今日は中国版パムッカレといわれる白水台へ行ってみる。
シャングリラがあまりに寒いのでそこで1泊して帰るつもりだ。距離は約100km、ガイドブックによると所要5時間とのこと。パムッカレより小さいらしいので昼過ぎからゆっくり見ても十分だろう。
バスは8時半出発、外はもちろん車内も寒い。白水台に向かって標高が下がるので暖かくなるだろうという見込みは完全に外れ、バスの中では震えっぱなし、寒くて眠ることもできなかった。もっと着込んでくればよかった。車窓は葉が黄色くなった林、その向こうには雪にすっぽりと覆われた哈巴雪山の姿と素晴らしいものだった。
11時半白水台到着、3時間しかかからなかった。シャングリラへ戻るバスも1時半にあるという。日帰りでも十分だったなぁ。幸いバスから出ると暖かく、歩き回るにはちょうどいい気温だった。思ったより観光客は少なく、坊さん御一行以外はツアー客はいなかった。入場券を買って入口の階段を登ると、馬に乗らないかとのローカルの勧誘がある。が、目のしばらく先に見えている白水台への階段を登るのに馬に乗って行く人がいるのだろうか?
馬の次は納西族の子供達が「可不可納西うーた?」との勧誘。うーた?とは何だろう。歌じゃないよな、などと考えつつも、いくら取られるか分からないのでお断り。
階段を5分ほど上がると白い石灰岩のプールが現れる。白水台という名前そのままで、石灰で真っ白になった岩の上をまんべんなく水が流れている。そのせせらぎが光に反射して何ともいえず美しい。大きさではパムッカレにかなわないが、美しさでは勝っていると思う。雲ひとつない冬の青空に白い岩というコントラストもパーフェクトだ。
坊さん一行が降りてからは人もいなくなったので、一人この静かな白い丘でせせらぎの音に耳を傾けながら30分くらい過ごす。とてもぜいたくな時間だ。時間をかけて全体を回ると、自称トンバ(納西族の司祭)というオヤジが線香を持ってきて、女性器にも似た岩のくぼみ(納西族にも女性器崇拝の風習があり、これが信仰の対象らしい)に供えさせた。そして、何やらお経を唱え、お決まりの金請求。勝手に2元とか言ってるが、1元にまけさせた。
1時間半ほどで白水台を出て、さらに先にある「三ば」という村に行ってここで泊まることにする。ガイドブックによると、4km先にあるイ族の町ということなので、晴天のいい散歩になるだろう。しかし、5km以上歩いてもそれらしい村は見つからず。おっちゃんにサンバどこ?と聞くと、この辺りがサンバだという。えぇ~、ただの集落じゃん。30軒くらいしか家がない。当然、宿もないだろう。一応、宿ある?と聞くと、白水台にあるとの返事。歩いてきた意味がない。
おっちゃんがまぁ座れというので、腰掛けて村を見渡す。この辺りも山間部なので、棚田になっている。多くは田んぼではなく、トウモロコシ畑のようなので棚田ではなく段々畑といった方がいいだろうか。とてもいい眺めだ。結局、2時間くらい歩いて白水台近くの白地村という村で食事。宿もあったのでここで泊まることにする。停電だったらしく、夜7時半頃まで電気がない。電気が復旧したので、夜は暇つぶしにジャッキー・チェンの「新ポリスストーリー」を見る(DVD)。中国ではそこら中でポスターを見かけたが、日本でも公開されているのだろうか?音声・字幕とも中国語だったが、アクション映画なのでだいたい話は分かった。ジャッキーも年相応に香港警察長官になっていた(もちろんアクションも十分あるが…)。なかなか面白かった。
↓白水台
久々に下痢になった。原因は不明だけど、頻繁に便意があるわけじゃないから大丈夫だろう。でも、トイレ付の部屋の方が楽なので、宿を移ることにした。前に聞いた宿でバス・トイレ付60元→40元まで下がるかと思っていたが、50元にしかならず、結局トイレなしの部屋に15元で泊まることになった。あまり意味のない引越しで朝の時間がつぶれてしまった。
11時近くなって街へ出る。明日行く予定の白水台への切符を購入し、市場で朝食。久々に快餐にした。この街も食費は高め。どこでも炒飯5元といわれる。市場でチベタングッズを見ていたら、緑のきれいな数珠があったので値段を聞くと、12元との返事。思ったより安い。でも、今はいいやって言ったら8元になったので買ってしまった。これでチベタンにも僕が仏教徒だとすぐ分かってもらえるだろう。
それから、今日の目的地である松賛林寺というチベット寺院へ行く。ここには僧が5百人以上いて寺というよりは一つの村のようになっている。なので、ちょっと回り込めばタダで入れるのだが、見応えも十分ありそうなのでちゃんと入場料10元を払って入ることにした。本殿では昼過ぎから僧が集まってお経を唱える。2時間近く続いたが、少年僧などはあまり真剣にお祈りをしてるわけではなく、厳粛さは感じられなかった。ツアー客も続々来て、お経タイムにも関わらず、本殿に入ってガイドがいろいろ説明をしている。寺にとっても収入源なので、観光客は歓迎なのだろう。本殿以外にも5つくらい寺があったが、だいたいどこも同じような造りで、同じようなおどろおどろしい壁画が描かれている。もちろん、チョルテンにマニ車等チベット寺院ならではのものもある。ある小さな寺ではお経を唱えながら携帯メールをチェックしている坊さんもいた。僧侶もかなり俗化しているようだ。ここを見て回るのに2時間以上かかってしまった。
街へ戻り、アウトドアショップで防寒着を買おうと思ったが、好みの色がなかったのでやめる。麗江で買っておけばよかった。それから、ダメモトで公安に行ってチベットのパーミットをもらえないか聞こうと思ったが、土曜で不在だと言われる。この国では銀行、郵便局は土日も営業で、警察は土日休みらしい(笑)。
宿近くのネット屋で日本語読み書きができたので行ってみたが、やたら遅い。特に上りが致命的に遅く、日記の更新ができなかった。メール、ニュースをチェックしておしまい。そういえば、またイラクで日本人が人質になったということだ。無事に解放されることを祈る。
8時前に起床、寒くて布団から出るのがツライ。
頑張って起きて洗濯をする。水がめちゃめちゃ冷たい(><)。日陰の水たまりには氷が張っていたので、夜は氷点下まで気温が下がっているのだろう。僕の時計には高度計、コンパスに加え温度計もついているのだが、これは全く信用できない。壊れているのか、この程度の精度しかないのか???
洗濯を終え、チベットの本を読んでゆっくりして10時過ぎに街へ出る。昨日、チベット密行用の変装用具をだいたい揃えたので、今日は中国人的服装で歩くことにする。やや大き目の背広に地味な灰色のセーター、ちんちくりんのツータックパンツ(中国人は足が短いらしく、ウエストを合わせると丈が短い)、カンフー靴に自前の(色あせた)キャップ。どうだろう、中国人に見えるだろうか?今日はディパックを背負ってるので、ちょっと変な格好だが、まあいいだろう。
市場で朝食、米線を食べる。早速おばちゃんに「あんたどこから来たの?」と聞かれたので、中国人に見えていないのかもしれない。うー、変装失敗か?それとも、見た目は中国人でもしゃべった時点で何かおかしいと思われているのか?後者である可能性が高いと思うのだが…。
朝食後、チベタングッズを見たりしてから街の西にあるチョルテン(チベット仏教の卒塔婆)のある丘へ上がる。周辺は野グソが多い。中国に来るとイヤでも他人のウ○コを見る機会が多くなる。多分、30年間日本で見た他人のウ○コの数をこの50日で優に上回っているだろう(笑)。
チョルテンには五色のタルチョ(旗)がはためいていて、これぞチベットといった感じの絵を見ることができた。それからシャングリラ名産のマツタケ市場へ行ってみるが店は全く開いていなかった。シーズンではないのだろうか?沙渓の村ではマツタケを売っていたのだが…。
続いて、チベット情報を探しにチベットカフェ、ヤクバーといったツーリストカフェに行き情報ノートをチェックする。期待したほどの情報はなかったが、ヤクバーの生姜焼きにキムチがついてきたのがうれしかった。
ここからオールドタウンへ行き、大亀山公園に上がってみる。朝陽楼というチベット寺院とともに、金色の変な建物があるなと思っていたら巨大なマニ車だった。チベタンのばあちゃんが何度も右回りでこの周りを回っている。これもお祈りなのだろう。公園を出てオールドタウンを歩くが、大理や麗江の古城とは違ってあまり趣は感じられない。建て直しをしている家がやたら多いのはここも香格里拉古城として売り出す準備をしているからだろうか?
アブというチベタンの家でオヤジに招かれたので入ってみる。明代に建てられた家で400年の歴史があるらしい。オヤジは家を案内し、自分が紹介された雑誌などを見せてくれたあと各国の紙幣が並んでいる神棚に連れて行き、お前も賽銭を出せと言い出した。ちょっと性質の悪いオヤジだったようだ。しかも運悪く1元札がない。しかたなくどこかでつかまされた1米ドルのニセ札を置くことにした。どうせどこかで使わなければならなかったのでちょうどいいだろう。オヤジは両替して使おうと思ってるわけではないだろうし…。この光景を見た人がいたら、きっとこう言うだろう「そちも悪じゃのう…」。
↓香格里拉のチョルテン
10時過ぎに橋頭に戻り、荷物を引き取ってシャングリラ行バスを待つ。
シャングリラという中国に似つかわしくない地名なのは、2年前に観光推進のために改名したからだ(旧名中甸)。なお、漢字では香格里拉という当て字を使う。観光のために県の名前を変えるというのも中国らしい大胆さだ。昼前にはバスに乗車して一路シャングリラ(=桃源郷)へ。途中、道沿いで四角い帽子をかぶったイ族の女性を見かける。道はずっと舗装道路で快適、しかし窓から入ってくる風が冷たい。
1時間半くらい経つと、山間部から平原になり車窓からチベット風の建築物が見えるようになる。ようやくチベット文化圏に入ったんだなぁと実感。2時間半くらいでシャングリラのバスターミナルに到着。とにかく寒い。麗江でも朝晩はそこそこ冷え込んだが、日中でこんなに寒くはなかった。10月のシャングリラでこの寒さ。これから標高4000mレベルのチベットへ行って耐えられるかなぁ。先が思いやられる。
シャングリラは迪慶チベット族自治州の州都で、その名の通りチベット族がマジョリティである。標高は約3300m、麗江から900m上がっている。単純計算で5℃ちょっと寒くなっているはずだが、体感温度ではもっと下がっているような気がする。ここは思っていたより大きな街で、バスターミナル周辺にも宿がたくさんある。キレイそうなところからあたって、結局20元(いつもこの辺で落ち着く…)でごく普通の宿にチェックイン。当然暖房はないので、部屋に入っても寒い。電気毛布があるのが唯一の救いだ。
一息ついて地図を見るが、どうもおかしい。バスターミナル近くに郵便局や百貨店などいろいろあるはずなのに、全く見当たらない。とりあえず、地図を持って街へ出る。しばらく歩いて、バスターミナルが移転したらしいと気づく。新ターミナルから街の中心まではかなり距離がある。歩いて20分くらいかかるだろうか。街にはチベタンがたくさんいる。チベタンは皆体格がよくビックリした。女性でもかなり長身の人が多い。また、チベット僧もよく見かける。僧衣の上にジャケットを着てはいるがそれでも寒そうだ。街ではまず市場をぶらぶらして、防寒用に厚手の靴下や手袋を物色。ここもかなりふっかけてくる。言い値は売値の2倍くらいだ。さすがにだいたいの物価が分かっているので、高いと思ったら値切るが、交渉が面倒くさくてイヤになる。
メインストリートを端まで行って、市場の食堂で納西族がよく食べているこんにゃくみたいなものを食べてみる。食べ終わってゆっくりしていると、かわいい小姐が来たので「これなんていう食べ物?」と聞いたら、店のおばさんに「あんた、今食べたじゃないの!」と突っ込まれた(笑)。「えへへ、食べたけど、オイラこれの名前は知らないんだよぉ」と頭を掻きながらベロちゃん(妖怪人間ベムより)風にかわいく答えたら、小姐にも受けていた。そして「涼粉」よと教えてくれた。なーんだ涼粉なのか、豆が違うのため大理あたりのとは色が違うようだ。
いつの間にか暗くなってきたので宿に戻りシャワーを浴びる。この寒さなので、アツアツのシャワーをすごく期待していたのだが、見事に耐えがたいぬるま湯だった。部屋に戻って魔法瓶の熱湯で足を暖める。日が沈むとまた一段と寒さが厳しくなる。ということで夕食にはまた一人で鍋を食べる。今日はナスいらないから豆腐入れてとか注文したので、非常に和風な鍋を食べることができた。満足、満腹だ。
↓こんにゃく色の涼粉
今日はバックパッカー(特にグリンゴ)に人気の虎跳峡トレッキングに行く。ここに来るまではあまり歩く気もなかったのだが、中甸に行く途中だし、絶賛している人もいるので行ってみることにした。もちろん、いつものように単独行。
以下、日記ではなくトレッキング記録として書く。
はじめに:今回、橋頭~中峡客桟(+中虎跳峡往復)まで歩いた。虎跳峡ハイルートは大渓谷の崖につけられたルートだが、特に危険なところはなかった。馬も通る道なので、幅もかなりあって歩きやすい。むしろ危険なのは中虎跳峡までの道で、谷底へ一気に降りるので傾斜はきつく、途中長いハシゴもある。
しかも、トレッキングをしない一般のツアー客も(一部ですが)来る。上から石なんか落とされたら…考えるだけでゾッとする。ここは少し注意して歩くべし。
事前準備:地図(麗江のバックパッカー向けカフェに客桟が作ったものが置いてある)、食料&水(ルート上は約2時間おきに客桟あるので、金があれば少しでいい)、金
記録:橋頭を7時20分に出発。日の出頃から営業している食堂もあり、包子など軽食はとれる。橋を渡って道なりに400mほど進むと右側に虎跳峡の料金所がある(門票30元)が、ゲートはない。早朝越えたので人がおらず、徴収なしだった「狙い通り~♪」(traveling by Hikki)。料金所から数百m行くと中学校があるので、ここを入ってバスケコート、サッカー場を抜け、その先に見える集落を目指す。ここではまだ山道に入らないので注意。下からの車道と合流し、集落の中を抜けて進む。小学校を左に見ながら更に進むと徐々に坂道になり、右下では川が分岐するポイントに出る。この辺りまで30~40分。更に10分ほど進むと日出小屋、徒歩客桟に出る。車道はここまでで、ここからいよいよ左手に見える斜面を突っ切る山道に入る。山道に入ってしまえば、道の脇にはしつこいほどゲストハウスの案内ペンキがついているので迷うことはないだろう。
しばらく快適な山歩きが続き、山道に入って40分ほどで古馬客桟への分岐点、その先少し登ると集落に出て、さらに進むとナシファミリーGHがある。この先にビューポイントがあり、玉龍雪山が望める(僕が行ったときは雲がかかっていたが…)。ここから見る金沙江はまだゆったりと流れていて、この先激流になる雰囲気は感じられない。
ビューポイントから5分くらい歩くと28bendと呼ばれるつづら折れの急登が始まる。が、急登といっても馬も歩く道なので歩きやすく、さほどきつくはない。だいたい50分から1時間で標高2250mから2650mなで上がることになる。途中に2ヶ所ビューポイントあり、2つめを過ぎるとすぐ最高点。地図には頂上と書かれているが、山頂ではなくただ単に道の最高点というだけ。景色は楽しめない。下りは竹やぶを越え、森林ゾーンに入るのであまり景色は見えない。普通の山歩きという感じ。傾斜は急ではないが、約45分で2300mくらいまで降りる。ビューポイント、滝を過ぎると集落に出て、ここに茶馬客桟がある。
茶馬客桟から中途客桟まではほぼフラット(若干登り)な道が続き、右側を見ると、上に玉龍雪山の絶壁がそびえ、下には虎跳峡の激流が音をたてているという景色が望める。このコースのハイライトだろう。この区間、非常に気持ちのいい山歩きだ。
1時間15分ほどで中途客桟着。道はその先もフラット。20分ほど進むと、崖を流れる滝が見えてくる。この辺りもとても眺めがいい。滝を越え10分ちょっと歩くと電柱と小屋があり、その辺りで少し登りになる。ここを越えたらあとはロールート(車道)に向けて降りていくだけ。30分ほどで中峡客桟に着く。これで終了。
大具まで行く場合は車道をしばらく進んで渡し船に乗るようだ(中虎跳峡から川沿いに行く道もあったが、危険かもしれない)。
中虎跳峡へは、中峡客桟から先、橋を渡って中峡望江GHを過ぎ、右側に小屋(売店)があるところから降りる。一気に谷底まで降りるので、傾斜はきつい。途中ハシゴが何箇所かあるが、天梯と名づけられたものは特に長い(20m以上はあるだろう)ので注意。ここにグループがいるとしばらく待たされる…。谷底までは約30分、売店があるが、ここでハシゴ修繕費といって10元請求される。入口では金額を書かずにここでいきなり10元を請求するというエグイ手口を使う。僕は理解できないフリをして払わず逃げた。
中虎跳峡は大迫力。疲れるけどやっぱり見に来る価値はある。峡谷を堪能したらあとは同じ道を登るだけ、いちばんシンドイのが最後にきてしまう(笑)。ハシゴ修繕費を払っていないと登りでも途中、門があるところで請求される(下とトランシーバーで連絡をとっている…セコイ連中だ、僕はもっとセコイのでここも相手にせず突破)。30分で車道まで戻ったが、普通はもっとかかるでしょう。
まだ5時になっていなかったが、もう橋頭に戻る乗合タクシーも来なさそうだったので車道沿いの客桟に泊まる。中途客桟前後に数軒客桟あり、ドミ10元~シャワーも浴びれる。
翌朝、客桟の人達が橋頭に行くのに同乗して戻る。2004年10月現在、上虎跳峡近くで崖崩れの岩除去が済んでおらず、この区間を挟んで車はピストン運行になっている。実はこの崖崩れゾーンを歩くのが一番怖かった(笑)。上を見ると巨大な岩がオーバーハングしてるし、小石はパラパラと落ちてくるし…急いで通り抜けるにこしたことはない。
中虎跳峡~上虎跳峡は約11km、上虎跳峡~橋頭は約8km。乗合でそれぞれ10元、5元とられた(交渉はしたが、それでもぼられているかもしれない)。
麗江を4泊で出る。古城は観光客だらけだし、ぼったくりも多いし、かなり期待外れの街だった。
荷造りをして10時過ぎにチェックアウトして荷物を預かってもらう。今日は橋頭まで行って宿泊予定。100kmに満たない移動なので、3時頃の出発で十分だ。
まずは古城エリアでまだ見ていなかった萬古楼に行く。ラッキーなことにチケット売場に人がいない。おーい、と声かけても誰も出てこないので、そそくさと無銭入場。萬古楼も昨日の木府同様、内部は各階土産物屋になっていて落胆。ただ、ここから見る瓦屋根の大集合は一見の価値有りだ。古城の土産物屋をいくつか覗くが特に欲しいものもなく、結局麗江での買物は自分が道中着る服だけだ。我ながら買物にも観光にも金を落とさない嫌な観光客だと思う。
新市街に移動しネット屋で日記更新、メール&ニュースチェック。あら~日本シリーズはライオンズが勝ったんだぁ。ところで横浜ベイスターズはまた最下位だったのかな?松坂君が横浜に来てれば、だいぶ変わっていただろうな。
時間もなくなってきたので、昼食をとって中国人変装用のジャケットを購入し荷物を引き取ってバスターミナルへ。予定通り3時のバスで橋頭へ移動、約2時間で到着。虎跳峡への基点となる街なのでもっと賑わっているかと思っていたら寂れた温泉街みたいな雰囲気だった。宿も数はあるもののどれも古びた感じでさえない。とりあえず、虎跳峡に近い宿にチェックインして街を見て回る。といっても道沿いに500mくらい伸びているだけなのでさほど時間もかからない。街の北の方にはいくつか新しい宿が建ち、建設中のものもいくつかあった。ここも徐々に観光客誘致に力を入れ始めているのだろう。夕食後、明日のトレッキング用に食料を買い、宿に戻って準備をする。明日は6時半起きなので早めに就寝。
↓麗江古城を上から眺める
早いもので日本を出てもう100日。7月に出たのに、もう朝布団から出るのがつらい季節になってしまった。
でも今日も頑張って早起き。7時半過ぎに宿を出て、また朝の古城探索。でも昨日一通り回っていたので、あまり写真を撮りたくなるような風景には出会わなかった。今日は麗江の故宮といわれる「木府」に行ってみる(35元、学割20元)。確かに門から、○○殿という建物が一直線に並ぶ構造や建物の雰囲気は故宮を思わせるが、建築自体は雑な気がした。ここは1996年に麗江を襲った地震によって大ダメージを受け、その後再建されたものらしいが、すでに塗装は剥げかかっている部分も多い。建物の中は観光用の茶室や土産物屋だったり、がらんとした部屋に段ボールが放ってあったりと当時の木府を再現しようとする気が全く感じられない。沖縄の首里城の職人仕事を見習って欲しいものだ。とはいえ、広さはかなりのものなので、ゆっくり回ると1時間半くらいかかってしまう。ここを出るともう11時頃で、昨日と同じように宿に戻り昼寝をする。
午後、麗江から北へ10kmほど先にある白沙という村に行く。ここには明代の壁画が残っており、また納西族の古い家がたくさんあるらしい。中国のガイドブックに新市街から6路バスで行くと書いてあったのだが、6路バスが見当たらない。ただ、白沙へ向かう道は分かっていたので、いずれバス停があるだろうと思い、先に見える玉龍雪山を眺めながらてくてく歩くことにした。
…しかし、全然バス停がない。たまに白沙行の乗合タクシーが追い越していく。1時間経過、僕が自分のペースで歩くと時速5.5~6kmにはなっているので、もう半分以上は来ているはずだ。バスを探すのをあきらめ、乗合タクシーを停めると5元の返事。またボッタクリかよ。仮に始発のところから5元だったにしても、もう半分過ぎてるんだぜ。麗江にはロクな奴がいない。ブタ野郎ばかりだ。意地もあり、結局10km以上歩いて白沙の村まで来てしまった。着いたらもう4時。
早速壁画を見に行く(8元、学割3元)。予想通り撮影禁止、しかも寺の内部が暗く絵もあまりよく見えなかった。保存状態もいいとはいえない。正直、自分にはあまりピンとくるものではなかった。このために2時間近く歩いたのかと思うとすこし後悔してしまう。
ここを出て、白沙の村を歩いていると、新聞や雑誌の切抜きがやたらと飾ってある家が目についたので行ってみると、そこが著名な漢方医Drフーこと和土秀医師の診療所だった。ネットでちらっと見たところでは、Drフーは中国内外を問わず、数十万人の人を治療し、しかも金は志ということで師から要求することはないという、強欲医者には師の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい方なのだ。どんな診療所なのだろうとちょっと覗きに行くと、Drフーご自身が現れ、Welcome, Please come in.と僕を招き入れ、ご自身が健康茶を振舞ってくださった。そして、日本人も大勢来てますとおっしゃって、ものすごい数の名刺や紹介記事のコピー、それから患者さん達からのお礼の手紙などを見せてくださった。「ちびまるこちゃん」の絵がいくつかあったので、何でだろうと思っていたら、さくらももこはここに3回来ているそうだ(まるちゃんの絵なら俺でもちょっと練習すれば書けるなと思ったりもしたが…)。他に有名人では高樹澪のメッセージもあった。通りがかりできた身なので非常に恐縮しながら、お年を聞くと81歳とのこと。薬草に囲まれて暮らしているとはいえ、とてもお元気だ。続いて、サイン帳(?)を差し出されたので、メッセージを記入。それから師は。僕を薬草の煎じ薬の入った壷に囲まれたオフィスに招かれ、何か健康に問題はあるかと尋ねられた。残念ながら健康なので、その旨告げると、それはいいことだと喜んでくださり、健康茶を包んでくれた(これは父にあげよう)。あと、せっかくなので(健康だけど)母も年なので何か体にいいものはないでしょうか?と聞くと、煎じ薬を処方してくださり、何か問題があったらいつでも連絡ください、私はどこにでも薬をお送りしますとおっしゃって、メールアドレスと住所の書いてある紙をあわせてくださった。とてもありがたい。
志でわずかばかりのお金を渡し、これでいいでしょうか?と聞くと、Up to youのお返事。最後に写真を撮らせていただき、「何か健康に問題があったらまた来ます。先生もお元気でいてください」と伝えると、あなたの健康を願っていますとおっしゃってくださった。そして、僕は仙人に会ったような気分で診療所を後にした。
どなたか、Drフーのお薬が必要な方がいらしゃったらメールください。
↓Drフー
麗江3日目、今日は早起きに成功。中国はこれだけ広いのにタイムゾーンが1つしかないので西に行けば行くほど日の出・日の入が遅くなる。西の方にある雲南では、この時期7時近くならないと明るくならない。7時15分頃出発…しようとしたら宿のシャッターが閉まっていて出られなかった(笑)。他の出口を探していると宿直していた兄ちゃんが気づいて、シャッターを上げてくれた。
まずは獅子山から玉龍雪山の雄姿を撮影。同じことを考える人はいるもので数人がカメラを構えていた。ここから古城エリアへ。さすがにまだ人通りは少ない。読みどおりだ。早朝は納西族のおばあちゃんがよく外に出ているので、いい被写体になる。年寄りの朝が早いのはどこも一緒らしい。早朝の古城では所々に包子(肉まん)屋が出ていて、みんなアツアツの肉まんをほおばっている。もちろん僕もその1人だ。早朝の撮影は時間との勝負なので、ぶらぶらしながらちょっといいなと思ったところはバシバシ撮っていく。デジカメならではのぜいたくな(?)技だ。8時過ぎくらいから人通りが増え、8時半ころには一部ツアー客も動き出し、店も徐々に開きだす。
9時半頃には一通り歩き終えて東大街から新市街へ帰ってくる。だいたい考えていたような絵はとれたので満足。新市街で久々にネット屋へ行く。あれ~ヤンキース負けたの?残念賞。ここの店は日本語読み書きOKの台があったが3元/時とちょっと高い。それから、昨日チェックしていたアウトドアショップに行ってフリースの裏地付パンツを購入。120元したが、109US$というタグがついていた。中国のアウトドアショップではNORTH FACE, COLUMBIAといったブランドの製品が日本、アメリカの1/5以下の値段で売っているのだが、これはバッタ物なのだろうか?それにしてはタグに5ヶ国語で説明書きまでついている。品は全てMADE IN CHINAなので、正規販売ルートに乗る前に工場から流れているのかもしれない。誰かこれが本物かどうか知ってる方は教えてください。なお、麗江はアウトドアショップが多く、昆明より充実していると思う。やっぱり中国人パッカーのメッカなのだろう。
さて、宿に戻って洗濯をして昼寝…しようとしたらタイミングの悪いことにちょうど僕の部屋の上で何か工事を始め、トンテンカンテンうるさくてなかなか寝付けない。午後2時頃から行動再開。チベット密行へ向け、ここで中国人的服装を揃えておくことにする。市場に行ってカンフー靴を購入(7元)、ジャケットは30元、ズボンは10元くらいで何とか買えそうだ。それから新市街を探索。虎跳峡トレッキングの情報を集めにカフェや本屋に行って過ごす。
夕方、按摩屋で洗脚10元の看板が出ていたので行ってみる。が、これが失敗。美容中心は看板だけで実はエッチな按摩屋だった。こういう店はエッチのお誘いばかりでまともな按摩は期待できない。しかし、ここの小姐は特にひどく電動洗脚器を持ってきただけ。エッチのお誘いにNOを繰り返すと、脚を洗うことすらせず、部屋に僕を一人残してどこかへ行ってしまった。一人で脚をお湯につけているのもアホらしくなったので、勝手に帰ろうとしたら店の連中が目ざとく見つけて「金払え」と追いかけてきた。何で何もしてないのに金払わなきゃなんねぇんだ!と言いたかったが中国語で「何で」しか言えなかったので、後は英語でまくしたててやった。向こうも小姐に加え、老板らしき兄ちゃんも出てきて10元払えと怒り出す。払う気は全くないので、しばらく中国語&英語で怒鳴る。向こうが手を出してきたら公安に行くつもりだったが、外から入ってきた人がやりとりを見て、向こうの老板を諭し、僕にもう行っていいという仕草をしてみせたので店を出た。
昨日に引き続き、不愉快なボッタクリにあってしまった。この街は観光都市なので、観光客=カモと思われているのだろうか。
↓麗江古城の朝
麗江2日目、早起きして人が出てくる前に静かな古城散策をしようと思っていたのだが、起きれず。
予定を変更して南西に50kmほど離れたところにある石鼓に行くことにする。石鼓は長江(このあたりでは金沙江と呼ばれる)が大きく湾曲するポイントにある納西族の町で、湾曲する部分は「長江第一湾」という観光ポイントになっている。
9時にバスターミナルに行ったが、バスは10時発しかなく、昨日行った市場を一回りして時間をつぶす。石鼓までは1時間半、昨日剣川から来た道と半分以上重複するのであまり車窓にも関心がなく、半眠りだった。
長江第一湾の写真は何度か見ていたので、その通りの風景を期待していたのだが、石鼓の町は川と大した高低差がなく、写真の風景を見るには低すぎ、また近すぎた。山の方にビューポイントがあるわけでもなさそうなので、よく見かける写真は航空写真なのかもしれない。
町は丘に面して作られていて、バス通りから細い道を上がっていったら、市場が開かれている賑やかな道に出た。露店が多いから定期市だろう。毎週土曜に開催だろうか?誰かに聞こうと思いつつ、聞かずに帰ってきてしまった。ま、市の日に中るとはラッキーだ。
まず、端から端までざっと見て回る。民族衣装の人はばあちゃん以外ほとんどいない。市をじっくり見るのは後にして、長江の写真を撮ることにする。バス通りから少し上がってきたものの、川をよく見える場所がないので、もう少し上がってみることにする。丘の上に携帯電話用(?)アンテナが建っているので、そこまでは上がれるだろう。適当に見当をつけて進むと、なぜか小学校の敷地に出た。
中国の子供は写真にあまり関心がないらしい。ここに限らず、撮ってくれ~と向こうから寄ってくることはまずない。アフリカや南米の田舎町では写真を撮ると大騒ぎだったのだが…。国民性か、写真の浸透度の差なのかよく分からない。中国ではかえって年寄りの方が写真撮らせてくれというと、張り切って髪を直したり、服を整えたりしてくれる(笑)。
学校の敷地から出たところからまあまあ湾曲が見渡せる場所があったのでここで数枚撮影。写真を撮り終えて、細い路地を適当に降りていくとさっきの市をやってる通りに出た。改めてゆっくり写真を撮ったりしながら見て回る。二人ほど民族衣装の人に写真を撮っていいか聞いてみたが、NGだった。一人は珍しく(靴以外は)ばっちり全身民族衣装(納西族のものではないようだった)の少女だったので、ぜひ写真に収めたかったのだが、不機嫌そうに首を振られた。山奥の方に行けばまだまだ民族衣装も健在なのだろうが、そんなところに宿はないだろうし、なかなか情報も入らない。
町を出て、長江の川岸まで行ってみる。ここは流れが緩やかなので、諸葛孔明の時代から四川と雲南を結ぶのによく使われた渡河地だと聞いていたが、流れはかなり速かった(笑)。
2時間ほどして麗江に帰る。
そして、問題は麗江のバスターミナルに着いてから発生。乗ったバスは行きと同じようなサイズの(乗合タクシーではない)バスだったので、当然同じ値段だと思い、乗るときに値段を聞かなかった。バスターミナルに着いていくら?と聞くと10元との回答(行きは7元)。おかしいだろ、同じ道で行きは7元だったぞ。7元しか払わん、と行きのバスの切符を持っていたのでそれを見せながら自信を持って交渉。正規料金の証拠があるのだから、あっさり承諾するかと思っていたが、運転手は他の客は10元ちゃんと払っている。10元だと言い張って僕の差し出す7元を受け取ろうとしない。
ブッシュはテロとの戦いに屈せず、僕はボリとの戦いに屈しないのだ。ベトナム以来、久々に骨のある(?)ボッタクリストに出会った。しばらく、押し問答を繰り返すが、僕はこのオヤジに10元を払う気は全くないので、最後に7元を無理やり渡し、バスを降りた。そうしたら、何とオヤジはキレて、何かわめきながら僕の渡した7元を破いて投げつけてきた。もう勝手にしろだ。払うべき金は払ったのだから、それを破って捨てようが知ったことじゃない。
気分は悪かったが、(中国では大人が普通に殴りあいのケンカをすることもあり)振り返らずにバスターミナルを出た。
ボリとの戦いは終わらない…。戦いを避けるためには面倒でも常に先に値段を確認するしかないのだろうか。
↓長江第一湾
石宝山にも行ったので、沙渓を出て麗江へ移動することにする。
昨日見せてもらった本で「欧陽家」という白族邸宅が紹介されていたので、そこを見てから出発しようと思い外へ出ると、村では市の準備が始まっていた。金曜はここで定期市が開かれるらしい。知らなかったが、たまたま滞在中にあたるなんてラッキーだ。
ここの市はゆっくりらしく9時の時点ではまだまだ店も少なく、最高潮に達するにはしばらく時間がかかりそうだった。村を一回りして市の様子を確認してから「欧陽家」を探しに行く。しかし、これが意外と大変だった。こんな小さな村なのに知らない人が多い。しかも、知らないのに適当なことを言うので、あっちに行ったりこっちに行ったりという状態になる。結局、少し英語を話す若者に家まで連れて行ってもらった。彼女はここの欧さんの知り合いだったようで、欧さんにいろいろ説明してもらうことができた(もちろん意味不明だったが…)。
欧陽家を出て再び村へ。メインストリートは出店でいっぱいだ。白人観光客も数人見かけたので、金曜に市が立つことはロンプラ等英文ガイドブックに載っているのかもしれない。白族ではない派手な民族衣装の人も数人来ていた。おばあさんは写真を撮らせてくれたが、小姐にはどっから来たの?と聞いただけで逃げ出されてしまった。
さぁ、そろそろ出発しよう。食事をして剣川行バスに乗り込む。1時間で剣川着。剣川から先、麗江行バスが1時間後しかなかったので、町をぶらぶらしてみる。剣川県の県城の割には小さな町だ。新しい建物は少なく、大通り沿いから少し入ると古い瓦屋根の家が並んでいる。ここは木彫で有名らしく、銀行等も綺麗な木造になっていた。また、バスターミナルのすぐ隣では彫りかけの仁王(?)像があった。今では大きな木が手に入らないようで仁王像はたくさんの角材を貼り付けたものに彫りこまれていた。
麗江行バスは予定時刻を少し遅れて出発。途中半分以上寝ていたが、麗江の標高はかなり高いようで登り坂が多い。2時間ほどで麗江到着。思ったよりずっと大きな町だ。バスターミナル周辺を見る限り、ここに世界遺産に登録されるような古い町並みがあるとは思えない。
まずは宿探し、旧市街(古城エリア)へ行く前にしばらく歩いて相場を調べてみよう。4,5軒目で新しく綺麗な宿が20元で見つかったので、とりあえず今日はここに泊まり、明日以降古城エリアへ移るかどうかこれから決めよう。
荷を解いて早速古城へ向かう。目の前の獅子山を越えていけば古城エリアまでは5分もかからない。しかし、この山越えの小道、宿のおばさんは歩いたことないらしく、古城にへ行けないと言っていた。アフリカ人もそうだったが、自分の毎日の生活で使う道以外は全然知らないのだ。
古城エリアに入ると道は石畳になり、雰囲気ががらっと変わる。しかし、観光客だらけ(><)。大理以上の大混雑だ。圧倒的に多いのは中国人ツアー客、白人もたまに見かける。また、ここは中国人バックパッカーの人気ポイントになっているらしく、今まであまり見かけなかったカラフルなNORTH FACE等のマウンテンジャケットに身を包んだ中国の若者が目立つ。路地が狭いのにあまりに人が多いので写真を撮ることもできない。
撮影は明日以降早朝にすることにして、地理感を養うべく地図を見ながら入り組んだ路地を歩き回る。反り上がった瓦屋根を持つ納西族の家と道沿いに流れる水路は確かに魅力的でこの町が人気スポットになるのもうなずける。
しかし、訪れるには遅すぎたという気がしなくもない。古城中心部は10軒に1軒が客桟(民宿)となっており、通りは土産物屋が軒を連ねている。
石畳の小道に水路、そして白壁瓦屋根の家々といった絵は喧騒の中でその魅力を失っている。残念だ。
↓沙渓マーケットに来ていたおばさん(イ族?)
今日は石窟寺院のある石宝山に行く。ネットで調べたところでは、石宝山にはいくつか見所が点在していて、入口から石窟のある石鐘寺までは12kmもあるらしい。つまり、歩いて回れるところではないということだ。公共の交通機関はなく、普通は車を手配するかツアーに参加するようだ。しかし、この一人旅低予算バックパッカーが車を貸切るのはムリだ。どうしようか考えたが、結局、片道は歩くの覚悟で通った車を何とか停めて石鐘寺まで行くことにした。非常に運まかせなやり方だが、運の強さにはかなり自信がある。「たぶんオーライ、それでここまで来たんです~♪」って感じ。
まずは、朝食をとって乗合タクシー停車場へ。あるドライバーが石宝山に行くのか?包車(貸切)しないか?と聞いてきたので、一応交渉片道でいいからいくら?と聞くと80元との回答。ダメだこりゃ。不要、不要と言うと、いくらならいいんだと聞くので、正直に15元と言うと嘲笑された。むかつくオヤジだ。
とりあえず普通に乗合で石宝山分岐点まで行く。甸南までの半分くらいの所だが4元を要求される。何で5元の距離の半分地点なのに4元なんだ?と主張するが、そういうものだ、他の者にも聞いてみろ、とドライバー。しかも他の乗客も4元だというので仕方がない。釈然としないが、勝手にそういう都合のいい料金設定にしているのだろう。
さて、石宝山への分岐点から入口までも結構距離があるようで、門も見えない。先が思いやられる。長距離歩行を覚悟してGPSをONにして歩き始める。と、一台の乗合タクシーらしい車が後ろから来たので早速停めようとするが、ダメダメのサイン。しかし、ちょっと先で停まってくれ、手招きされたので行ってみる。貸切だが、席が1つ空いているので乗せてもいいと言ってくれたようだ。乗っていたのは成都から来た年寄り8人グループだった。8人いれば法外な料金を請求されることはないだろう。お礼を言って乗り込む。車内でどこから来たのか、何をしてるのか等ありきたりの質問をいくつか受けたが、もともと他人に無関心な中国人らしく基本的にほっといてくれたので、僕的には気楽だった。特に確認もしなかったが、車は当然のように入口で停まり入場券を買って石鐘山へ向け山道を登っていく。
30分くらいで石鐘山到着。ドライバーに10元を要求された。ま、妥当なところか。おじさんの一人がついて来いみたいなことを言ってくれたので、このグループと一緒に行動することにする。このグループについていれば帰りの足も問題ないだろう。
ここの石窟のことは最近ネットで知ったばかりだったが、「北の敦煌、南の石宝山」などと勝手にキャッチフレーズがつけられていた。そういえば、敦煌の石窟ってどんなんだっけと記憶を辿ったが、巨大な石仏と壁画の印象しか残っていない。わずか数年前のことなのに人間の記憶ってほんとあてにならないもんだ(もしかして、こんなに忘れっぽいのは俺だけ?)。
石窟の像は10体くらいあったが、残念ながら全て撮影禁止。数は少ないものの保存状態はよく、思っていたより精緻な仏像が多かった。中には女性器を彫ったものもあり、そのまんまの形の石彫を見つめるのは少し気恥ずかしかった。今では当然石彫に触れられないようになっているが、昔から大勢の人が触っていたらしくそこはテカテカに光っていた。信仰の対象として触っていたのか男の本能で触っていたのかは不明(笑)。
石窟見物自体は30分ほどで終了。この近くにまだ2つほど石窟があるはずだが、このグループは訪問しなかった。せっかくなので見てみたかったが仕方がない。続いて、宝相寺を訪問。ここは崖にお堂や仏像がいくつかあり、それらを回って見ることができる。寺までにはかなり長い石段があり、年寄りグループはゆっくり登っていくので僕は先に行かせてもらう。この寺も現在改修中のうえ、仏像もいかにも新しくちょっと興醒めだったがユニークなものには違いない。
宝相寺見学を終え、食事。飯食うだろ?と誘われるまま一緒に昼食。ドライバーも含め10人で10皿くらいでてきた。どれもとても美味い。特に鶏丸ごと入った鍋が美味かった。鶏冠も煮詰めればゼラチン状になって食べれるんだなぁ。中華はやっぱりたくさんの皿を皆でつついて食べるものだ。皆どんどん勧めてくれるので、超満腹になるまで食べてしまった。10元払ったら、2元お釣りをくれた。一人8元で割り勘ということらしい、そうしてもらったほうが気を遣わなくていい。
石宝山を出て剣川に行くのかと聞いたら、彼らも沙渓へ行くというので、そのまま村まで乗せてもらいあっさりとじゃあねって感じで別れた。僕はちゃんと感謝の気持ちを伝えたかったのだが…非常にドライな別れだった。運転手だけがしっかり帰りの分といって10元請求してきた(笑)。
石窟よりも、中国人と一緒に観光をしたことの方が強く心に残る一日だった。やっぱり僕の運は強いみたいだ。
↓宝相寺と崖に置かれた仏像
8時頃起きて7泊した草堂客桟を出る。ここの犬は最後までなついてくれず吠えられっぱなしだった(笑)。目指すは沙渓という村、まずは剣川行バスを捕まえなければならない。下関まで戻れば始発があるのだが、面倒なので古城の東を走る国道に出てバスを止めることにする。座れない、ぼられるといったリスクはあるが、1時間待って乗れないということはないだろう。
20分くらい待つがバスが来ない。来るのは麗江行ばかりだ。不安になりかけた頃、ようやく剣川行が到着。乗車してすぐ兄ちゃんが運賃請求に来る。下車予定の甸南まで18元、やっぱりぼってきた。こういうことがあるので、昨日料金を調べておいたのだ。下関~甸南まで16元のはずだ、なぜ18元なのか?と筆談し、勝利。ボッタクリストを1人撃沈してやった。
剣川へ行く途中の下山口、アルユァンの町には温泉が出るらしく、温泉の看板をあげた宿がいくつかあった。2時間15分で甸南に到着。ここは焼物の町らしく、壷がたくさん積んである店が多くあった。沙渓への分岐で下車し、まずは食事。炒飯4元とちょっと高いがまぁいいだろう。
昆明を出てから炒飯を食べることが多くなった。それまでよく利用していた快餐屋をあまり見かけなくなったこともあるが、雲南の米はポロポロ米で炒飯向きだということ、さらにボリュームたっぷりのうえ、高菜みたいな漬物が入っているのでキムチチャーハンみたいな味で美味いということに気づいたからだ。値段はたいてい3元。
食後、乗合タクシーで沙渓の村へ。途中、明日行く予定の石宝山入口を過ぎていく。山を越え、約45分で沙渓に到着。小さな村なので宿はあまりないだろう。すぐ目に入った新しそうな食堂兼旅館に入って値段を聞いてみる。気のよさそうなじいちゃんが部屋に案内してくれ、20元を15元にしてくれたのであっさりここに決める。期待以上の宿が安く見つかってよかった。
荷物を置いて村を散策。ここも白族の村で戯台(演劇場?)が残っているらしい。どこにあるのか知らないが、適当に歩いていれば見つかるだろう。ここも農村でとてものどかなところだ。田んぼの中の道を進んで隣の長楽村という集落に行くと、小学校の敷地に戯台らしきものがあった。半分物置と化しているようだ。ここの子供達はこれが何に使われていた建物か、文化的に価値のあるものか知らないのだろう。もしかしたら先生も知らないかも(笑)。
沙渓の村(正確には寺登鎮)に戻り、水路や古い石橋等を見て回る。残念ながら、この村の中心部は大工事中で道は掘り返されており、戯台や寺は改装中だった。
ここも観光地として売り出そうとしているのだろう。のどかな村のままにしておけばいいのに…。
↓沙渓の石橋
今日大理を出発してもよかったが、この2日間かなり体を使ったので今日ちょっとゆっくりして明日出ることにした。
起床後、まず洗濯を済ませ朝食をとってから下関へ。最初にバスターミナルへ行って、明日乗る剣川行バスの時間・料金を確認する。
大理周辺の見所も大体見終えている(金のかかるところを除き…)が、アルハイ公園と博物館にはまだ行ってなかったので、まず公園に行くことにした。入場料7元(学割3元)を払って湖沿いの公園を歩く。今日も晴天で目が覚めるようなブルーのアルハイ湖を見ることができた。湖畔から突き出るように作られた休憩所(?)があったが、なぜか水没しかかっていた。湖面から歩道まで10cmほどしかない。造られた時より湖の水位が上がっているのか、あるいは季節的な要因なのだろうか?
この公園、思った以上に広く、中には子供用の小さな遊園地や猿山まであった。猿山の裏では、ばあちゃんとおばさんと女の子が三世代一緒にしゃがんで用を足していた。公園なのでちょっと探せばトイレがあるはずなのになぜ外で(しかも家族で一緒に)用を足すのだろう?中国人の考えることは分からん。。。
公園の奥ではウェデイング用の服装をしたカップルが数組写真撮影をしている。結婚前に撮るのか後に撮るのか知らないが、景色のいい景勝地ではよく見かける風景だ。結婚写真専門の貸衣装&メイク&カメラマンの店があって、そこで全てやってくれるらしい。あの花嫁さんたち、こんなにバッチリ化粧するのは一生に数回しかないだろう(笑)。
公園を出て博物館に行ってみるが、数ヶ所ある入口3つに行ったが全部閉まっていた。まだ他の門があるのかもしれないが、敷地が広くこれ以上探すのが面倒臭かったので、行くのをやめた。
しばらく町をぶらぶらしてから、また魚料理を食べることにした。前回の「酸辣魚」はあまりにも辛かったので、今度は「清湯魚」という鍋にしてみた。これは魚の他に豆腐が具に加わっていた。スープがうまい。これにもやはり辣(らー)がついてきて、お好みで小椀に足して食べるようになっている。中国で辛い料理というと四川のイメージが強いが、雲南の方が何でもかんでも辛くしているような気がする。
そういえば、最近僕の腸もようやく「辣」に慣れてきたらしく、辛いものを食べても大丈夫になってきた。適応するのに1ヶ月近くかかったが、これで思う存分辛いものを食べられる。食後、満腹状態でこないだの按摩屋に行く。あぁこの大理も今日でおしまいかぁ…。
↓アルハイ湖
大理に来て1週間、月曜日だ。月曜は大理から北へ30kmのところにある沙坪という村でマーケットが開かれるので、そこへ行ってみることにする。
宿にあった(かなりボロい)自転車を借りることができたので、これで行ってみる。往復60kmなら大丈夫だろう。朝食をとって、早速出発。この自転車、カギがないので、一応南京錠を買っておいた。三塔の前を通って一路北へ。今日も晴天で蒼山が美しい、絶好のサイクリング日和だ。
道は舗装されているものの、かなりガタガタで尻が痛い。しばらく乗って、この自転車にいろいろ問題があることが分かった。まず、ギアが軽いほう3段しかきかない。後ろのブレーキがきかない。サドルにクッションがない等など、大丈夫かな。キコキコ音をさせてチャリンコを漕ぐ僕をローカルが珍しそうに見る。あまりチャリンコで遠出するガイジンはいないのだろうか?それとも、ガイジンなのに乗っているチャリンコがボロいのが面白いのだろうか?
道の両側はずーっと田んぼ。そろそろ稲刈りも終盤で、多くの田では来年に向けて肥やしを入れる作業をしている。当然、道にもそこら中に肥やしの山が積まれていて、独特の臭いを発している(笑)。
2時間近くかかって先日来た喜州に着く。沙坪まではまだ10km近くある。思っていたより進まない。ギアが軽いほうに固定されているので、スピードが出ないのだ。帰り道が思いやられる。最悪、バスにチャリンコを乗せて帰ろう。途中、湖蝶泉という観光地を過ぎる。中国人ツアー客に人気のところで、この周辺は土産物屋が建ち並んでいる。僕は興味がないので通過。
2時間半たってようやく沙坪に到着。かなり疲れた。白人観光客が20人くらいいたが、中国人ツアー客はいないようだ。中国人にとってローカル市場なんか珍しくもないのだろう。それよりも買物に執心のようだ。外国人観光客が来るので、ここのマーケットには藍染めやアンティーク、民族衣装などの土産物屋が出ている。それを除けば、普通の市場。こないだワセのマーケットを見たばかりだからかなんとなく面白くない。1時間ほど見て回り、冷米線を食べ、梨を買って帰ることにする。
チャリンコに乗った瞬間、尻が痛んだ。ツライ、あと2時間半ガマンできるだろうか?しかも、帰り道の方が若干登り気味のようだ。とにかく、進むしかない。
湖蝶泉周辺で後輪に異常発生。降りて見るとパンクしていた。あぁ、ついてない。外国で自転車を借りるとかなりの確率でパンクするような気がする。これが3回目かな。きっとチューブが古いのだろう。修理屋が見つかるまでしばらく押して歩く。昼過ぎの湖蝶泉はちょうどツアー客が昼食、買物に来る時間帯らしく、道の両側にはこんなにあったのかと思うほどツアーバスがズラーッと停車している。そして中国人ツアー客は騒々しく買物。
湖蝶泉を過ぎ、周城という町で、おばさんに藍染めを見にこいと誘われる。もちろん見るのはタダだが、その後にしつこい購入勧誘があるのは分かっていたが、今日は金をほとんど持ってきていないので、すぐあきらめてくれるだろう。見るだけ見にいく。藍染め、草木染めとあったが、基本的に糸で縛った絞り染めで、技術的には珍しいものではなかった。出来は非常にきれいだが…。購入お誘いを退け、ついでに自転車修理屋まで連れて行ってもらう。修理屋はもうチューブが古いから換えようというが、自分の自転車じゃないし、金もないからとパンク修理だけにしてもらう(3元)。
修理完了し、また漕ぎ始める。昨日6時間くらい歩いたこともあり、かなり疲れているので、何度か休みをとって行く。馬に数時間乗ったときのように尻が痛い。三塔が近くに見えてきたときはほっとした。5時前に何とか宿に到着。
よく頑張りました。シャワーを浴びてビールを飲んで9時過ぎには睡眠。
↓沙坪マーケットに来た白族
今日は大理から100kmくらい離れたところにある仏教寺院「鶏足山」に行ってみることにする。昨日、下関に行ったときバスターミナルで時間を確認しておいたので、それにあわせ7時半に宿を出て、予定通り8時過ぎにバスターミナルに到着。すぐ鶏足山行を買おうとしたら「メイヨウ」の返事。寶川に行って乗り換えろと言われる。昨日、ここでおばちゃんに確認したのは何だったんだ!ほんと中国人っていい加減なことをいう奴ばかり。聞いても自分に都合のいいことをいうばかりで信用できないので、聞く気もなくなる。
寶川から鶏足山までは30kmくらいあり、ここの足があるか不安なので、鶏足山行を急遽変更し、巍宝山という道教寺院に行くことにした。まずは同じバスターミナルで巍山の町へ向かう。道のりは約50km。久しぶりに早起きしたのでほとんど眠っていた。1時間45分くらいで到着、ここから巍宝山行のバスがあるか不安だったが、やはり「メイヨウ」。地図を見た感じでは巍宝山はさほど遠くなさそうなので、とりあえず歩いていってみて、乗合タクシーでも来たらそれを捕まえることにする。今日は日曜日なので、そこそこ観光客もいるだろう。
町を出てちょっと歩くともう農村の風景が広がっている。国道を30分くらい歩くと巍宝山への分岐があり、ちゃんと標識もついていたが、距離は出ていなかった。そこから山道に入る。この山道をしばらく行けば巍宝山に出るのだろうと信じてずんずん登っていく。
…しかし、全然着かない。それどころか、この山道がどこまで続いてどこに寺院があるのかも全く見えない。本当にこの先に巍宝山があるのだろうか?不安が募る。人通りもなく、たまに農家の人を乗せたオート三輪や乗用車が通るくらいだ。観光客らしき人が乗ったタクシーが1台だけ通ったが、止められなかった。考えてもしかたないので、とにかく前進あるのみだ。
…そして、2時間が経過。もう1時を過ぎている。さすがに疲れた。GPSを見ると巍山からの直線距離7km、このうねうね山道の道のりにすると10kmは超えているだろう。高低差も200mを超えている。こんなに遠いのだろうか?しかし、ここまで来て後戻りもなぁ。今度車が通ったら何とか止めて、道を確認しよう。
さらに20分ほど歩くと、突然大きな門が見えた。やったぁ、着いたぁ。50m手前まで全く門は見えなかった。山道に入ってからは標識も1つもない。ちょっとひどいんじゃないの…。
とにかく無事着いたので、早速寺院を見て回る。ここは巍宝山という名の通り、山にいくつもの寺がある寺院群だ。中国にはよくあるタイプだが、既に2時間半近く歩いた体にはツライ。道教寺院の像はカラフルに彩色されているのが特徴だ。仏教との関係がよく分からないが、観音像もあった。
各寺院には管理人(僧?)がいて、彼らはそこで生活している。ある小さな寺で、ばあちゃんがお茶を入れてくれ、茶菓子まで出してくれた。朝からパンケーキ1つしか食べてなかったので、すごく助かった。99%が他人のことなんてどーでもいいと思ってる連中の中でで親切な人に出会うとホントにうれしい。
寺院群は予想以上に広く、そして山は高かった。一番高いところで標高2500mを超えている。巍山は2000mくらいだったので、これはもう立派な山登りだ(笑)。15箇所くらいある寺を見終えて、門に戻ってきたのは5時15分前。約6時間歩きっぱなしだ。いやぁ疲れた。帰りの足が不安だ。もうこれ以上は歩きたくない…。
幸い、下に降りるおばさんがいてオート三輪に乗合できた。巍山まで下りでも30分くらいかかった。そりゃ登りを歩けば2時間半かかるわな。
巍山の町も大理のように古城と呼ばれる古い町並みが残るエリアがあり、しばらく散策。この町は白族ではなく、イ族と回族(ムスリム)が多いらしいが、民族衣装の人は1人も見なかった。ムスリム帽子の人もほとんどいない。古城の町並みは落ち着いた感じで気に入った。観光客もほとんどこないので、地元の人向けの商店街だ。昔は大理もこうだったのだろう。急ぎ足で一通り回って食事をして、下関行バスの出るターミナルに行く。
…閉まっていた!まだ6時半なのに。宿直にオヤジにバスないのかと聞くと今日3度目の「メイヨウ」。余裕こいて飯食ってる場合ではなかったのだ。
さて、どうするか。まだしばらくは明るいはずなので、国道に出て7時半までバスを待ってみよう。もっと先の町を出て下関に向かうバスがあるかもしれない。
…来た。よかったぁ。何とか下関行に乗ることができ、後はもと来た道を帰るだけ。宿に着いたのは9時半。肉体的にも精神的にもヘトヘトだ。
↓巍宝山の道教寺院
今日は午前中、ネットや写真現像など雑用を古城で済まし、午後は下関へ行く。
明日、鶏足山に行きたいのでいろいろ事前調査をしておかなければならない。中国には公共の観光案内所というものがない(香港にはある)ので、信用できる情報を得るのが難しい。旅行代理店に聞けば、ないと言われてその店でツアーに組み込まれるか、車貸切を手配させられるのがオチだ。相手の要望よりも自分の商売優先が普通にまかり通るのがこの国の常識だから仕方がない。本やネットで情報を探し、自分で裏づけをとっておくのが一番確実だと思う。中国の旅行ガイドブックも最近はかなり充実していて、大体何が書いてあるかは理解できるので助かる。
いくつかバスターミナルをあたって、鶏足山行を確認、ついでにもう1箇所、関心のある巍宝山行も確認しておいた。それから下関の町を探索、大きな市場があったので入ってみると亀やカエルに加え、どこからきたのか海の魚まで売られていた。肉は牛、豚、山羊はもちろん犬も売っている。当然、食堂街もある。昨日食べたしょぼい魚に不満が残っていたので、ここでまた魚料理を食べてみることにする。店を選んで小姐と交渉。大理名物の1つ「酸辣魚」を食べてみることにした。1斤10元というが、どれくらいの大きさなのかよく分からない。また、どんな料理なのかもよく分からない(辛いことは間違いないだろうが…)ので、どうしようかと迷っていると、勝手に魚を買ってきてこれで10元だという。昨日食べたのよりはだいぶ大きいのでまぁいいだろう。しばらくすると洗面器みたいな入れ物に真っ赤なスープ、そしてぶつ切りになった鯉が出てきた。匂いだけで辛さに汗が出てくる。魚の他はネギとしょうがくらいしか入っていないみたい、非常にシンプルな料理だ(笑)。
早速食べてみる。辛いけど美味い。さすがにスープは辛くてほとんど飲めないけど…。鯉は小骨が多く、食べるのが面倒くさいのが難点だ。時間をかけて食べきる。足元には骨だけになった鯉の亡骸。これでご飯付11元。雲南での普段の食事に比べると倍以上する値段だが、150円と思うと食べなきゃ損という気にもなる。
魚料理に満足、満腹になり、続いて下関温泉に行ってみることにする。市バスで温泉度暇村というのがそれだろう。しかし、バスが着いたところは豪華なリゾートホテル。ガイドブックには国営の温泉で個室40分で4元って書いてあるけど…、ま、他の人が皆行くので行くだけ行って見よう。ホテルの別棟が温泉になってるようだが、室内は30元!宿代より高い。
ホテルのフロントに行って、下関温泉はどこだ?と聞いたらやっぱりココだという。
「国営の温泉って書いてあるけど?」
「今はありません。新しくココになりました。」みたいな回答。せっかく来たが、さすがに30元は高いので入らずに町へ戻る。
町中に「10元休閑屋」という店を発見。洗頭+按摩、洗脚などが10元でできるようだ。早速入ってみる。狭いスペースに按摩用ベッドが並んでいて、あまりリラックスできる感じじゃなかったが10元なので文句は言えないか。日本でもこんな店が1000円くらいでできれば繁盛しそうだけど…、ここの按摩小姐をそのまま持っていければできなくなさそうだ。
↓酸辣魚
今日は毎月0と5のつく日に行われるというワセ(ワは手偏に空、セは色)村のマーケットに行ってみる。
昨日聞いてみたところではバスはなく、船で行けということだったが、船も定期船ではなさそうだ。よく分からないが、地図を見る限り直行はないにしてもバスが通ってないとは思えなかったので下関のバスターミナルに行ってみる。どうやら別のバスターミナルから出るようだ。おっちゃんの指差す方向と市バスの停留所であたりをつけ、バスターミナルを探す。意外と簡単に見つかり、ワセ行も30分に1本くらいの割合で出ていた。何でこんなことがガイドブックにも記載なく、大理の人も知らないのだろう?
ワセまではアルハイ湖の東岸沿いを進むので、眺めはなかなかgood。1時間15分くらいでワセ村に到着。人だかりの方向に進むとそこが市場だった。かなりの人出だ。白人観光客も20~30人くらい来ているようだが、ここのマーケットには観光客向けの土産物出店はほとんどない。いいことだ。白族のおばさんは民族衣装を着ている人も多い。
湖に面した食料品市場をぶらぶらしてから、商店街を歩く。こちらは衣料品などが多い。大理で見た地図ではワセは漁村と紹介されていたが、実際は漁業ではなく農業の村のようだ。村には白族の伝統的建築がたくさん残っている。というよりは、新しい家はほとんどない(笑)。
せっかく湖岸の村に来たので魚を食べてみようかと思い、食堂を数軒あたるが、結構高い。魚や肉料理は1斤(500g)いくらで値段を決めるので、一人分でいくら?と聞けないのが面倒だ。魚を選んで量ってもらうところから交渉が始まるのだ。結局、普通の食堂で魚(鯉)を選んで揚げてくれといったら、そのまま空揚げが出てきた。何か一工夫(あんかけだとか、野菜が付け合せで出るとか)欲しかったけど…。10元出した割にはしょぼい昼食になったが、味はなかなかだった。日本ではあまり鯉を食べる機会がないが、別にまずい魚ではなかったんだなぁと認識。
帰りは隣村の小普陀まで20分くらい歩いていってみる。ここは漁村のようで、道にエビや白魚が干してある。岸から100mくらいのところに小島があり、そこに寺が建てられている。そんな所に露店がたくさん出ている。なんで?と思っていたら、数十分後、島よりずっと大きな遊覧船がやってきてその島に観光客を上陸させた。何もこんな船で小島に寄らなくても…と思ってしまう。何か縁のある寺なのだろうか?
↓ワセのマーケット風景

今日は大理から20kmほど北にある白族の町「喜州」に行ってみる。
バスで約30分(3元)の距離、道はガタガタだが、けっこうなスピードで進んでいく。今日も晴天で周りに広がる田んぼと山(ツァンシャン)が美しい。まずは市場で食事。ローカルが食べているぶっかけ飯を頼む。2元の割にショボイ。前のおばさんが1元しか払ってなかったのでぼられてると思い、1元だろ?と言ったら、小椀だからだと言い返される。同じお椀だと思うんだけど…。
市場は小さく、食料品中心。大したものはない。商店街を通って町の中心広場へ出る。ここで喜州名物(大理でも普通に売ってるが)大餅を食べる(1元)。分厚いホットケーキみたいなものだ。これ1枚でけっこう腹いっぱいになる。
広場に面して厳家大院という白族建築の代表的な家があるが、入場料10元というので、外から眺めるだけにする。白族の建築物はそこら中にあるし、金払って見ることもないだろう。
白族の家は白壁に瓦屋根、壁上部には絵や文字が描かれている。また、塀は高く、門は寺のように立派な造りをしている。門の内側にさらに壁があり、内部が見えないようになっているところも多い。立派な門の写真を撮りたいのだが、ほとんどの家で門が通りに面しておらず、通りから分かれた小さな路地に面していて撮影に十分な距離がとれない。残念だ。
喜州中心部から東、湖の方へ歩いていく。町のあちこちで刈入れた稲から穂を摘む作業が行われている。いい季節に来たもんだ。田んぼゾーンを抜けて、沙村というエリアに入る。ここにある寺にばあちゃんがたくさんいたので、入っておまいりをしたらご飯を勧められた。腹は全然減ってなかったが、せっかくなのでいただく。中国で見ず知らずの人から親切にされるのは珍しいので、非常にうれしかった。
今日は宗教的に意味のある日らしく、門前に巨大な線香を立てている家が多い。ばあちゃん達も寺に集まって皆で食事を作ってお供えをしていたようだ。それにしてもこの辺り、見事に年寄りばかり。現役世代は皆、畑に出ているからだろう。僕の自説では、農業等体力を使う仕事をずーっとやってるとやっぱり電池が切れるのも早く、寿命も短かくなると思っていたのだが、ここは80過ぎと思われる年寄りがたくさんいる。どうも自説を修正する必要があるようだ(笑)。
ずーっと歩いて農村を抜け湖のほとりまで行ってみたが、景色を見るに適したところがなく、また別の道を通って沙村に帰る。丸坊主にしてから2ヶ月以上たってだいぶ髪も伸びてきていたので、ここで散髪をしてみた(3元)。
喜州の町まで戻ると何やら各家の前で草を焚いていて、煙だらけになっている。これも何か宗教行事なのだろう。ばあちゃん達が子供を連れてある広場に集まっていくようなので、行ってみるとそこも小さな寺になっていて、お供えしたりお祈りしたりしていた。ここも年寄りだらけ。
そのうち、路地のあちこちで爆竹が鳴らされ、煙の中から神輿のようなものを担いだ一団が現れ、さっきの寺へ向かっていった。これで行事は一段落らしい。僕はこの小さな町でいぶされたウサギのようになっていた。貴重な経験だ(笑)。
↓寺に集まった白族のばあちゃん達
今日も素晴らしい晴天なので、大理のシンボルである三塔に行ってみる。古城から1kmちょっとのところにあり、途中には大理石加工屋が並んでいる。
三塔は崇聖寺という大きな寺の一部になっていて、外は高い壁に囲まれている。そして入場料は何と52元!激高だ。兵馬傭や故宮のような見るのに数時間かかるようなものなら50元もやむなしとは思うが、塔(しかも中は空洞)を間近で見るために宿2泊分以上の金を出す気にはなれない。(寺は囲いを作るために後で建てたんじゃないかと思ったのは僕だけだろうか?)
というわけで、中には入らず、寺の周りを一周して塔を眺める。それでもまあまあ近くから塔を見ることができた。寺の右側面に三塔寺賓館という高級ホテルがあったので、冷やかし半分値段を聞いてみる。と、一人部屋は安いもので百数十元と言う返事だったので、早々に帰ろうとしたら、小姐が追いかけてきて部屋を見るだけ見てくれというので付き合う。でも、高いから泊まれないよと言ったら、予算はいくらだと聞き返すので、20~30元と言ったら、何と30元でいいということになった。もっとも見せてもらった部屋はバス・トイレ付だが、今の宿よりずっと狭かったので、今日明日は部屋があるから…とお断りする。しかし、ダメモトでも言ってみるもんだなぁ。
三塔から500mほど大理側に戻ったところに三塔倒影公園という、その名の通りここにある池にちょうど三塔が映るという有名な写真スポットがある。そこに行ってみると、入場券は三塔と共通となっていた。おぉ、入れないじゃん。しばらく考えて、三塔には昨日行ったので、今入場券を持ってないと適当なことを言ってみた。すると、実は公園だけの入場券があって4元で入ることができた。天気がいいのでイメージ通りの三塔の写真を撮ることができ、満足だ。しばらくこの公園でぼへーっと景色を楽しむ。
ここを出てバスで文献楼という建物へ移動。ここに登って大理の眺めを楽しむ。続いてバス通りを歩いて古城南門へ。ここにも登って古城の中を上から眺める。なぜか、人が昨日よりずっと少ない。ツアー客が昼間はどこか見所に行ってるからだろうか?
ここからそのまま城壁を歩いてみる。古城の城壁は全部残っているわけではなく、門の周辺一部だけだ。城壁から降りて古城内外をぶらぶらし、夕食をとって宿へ戻る。
シャワーを浴びてからネット屋へ行く。しかし、フラッシュメモリーをここのPCが認識しなかったり、メールの送信ができなかったりと問題が多く、ネット屋の兄ちゃんが2時間がかりで悪戦苦闘してくれた。日本だとPC関連の用語は特に訳さずカタカナ読みが普通だが、中国語では意訳されており、インターネットやドライバ等もそれぞれちゃんとした漢字の単語がある(日本の漢字表記できないので書かないが…)。それを知らないと、ドライバをここからダウンロードして…みたいなことも伝えられないので大変だ。
↓南門で祀られていた白菜?
さぁ、ようやく雲南の後半戦突入。大理に向かう。
宿を出て朝食をとって、バスターミナルへ。このあいだと同じルートなので慣れたものだ。大理(下関)行は1時間に1本くらいあるが、出発15分前くらいに行ったらもう満席で次のバスになってしまった。
楚雄から大理までは高速道路を通ってくれたので200kmくらいの距離を2時間半くらいで済んだ。山道じゃないところは非常に快適だ。
2時頃下関到着。大理の町はかつての南詔・大理国の都であった大理古城(見所はこちらに多い)と行政、経済の中心である下関との二つに分かれており、その間は約15km。しかし、市バスが4分に1本あるので移動に問題はない。大バスターミナルは下関にあるので、ここから古城エリアへ移動。古城という名の通り、城壁に囲まれたエリアなのだが、1.5km四方ほどありかなり広い。
ネットでオススメされていた宿へ向かうが、情報が古いらしく一人部屋がなかった。それから安宿をいくつかあたるがドミ部屋は10元くらいであるもののシングルだと30元~ばかりだ。大理は雲南でも宿が安いと聞いていたが、これじゃ他の町と変わらない。結局、客引きのオヤジに20元でシングルという条件をいって連れていってもらったところで手を打った。部屋が屋上(?)にあり、天気もよかったのでまず洗濯をする。
抜けるような青空だ。このところ特に天気が悪かったというわけでもないのだが、山間だったり、ビルの多い町だったりして広々とした空を見る機会が少なかったのだろう。洗濯を終えて、大理古城を散策。いやはやすごい観光客だ。中国人ツアー客が9割だが、グリンゴもけっこう見かける。日本人らしき人もちらほらと。
復興路というメインストリートには土産物屋が建ち並び、ちょっとウンザリする。もっと静かな古い町並みを期待していたのだが、中国の観光地にそれを期待するのはムリなのだろう。ここは近郊の見所も多く、長居をすることになりそうなのでもうちょっといい宿がないか離れた通りをあたってみる。数軒探索した後、草堂客桟という白族式造りのきれいな宿が20元でOKということだったので明日からここに移ることにする。
大理は白族の町で、市場などではまだ民族衣装を着たおばさんが多少残っている。もっとも観光用白族のカラフルなものではないが…。暗くなってくるまで散策を続け、大体町の概要はつかんだ。洋人街と呼ばれる通りはその名の通り白人向けカフェが多く、グリンゴ達がビールを飲んでいる。僕の価値観からすると、こういうのができるともう魅力半減だ。
夜は城門等がライトアップされる。正直、ネオン線を貼ってあるのは趣味が悪いと思う。クリスマスのレストランじゃないんだから…。
↓大理塔
今日は雲南にきて石林、沙林に次ぐ第三の林「土林」に行く。
昨日、バスターミナルで行き方を聞いておいたので、その通り7時に起きて荷物を預け、7時半に物茂行バスを探すが見つからない。どうなってるんだ???
昨日、行き方を聞いた小姐がいたので、バスはどこだと聞くと表通りを指差した。どうやらバスではなく乗合タクシーらしい。表に出てみると、すぐ物茂行が見つかり、土林へ出発。途中、黄瓜園というところで乗換え、さらに土林への分岐で下車し、5km先の土林まで歩いていく。この道はレギュラーに交通がある道ではないようなので、一応歩くことにした。
しかし、心配は無用で、すぐ乗合のオート三輪がきて土林へ行くことができた。入口の地図を見るとどうやら土林というのは一つではなく、元謀近辺に3箇所ほどあるようだ。ここは虎跳何とか土林というらしい。
入場料20元(学割10元)払い、地図を買って(1元)入場。ここはいかにも広そうだ。地図を見ながら端っこから攻めていく。馬で回らないかと勧められたがお断りし、先へ進む。すぐに仏塔と呼ばれる土の柱に出くわし、これだ!と思った。こここそ沙林に行く前に自分でイメージしていたところだ。赤茶けた砂岩が侵食されて奇岩となっている。その奇岩地帯が広範囲に広がっている。さすがに複数の町にわたって広がっているカッパドキア(トルコ)の奇岩群と比べるのは酷だが、ここも十分素晴らしい景色だ。
今まで行ったテーマパーク的な風景区と違い、この土林はまだあまり整備されておらず、馬が通るメインルートはしっかりあるが、それ以外は勝手に歩いてくださいという状態だ。踏み跡を辿って小高いところに登って土林の景色を楽しむ。人気は全くない、この景色を今独り占めしているという喜びが湧き上がってくる。自分が発見者、支配者のような気分になってしばらくこの喜びにひたってしまった。
後はひたすら迷路のような奇岩群を回る。次から次へと印象的な形をした土柱が現れ、写真を撮りまくってしまう。シャッターカバーが閉まる暇がないくらいだ(笑)。
ここは(月曜日だからかもしれないが)全く観光客がいない。迷ったらどうしようなどとちょっと不安になってしまうくらいだ。ケチらずに地図を買っておいてよかった。結局、4時間くらいかかって回り終えた。それでも、まだ見ていないところが残っていたが、さすがに疲れたし、デジカメのメモリーも使い切ってしまったので、出ることにした。最後まで一人の観光客にも会わずじまいだった。これじゃ馬屋も商売にならないだろう。ゲートを出て同じルートで帰る。
帰りは接続が順調で1時間ちょっとで元謀の町に着いた。今日中に大理へ行けるかなと考えていたが、時間的にもうムリだ。楚雄泊まりにしよう。だとするとまだ余裕があるので、元謀のもう一つの見所(?)である元謀人陳列館に行ってみる。見るからにしょぼかったが、入ってみてもやはりしょぼかった。そもそも元謀人の骨はごくわずかしか見つかっていないようで、石器や動物の骨などの展示ばかりだった。宿で荷物を引き取って楚雄へ戻る。
着いたらもう暗くなり始めていたので、おとといと同じ宿に泊まり、また同じ小姐に按摩をしてもらった。幸せ~。
↓土林の風景
楚雄から直接大理には行かずに北にある元謀という町に「土林」を見にいくことにした。
宿を出て市バスでバスターミナルへ向かう。10時のバスがあるはずだが、満席だったのか11時発になってしまった。元謀までは150kmの距離があり、また山道なので4時間近くかかる。元謀近くになってきて土林っぽい侵食地形が見え出した。う~ん期待できそう。
3時頃元謀のバスターミナル到着。山道をずーっときたわりには大きな町だ。ここからさらに北上するともう雲南を出て四川省になる。しかし、今日は暑い。いや、この町が暑いのだろうか?標高は約500mで、昆明や楚雄と比べるとだいぶ低い。
まずは宿探し、ちょっと外れにあってきれいそうなところを探す、早速15元でまあまあの部屋があったのだが、宿のオヤジが外国人が泊まるためには公安で許可が必要だとかいうのでやめる。そのあと見た目が新しい宿を数軒あたってみるが、どこも全室エアコン、バス・トイレ付のようでえらく高い。それでも泊まる人がいるのだろうか。
きれいな宿はあきらめて、安そうなところをあたる。結局バスターミナルの近くまで戻って20元の宿に決めた。この宿、中国では初めて見る蚊帳付だ。やっぱりここはいつも暑くて蚊も多いところなのだろう。
やっと落ち着いたので、町へ出る。日曜のせいか人がとても多い。ざっと一回りするのに20~30分くらいだろうか。市場があったので入ってみると、ここは大盛況。今まで行った市場の中で一番賑わっていると思う。
しかし、これだけ人がいてもここで民族衣装を着ている人は一人しかいなかった。そのおばあちゃんに写真を撮らせてもらえないか頼んだが、イヤだと言われてしまった。服からして多分イ族だと思うのだが、イ族ですか?って聞いても伝わらなかったし、字も読めなかったので確認できなかった。
この市場で前々から食べたかった宣良ダックを買ってみる。やはり1羽売りしかしてくれなかった。一人でアヒル1羽を食べることは可能だろうか?面白かったのはアヒルを買ったら、タレと一緒にネギがついてきたことだ。中国でもカモはネギを背負ってくるものだと一人で笑ってしまった。
ビールを買って、早速部屋でアヒルを食べる。美味いが、予想以上に脂っこい。さっぱりネギと一緒に食べるのは正解だ。しばらくムシャムシャと食べたが、さすがにひたすら脂っこい肉を食べつづけるのはツライ。先日、豚の脂身&ラー油を食べ過ぎて1日トイレ通いをした苦い経験を生かし、もったいないけど2/3ほど食べたところでギブアップ。やっぱりアヒル1羽食べるのはムリだった(笑)。
↓元謀の市場
さて、今日大理に行ってもいいのだが、この大きな町にも何か見所があるだろうと思い、宿の小姐にここの見所を教えてと言ったら、あっさり「メイヨウ(ない)」と言われてしまった。どうしよう、いきなり出鼻をくじかれてしまった。
まずは昨日看板を見つけた太陽リ公園に行ってみる。宿の前から出るバスの終点だから楽だ。公園だが入場料をとる(15元、学割5元)。土曜なのにほとんど人がいない。中は池やイ族の太陽暦トーテムポール、剣舞用ステージ等がある。察するところ、もともとはイ族の民族村みたいなものをイメージして作られたのだろうが、来場者が少なくてアトラクションの類をやめてしまったようだ。食堂等も閉鎖されていた。ま、高いところにある太陽暦トーテムポールから町を一望できたのはよかったかな。入場料を払って来るようなところではなかった。宿の小姐が勧めなかったのも納得。
ここを出て、大理・元謀方面へのバスが出る西ターミナルを探す。昨日、見つけられなかったところだ。実は道を聞いたおばさんがいい加減なことを言っていたために見当違いのところを探していたことが分かった。今日はあっさり発見。町の中心部近くだった。ここで時刻表と町の地図をデジカメにおさめておく。こうしておくと後々役に立つことが多い。
地図で町の様子を確認して中心部をぶらぶらした後、昼食をとって博物館へ向かう。期待はしてなかったが、ここが意外にも大きく、恐竜や元謀原人、イ族の民族衣装等展示が非常に充実していてVery Good。イ族の民族衣装は50着くらいあった(それを着ている蝋人形がちょっとキモイ…)。それらは、町によってデザインがかなり異なっていて、服だけでイ族だと判別するのは難しそうだ。
だいたい、○○族というのはどういう基準で決めるのだろうか、イ族の男とタイ族の女の間に生まれた子は何族