若者は頼りないとか言ってたオジサンたちもこれで少しは改心するんじゃないだろうか。

さて、11時半過ぎ、昨日教えておいた友人の携帯に彼女から電話が入る。「雨降ってますけど、どうしますか?」だって、あららいつの間にか雨降ってるの?ま、どこに行くかはおいといて、昼飯を食べましょうということにした。12時半頃、彼女から到着との連絡。友人と一緒に下に降りて合流。
2人のはずだったが、1人しかきてなかった。内心、女の子1人のほうがデートっぽくていいなぁ、金もかからないし…と思ってたので、密かに喜ぶ。3人でゆっくり食事をしているうちに雨もやんだので、出かけることにする。昨日は民族村に行こうと話していたが、彼女は民族村には行ったことがあるから遊園地の方がいいということになり、香蜜湖というところにある遊園地に行くことにする。さほど遠くなさそうなのでタクシーで向かう。
着いた着いた。入場料は70元、結構とるなぁ。かなり古そうだ。昔行った戸塚のドリームランドみたいな感じかなぁ。本音を言うと僕は遊園地が好きではないし、ジェットコースターは苦手なのだが、彼女がジェットコースターはテレビで見て怖そうだけど乗ってみたいと思っていたなどというので、一緒に乗らないわけにはいかなかった。
15種類くらい乗り物があるようだ。まずは一番手前のダブルループコースターに乗る。ちょっと緊張したが、最初の急降下が終わると、後は意外と大したことはなかった。一安心。「コワカッタケド、オモシロカッタデス」が彼女の弁。それから、お化け屋敷、観覧車等遊園地の定番モノを回り、あとは遠心(回転)系の乗り物の連続だ。さすがに、似たような回転系が続くと、目が回りだんだん気持ち悪くなってきた。これ、乗り物酔いだな。彼女もあまり顔色が良くなさそうだ。
この遊園地は古いからか中国だからか分からないが、TDLのような美しさとは無縁の遊園地だ。はっきり言ってかなりしょぼい。彼女が「ニホンノユウエンチトチガイマスカ?」と聞くので、日本のはもっと凝った作りのものが多いし、もっときれいだねと答えたが、イメージ湧かないようだった。
池の上に作られたロングコースターがここのメインアトラクションらしい。これも思ったほど怖くなくてよかったが、この中国製コースターが脱線したら50m下の池に安全ベルトとバーをしたまま落ちて、コースターにくっついたまま溺死しちゃうんだろうな、などと考えてしまいそっちの方が怖かった(笑)。
いくつか壊れて乗れないものもあったが、10数個のアトラクションを乗り終え、僕は乗り物酔い状態、彼女は24歳にして初めて遊園地デビューできて満足という状態だ(と思う)。

彼女は今日も7時半から出勤なので早めに帰ることにする。同伴出勤をせがまれたが、7時半から1人でカラオケなんかできないよーと言って断る。そのかわりにタクシー代としてお金を渡してあげた。
一度帰ってから近くの按摩屋で足洗をする。75分で20元と安い、その名のとおり足を洗ってヒザ下から足裏までマッサージしてくれるものだ。これは力がいるからか小姐ではなく兄ちゃんの仕事らしい。リラックスできて非常に気持ちいいが、足を洗わせるという行為自体にちょっと罪悪感を感じてしまう。とはいえ、日本でこの値段でできたら毎日通うだろうな、きっと。

それから昨日のメンバー達と食事。今日は海鮮だ。エビ、シャコ、貝、などなどどれもウマイ。前に中国にきたときは本場の中華料理への期待が大きかったからか、安飯屋にしかいかなかったからか、ちょっとガッカリしたが、今回は満足。やっぱりそこそこの店に行かないとウマイものは食べられないということなのだろう。

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2004年08月21日

Day 35 深センの夜

今日は土曜日、友人も休日なのでゆっくりだ。まずは洗濯機を借りて久々に洗濯をする。昨日按摩したところが少し痛む、かなり強く揉まれたからなぁ。あの小姐、絶対僕より握力あるだろう。
洗濯しながらどこに行こうかなぁと考えていたが残念ながら雨。近くで昼食をとってメールチェックや日記を書いたりして過ごす。2時頃になって、歩いて20分くらいの電気街(?)に行ってみる。メーカー向けの店なのかチップやトランジスタを売っている店ばかりが入ったビルや、携帯屋だけが入ったビルなど、秋葉原以上に中身が濃い。こっちの人は携帯をバラして、いろいろいじって売ったりもするみたいだ。なお、こっちの携帯はプリペイド式が主流らしく、日本のように本体はタダ同然で売って通信費で儲けるという手法ができないため、携帯1台あたりの値段は日本より高い。安くても500元前後、高いと3000元以上する。
ある店で売っているコピーDVDやソフトの中に日本のものがあり、「多国語言版」となっていたので日本語入ってるか?と聞くと「有」というのでダメ元で購入、7元だった。
夜は友人の同僚達と一緒に日本居酒屋で食事。昨日の牛丼に続き日本食、そして日本の生ビールを楽しむ。それから日本カラオケへ。これはバンコクだとタニヤにあるような日本語を話す小姐がついてくれ、日本の曲が揃った(DAMだった)カラオケ屋である。
深センはこういう日本人相手の店がかなり多いようで、日本住民の多さが推測できる。指名した娘とカタコト日本語で会話をする。彼女は重慶から出稼ぎできていて、日本語を勉強したかったので、この店で働いているという。いくらもらってるのかは知らないが、月に4日しか休みもないらしく、遠出などできないようだ。
感じのいい娘だったので、(別の娘も一緒に)明日どっか行こうかといったらあっさりOKしてくれ、民族村というテーマパークに行くことになった。
何曲か歌って1時過ぎ閉店、近くの店でラーメンを食べて帰る。ごちそうさまでした。

↓昨日見たジャッキーチェンの手形
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2004年08月20日

香港って…

6時過ぎに深セン駅近くのバスターミナル到着。深センで友人が働いているので、近々向かう予定とハノイからメールしていた。まずは駅近くの高級ホテルでメールチェック。やはり返信あり、連絡先をメモってこれからどうするか考える。こんな早朝に電話するのも悪いので、まずは香港へ行って中国Fビザを取ろう。いろいろ聞きまわって香港行きの九広鉄道駅を発見。早速乗り込もうと思ったが、(当然のことながら)中国本土から香港に入るには出入国手続きが必要だったのだ。あぁ面倒くさい。昨日中国に入ってもう出国。さらに香港はまだ香港ドルが残っていて、鉄道の切符を買う段階でもう人民元が使えない。やむなく切符売場脇の両替所で両替をしたらひどいレートだった。香港ドルはちゃんと銀行で入手してから香港に向かいましょう!
列車はエアコンがガンガン効いていて快適。でも33HK$と高い。地下鉄に乗り換えて10年ぶりくらいでチムサーチョイに出る。何となく覚えている風景と変わっていない。最近、香港もきれいになったようなことを聞いたが、重慶マンション周辺に大きな変化はなさそうだ。だったら、バックパックをしょって歩いてれば客引きが適当な宿を紹介してくれるだろう。
やっぱり来た。しかし、部屋は最安でも100HK$と高い。今日は金曜なので通常の手続きでビザをとると月曜になってしまう。3泊すると部屋だけで300HK$かーと迷っていたら、客引きがビザの手配もできるからとりあえずこいというので、宿にいってオーナーのおばさんにエクスプレスでのビザ手配価格を聞いてみると650$という。通常手配(3日待ち)の場合と150$しか変わらない。だったらと、即日手配を依頼。銀行へ両替へ行く。いくつかの銀行でT/Cはコミッション50$と言われ、また米ドルキャッシュを使わなきゃならないのか、と思ったが、重慶マンション内の両替所で1万円T/Cを700HK$で換えてくれた。これで650$をビザ代に充て、残りは約70$。さて、ビザのできる6時まで何しようか…。まずは腹ごしらえと思ったが、高い!何食っても20$は必要って感じ…スーパーにいったらビールが3.8$だったのでとりあえず食事は後にしてビールを飲む。
暑いのでエアコンの効いてるショッピングモールをぶらぶらしてからフェリー埠頭にあるツーリストインフォで地図を入手し、おすすめ見所を聞いてみる。まず、最近できたアベニュー・オブ・スターズを歩いてジャッキー・チェンの手形を撮影(ミーハーだ…)。それからフェリーで香港島へ渡り散策。すると「吉野家」発見、しかも3時からは日本茶付で13$と香港では激安のメニューがあったので行列に加わり、久々の日本食(?)を楽しむ。あとは香港島をぶらぶらするだけ。英語が通じるのはラクだが、ここは貧乏人が1人で来て楽しいところじゃないなと実感。
以前来たときは3泊程度だったし、買物をする気もあったのでそれなりに楽しんだ記憶があるが、東南アジアから移動してきた今になってはただの物価の高い町だ。
6時に予定通りビザを受け取り同じルートで深センへ帰る。また出入国…2日で3回だよ。駅近くのホテルまで友人に迎えにきてもらい自宅に連れていってもらう。まだあまり腹も減っていなかったので、按摩に行くことにする。小姐を指名して2時間たっぷりコリをほぐしてもらう。さらに、抜罐(カッピング)に挑戦。サラミを貼り付けたようにものすごい痕が背中についてビックリした。悪い血がたまってるのだろうか…。

↓抜罐後の背中
治療後.html

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2004年08月19日

中国的驚速進化

6時過ぎに目が覚めたが、家の人はまだみんな寝ているようだったのでしばらく様子を見て7時ちょっと前に起床。歯を磨いてから、カメラを持って外へ出る。予想したとおり、既に市場にはいろんなものが並んでいて、大通り沿いには大勢のおばさんが薪や果物を売っている。好奇の目で見られながらその中を歩いて写真を数枚撮る。それから市場でフォーを食べる。ここのフォーはベトナム最安の3000ドン(約22円)。食後、闇両替おばさんに100,000ベトナムドンを50人民元に交換してもらい、荷物をとってバイタクで国境の友誼関へ。滞在期限切当日でちょっと冷や冷やしたが、問題なくベトナムイミグレを通過、歩いて中国側へ移動。こちらは非常にモダンなイミグレだった。入国カードとSARS対策と思われる健康状態申告カード(?)を提出してスタンプをもらう。去年(?)まで、両国ともビザが必要だったのだが、もはやここの国境越えは非常に簡単なものとなった。
中国イミグレを出ると両替小姐が来たので、人民元はあるからいらないけど(近くの町である)ピンシャンまではバスあるの?いくらくらい?と聞いたらなんと60元という考えられない返事。えぇー、そんなはずないだろ。彼女を振り切ってとりあえず歩いて先へ進む。今度はタクシーのオヤジが50元でいいから乗れという。やはりそれくらいするのか?と思ったとき、バイタクの兄ちゃんが15元で行くというので、快諾してしまった。今思えば、乗合バスもあったようで、それだったらたぶん3元くらいだっただろう。30kg近いバックパックを背負ったままバイタクに30分乗るのはちょっとつらかったが、無事ピンシャンのバスターミナル到着。ここで南寧行の値段と出発時刻を聞くと、10分ほどで出発、35元というので人民元を使い切って乗車。ちょっとぼろいが寝台バスだったので、非常にラクだった。車内ではもっぱら本を読んで過ごし、4時前には南寧に到着。
さて、南寧の町は広そうだ。バスターミナルまでの道はきれいで車線も多く、ごちゃごちゃした感じはない。ターミナルも行先別に時刻、運賃表があり、電光掲示板も設置されている近代的なものだった。漢字民族同士なので、表さえあれば人に尋ねなくてもたいていの情報は入手できるので助かる。しかも、チケット売場の小姐は少し英語を話した。数年前と比べてもかなり便利できれいになったように思う。中国の進化スピードは速い。
バスターミナルを出ると旅館はたくさん並んでいるので、泊まるところは問題ないだろう。ただ、何の情報もないので泊ま意味があるのかどうかは分からなかった。とにかく、今しないといけないことは両替だったので、中国銀行を探して歩き回るが、他の銀行しか見当たらない。一応それらの銀行にも行ってみるが、やはり両替は中国銀行しかだめだという。ある銀行のおじさんに人民元が全然ないから中国銀行を探している。どこにあるか?と聞いたらいろいろ言われ、何を言ってるのか見当もつかなかったが、1元くれた。うれしいようなみじめなような気分だ。でも、以前の中国で感じた無愛想さ、アグレッシブさはあまり感じない。
とにかく中国銀行を探さねばと、トゥクトゥクのおばさん(中国に入ると女性ドライバーがたくさん現れた)に中国銀行へ連れて行ってくれと頼むが「没有」と言われる。ないはずはないんだけどなぁ。そうこうしてると青年が(中国語しかできないのだが)助けてあげましょうとやってきて、知り合いの英語学校キャンペーン小姐(?)のところへ連れていってくれたので、彼女に話をしたが、やはり中国銀行の場所を知らないうえ、英語もほとんど話にならなかった。
バスターミナルでドルかカードでチケットを買えるかもしれないと思って、青年楊クンと一緒に戻る。しかし、カードは使えず、ATMも近くにはないと言われる。楊クンとは筆談だが、こちらは単純なことしか書いてないし、中国風にアレンジして表記してるので、だいたい理解してくれているようだが、彼の書いていることは一部しか分からないものがほとんどで、コミュニケーションは難しかった。
ぶっちゃけ、コミュニケーションできない人が一緒にいてくれてもほとんど助けにならず、かえってこっちが疲れるので、もう大丈夫だから…と何度も言うが、彼はあきらめず、さらに筆談を迫ってくるのだった。結局、タクシーの運転手が米ドルと人民元の両替をしてくれるということになったのだが、いざ50ドル札を見せるとニセ札かもしれないと不安になったようで、彼のタクシーで中国銀行へ行くことになった。最初からタクシーに聞けばよかった。
幸い5時過ぎでも銀行は開いていて、T/CはNGだったが、米ドルキャッシュを人民元に交換してくれた。疲れたー。もう夕方だったのでここには泊まらず夜行バスで深センへ向かうことにする。出発までの時間、楊クンにお礼の食事をごちそうする。8時に深セン行バスは出発。きれいなエアコン3列寝台バスで小姐の水と缶入りお粥のサービス付(200元=約2800円)、ただただ感動。

↓ドンダン路上の風景
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2004年08月18日

これが旅だ

5時半発の列車に乗るので、4時45分に起床…のはずだったが、何と目覚めたら6時だった(><)。
油断して目覚ましを使わず、腕時計のアラームに頼ったのが失敗だった。でも、今まで早朝発で起きられなかったことなんてないのに…気が抜けてるのだろうか?
ま、過ぎたことは仕方がないので、これからどうするかを考える。明日がタイムリミットなので、遅くなっても国境近くまで行っておいたほうがいいだろうと考え、午後の列車に乗ってドンダンまで行くことにする。予定が決まったら二度寝開始(笑)。
10時頃起きて、チェックアウト。朝食をとって郵便局やスーパーに行く。途中ネット屋があったので高かったが30分だけ接続し、メールを送る。それから最後のブン・チャーを食べて駅へバイタクで急ぐ。
ドンダン行は4両編成で三等車のみ。旅行者らしい人は誰もいなかったが、列車は現地の人たちでほぼ満席になっていた。僕を見つめる好奇心に満ちた視線を痛いくらいに感じる。その中を大きなバックパックを背負って進み、何とか席を確保して出発を待つ。13:30オンタイムで出発。はじめは街中だから遅いのかと思っていたが、いつまでたっても遅いので、こんなもんかと納得。時速25キロ前後だろう。隣の道路を走る自転車よりは速いが、原付には抜かされていく(笑)。遅いなりにゆれるので、スピードを出すと脱線するのだろうと勝手に推測する。
1時間ちょっと乗っていたら乗客の半分以上は降りて、足を伸ばして座れるようになった。風景も田んぼや山が多くなり、緑一色になってくる。このあたりは二期作ができるので、ある田んぼでは田植えをして、すぐ近くでは刈入れをしてたりするのが面白い。水牛は大活躍しているようだ。
ローカル列車の旅を楽しんで5時間半、終点ドンダンにはこれまたオンタイムの7時に到着。残念ながらもうあたりは暗くなっていて、田舎町で宿を探すのはつらい状況だ。駅を出るとバイタクがいたが、近くに宿があるとガイドブックに書いてあったので歩いて探す…が、見つからず。道沿いにいた人にホテルどっちと聞きまわっていたら町に出た。ドンダンの駅と町の中心部は1km以上離れているようだ。町に出たはいいが、今度は停電になったらしく。ある瞬間で電気が一斉に消えた。状況がさらに厳しくなる。犬には吠えられるし…。幸い電気は20分くらいで復活。何件かホテルを教えてもらい、値段を聞くが、こんなとこでこの値段というくらい高い。どこも10万ドン以上要求する。数人に「ここはベトナムなんだからそれくらいして当然だ」みたいなことを言われたので、僕は国境を越えてきた貧乏中国人に見えたのかもしれない。
何とか1件のホテルに断られたあと、隣の民家を紹介してもらい4万ドンで泊めてもらえることになった。疲れたのでまずシャワーを借り、汗を流す。当然カギもない部屋なので荷物をしっかり管理してから夕食に出る。まずフォーを食べてビールを飲む。さらに牛の串焼き屋台が出ていたので、串を3本にまたビール。ウマイ。部屋に戻るときれい好きのうるさいおばさんが、僕がつけていた蚊取り線香を消せといって、蚊帳を持ってきてくれた。
ちょっと疲れたけど、今回の旅で初めて「あぁ旅してる」と実感できた1日だった。今まで観光客だらけの所を通って何の苦労もなく来ちゃったからなぁ。これでようやくツーリストエリアを脱出できそうだ。

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2004年08月17日

慌しい滞在

出発が遅れた分だけ遅れ、9時過ぎにハノイ到着。やはりホーチミンとはちょっと雰囲気が違う。ま、バイクの嵐は変わらないが…。ツーリストはバス会社のオフィスから無料タクシーで旧市街の安宿まで運んでもらえる。さすがに夜行明けだとそのまま紹介された宿に泊まる人が多いようで、タクシー代のモトはとれてしまうようだ。
僕は8~10US$というそのホテルを断って、バックパックを背負って安宿探しに出かけた。が、ハノイはいい宿がない。6件くらいあたって、ようやく5US$でエアコンBT付の部屋が1つだけあったので、狭かったがOKする。しかし、その部屋、後でカギが壊れていたことが発覚(笑)。
あさってまでにベトナムを出国しないと滞在期限切れでビザを取らなければならないので、シャワーを浴びてすぐバスターミナルや駅を回って、国境のドンダン行スケジュールを確認。この国の列車には数年前まで外国人料金があったようだが、もう撤廃されていてバスより安かったので、列車で行くことにする。しかし、チケットは当日じゃないと売ってくれないようだ。
続いて、病院に行く。経過順調だが、あまり歩くと悪化する可能性もあるとの診断。1週間分の抗生物質をもらって、ようやく治療終了。約1週間大変だったなぁ。
それから銀行で両替とやらなきゃならないことをしていたら、もう4時、しかも強烈なスコールが降って雨宿りで1時間、道は所々水没してしまい、川の中を歩くようにして宿まで帰る。
服が濡れたついでに洗濯をしてしばらく横になってテレビを見る。ここではNHKが入らないのが残念。しかたなくロシアのチャンネルでオリンピック中継を見る。
7時頃、水もひいていたので、ネット屋探しと食事に出かける。ハノイの旧市街はごちゃごちゃしていて、なかなかネット屋が見つからない。しかも、見つかったとこでもラップトップを接続するのを断られたりして、結局ネットはできなかった。食事もいいところがなかなか見つからず、歩き回って疲れた。ここでもまたビアホイを飲む。明日は5時半発の列車に乗らなければならないので、早目に就寝。ハノイの正味滞在時間は20時間くらいしかない…。
ベトナムは北部のほうが美人が多いと聞いたことがあるが、ハノイではあまりきれいな娘は見かけなかった。今思えば、フエはなかなかよかったのかも…。

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2004年08月16日

王宮は廃墟

フエで期せずして二日目を迎えることとなった。今日の予定はフエ観光…といっても阮朝時代の王宮を見に行くくらいだ。フエ郊外にはいくつかの帝廟等があるが、ほとんどが入場料が55000ドンと激高なので、それらは無視する。朝イチで王宮に行ってから昼寝してチェックアウトという目論見でいたが、早起きできず、10時過ぎまでだらだらしてからチェックアウトして昼の暑い時間帯に王宮へ行くこととなってしまった。

しかし、ここは予想以上にデカイ。皇居とまではいかないが、四方に堀があり塀に囲まれている。メインゲートも北京の故宮みたいな感じだ。入場料55000ドンを払って入る…と正面にある建物の左右は原っぱでススキが生えている。二度のインドシナ戦争によってここも爆撃を受けたとは聞いていたが…残っている建物の方が少ないなぁ。まずは真正面の大和殿で行く。まるっきり中国風の赤い柱に龍の彫刻。真ん中には大げさな玉座。まるで那覇の首里城を思わせる。中国の影響下にあった建物はみんなこんな雰囲気になってしまうのだろう。
ここを出てしまうと、あとはまるっきり廃墟といった感じで、原っぱに巨大な甕がいくつかあり、両側にいくつか建物が残っている。新しく建て直されたものより、廃墟からかつての姿を想像してみる方が興味深いと思うのは僕だけだろうか。とても暑い日だったので疲れたが、休みながら2時間以上かかって見終えた。なかなかいいところだった。
それから、アイスコーヒーを飲んで休む。最近はベトナム語も少しバリエーションが出てきたので、5000ドンの言い値を2000ドンに値切り、さらにおかわりでお茶までもらうことができた。おばちゃんも変なガイジンを楽しんでるようだからそれでいいだろう。休んでからホーチミンが通っていた学校を見たりして、また川岸で休息しつつ最近つけていなかった出費帖をまとめてつける。フエはちょっとのんびりした感じで、ローカルでもシクロに乗ってる人が多い。
雨が降ってきたので、宿に戻り隣のネット屋で昨日までの日記をUPLOADしようとしたが、接続が遅すぎるのかなかなかうまくいかない。あきらめて、昨日の食堂で夕食をとってから宿でバスを待つ。6:30発の予定が7時過ぎにピックアップ、出発は8時を回ってしまった。ま、乗れたからいいけどね。

今日は内容が少ないので、ベトナム物価をご紹介。
1US$=15700ベトナムドン

安宿 3US$~(都会はシングルBT付5US$~)
食事 フォー 5000ドン~(田舎は3000ドン~)
   定食 7000ドン
   フランスパンのサンドウィッチ 4000ドン~
ビール 7000ドン~(450mlビン)
水 5000ドン(1.5l)
インターネット 50ドン/分
バイタク 5000ドン~(市内1km前後)
アイスコーヒー 2000~3000ドン(屋台)
ツーリストバス サイゴン~ハノイOPEN 18US$~

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2004年08月15日

誤算

昨夜はエアコン快適部屋で遅くまでDVDを見ていたので、目が覚めたらもう9時半だった。もうあと4日でベトナム滞在期限が切れてしまうので、今日の夕方のバスでハノイへ向かうことにする。チェックアウトして荷物を預かってもらい、バス会社のオフィスへ行ってハノイ行を予約…しようとしたら何と、今日、明日とも満席だという。もう滞在期限が切れるので1人分何とかならないか、最悪床に座ってくからとりあえず乗せてくれとか頼んでみるが、知ったことかという態度。払い戻ししろというと、1US$しか返さんとぬかす、ふざけんなこのアマ~(怒)。と怒ってみても無駄なことは今までの経験から百も承知なので、別のオフィスに行ってみる。幸い、ここでは明日の分は空席ありで予約できた。結果オーライだからいいけど、どういうわけ?日程に余裕はないけど、これで何とか期限内に出国できるだろう。

昨日の宿は高いので近くで安宿を探すが、この町は他と比べるとコストパフォーマンスが低いようで(それだけ観光客が多く、需要の方が高いということだろう)いい宿がない。7軒くらいあたって、ようやく5US$の部屋を見つけ、荷物を担いで移動。チェックインしたらもう1時頃になっていた。疲れたのでシャワーを浴びてしばらく横になる。3時近くなってから活動開始。この町もそこら中観光客だらけなので、ここのメインアトラクションである王宮は明日早朝に行くことにしてドンバ市場に行ってみる。日曜のせいか人であふれかえっていた。軽く食事をしてから、フルーツでも買おうかと思ったが、ボリが激しいので買う気が失せた。ホイアンは産業が観光に依存しているので、観光客にそっぽを向かれない程度に吹っかけてくるが、フエは観光客を抜きにしてもそこそこの規模の町だからか観光客と見ると激しくぼってくるように思える。そもそも観光客に対して「定価で売ってもいい」と考えている店が少ないようで、言い値でNOなら別に買わんでいいよーという姿勢を感じる。
市場での発見は「ブンラッ」という海老やイモをくずもちでくるんだような食べ物だ。一皿2000ドンと安くてウマイ。しかも、(そこのおばさんの知り合いだろうか)一緒に食べていたかわいい女の子も日本に連れて行っていいという。旅をしてるとそういったオファーはたくさん受けるが、さすがに真に受けたことはない(笑)。
それから、市場の東にある橋を渡って旧市街に行ってみる。さすがにこの辺りまでくる白人は少ないようで、人々のリアクションも違ってくる。旅はこうでなくっちゃという感じ!あるお寺に行ったら、日曜なのに授業が行われていて、子供達がまじめに勉強していた。
何人かのやんちゃ坊主が写真を撮ってくれという仕草を見せたので、撮ってやったら先生に見つかって正座させられてた(笑)。幸い僕にはお咎めなし、どころかお寺の一室に連れて行かれお茶をご馳走になり、学校のバッジまでもらってしまった。
この辺り、川沿いに船が連なっていて、多くの人たちが船で生活している。ペット(犬等)を飼ってるのとテレビが見れるというのが船上生活でもひとつのステータスらしく、ほとんどの家(船)がこの条件を満たしているようだ。この近くで、珍しくおばあさんが写真撮ってくれというので、撮ってあげた。こういうとき、デジカメだとその場で写真を見せてあげられるので楽しい。
今のところ、東南アジアでは一般的に写真は嫌がられるようだ。特に市場や街角で物売りをしている娘などはたいてい嫌がる。子供でも恥ずかしがる子は多い。離れたところから黙って撮って怒られるようなこともないので、写真に対する拒否反応が強いのではなく単に恥ずかしいようだ。
僕は嫌がる人を撮ることはしないし、金を払って撮ることもしない。被写体になりたくない人を無理に撮ろうとは思わないんだ。観光客向けの衣装を着て1枚1ドルとかいってる子供の写真を撮ってそれらしい写真を仕立てるのは簡単だが、それにはどうも罪悪感を感じてしまう。

この辺りをブラブラしてるともう暗くなってきたので、少し遠回りしながら宿へ帰る。途中、フエ産の日本酒が安く売っていた(350mlで11000ドン)ので購入。"HUE FOODS COMPANY"というところでは、日本酒「越の一」「わかば」他、焼酎「鬼」などを造っている模様。ベトナム人で飲む人がいるのかどうかは疑問だ…。ちなみに「わかば」の味はいまいち…日本酒ではあるけど、ちょっと…。
宿に帰ってシャワーを浴び、一休みしてから夕食をとりに出かける。朝、昼と麺だったので、米の飯を食べたかったが、2軒あたって両方ともボッタクリ価格なのでさすがにムカツク。しばらくご飯を食べられそうな店を探してるとようやく、8000ドンで定食を出してくれる店が見つかり、そこで遅い夕食&ビールをとる。その店の娘が黒いけどとても綺麗だった(後藤久美子似かな…というかゴクミがベトナム顔といった方が正しいのか?)。明日もこの店に行こーと決める!

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2004年08月14日

ミーソン

ホイアン2日目はここから40kmくらい離れたところにあるミーソン遺跡に行くことにする。ツアーは朝8時に出て午後1時終了予定。2時に次の目的地フエへ向かうバスが出るのでちょうどいい。
7時前に起きて荷物をまとめ、チェックアウトしてから朝食をとり、ピックアップを待つ。ロビーのテレビではちょうどオリンピックの開会式を放映していた。もうオリンピックか、しばらくテレビのある部屋に泊まりたいなぁ。

8時10分頃、バスが到着。それから予想通りいろんなホテルを回って乗客をピックアップしていく。結局ホイアンの町を出たのは8時半を回っていた。バスは一路ミーソンへ向かい、車中で入場料5万ドンを徴収される。そして、9時半過ぎにミーソン着。少し歩いてゲートを越え、橋を渡ったところに車庫みたいなものがあり、そこに人がたくさん集まっていた。ここからミニバスに乗って遺跡入口まで行くらしい。4台くらい待って乗車。そこからは勝手に遺跡を回る。もう10時を過ぎている。バス乗り場に12時までに戻るようにとのことだったので、見学時間は正味1時間半くらいしかない。
5分ほど歩くと最初の遺跡群E・Fに出る。この遺跡は8~9世紀頃、チャンパ王国が造ったヒンドゥー教聖地で、緑に囲まれた静かな所にレンガ造りの建物が点在している。ここはベトナム戦争時に解放軍が拠点の一つとしていたためアメリカ軍が爆撃を行ったており、現在でもかなりの部分が破壊されたままで、修復はほとんど進んでいない。
遺跡群は思ったより広くなく、実際に見て楽しめるのは遺跡群B・C・Dの1箇所だけといっていい。遺跡の規模や保存状態はアンコールワットに遠く及ばないが、ベトナムでは最大級の遺跡だという。見学時間1時間半じゃ少ないなぁと思っていたが、この規模ならそれくらいで十分なのだろう。帰りのバスが12時15分を過ぎても出発しないので、午後2時からフエ行に乗らなければならない僕はちょっと焦ってきた。が、それから間もなく出発。1時半頃無事ホイアンに戻ることができた。

急いで昼食をとってフエ行バスを待つ。ホテルのピックアップは時間通りにきたが、実際にフエまで行く大型バスがなかなか来ない。結局1時間待たされて3時に出発。あとは例のごとくほとんど寝てる間にフエ到着。もう暗くなっていたし、これという宿も決めてなかったので、シクロ兄ちゃんのお勧めを何件か回るが、どこも10US$と高い。結局、通常15$という部屋を10$にしてもらい新しい中級ホテルに泊まることにする。何とこのホテルにはバスタブがついていたのだ。それを見た瞬間、10$でもいいかと思ってしまった。シャワーを浴びてからフエ名物「ブンボーフエ」というヌードルを食べる。なかなかウマイけど、ここまで食べにくるほどのもんでもなかったかな。この町の中心にかかるチャウティエン橋がライトアップされていてきれいだったので川沿いのカフェでビールを飲んで帰る。
日本出国以来久々にバスタブにつかってリラックスする。贅沢病にならないよう、また明日から引き締めなければ…。

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2004年08月13日

飲めや歌えや

8時頃起きて、ホイアンの市場へ行ってみる。さすがに海沿いだけあって魚介類が豊富だ。カツオやアジ、太刀魚などおなじみの魚も多い。しょうゆを買ってカツオを刺身で食べようと思ったが、しょうゆが500mlボトルしかなかったので断念。市場内の食堂でホイアン名物「カオラオ」を食べる。うどんみたいな麺に濃い目のつゆ、チャーシュー、香菜などが入っていて、なかなか美味。やっぱりアジアは飯がうまいから助かる。麺好きの僕としては、アジア諸国の中でもここベトナムは高得点だ。屋台が多いから、安く、目で選んで頼めるから間違いがない。そういえば、この旅に出てから一食に1ドル使ったことはまだ2~3回しかないんじゃないかな。
腹ごしらえを終え、世界遺産にも指定されている旧市街をブラブラする。確かに町並みは中国や日本風であったりして、なかなかいい味を出している。散策派の僕が好きなタイプの町だ。しかし、それらの多くが観光客向けのギャラリーや土産物屋、白人向けカフェになっていて、どうも「作られたような」感じがしてしまう。10年くらい前に来てみたかったなぁとつくづく思う。
さて、旧市街で整備・保存されている建築物の内部を見るためには、共通券になっている観光チケット(5万ドン!高い~しかも9/1より75000ドンに値上げ予定)を買わなければならないが、これが変な仕組みになっていて、博物館、中国系の人が建てた「會舘」、古い民家等いくつかのカテゴリーに分類されている中で1つを選んで入るようにできている。例えば、古い民家(3軒ある)の中で、1つ見たら残り2つは見ることができないのだ。なんでフリーパスにするか、1軒ずつ入場料を徴収しないのか理解できない。こんなシステム早くやめろ!
そうはいっても実際のところはチケットを厳密にチェックしてなかったり、人によっては入れてくれたりもするのだが…。やっぱり運用でお茶を濁すのではなく、システムを改めてほしいものだ。

今日は暑いので、川沿いでアイスコーヒーを飲み、ドラゴンフルーツ(2000ドン)を食べる。フルーツが安くて豊富なこの国でのお気に入りはドラゴンフルーツ(現地名タンラン)とランブータン(チョムチョーム)かな。皮が簡単にむけるし、手も汚れなくてGood!町の隅々まで見て回ったらもう午後の2時近くになっていたので、昼食をとってから自転車を借り、水着に着替えて5km先のクアダイビーチへ行く。

ここも予想通り白人でいっぱい。パラソルにデッキチェア―、海の家が並ぶというありきたりのビーチだ。水は少し濁っているが、温度はちょうどいい。少し泳いでから、おばさんが無料というのでデッキチェア―を借りてボヘーッとする。150円くらいしか金を持ってこなかったので、何も頼まずにいつまでねばれるかなぁなどと考えていたら、近くに陣取っていたベトナム人野郎6人組が誘ってくれたので、合流してビールや鳥の包み焼きみたいなツマミをご馳走になる。彼らは1人として英語をしゃべれなかったので、ほとんど会話にはなってなかったのだが、男が大勢集まって酒を飲むと、自然と下ネタ話になって、日本人はチ○チ○でかいのか、とかあの白人に声かけてこいよとか、ベトナムの女は××だとかいった話が続き、その間僕は8回くらい「サマゲー(乾杯だろうか?)」の掛け声とともに一気飲みに付き合わされた。酒を飲み干すという行為はいろんな国で半強制されるが、基本的に男の礼儀みたいなものなのだろう。
彼らと3時間近く飲んでいて一番驚いたのは、トイレに中座することなく、(砂浜だからではあるが)その場で海パンの脇からイチモツを出して用をたすことだった。男同士とはいえ、日本人ではありえないだろう。
飲み食いを続けていると、僕以上に他の連中が酔ってきたらしく、1人が歌いだし他の連中は拍子をとるという花見のオヤジ状態になっていった。ビール20本が空になって、帰るのかと思いきや場所を変えて、今度は地元産の酒みたいなものの回し飲みになった。歌はひたすら続き、家族連れや観光客の多いこのビーチで僕らはタチの悪い酔っ払い集団と化していった。
もう夕暮れも近づき、脱出するタイミングを見ていたのだが、さすがに奢ってもらっている立場なのでムリに帰ることも難しい。すると、ある女の子が、こいつらみんな酔っ払ってるからアンタ早く抜けたほうがいいよ、と英語で言ってくれたので、意を決し、一方的にチャリで来てるからもう帰るよと言って脱出した。
あとは町までチャリで一直線。途中でスコールになったので、上半身裸になって帰った。

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2004年08月12日

戦争の犠牲者

予定通り6:30頃ニャチャンに到着。別のオフィスまで移動して接続するホイアン行バスを待つ。7時発というので、屋台でフォーを食べる。7時15分頃バス到着、即乗車。前回よりはツーリストが増えたが、まだ余裕があり、また2人掛席を占領できた。昨夜、久々の夜行で熟睡できなかったので、早速睡眠。気がつくと海岸沿いの山道を登っていた。今までのところ、ベトナムの風景はほとんど途切れることなく町が続いていたが(カンボジアと大違いだ)、このあたりは山と海、自然が主役になっている。11時前に食事休憩。しかし、まだ腹も減ってないのでビールだけ飲む。
しばらく行ったところでなぜか停車。寝ていたので初めよく分からなかったが、どうやらバスが故障したらしい。もう1時間以上停まっている。小便をしに降りると、後ろのエンジンルームを開け、いろいろいじっている。ここは任せるしかない。旅はいらついたら負けだ。

バスが停まった正面の店に2人の少女と1人の車椅子の青年がいた。よく見ると彼の足は異常に細く、膝から内側に折れ曲がっていて、全く歩行の役には立っていないようだった。これは、昨日戦争証跡博物館で見た枯葉剤作戦の犠牲となった少年と全く同じ症状であり、彼も枯葉剤作戦の犠牲者であることは明らかだった。年は自分よりちょっと若いだろう。
いろんなことが頭をよぎり、僕は彼の足を直視することができなかった。写真でしか見たことのなかった戦争の犠牲者が今、目の前にいる。自分がベトナムにいるんだと一番強く感じた瞬間だった。リアルに戦争の悲惨さを感じた瞬間だった。今までたくさんのニュースや写真で戦場の様子は見てきたが、この重さは桁違いだ。話かけることもできなかったし、写真を撮ることなどとてもできなかった。できたことは、バスが出発するときに辛うじて笑顔でさようならと言ったくらいだ。彼のような枯葉剤の被害者は何人くらいいるのだろう。そして、アメリカは彼らに対して何らかの補償をしているのだろうか?平和という当り前に存在していると思っていたものが、すぐ近くの国々ではそうではなかったんだということをいろいろ感じる東南アジアだった。

ブルーな気持ちの僕を積んでバスは何とか出発。修理に2時間かかっていた。これで、到着は夜8時ころになってしまうだろう。ポンコツバスは残り300kmをだましだましといった感じで何とか進み。見込み通り8時過ぎにホイアン到着。8US$のホテル前に到着したが、もう少し安いところを探して移動。6US$を5US$に値切ってDai Long Hotelにチェックイン。とてもきれいでいい宿だ。シャワーを浴びて夕食をとり、ビールを飲んで昨日買ったDVDを観る。

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2004年08月11日

ホーチミン最終日

9時頃病院へ行く。もう歩くのにもほとんど痛みはない。看護婦さんに患部を診てもらい、消毒、注射をしてもらってからドクターに出発の許可を得る。ただ、夜の出発前に最後の注射をすることとなった。病院の近くで朝食をとってから一度宿に帰る。今夜のホイアン行バスの予約をして、5泊した部屋を片付け、出発の準備をする。

今まで、ほとんど宿と病院の往復だったので、まだまだ歩いてない通りがたくさんある。そのひとつ、バスターミナルから南東へ延びるハムギ通りを歩いてみる。ここらは庶民的な店が並びなかなかいい感じだ。途中、シティバンクのロゴが出ているビルがあったので、ドルT/Cの現金化が可能か聞いてみる。1%のコミッションでOKだったので、300US$を現金化。すると、なぜか5US$引かれてきた。なんで?って聞くとミニマムチャージが5US$なのだという。先に言えよこのブタ―!しかたなく、さらに200US$現金化する。それから目抜き通りを北上して戦争証跡博物館へ行く。ここは白人でめちゃ混んでいた。ベトナム戦争時の報道写真を中心に枯れ葉剤の影響を示した写真、戦車、爆撃機などの展示もある。アメリカ人はどういう気持ちでこれらの展示を見ているのだろう。自分の記憶にはほとんどないが、ベトナム戦争は戦場の様子がリアルタイムで世界中に報道されるようになった最初の戦争ではないだろうか。
ここにあるたくさんの報道写真を目にすると、命を賭けて、戦場で行われている真実を伝えようとするジャーナリストの魂みたいなものが伝わってくる。

ここで2時間くらい見学に費やしてから、近くのネット屋によっておとといオーダーしたオリジナルアオザイをとりにいく。ちょっとイメージ違ったかな(笑)。アオザイというよりはチャイナ服に近い。やっぱりサイドにスリットを入れないとアオザイっぽく見えないのだなぁと再認識。
それから、ベンタン市場近くの店でコピーDVDを売っていたので物色。1枚17000ドン(約130円)と激安だったので、音楽DVDを6枚購入。ひとつだけ日本人モノがあったので、(僕自身は彼女の曲をほとんど聞いたことなかたが)つい、それも買ってしまった。さて、誰でしょう???当たった方にこのDVDを差し上げましょう

それから最後の注射を打ちに病院へ。6日間で15回くらい通ったなぁ。看護士さん達ともすっかり顔なじみになってしまった。注射は決して好きではないけど、さすがにもう慣れた。病院のスタッフに別れを告げ、夕暮れのホーチミンシティを遠回りして帰る。あとは夕食をとって、宿でバスを待つだけ。バスは15分ほど遅れ、20時45分ニャチャンへ向け出発。幸い車内はガラガラで、十分足を伸ばして座ることができた。タンビェット(さよなら)ホーチミンシティ!
しかし、高速道路の料金所(?)だけあるのに、それを抜けると一般道なんだよなぁ。何これ???

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2004年08月10日

ホンダガール

昨日は深夜まで病院通いだったので、今朝はゆっくり起床。宿の近くで朝食をとっていたら、10時近くになってしまったのでバイタクで病院へ行く。もう傷の痛みはほとんどなくなって、自分的には完治も時間の問題だと思ったので、ドクターに、明日の夜にはホーチミンを出発したい旨告げる。彼は「自分達はもうあなたにここで治療を続けなさいと強制することはできない。しかし、現在の状態で出発するのにはリスクが伴うことを理解してください。あとはあなたの選択です」といういかにもガイジン的な言い回しで回答した。
ぶっちゃけ、嫌な言い方するなぁこのオーストラリア人って思ったけど、自分で決めていいと言うから、じゃあ明日出るよと返事しておく。そして、今夜と明日朝晩2回の注射を受けることになった。現在打っている抗生物質はなぜか尻に注射をするので、注射後数時間は階段の上り下りの際など痛みを伴う。

病院を出て、そのまま観光へ。まずは中央郵便局へ。ここの玄関口でボヘーッとしてたらシクロのオヤジが1時間2US$でどうだというので、高いねーと断って世間話をする。オヤジも暇そうだったので、ちょっとシクロ運転させてくれと頼んだら、あっさりOK。あとで金とる気じゃねぇだろうなと少しビビリつつ初めてシクロを運転する。シクロに乗った日本人は多いだろうが、シクロを運転した人間はそうはいないだろう。これ、予想以上に重く、(誰も乗せていないにもかかわらず)ハンドル操作も結構大変だ。しかも、普通にこぐとなぜか膝がハンドルに当たってとても運転しずらい。こりゃなかなかの重労働だと実感。バイタクよりずーっときついと思った。ちなみにオヤジ曰くシクロは150US$するらしい(多分ウソ!)。
オヤジと別れて統一会堂へ行く。ここは昔の大統領官邸で、1975年4月30日のサイゴン解放の舞台となった場所である。今では一部をホールとして開放しているほか、旧大統領執務室、応接室等は観光客が見学できるようになっている。面白いのは地下で、1階以上の華やかな部屋とはうってかわって、非常時の作戦司令室、無線室等が連なっている。注射をした尻が痛くて階段の上り下りがつらかったので、ここを出たらバイタクで宿へ戻り昼寝をする。

夕方、軽く夕食をとってからまたビアホイを飲む。が、やっぱり安いだけあってまずいのだろう。昨日は珍しさのためかあまり感じなかったが、今日はあまりうまいと思わなかった。それから病院へ行ってまた注射。帰りはバイタクにする。ドライバーの兄ちゃんが女買わないか、見て気に入らなかったらそれでいいとしつこかったので、んじゃ見るだけねーといったら、いつも通る交差点の前に停車。そしたら、バイクに2ケツして待機していたホンダガールが10台くらい群がってきた。まるで、コマセに集まってくる魚みたいだ。みんな媚びたセクシー視線を送ってくる。ホンダガールの存在は聞いていたが、バイクの兄ちゃんごと待機しているとは思わなかった。これでOKした場合、どういうふうにお姉ちゃんと二人になるのだろうか?ちょっと興味はあったが、お断りしてそのまま宿まで送ってもらう。
ベトナム女は「美白命」らしく、昼間バイク、チャリに乗るときはグラサン、マスク、半袖下カバー(?)の完全武装が多い。初めはブス隠しかと思ったが、夜は武装解除するところをみると紫外線対策だったようだ。でも、化粧っ気はほとんどなく(暑い国だと化粧してらんないんだろうか…)、ホンダガールの化粧がやけに新鮮だった。

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2004年08月09日

ビアホイ

7時に起きて、店に行ってみたらダンちゃんがいなかったので、近くの屋台でベトナム名物フォーを食べる。毎日、いろんなところでこのフォーを食べているが、はずれなくウマイ。ま、僕は非常にゆるい味覚しか持ってないので、たいていのものはウマイと思ってしまうが…。なお、フォーの発音は非常に難しい。普通、フォーと発音すれば、息を吹き出すようになってしまうが、そうしてはいけないのだ。何の気なしに「フォー」くださいって言ってもまず通じない。これが、ベトナムにきて誰もが最初に味わう試練なのだ(ホントかよー)。店に戻ると、ダンちゃんがきていたが、普通に仕事してたので、邪魔しないで部屋に戻る(意思の疎通ができてなかったのか、何か不愉快なことがあったのかは不明)。

9時過ぎ、いつものように病院へ。患部を診てもらい、今日もまた抗生物質の大量投与との決定。今日は、1日4回で計6本の注射を打つことになった(><)。もう腕に打つべきところがなくて、手の甲から注射をされた。注射のスケジュールは、朝10時、午後3時、7時半、11時半だ。もう、こうなると本当に宿と病院の往復で一日が終わるという感じだ。宿の人は、病院にいってるというのを信じていないらしく、延泊の支払いをしたら、「女はどこにいるんだ?」といわれた。「女なんていないよ。どういう意味だ?」と聞き返すと「毎日、ツアーにも参加しないのに、延泊ばかりしているじゃないか」と言い返された(笑)。

幸い、もう痛みはかなりひいていて歩くのにさほど問題はない。また、微熱もおさまり体調は通常通りに戻っている。午後は通院の合間に、バスでチャイナタウンであるチョロン地区へ行ってみるが、あまりに人口密度が高く人波をよけているだけで疲れてしまう。ここまでくるとほとんど中国と変わらない(笑)。
地理的にも、歴史的にみても当然だが、ベトナムは中国の影響が強く感じられる。言葉にしても、服装にしてもそうだ。社会主義という政治体制は別にしても、文化の原点が中国にあることは明らかだろう。その点で、他の東南アジア諸国とはちょっと違うかもしれない。

午後、ホーチミン滞在がもう少し延びそうなので、自分用オリジナルアオザイを作ってみるという唐突にひらめいたアイデアを実行してみようと思った。僕の簡潔なガイドブックにはオーダーアオザイの相場なんてものは書いてなかったので、いくらするのか見当もつかなかったが、市場近くのアオザイを飾ってあり、かつ布地も扱っている店でおそるおそるデザインのイメージを書いて伝え、いくらくらいか聞くと40万ドン(約26US$)との回答。え、そんな安いの…。ボリには非常に慎重で、値切りは欠かさない僕もOKと即答してしまった。採寸をして前金5万ドンを払って店を出る。できあがりは明後日、とても楽しみだ。

そして夜。今朝、ドクターに酒飲んでもいいかと聞いたら、あっさりOKがでたので、ベトナムの(安)地ビール(?)「ビアホイ」を飲んでみる。つまみはもちろんゴイクン!
ビアホイはどこで作られているのか分からないが、2リットル入ポリ容器に入って出てくる。当然、どこかで詰め替えられているので炭酸は少し抜け気味だ。味も薄めだし、アルコール度も高くないみたいだ。
いやぁ、さすがに1人で炭酸抜け気味のビールを2リットル飲むのはキツイ。最後の50mlくらいは捨ててしまった。生春巻3本にビアホイ2リットルで13,000ドン、百円にも満たない(笑)。日本の居酒屋でピッチャービール&ゴイクン頼んだら3000円くらいになるだろう。

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2004年08月08日

注射6本

いつものように朝9時過ぎに病院へ行こうとしたが、あいにくの雨だったので宿の店(旅行代理店)のダンちゃんにベトナム語を教えてもらい、雨がやむのを待つ。しかし、店の強欲ババァから小言を言われたらしく、4時に仕事が終わるから、それからお茶でもしながら続きをやりましょう♪ということになった。

雨も小降りになったので、歩いて病院へ行く。いつもの注射をしてから患部のガーゼを換えてもらったときに看護士さんがドクターに状況を報告したのか、ベトナム人ドクター。次いでオーストラリア人ドクターが診察、腫れがひかない部分が残っており、菌が足からさらに上がっていったら生命の危険もある、みたいな説明を受け、別の抗生物質を今までより多く投与することになった。そのため、1日入院して点滴を受けるか、1日3回注射をしにくるかを選択するよう言われ、注射を選ぶ。それから、再度、腕と臀部に別の注射を打つ。次の注射は夕方6時から7時の間だ。その後は深夜12時過ぎ。1日で計6本の注射を打たなければならない。日本にいて治療で注射を受けた経験すらないのに、すごいことになった。

朝食をとって宿に戻り、また部屋で過ごす。4時過ぎ、仕事を終えたダンちゃん(22歳、大学生)と近くのカフェでおしゃべりしながら、ベトナム語の発音を習う。しかし、カタカナでは表現できない母音の発音に苦労する。一度覚えたものを書き留めておくことができないのだ。それでも、少しずつコツをつかんでくる。ま、そんなに真剣にベトナム語を覚える必要もないので、どちらかといえば純粋にダンちゃんとの会話を楽しんでいた。
ベトナムの若者は結構情熱的なのか、夜になると公園の脇にバイクを止め、いちゃついている姿が目立つ。ダンちゃんは、毎日4時まで仕事をして、5時から大学で英語の勉強をしているので、ボーイフレンドを作る暇がないんだそうだ。5人兄弟の長女で、家も裕福ではないのでいろいろ大変らしい。旅行代理店で大勢の人にツアーの紹介をしたり、チケットの手配をしているが、自分はどこにも行ったことがないので、学校を卒業したらツアーガイドになりたいと言う。それから結婚するのだと目を輝かせて語った。
苦労はしているが、自分の目指す道が見えているというのはとても幸せだと思った。一方で、一回くらいツアーに同行させるとかしてやりゃいいじゃん、あの強欲ババァとも思った。
2時間くらいしゃべって、病院の時間になったので、彼女と別れる。
明日は月曜で学校があるから、朝教えてあげると言われる。う~ん、忙しいのにそうまでしてくれなくっても…と思ったけど、断るのも悪いと思ってお願いする。暇を持て余していたサイゴンでの療養滞在も少し楽しくなってきた。

Posted by kimkatsu at 22:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月07日

あべし!

昨夜は足が痛み、深夜に目が覚める。しばらく電気をつけ本を読んでから再度眠る。
起きたらもう9時だった。すぐ、歯磨きしてシャワーを浴びる。足の痛みは相変わらずだが腫れの範囲は小さくなってきた。患部を冷やしてる間はとても気持ちいい。タオルで患部を拭いていると膿がでてきた。ばい菌が死んでいるのだろう。

それからバイタクで病院へ行く。先生から、血液検査の結果、CRP、白血球とも通常値よりはるかに高い数値を示しており、菌が全身に回っている状態であるとの説明を受ける。続いていた微熱や食欲不振も納得。さらに、腫れの範囲が小さくなっていることは、抗生物質が効いて、菌が広がれず、固まってきているのでいい兆候であるとのお話。希望が見えてきた。今後は、月曜まで注射をしてそれから飲み薬に切り替えましょうということになった。それを受け、食事、両替をしてから宿に月曜までの延泊手続きをする。

宿に置いてあった「地球の歩き方」ベトナム編を読んで暇つぶし。そしたら、いつの間にか腐ったトマトに穴があくように一番大きかった患部の皮膚が破れ、カニ味噌のような大量の膿が噴き出してきた。「北斗の拳」で秘孔をつかれて、肉体の一部が破壊されていくような感じだ。でも、痛みはなかったからトキの拳か???きっとこれでこの病も峠を越すだろう。

午後はネット屋でウェブサイト更新分(カンボジア情報)のUPをして、よく名前を聞くものの何者かよく分からなかった「抗生物質」について調べてみる。
なるほど、抗生物質(antibiotics)というのは一言でいえば「微生物が作る他の微生物の発育を阻害する化学物質」ということなのね。そして、その発見によって感染症による死亡率が大幅に下がったわけ。でも、細菌とウィルスとは構造が違うからウィルス性の病気(カゼ等)には効かないんだって。そして、面白い(深刻な問題ですが、生物の神秘として面白いと思ってしまった)ことは、細菌は他の菌から「耐性遺伝子」を獲得することによって耐性菌となる場合があるということ。このため、抗生物質が効かない耐性菌が増え、新しい抗生物質の開発と耐性菌の発生がいたちごっこのように繰り返されているんだそうだ等々…非常に勉強になった。詳しくはこのページを見てください。

夕方、アジアカップ決勝を見に近くのカフェに行く。ベトナム人はさほどサッカー熱が高くはないようだ。サッカー中継をやっている店も少ないし、見ている人にも一喜一憂という雰囲気はない。
まずは、日本代表、アジアチャンピオンおめでとう!
さて、試合は決勝戦にしては今ひとつ緊迫感に欠ける感じがした。どうも全体的にマークもプレスもあまいようだし、つぶすべきところでつぶせずにピンチを招いた部分が多かったように思える。とはいえ、実力的にはまだ日本が一枚上だとは思った。セットプレーで2点取れたのは幸運に見えるが、それも実力のうち。
敗れた中国側からいえば「善戦するもセットプレーのワンチャンスでやられた」的な論評になるだろうが、振り返ればこの論評は今までの日本代表が南米、ヨーロッパの強豪と戦い、1点差で敗れたとき散々使われてきたものだ。よほどの実力差がない限り得点のチャンスは限られているもので、強いチームとはそれを確実に生かせるチームなのだと思う。チャンスを作るカギがセットプレーであっても1人の強力なFWの個人技であってもいいではないか。勝てないといわれたジーコJAPANだが、ようやく負けないチームに育ってきたようだ。ベストメンバーだとやはりFWは久保、高原になるのだろうか?

そういえば、今日の試合選手交代はなく、松田の出番はなかった。残念。

Posted by kimkatsu at 22:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月06日

蜂窩織炎

大通りに面した騒々しい部屋で、夜明け前に目が覚めてしまったが、うとうとと二度寝をして8時頃ちゃんと起床。バスターミナルへ戻り町の中心にあるベンタン市場行の市バスに乗って移動。運賃は2000ドン(約13円)、バイタクの1/10で済む。
昨夜、少し勉強したのでベトナム語も数字くらいは話せるようになってきた。
文法すら習わずに、単語の羅列で話を伝えようとする場合は、まず堂々と適当な発音で言ってみることだ。通じなければ、アクセント、抑揚を変えてしゃべってみる。通じたら、何度か声に出し、ローカルに修正してもらいその音を覚えることが有効だと思う。
不思議なもので、いろんな言語を耳にするとなんとなく抑揚のパターンみたいなものの見当がつくようになる。ベトナム語の語感は中国語に近いので、それっぽく話してみたりすると当たりだったりする。日本語のノーアクセントカタカナ読みを10回繰り返しても国が変わると通じないものだ。

バスを降り、ホーチミンの安宿街ファングーラオ通りへ向かう。足の痛みはさらに激しくなり、もう左足に体重をかけて歩けない。予定していた宿がつぶれていて、声をかけてき