ABC停滞
青空になってるかなと期待して目を覚ましたが、相変わらずの曇天。外へ出てみると昨日見えていたアンナサウスまで雲の向こうになってしまった。ちょっと迷ったが今日は大晦日だし、1日ここで停滞して年越し、願わくばABCでの初日の出を拝もうということにした。
ヒマなので、水場まで下りてみたり、氷河ゾーンすれすれまで行ってみたりしたが、それでも時間を持て余していたので持参した本を読んで過ごした。
僕はどうも何もないところでぼけーっと過ごすのは苦手だ。よっぽどの景色ならずっと見ていても飽きないということはあるけど、こんな状況はかなり苦痛だ。雪だるまでも作ろうかと思ったが、寒いし、手袋が濡れてしまうのですぐやめた(根性なし…)。
日本人、韓国人パーティーが上がってきたが高山病対策のためかABCには泊まらず散策だけして下りてしまった。大晦日のABCなんてご来光目当ての人でロッジも満員かと思っていたが、僕以外に白人2組が泊まっているだけだ。この道中、日本人にはほとんど会ってない。韓国人パーティーの方が目立つ。韓国の登山人口はどれくらいなのだろう、また高い山ってあるのだろうか?
明日は2005年元旦、晴天で迎えられるのを祈り床につく。
↓ABCからのマチャプチャレ
ヒマラヤホテル→MBC→ABC(所要5時間弱)
今日はいよいよアンナプルナ内院ABCに入る日だ。しかし、天気がさえない。朝はまだよかったがだんだん雲が多くなってきてABCに着いたころにはほとんど雲の中になってしまった。
さて、8時20分出発。ヒマラヤホテル手前から所々ルート上にも残雪があったが、それが徐々に多くなってくる。とはいえカチカチツルツルではないので大した障害にはならない。モディ・コーラ沿いの上りが続く。ほぼ一本調子に登っていくと35分ほどでヒンクのシェルター(大岩の下にスペースがある)に出る。右にはマチャプチャレが大きく見える。おととい青空の中で見た山とは別のように大きく、そして寒々しい。
ヒンクからはしばらく下りになる。行く手に見えるデオラリのロッジまでは約20分で到着。ここのロッジは2軒とも営業していた。ロッジから10分ほど登り少し下ると河原に出る。橋があるが渡らずに西岸をそのまま登る。橋を渡ったとしても1kmほど先にもう1つ木橋があったので問題はないと思うが…たまたまMBCから下りてきた人がいたので西岸ルートを進んだ。
しばらく河原を歩く。この辺りから木は少なくなってくる。行く手にはガンナプルナが見えてきた。いったん河原から上がるが、フラットな道になり再び川近くを歩くことになる。このあたりはなかなか快適。川沿いの平坦道からまた登りに入り、しばらく歩くとMBCの小屋が視界に入ってくる。意外と近い。20分ほど歩くと数軒あるMBCのロッジの一番手前の小屋に着くが、ここは閉まっていた。他のロッジはそこから左の沢へ進み10分弱上がったところにかたまっている。ここで標高3700mなので、ヒマラヤホテルから3時間弱で1000m近く上がったことになるが、実感はさほどない。ちょっと呼吸はきつくなってきたかなという程度。
MBCで昼食をとるが、もう完全に曇ってしまった。幸いマチャプチャレ、ガンナプルナ、グレイシャードームなどは辛うじて雲の手前に見えているので写真を撮っておく。
12時前にMBCを出発して、最奥のABCへ向かう。進路は90度変わって西となる。西を向くとアンナサウスが再び目前に現れる。残雪はますます増え、半分以上は雪の上を歩くようになる。ABCまでは概ねゆるやかな登りが続く。40分くらいで大きな岩にABCまで1時間と書いてあるところに出る。その辺りまで来るとずっと先にABCロッジの青い屋根が見えてくるがなかなか近づかない。更に35分ほど歩いてABCロッジ着。ロッジはかたまって数軒建っているが営業しているのは2軒。なお、ABCには流水がなく、お湯も非常に高い。
部屋に荷物を置いてしばらくぶらぶらしてみるがアンナプルナIなどは完全に雲の中でその姿を目にすることはできなかった。
↓モディ・コーラ沿いの登山道
ジヌー→チョムロン→ヒマラヤホテル(所要6時間半)
今日もまずまずの晴天!部屋でラーメンを食べて8時過ぎにロッジを出る。ジヌーのロッジ数軒の庭先を通ってチョムロンへの石段を上がる。朝なので快調に登って45分ほどでチョムロン一番手前のロッジに到着。かなり汗をかいたので、ここでレモンティーを飲んで一休み。チョムロンの村はとても広く、ロッジの多い上村と民家中心の下村とに分かれており、石段でつながっている。端から端までゆっくり歩くと30分かかり、その標高差150m以上というトコロ。下村にあるTrekkers Shopping Center(少し違うかも?)は定価販売の店で山中にしては非常に良心的な値段でいろんな商品を扱っている。缶ビール70Rsなど下界の1.5倍くらいの価格だ。
チョムロン外れの橋までくるとさっき上がってきた最高点から200m近く下りてしまう(涙)。スゴロクで「ふりだしに戻る」マスに止まってしまったような気分だ。この川の上流には昨日からずっと見えていたアンナサウスがあるが、ここでしばしのお別れ。次に会うのはアンナプルナBC(以下ABC)になる。
さて、ここからまた上りが始まる。上り坂部分は石段、フラットな部分は土の道だ。30分ほどでシヌワに着くが、シヌワのロッジも2カ所に分かれていて、上のロッジまではさらに30分登らなければならない。今日はとても暑く、Tシャツで歩くがこの上りはかなりしんどく、汗だくになって登った。右前方にはマチャプチャレがその名の由来である「魚の尾」の様子を見せている。
シヌワを越えると樹林帯に入る。勾配は緩やかになってだいぶ楽だ。アップダウンを繰り返しながら着実に上がっていく。約45分でACAPチェックポストに着くが、もう使われていないようで無人だった。せっかく2000Rsも出してちゃんとパーミットを取ってきたのに未だノーチェック。
この先またガツーンと100m以上下ってしまう。下りきって川の音が近づいてきたらすぐバンブー着。バンブー手前からはその名の通り竹が目立つようになる。シヌワからABCまでは村がないので宿は専業ロッジで値段も高くなる。バンブーにはロッジ数軒あり、ほとんどは営業しているようだった。この先5分ほど歩いたところで小川を渡る。ここで昼食。
橋を渡ってまた上り、再び樹林帯に入る。坂のきついところは石段、他は土と同じような道が続く。景色はジャングルっぽくなり、だんだん湿った部分が多くなる。45分ほどでドバン着。ここはロッジ3軒だが営業しているのは1軒だけ。少し休んでヒマラヤホテルへの上りへ。この辺り、石段登りが足にきていてしんどい。日陰には残雪がポツポツ残っていて上るにつれて目立つようになってくる。ちょうど1時間でヒマラヤホテル着。ここはロッジ2軒だが、営業しているのはやはり1軒だけ。
↓チョムロンの村
ポタナ→ランドルン→ジヌー(所要5時間半)
今日は待ちに待った晴天!5~6時間の行程なのでゆっくり朝を過ごし9時に出発…しようとしたら近くのSee You Guest Houseの兄ちゃんが眺めがいいからちょっと休んでいけと庭のテーブルでお茶をふるまってくれた。彼は英語が達者なのでいろいろ話をする。彼曰くこの近くにはゴリラがいて往復1時間半ほどあれば見にいけるというが、ゴリラってアフリカにしかいないんじゃなかったっけ???
彼は兄弟が埼玉にいるということで日本語もけっこう話す。ギターを持ってきて「上を向いて歩こう」や「Knockin' On Heaven's Door」等を弾き語りしてくれた。この辺りに住むグルン族はなかなか気さくでノリのいい人が多いようだ。そうそう、ポタナとダンプスの間には県境があって電気はダンプスまでしかきていないらしい。
と彼の話を聞いてたらもう10時、別れを告げ出発する。また石敷きの道が始まる。いくつか分かれ道があるがずーっと右、右へと進めばいい。緩やかな上りを30分ほどでデウラリ。デウラリは「峠」の意味なので、この先も数箇所が同じ名前の場所がある。ここで標高2100mくらい。アンナサウスの吊尾根が真正面に、マチャプチャレが右にそびえている。
ここから今まで貯めてきた貯金を使うようにガツンと下りが始まる。20分ほどでベリカルカ着、この先川を渡ったところで一休み。下りはじめるともうマチャプチャレはその姿を消してしまう。この辺りに限らないが、アンナプルナ周辺のルートは標高がさほど高くないので緑が多く、小鳥のさえずりが絶えない。歩いているといろんな種類の鳥が姿を現しては去っていく。
さて、休みを終え、川から山腹を左に巻くように15分ほど歩くとトルカの村に到着。まだ1時間ちょっとしか歩いてないので、休まず先へ行くつもりだったが、宿のおばちゃんに呼び止められお茶をごちそうになって、ついでに地酒などを買っていくことになった。トルカの村はかなり広く、段々畑が広がっている。川を挟んだ対岸の山腹もずーっと段々畑。ここから先ランドルンまでは山歩きというより村の道を歩くような感じだ。前述のとおり、グルン族はとてもフレンドリーでしゃべってるときりがないくらいだ。顔つきが日本的な人も目立つ。
1時間ちょっとでランドルン着。この区間の道は山腹を少し下り気味に歩くのだが石敷きで歩きやすく行く手にはアンナサウスがドーンとそびえ、道の周りは段々畑、そしてたくさんの笑顔とソル・クーンブとはまた違った魅力にあふれている。シェルパ族は黙々と働いているイメージが強いがグルン族はもっと外向的な人たちのようだ。
ランドルンも大きな村でロッジも多い。村を突っ切って下りに入りずっと奥まで行くと左ガンドルン、右チョムロンの標識があり、右へ下っていく。
ここまでで村の幹線道路は終わり(笑)。少し心細い道になる。モディ・コーラまでずっと下っていく。30分ほど下ると一度河原に出るが、またすぐ右の山腹ルートに入る。10分ほど進むと右に小さな滝があり、ニューブリッジの1軒目のロッジに出る。この先、分岐を左に行くとその名のとおりニューブリッジがあったのだと思うが、僕はまっすぐ行ってしまい河原沿いにしばらく歩き、雨季には水没するであろう小さな木橋を渡って対岸をよじ登りニューブリッジのロッジ群に着いた。
ここからしばらく久々に汗をかくような上りになる。30分弱登ると民家が数軒あり、前方上、川を挟んだところに目指すジヌーのロッジが見えてくる。コムロンへの分岐標識を無視して直進、また登った分下って河原へ出る。橋を渡ってからは急登。20分ほど汗をかきかき登るとジヌーに到着。左へ温泉への道があり、15分ほど下ると河原にコンクリート浴槽の小さな温泉がある。残念ながらお湯はかなりぬるい。誰もいなかったので裸で入ってのんびりする。なお、温泉の近くにはロッジはないのでジヌーに泊まるなら宿に荷物を置いていった方が楽。ジヌーにはロッジ5軒くらいあり、坂道に沿って建っている。翌日のことを考えるなら上の宿の方が少し楽かも。
↓ジヌー温泉
ポカラ→ペディ→ポタナ(歩行約2時間)
あまり早く出発する必要もなかったので7時過ぎに起きて8時半頃チェックアウト。近くの店でガスカートリッジを買っておく(300Rs)。残念ながら今日は今までで一番悪い天気。いつ雨が降ってもおかしくないような雲行きだ。
市バスでバグルンバスパークへ行き、近くの食堂で朝食をとってから9時45分にバスでペディへ向かう。車内にトレッカーの姿はないが、ローカルで席はいっぱいだ。途中、ポカラを出てすぐのところでポリスチェックあり、約1時間でペディ着。
ここは何軒か食堂、商店が並んでいるだけ。橋の手前からダンプスへの道が始まる。道は石段になっていてずっと上りだが段差が低いのでさほどきつくはない。村へ続く道なので人通りも多い。たまに民家へ入る道が分かれるが、普通に歩いていれば迷うことはないと思う。30分ほどで集落に出る。Y字路を右へ行くと小学校に出る。これを右へ巻いてさらに上がっていく。この辺の店は全く英語の看板を出していないので本当にトレッカーが通る道なのだろうかと心配になる。
この集落に限らないが、アンナプルナ周辺の村は石畳の道、平石積みの石垣・家屋が多く、はるか彼方ペルーのインカトレイルを思い出させる。空中階段まであったのには驚いた。
集落からさらに30分ほど石段を登るとダンプス着。ここで標高1800mくらい。登山口が1400m弱だったのでかなり上がってきたことになる。
ここまで来ても天気は全く変わらず。青空のかけらも見えず、気温も低い。うっすらガスっているので視界も悪い。ダンプスでの眺望をあきらめ、進路を左へとりそのままポタナへ向かう。ダンプスには電気が来ており、学校やアーミーキャンプがある。道沿いにはロッジが数軒点在している。
村外れからまた石段が始まるが、傾斜はゆるいので楽勝。45分くらい歩いたところで石敷きの道はなくなり、山道らしくなってくる。ダンプスから約1時間でポタナ着。ここはロッジが数軒あるだけの集落だ。まだ1時過ぎだったが、天気も悪いし明日はジヌーの温泉泊まりにしたいので、ここで泊まることにする。歩行時間約2時間…軟弱だ(笑)。
寒いので宿の家族と一緒に火を囲んで長い午後を過ごす。英語を話すのは子供だけだが、ティータイムにはお茶をふるまってくれたり、ポップコーンを出してくれたりと親切な家族だった。夕方、急に晴れ始め今までどこにあるか見当もつかなかった山々が姿を現す。部屋から見えマチャプチャレやアンナサウスの夕焼けいい赤に染まりとても美しかった。空の色が赤から青へと変わると今度は満月が昇ってきて、月明かりでも山がはっきり見えた。
↓ダンプスの空中階段
さて、明日からトレッキングへ出ることにしたので今日はその準備だ。天気はあまりぱっとせず山は見えないが、トレッキングは長いので好天を待つ必要はないだろう。
必要なものを書き出してから市バスでバザール周辺へ行く。
まずは両替。カトマンドゥ銀行のレートがいいので、いろんな人に場所を聞いて何とか辿りついたはいいが、ポカラでの両替にはコミッションが必要というので結局両替せず、ATMからキャッシングすることにした。昼近くになって朝食にモモとヌードルを食べスーパーへ。ツーリストゾーンから離れたスーパーなのにイスラエリらしき連中が買出しに来ていた。大量の買物をするときはやっぱり値段の貼ってある店で買うのが楽でいい。10日分のビスケットやインスタントラーメン等約500円分を購入。
買物を終えてから、念のためバスターミナルまで行ってバスの時刻・料金を確認。たくさん出ているようなので何時に行ってもよさそうだ。実はこの段階に至ってまだコースを決めかねている。入口はいろいろあるので、明日の天気を見て考えよう。
最後にネット屋で出発メールを出したりして万事終了?帰りには日本食レストランでクリームシチューを食べた。クリームシチューって洋食ではあるけど、日本以外の国でもポピュラーなのだろうか?日本にある洋食屋でシチューといえば茶色いビーフシチューと相場が決まってるような気がするが…。ここのクリームシチューはイメージ通りのもので美味かった。
↓ペワ湖に流れ込む生活廃水(遠目には美しい湖なのだが…まだまだ環境保護より生活インフラの充実が優先される状況は続くだろう)
ぐっすり寝て起きてみると、体調はまずまずよくなっているようだ。ちょっとだるい気はするがそれは寝すぎのせいかもしれない。部屋でコーヒーを沸かし、昨日の日記を書く。ポカラはカトマンドゥより標高が低いのでその分暖かいはずだが、朝の部屋はかなり冷えている。
10時頃になって外へ出る。残念ながら今日も曇り、アンナプルナの山々は雲に隠れている。空は全体的には青空だが、うっすら霞がかかっているようで見通しが悪い。湖だから霧が発生しやすい環境なのかもしれない。メインストリートを北へ進みレイクサイドの町歩き。しかし、ここは完全にツーリストタウンになっている。英語の看板が立ち並び白人好みのオープンバーやフレッシュジュースの店が目立つ。中国大理の洋人街以来の久々白人ツーリストタウン。こうなってしまうとどこも同じようなもの、金ばかりかかる僕的には全く興味の湧かないところだ。5分も歩けば十分。
白人ツーリストを相手にしているだけあって「クリスマス」という習慣も巧みに商売に取り入れている。ストリートには英語でMerry Xmasの幕が張られ、店先にはXmas Dinner Special Menuが黒板に書かれている。そして夜はイルミネーションまで点灯。カトマンドゥでは全く感じられなかったクリスマスがここには存在している。
さて、レイクサイドの町に見切りをつけ、ダムサイドのさらに奥、チベット難民キャンプとその近くにあるパタレ・チャンゴという滝(?)を見に行く。空港からの道が突き当たり西へ伸びる一直線の道路に入ると英語の看板は全くなくなり、ローカルのエリアになる。食堂に入ってみたが英語が通じなかった。1~2km歩いて難民キャンプへ行くが大した規模ではない。入口近くにゴンパが1つあり、平屋の家が100軒くらいだろうか。そこに住む人もコテコテのチベタンは少なく、顔も服装も他のネパール人と大差ない。
向かいのパタレ・チャンゴは地中にある滝といった様子で、川の水が大きな穴の中に滝となって落ちていく。残念ながら冬季は水量が乏しく迫力はない。いろんなところで滝を見たが、やはり下から見上げる滝の方がずっと迫力があり、そして美しい。
と2つの見所を見たが、大して満足感もない。やはりポカラは湖リゾートであり、景色を眺めながらのんびりするか、あくまでトレッキングの拠点とするかなのだろう。僕にとっては後者になりそうだ。
帰り道ダムサイドに寄ってみるが、こちらは宿の数も少なく何となく寂れた印象。そのうちなくなってしまうのではないだろうか。近くにポカラ観光案内所があったので覗いてみる。外の掲示板にポカラにくる旅行者数を国籍/時期などで切り分けた統計が出ていた。これによると日本人はインド人に次いで2番目に多い。毎年コンスタントに全観光客の7%くらいを占めている。日本語を話す連中が多いのも納得だ。
↓レイクサイド名物フルーツジュース屋
昨日と同様7時前にバス乗場に行ってみると、バスが10台くらい並んでいる。自分の乗るやつを見つけてポカラへ行は出るか聞くと。問題ないとの答え。おぉ、何とか脱出できそうだ。バスに乗り込んで出発を待つがなかなか出ない。8時近くなって大勢のネパール人が乗りこみ満席+α状態になってから出発。ツーリストバスなんて言ってるが何のことはない、ただの直行バスだ。他の会社のバスを見ても乗客は9割方ローカル。ツーリストをマオイストからの隠れ蓑に使っているだけ。ただ、観察したところ料金はローカルも一緒の模様(250~300RS)。
出発して15分、カトマンドゥ市街を出る前にまた20分以上停車。後続のバスを待っていたようだ。再出発して、西へ向かうが、1時間もしないうちにまた停車。今度は全ての車が停められているようで、車の列ができている。15分くらい待たされて車の列が動き始めた。軍による検問のようだったが、僕の乗っているバスには何のチェックもなかった。
カトマンドゥ~ポカラ間は日本で例えれば東京~大阪間みたいなものだろうが、道路は所々アスファルトもはがれていて田舎の県道以下(笑)。川沿いの景色はとても日本的で落ち着けるが、途中いくつか(マオイストの焼き討ちにあったと思われる)炎上した車両がありギョッとさせられる。また、横転したバスが完全に道をふさいでいる箇所もあった。ちゃんと迂回路ができていたので、昨日横転したわけでもあるまいし、何でさっさとどかさないのだろう?バスで一緒になった女性の友人は去年ネパール旅行中乗っていたバスが横転して窓から投げ出され頭をパックリ切ったそうだ。彼女はそれからは常に飛行機利用らしい(そりゃそうだろう)。途上国で事故にあっても補償なんて鼻くそみたいなもんだろうし、運が悪かったではやりきれない思いは想像に難くない。切に安全運転を願う。
1時過ぎ、昼食休憩。ポカラまであと50kmもないのだからさっさと行ってほしいのだが…。どうも僕は風邪をひき始めているようで、体がだるく腹痛もある。食事はとらず、外でバスの出発を待つ。運悪く、どんどん雲が多くなってきて、レストランの外でミカンを売ってるおばちゃん曰く、明日、明後日雨になるよということだ。山に入るまで、天気と体調が回復するまでゆっくりしよう。
3時頃ポカラ到着。宿は決めてなかったが、予想通り客引きがたくさんいたので、見てから決めてという日本語を話すオヤジの車でダムサイド、続いてレイクサイドの宿2軒を見る。結局、バスタブ付ツイン部屋のレイクサイドの宿300Rsを200Rsに値切ってチェックイン。グッドバリューだ。荷解きをしてから熱を測ると、やっぱり微熱があり、下痢でもあったので近くの店で水を買って後はベッドの中で過ごす。
↓200RS(約300円)のポカラの宿(Stay Well Guest House)
6時に起床して10日間滞在した宿をチェックアウト、ツーリストバス乗場へ行く。予約してあるバスの前でしばらく待つが出発予定時刻の7時になっても乗車どころか荷物さえ積んでくれない。どーなってんだ?と聞くと
「今日はバスは出ない。ストライキだ。」
はぁ?バンダはおとといまでじゃないの?今日もバンダだなんて聞いたことないぞ。
「100%出ないのか?」
「出ない」なぜかヘラヘラした笑みを浮かべつつバスの車掌らしい男が答える。
「明日はどうなんだ?」
「まだ分からない。後で電話して確認してくれ」
「…。」
月曜に読んだ新聞では、明後日からマオイストによるカトマンドゥ周辺道路の封鎖が予定されている。明日バスが出なかったらしばらくカトマンドゥから脱出できなくなる恐れがある。今までネパールにいて特段マオイストの影響を受けたことはなかったが、今週になってシャレにならない事態となってきた。
しかし、出ないバスを待っていても仕方がないので、宿に戻ろうとすると客引きが同じ値段でいい部屋を用意するというのでそこに行ってみる。似たような部屋だったが面倒なのでここにチェックイン。まだ店も開いてない時刻だったのでしばらく寝る。
10時過ぎに起きてバスチケットを購入した旅行代理店へ行く。ここは値段も良心的で、スタッフは上手に日本語を操り、しかも店では日本の本をたくさんおいてあるスペースを開放しているので、いつも日本人旅行者がたむろっている。僕は日本人がたむろっているところは好きではないのだが(外人がたむろっているところはもっと避けるが)、値段と信用の点からこの店でチケットを買っていた。
「今朝のバスがキャンセルになりましたが、明日もこのチケットそのまま使えますか?」
「明日もバスは出ないよ。」
「えー!でも、明後日からまたバンダですよね。明後日は大丈夫なんですか?」
「それはまだ分からない。明日もう一度来てください。バスが出ないようなら払い戻しします。」
「じゃあ、人数集めてタクシーで行けば大丈夫でしょうか?」
「交通がストップしてるからダメでしょう。」
「…分かりました。」
店には、現在カトマンドゥ以外の地域で道路封鎖が予定されていること、そして25日からはカトマンドゥ地区での同様の封鎖が予定されている旨の張り紙がしてあった。
街の様子は普段と変わらないのだが…。近くのバスターミナルを覗いても特に交通がストップしている様子はない。頭の片隅にはバンダを理由にバスを間引いてるのでは?という疑念があった。というのも、バスの乗客は5~6人だったし、他のバスでは出発したものもあったように見えたからだ。
ダメモトで別の旅行代理店に行って、明日のツーリストバスがあるか聞いてみる。と、あるというではないか。他のバス会社はストのため出ないと言ってるけど本当に大丈夫かと確認すると、リスクをとってバスを出すかどうかの判断はバス会社がするので、出すところもあれば出さないところもあるという。ここの会社はミニバスだし大丈夫だとの回答。ここは100Rsほど高かったが、30Rsほど値切ってチケット購入。同時に前の分はリファンドしてもらった。原則論からすればマオイストはツーリストに危害を加えないので、バンダ中でもツーリスト専用の車両は動いている。要はバス会社のやる気しだいということか、とにかく明日バスが出てくれることを祈るしかない。
多分あの代理店でチケットを買った日本人の多くは明後日までバスを待つのだろう。日本人はいったん信用できる店を見つけるとそこに頼りきる傾向があるように思う。英語に自信がない人はさらにその傾向が強くなる。友人がバンコクでダイビングショップの案内をしているが、そこにくる若者の中にはどこへ行くにも何をするにも彼のところへ来て「~したいんですけど、どうすればいいんでしょう?」と聞いてからじゃないと行動できない連中がいた。自分で行動できないのならガイドを雇うなり、ツアーに入って行動するべきだと思うのだが…、海外にきていながらそこで(無料の)日本語環境に甘えるというのは図々しいと思うのは僕だけだろうか。
↓(本文とは関係ないが)本日、ネパールの新聞には多くの企業が(日本の)天皇誕生日を祝う広告を出していた。こんなところからも日本とネパールの関係の深さが感じられる。なお、日本大使館もネパールに対する援助プロジェクトの概要・金額を記した新聞広告を出していた。何事も控えめな日本らしくないやり方に(僕的にはいい意味で)驚いた。恩を着せるわけではないが、途上国援助は政治一部だし、どんどんアピールすべきだと思う。
昨日でバンダが終了し、街へ出るといつもの賑わいが甦っていた。明朝カトマンドゥを出ることにしたので、午前中は出発前の雑用に追われる。
まずは銀行へ行って両替。カトマンドゥで一番レートがいいのはおそらくカトマンドゥ銀行だろう。T/Cならほぼ公定レートで両替でき、手数料も不要。それから地図、食料少しを買う。続いてガイドブックのコピーなどなど。そんなこんなで午前中が終わってしまう。
昨日行った店で再び12Rsダルバートを食べる。おかわりをしてみたらさすがに無料ではなく、もう1食分とられた(笑)。さすがに、この値段では文句をいう気も起こらず、苦笑しながら24Rs払った。
ズボンが穴だらけになってきたので、いいのがないか何となく探していたのだがどれもイマイチなので、目についたジーンズテイラー(裁縫屋)に行ってみる。リーバイスのコピーで450Rsという。既製品でも言い値の最安が400Rsだったので、いい値段だろう。2日かかるというので今回は頼めなかったが、今度カトマンドゥに戻ってくるときは作ってみてもいいかな。
午後は先日行ったパシュパティナートを再び訪れる。今日はちゃんと靴を履いて入場し、丘まで上がってみる。仏塔がたくさんあり、いい雰囲気だ。ここもスワヤンブナート同様猿だらけのモンキーテンプル。先日たまたま目撃した仲間に襲われて瀕死だった猿がちょっと離れたところで死んでいた。ここの猿をよく見ていると片足だったり、びっこをひいていたりと五体不満足な奴がけっこう目につく。おそらく仲間にやられたのだろう。知能が高くなればなるほど、規律を犯した場合の制裁やイジメなどが発生するのだろう。猿の社会も厳しい。
↓パシュパティナート寺院のガート
昨日は寒さで夜中目が覚め、それから湯たんぽを作ってシュラフを引っ張り出して寝ることになった。そのせいか、目が覚めたのは10時近く。
どうせ今日もバンダで遠くには行けないし店も開いてないのでゆっくりして11時近くになって街へ出る。カトマンドゥ滞在は通算するともう10日以上になるが、トレッキング準備やビザ取得などいろいろやらなければならないことが多く、あてもなく散策する余裕はあまりなかった。今日はデジカメ片手に街をゆっくり歩いてみることにする。
まずは近くで安そうだなと目をつけていたローカル食堂に入ってみる。ダルバートは12Rs(約18円)、予想以上に安い。さすがにこの値段でおかわりするのは気がひけたので、一杯でやめておく。
↓18円のダルバート
今まで使ったことのない通りを下ってダルバール広場へ出る。ここはバンダに関係なく賑わっている。なお、今日ちらっと聞いたところでは今回のバンダはマオイストが自分達の影響力を示すためにやっているもので、バンダ中にマオイストのアナウンスを無視して営業したテンプーやバスは後で攻撃を受けたりする可能性があるのだという。そのため(僕は気づかなかったが)バンダ中に営業しているバスは特定されないようにナンバーを隠して走っているらしい。
広場をしばらく散策、寺院に登って人の流れを見ながらボヘーッと過ごす。たまに日本語を話す輩が寄ってきてうっとおしい。広場内にある旧王宮(ハヌマン・ドゥカ)を見に行こうかと思ったが、入場料250Rsも取るのにカメラ持込禁止というのでやめた。白人観光客も入口まで来て帰っていく人が多い。
↓ダルバール広場シヴァ・パールヴァティ寺院
広場を出てインドラチョーク、アサンという旧市街の商店街を歩く。このあたりは普通に店が開いていてバンダの影響は感じられない。かえって人通りが多いような気がする。街角でチャパティ&小皿入りカレーが売っていたので食べてみる(5RS=約8円)。これを3枚くらい食べれば十分一食になるだろう。
↓チャパティ屋台の親子
道沿いにある寺院に立ち寄ってみるとネパーリ少女三人組が写真を撮ってくれというので喜んでリクエストに応える。デジカメは撮った写真をその場で見せてあげられるので非常にウケがいい。
↓ネパーリ少女、何気にポーズをとっているじゃん(笑)
宿に帰ってから日本からずーっと持って歩いているテントを売りに行く。3年前にジンバブエで20ドルで買ったものだが、今回の旅では結局ベトナムで2泊しただけだった。この先インド方面に行って使うことはなさそうだし、ネパールから送り返すのも結構な費用になるので、10ドル前後で売れるなら売ってしまおう。宿の近くの店に持っていくと7ドルと言われたが、10ドル未満なら持って帰るからいいと言い張ったらほぼ10ドル分をネパールルピーでくれた。意外とあっさり商談成立してビックリ。ここの物価だと10ドルは難しいかなと思っていたのでラッキーだった。
夕食は日本食レストランで天丼を食べた。揚げがさくさくしていて日本の下手な店より美味い。
8時頃起きて洗濯し、コーヒーを飲んでからバングラデシュ大使館へ向かう。今日は月曜日なのに閉まってる店が多い。なんでだろうと思いながら、大使館方面に向かう通りに出ていつも乗合トゥクトゥクを拾う角で車を待つが、全然来ない。というか、交通量がいつもよりずっと少ない。スケボーに乗った子供が車道を進んでいくなんていつも横断するのも一苦労のこの通りでは考えられない。
もしかして今日は祝日かも、という気がしたので途中にある日本大使館まで歩いてみる。大使館はいつもとおり開いているようだ。
そのとき乗合ミニバスが来たのでバングラ大使館近くまで行って下車。いつも6Rsなのに今日は10Rsと言ってきかない。しかも、他の乗客も素直に10Rs払っている。何かおかしい…そのとき「あっ」とひらめいた。もしかしてこれがバンダ(ゼネスト)?
バングラデシュ大使館はちゃんと開館していた。申請用紙をもらい、必要事項を記入し、パスポート、先日作ってもらった日本大使館のレター、写真1枚とともに提出。本日15時半には受領可能ということだ。非常にスムーズで助かる。しかも無料!
大使館向かいの店でモモを食べてからタメル地区へ戻る。今日ビザを取れれば明日にはポカラへ移動したかったので、ツーリストバスを扱っている旅行代理店へ行く。
「明日ポカラ行バスはありますか?」
「今日、明日はないよ、バンダだから。明後日には出るよ。」
あぁ、やっぱりバンダだったのだ。
珍しいのでひっそりとした街の景色を写真におさめる。旅行者向けスーパーも閉まってるし、銀行も閉店。幸い食堂は平常通り営業しているので、餓死する心配はなさそうだ(笑)。
ここに来て初めて新聞を買ってみた。確かにカトマンドゥ地区でバンダって書いてある。しかし、ネパールの新聞は連日マオイストと軍が交戦して少なくとも○○人死亡みたいな1面が続いている。カトマンドゥにいると平穏に見えるこの国も地方では毎日のように戦闘が行われ、若い命が失われている。マシンガンを肩にかけた軍人はそこら中で見かけるが、彼らにあまり緊張感はない。でも、彼らもいつ交戦中の地域へ動員されるか分からないのだろう。理由はどうあれ、根は穏やかなネパール人同士が戦うという事態はとても悲しい。1日も早く和平が結ばれることを祈る。
なお、バングラ大使館からは無事90日有効の1ヶ月シングルビザが発給されました。
↓ツーリストエリアの店もほとんど閉店
昨夜はカトマンドゥ出張中の友人に会って、ネパールNo1のジャズバンドの演奏を聴いた。演奏は申し分なかったが、行った時間が遅かったので5曲くらいしか聴けなかったことが残念。ま、音楽以上にネパールで働いてる彼女から聞いたカーストやアジアンハイウェイ構想、ネパール汚職構造の話等が面白かったのでそれはそれでよかった。
さて、今日もカトマンドゥ近郊の見所巡り。まずは巨大なチョルテンのあるチベット仏教聖地ボダナートへ行く。映画館前から乗合タクシー(ルート2)で30分くらい。ちょうどゲートの前で降ろしてくれた。
今日もローカル風の格好、手には数珠なのでチケット売場はスルー、何気なく巨大なチョルテンの正面で手を合わせ、そのままコルラする。しかし、このジャンボチョルテンはチベットにもないサイズだ。マニ車を回しながら1周するのに5分以上かかったように思う。チョルテンを取り囲んで土産物屋やレストランが並び、その内側では巡礼者や観光客が一様に右回りに歩いている。そして、その様子をチョルテン上部に描かれたちょっとユーモラスな目が見下ろしているという構図。
チョルテンのドームまでは上がることができ、そこも歩いて1周できる。ジャンボチョルテン脇にある小さなチョルテンの近くでは五体投地する人々が数人。その中の1人は白人だった。しかし、サングラスをかけながら五体投地をしている姿にはどうも違和感を感じる。日本人的な感覚だとサングラス→遊びといったイメージがあるためか、おいおいそれでも祈ってるのかよ、どうせ「オリエンタル」ぼけした白人なんだろうなどと思ってしまう。このあたりが精神論を捨てきれない日本人と合理主義にどっぷりつかった欧米人の感覚の違いなのだろう(それとも俺が古いだけ?)。
写真を撮りながらぶらぶらと5周くらいコルラし、近くにあるゴンパをいくつか覗いてみるがどれも門が閉じられていた。たまに白人の僧やおそろいの小豆色したトレーニングウェアを着た修行中らしい白人を目にする。本気で仏教徒になってしまう白人もいるんだなぁ。キリスト教やイスラム教と違って仏教はあまり「布教」というものに力をいれてないように思っていたので少し意外だ。もっとも、リチャード・ギアもチベット仏教徒らしいし、チベット仏教も今ではかなりの信徒を海外に持っているのかもしれない。
ボダナート近くの店で久々に中華(といってもラーメン)を食べる。店の人は完全に僕のことを中国人だと思っていたようだ。
さて、ここから歩いてヒンドゥー教聖地パシュパティナートへ向かう。15分くらいで到着。近くに来ただけで、荼毘にふされた遺体からくる臭いが流れてくる。入る前にカメラ、皮革製品は禁止されているので預けるようにという看板が見えたので、それに従って持ち物を預け裸足で入る。が、後になってこれはパシュパティナート寺院境内に入る場合のことであって、対岸からガート(火葬場)を眺めるの場合はそのまま入ってよかったということに気づく。そして、パシュパティナート寺院にはヒンドゥー教徒しか入れないのだ(もっとも今日の服装なら黙って入って入れないことはなかったかもしれないが)。一人でそこら中に吐き捨てられたツバをよけながら歩いてしまった(涙)。
橋を渡って、大勢のギャラリーに混じりヒンドゥーの火葬を眺める。
お葬式の大まかな流れとしては
1.遺体が運ばれてきてしばらくガートに安置される。
2.衣服を脱がせて、白い布で覆う。
3.川沿いに移動し、遺族女性陣と最後の別れ(お金を置いて聖水?を飲ませる)
4.筵でくるみ竹を組んだ輿に乗せる。ここで、遺族みんなが花輪を捧げ、米?を撒く
5.白い布で体を巻いた遺族代表が壷を割る儀式の後、薪を積まれた火葬場に移動
6.遺族男性陣と最後の別れ(聖水?を飲ませる)
7.花輪等を取り去って遺族代表が火をつける
といったものだった。
この数時間で人間は今まで持っていた形を失い灰と化してしまうのだ。その様子を眺めながら何となく無常観というものを感じた。それにしてもなぜこういう儀式を屋外で行うのだろう。当然、最後の別れでは泣き出す人も数人いて、そんな姿は誰だって赤の他人に見せたくはないだろう。
ここでも白人ツアー客の一団(年配者)が火葬準備をする様子を一生懸命カメラやビデオにおさめていた。このブタ野郎達は遺体に対して敬意を感じない恥知らずなのかそれともネパール人(というか白人以外)の死は人間の死と思ってない人種差別者かのどちらかなのだろう。ヒンドゥー教徒も寺院への異教徒立入りを禁止するくらいなら、火葬場も立入禁止にすればいいのにと思う。
↓ボダナートのチョルテン
今日はカトマンドゥから南へ5kmほどいったところにあるパタンというマッラ王朝の都に行く。カトマンドゥからは乗合テンプーで15分ほど(6Rs)。ここも外国人のみ入域料の徴収(200RS)があるので、旅行者らしくない格好にして、ビニール袋にカメラ、ガイドブックを入れていく。
が、テンプーを降りて2,3歩のところで早くも「スイマセーン」と日本語で声をかけられた(笑)。シカトして進もうかと思ったが、声の主が近づいてきたのでやむなく振り返る。「日本人ですか?あそこでチケット買ってください。200Rsです。」
「高いなぁ」
「じゃあ、あっちから黙って入ってください。大丈夫ワタシ日本語習っている。日本人トモダチ」
「…だんにゃばーど(ありがとう)」
ということで見逃してもらった(笑)。というか、そもそも彼はチケット売場の係員でも何でもなく、日本人相手にタンカ売りの客引きをしているだけで、そうやって恩を売る作戦のようだ。なかなか賢いなぁと感心。
ぐずぐずしていて本物の係官に見つかると困るのでこそこそっと奥のほうへ入り、ダルバール広場を見て回る。建物1つ1つはあまり大きくないが、そこに掘り込まれた彫刻は非常に手がこんでいる。石と木の違いはあるがアンコールワットのレリーフを思い出した。ジャガナラヤン寺院の柱にはちょっとエッチなカーマストーラ彫刻がある(これは先ほどの客引き君に教えてもらった)。なお、彼によるとカーマストーラには84の体位があるそうだ(未確認)。
ダルバール広場には旧王宮もあるのだが土曜日は休館。また、パタン博物館は外国人250Rs(学割なし)と高いので入らず。それ以外の建物を見て回る。見応えは十分。それから裏通りを散策。古い建築物もたくさん残っていてとてもいい雰囲気。町のそこら中に寺や祠があって日本でいうと京都や鎌倉みたいなイメージだろうか。また、この街には水汲み場(?)が多く、そこでは昔も今も同じように洗濯や沐浴、水汲みといった庶民の生活が垣間見える。
午前中、1軒の安そうなローカル食堂で食事。何とダルバート10Rs(16円)の安さ。探せば安いとこがあるもんだなぁ。スプーンを出してくれなかったので、周りの人にならって初めてダルバートを手で食べる。特に難しいことはなかった。
食後、ゴールデンテンプルやマハボーダの仏塔など街の見所を一通り回ってチベット難民キャンプというのを目指すが発見できず。ゴールデンテンプルはその名の通り(というか本名は別にあり、ゴールデンテンプルは通称)金色(実際は磨かれた銅だと思うが)の寺で他の木造・石造寺院とは違った雰囲気を持っている。ここは入場料(25Rs)が必要だが一見の価値ありだろう。
しかし、仏教寺院とヒンドゥー寺院の区別はよく分からん。マニ車があるからチベット仏教寺院かと思ったら中にはガルーダがいたりするし…。どうなってんだろ。
↓ガルーダ像(僕にはカラス天狗に見えてしまうのだが…「うる星やつら」のクラマ姫を思い出してしまった(笑)
今日はインドビザ申請の日だ。前回かなりギリギリだったためさらに30分早く8時頃から大使館に並ぶ。しかし、前に並んでいる人の数は前回と同じくらいだ。火曜日と同じようにスローな処理が続き、自分の番が回ってきたのは12時15分前。前回以上に余裕がなかったが、何とか申請書類を出すことができ一安心。ちょっと書き損じて汚くなったところがあったので心配したが問題なく受理してもらえた。
マルチ(エントリー)ビザを申請しても窓口で何も言わないとダブルしかくれないと友人から聞いたので、窓口でマルチを欲しいと言ったにもかかわらずその場でダメだと言われてしまった。インド人対応悪いぞ、パキスタンを見習え!
なお、日本人はビザ代650Rs。たいていの国は3050Rsなのでありがたいが、値引きができるならいっそビザ免除にしてほしいものだ。ビザの受領は本日16時半なのでパスポートを預けてインド大使館を後にする。
今日は前の教訓を生かし、十分な厚着、暇つぶしの文庫本、ドーナツを途中で買っていく等ちゃんと対策をとっていたのでさほどつらくはなかった。3時間半以上並んでいたので持っていった文庫本を2/3まで読み終えてしまった。ゆっくり昼食をとって宿に帰る。
途中でおとといオーダーしたフェルト地(?)のデジカメケースを引き取りに行く。なかなかいい出来で満足(下の写真)。これ日本でも売れないかなぁ、800~1000円くらいで。
読みかけの本が気になるので、これを読み終える。それから(お湯が出たので)シャワーを浴び洗濯。1時間ほど横になったらもう4時前、再びインド大使館へビザを取りに行く。
4時半、4日がかりでようやくインドビザ取得。もっとも窓口に間に合わず今日が5回目だという人にも会ったので、スムーズにいった方なのだろう。なお、もらったビザはやっぱりダブルになっていた(涙)。しかも、申請日12月14日なのに11月14日になってるし…。
↓今週の成果
インドビザ(6ヶ月ダブル)
パキスタンビザ(3ヶ月シングル)
ソフトデジカメケース(オーダーメイド)
今朝も朝にお湯が出たのでシャワーを浴び、洗濯。部屋でコーヒーを飲んでからパキスタン大使館へビザをもらいに行く。11時と言われたので5分前に行ったがまだビザオフィスは開いていなかった。他の人はもっと早くから来て待っていたらしい。15分くらいして係官が来てビザをもらう。OK、まずパキスタン終了。次はバングラデシュだ。
この2つの大使館は100mくらいしか離れていないので、今日バングラビザを申請して即日受取が可能だと、明日のインドビザとあわせ4日間で3つのビザがとれる算段だ。
…しかし、バングラデシュ大使館が閉まっていた。バングラデシュの祝日なのだろうか、明日は開くと言われたが、明日はインドビザ申請のためパスポートがないのでダメだ。あ~あ3国ビザ取得計画は来週へ持ち越し。週末はカトマンドゥ近くを観光することにしよう。
そのままカトマンドゥに戻ってもよかったが、せっかくなのでこの先5kmくらい行ったところにあるブダニールカンタという町に行くことにする。ここのヒンドゥー寺院には池に横たわるヴィシュヌ神の像があるので、それを見にいくのだ。
ミニバスで15分くらい、終点で下車。寺院は坂道をちょっと登ったところにあった。ヴィシュヌ神はまるで浮かんでいるように見える。数人のおばさん達が像にお供えをしたりお祈りをしたりしている。柵で囲まれた池のエリアには撮影禁止、ヒンドゥー教徒以外立入禁止などと警告があったが、何も言われず普通に入れた。革製品は持込禁止なので靴を脱いでいく。靴監視のおばさんに2Rs払うことになっているようだ(笑)。そのおばさんに外からなら写真を撮っていいと確認してから数枚撮影。ヒンドゥー教のお参りのしかたがよく分からないので、とりあえず手をあわせておいた。
ここで昼食をとって宿に戻る。宿周辺で食べると(安いところが少ないので)いつも同じところでの食事になってしまうので、最近はなるべく出かけた先でローカル食堂を見つけるようにしている。英語メニューがないことが多いのでちょっと大変。
宿に帰ってすぐスワヤンブナート寺院(通称モンキーテンプル)へ行こうと思っていたがつい昨日から読みかけの推理小説に手が伸びてしまった。そのため出発は夕方4時過ぎ。外国人のみ入場料50Rsということだったので、なるべくローカルに見えるようディパックなどは置いていき、かわりに数珠を持っていく。30分ほどで到着。狙い通り入場料は請求されずに済んだ。ちょうど西の山に日が沈むくらい。夕暮れのカトマンドゥの町が一望できる。雲が多いのがちょっと残念。巨大な「目」のあるチョルテンをマニ車を回しつつコルラしてお参り。しばらくいたら暗くなってきたので宿に帰る。落ち着いて見ることができなかったのでもう一度来ることにしよう。
↓ブダニールカンタのヴィシュヌ神
昨日からまともにホットシャワーが出ないので、宿を移るつもりで8時ころから近くのホテルをあたって値段&お湯チェックをするが、なかなか今泊まってる宿と同等の値段のところは見つからない。決めかねて帰ってくると、ぬるいながらもお湯が出たのでとりあえず移動は先延ばしとする。
お湯が出たのでシャワーを浴び、そのまま洗濯。昨日、日本大使館でレターが10時にできると言われていたのにもう10時だ。急いで宿を出て乗合テンプーに乗って日本大使館へ。予定通りレターを受け取り、またテンプーに乗ってパキスタン大使館へ向かう。テンプードライバーのおばさんは道を知らないのか英語が分からないのか何度か確認したにも関わらず大使館への道を通り過ぎ、訳の分からないところで降ろされた。近くの幼稚園で道を聞いてパキスタン大使館への道を戻る。12時ちょっと前に到着。入口で訪問票みたいなものを記入し、ビザ申請に必要な書類を渡されビザセクションへ進む。書類提出だけでは終わらず簡単な面接があるらしくここで1時間以上待たされる。もっと早く来ていた日本人は3時間近く待たされたようだ。1時過ぎに順次申請者が別室に呼ばれ面接。
何を聞かれるのかとちょっと緊張したが、予定滞在期間や訪問予定都市など一般的なことだけだった。その内容によって何ヶ月のビザになるか判断されるようだ。僕はその場で最長の3ヶ月をくれると言われた。質問に答えるとあとは面接官がいろいろパキスタンの情報を教えてくれ、さらにラホールやフンザ方面のパンフをくれるなど、非常に親切な対応だった。昨日のインド大使館とは大違い。僕のムスリム贔屓がさらに強くなる(笑)。
それにしてもパキスタンはインドと比べるとビザ申請者が少ない(無料なのに…)。旅行者は日本人ばかり。白人は危険と言われているところに近づかないのか、イスラム圏を敬遠しているのか、あるいは日本人好みの「アジア横断」というのには興味をいだかないのか、一人もいなかった。ビザ交付は翌日11時ということなのでパスポートを預けて大使館を出る。
近くのローカル食堂でモモを食べ、またテンプーに乗ってタメル地区へ帰ってくる。
一度宿に戻ってから、デジカメケース用にベトナムで買った入れ物が壊れたので代わりを探す。なかなかバッチリなものが見つからず、ちょっと奮発してオーダーメイドで作ってもらうことにした(とはいっても300円ちょっとだが…)。
明日もパキスタンビザをもらってからバングラデシュビザ申請と忙しい…。
↓カトマンドゥの町と猿(モンキーテンプルより)
カトマンドゥ滞在中にこの先行く国のビザをとっておかなければならない。まずは絶対必要で時間もかかるインドビザをとりにインド大使館へ行く。9時半開館だが、早めに行った方がいいと聞いていたので8時半に着くように宿を出る。昨日空港から歩いてきた道の近くだったので迷うことなく到着。すでに15人くらいが列を作っていた。外で動かずに待っているとかなり寒い。もうちょっと着込んでくるべきだった。
9時20分頃ようやく開門、名前、国籍等を記入しボディーチェックを経て今度はテレックスカウンターへ並ぶ。
インドビザをここで取る場合、まずテレックス用紙に必要事項を記入して300Rsとともに提出する。その際申請書類を渡されるので、それから3日後書類を記入してパスポート、ビザ代(日本人は650Rs)とともに提出、その日の午後にビザ発給という面倒な手続が必要だ。実際テレックスで拒否される人なんかいないみたいだし、その前提で申請書類も配布されている。無駄なステップと金だと思っている人がほとんどだろう。しかも大使館員の仕事はおしゃべり優先でとてもスロー(これは途上国の大使館たいていにいえるが…)。彼らにしてみれば自分の一存で(お前が必要としている)ビザをどうにでもできるんだぞ、という強い立場にいるので自然とそういう振る舞いになるのだろう。実際、彼らの機嫌を損ねるとビザがとれなくなる場合もある。内心イライラしてても笑顔を絶やさず接するしかない。途上国ではデュープロセス(公正な手続)を期待できないのだ。
というわけで、我々旅行者(トータル30~40人くらいいただろうか)はなかなか進まない列に内心腹をたてながらも辛抱強く自分の列を待つしかない。
僕の順番が回ってきたのは並んで3時間以上経過した11時40分。窓口は12時までなのでかなり危なかった。前にいたイタリア人の話だと列がどれだけ続いてようが12時になると窓口を閉めてしまうらしい。実際、彼は昨日も来ていて自分の順番前に閉められてしまったと言っていた。ひどい話だ。これが、日本だったら1万人くらい投書や非難のメールが外務省に届いてるだろう(笑)。
何とかテレックスの書類を提出して大使館を出る。時間的に考えると、今日並んでいた人の半分以上は無駄足になっただろう。とはいえ、自分もまだビザが取得できたわけではない。金曜日に再びこの列に並んで申請書類を出さなければならないのだ。気が重い。
その間にパキスタン、バングラデシュのビザを取ることにした。バングラデシュに行くかどうかも決めてないが、無料だし取っておいたほうがいいという判断だ。バングラデシュビザの申請には日本大使館のレターが必要なので、インド大使館を出てその足で日本大使館へ向かう。ここでは誰もビザ等の申請には訪れておらず、すぐ申請用紙をくれ、翌日10時に取りにこいということだった。これでもう12時過ぎ、近くの店で昼食。朝から何も食べてなかったので空腹の限界だ。ダルバートを腹いっぱいになるまでおかわりしてしまった。今週は3つの国のビザを手配することで終わってしまいそうだ。
昨日、フライトの予約をしたとき空港に6時半に来いと言われたので、早すぎるなぁと思いながらも6時20分に宿を出て空港へ。まだ薄暗い。案の定、空港は開いているもののチェックインカウンターには誰もおらず、いるのは軍人ばかり。7時過ぎにカウンターが開いたので、ここで空港税を払いチェックイン。それから(X線探知機がないため)自分で係官のところへ荷物を持っていってセキュリティチェックを受ける。続いて自分と手荷物のチェックを受け待合室へ。7時半過ぎカトマンドゥからの便が到着し、その10分後には人間と荷物を入れ替え離陸。空から見るネパールの国土はホントに山ばかりで、大きさの異なるチャーシューを並べたように段々畑が続く。
30分ちょっとでカトマンドゥ到着。帰りはバスを使うことにして空港の入口から一般道に出てバスを待つ。すぐ「タメル、タメル」と連呼しているバスが来たので乗り込むが、実はタメルと言っていたのではなかったらしくタメル地区からずーっと離れたところで降ろされた。現在地を聞くがはっきりしない。カトマンドゥ市内でもツーリストエリアを離れるとあまり英語が通じないようだ。
幸いタメルまではほぼ一本道だったが下車後1時間近く歩くはめになった。たまたまアメリカ大使館や日本大使館の前を通る道で、距離感を養うにはよかったけど…。
荷物を預けてあった宿にチェックインし、荷物を解いてから朝食。続いて汚れ物をランドリーに出したり本屋を覗いたりしてから部屋でメールを作ってネットカフェへ出かける。安い店に入ったら接続が遅すぎてろくに何もできないまま1時間が経過。また別の店に行くことになった。ネットを終え洗濯物を取ってから1週間ぶりに日本食(というか「肉」)を食べる。やっぱり美味~い。
食後ビールを買って帰ったのにホットシャワーが出なかった(涙)。明日も水しか出なかったら宿を移ろう。
プンギテンガ→ナムチェバザール→ルクラ(所要約7時間半)
いよいよ最終日。昨日16km歩いているので太ももに筋肉痛がありちょっと不安。昨夜の宿は部屋とダイニングが同棟のため部屋でコンロを使いづらく朝食抜きで7時半に出発。
すぐに急登だが朝イチなのでさほどきつくもない。いくつか集落を経てキャンヅマの見晴らしのいいところでインスタントラーメンをそのまま食べる(ネパールのラーメンは日本でいうチキンラーメンタイプが多いみたい)。
今日は山に入ってから初めて雲の多い日だ。これから山に入る人は残念でした~。キャンヅマからナムチェまではほぼ水平道、途中チョルテンがいくつかあった。1時間半ほどしてナムチェの村が見えてくる。村に入ってビスケットを食べ10時に出発。
ナムチェから橋までは下りでも楽ではない。さすがに疲れが足にきてるのを感じる。ジョルサレまで1時間40分かかって降りる。ジョルサレゲートでも帰りはチェックなし。
あとは持久力と忍耐力の勝負。ひたすらルクラへの道を前進する。けっこう登りの箇所も多かったが思ったより早く3時過ぎにルクラ到着。さすがに疲労困憊。足もつらいが最後のほうは肩がきつかった。YetiAirのオフィスが開いていたので、翌朝のフライトを予約。幸い空席があったようだ。
これで一安心。タシデレロッジという宿にチェックインし、久々に体を洗いスッキリ。それから行きに寄ったチベタン食堂に行って帰還の挨拶をし、ビール&トゥクパをいただく。さらに近くの売店でウィスキーも購入。180mlで100Rsだったのでビールよりずっとお得(笑)。5時過ぎに宿の食堂でダルバートを食べる。100Rsと山中のロッジに比べるとだいぶ安くなった。おばさんが火鉢をだしてくれたのもありがたい。ここで地酒「チャン」を飲む。どぶろくみたいな感じだっでちょっと酸っぱい。
↓パンボチェのマニ石
ゴラクシェプ→ペリチェ→プンギテンガ(所要8時間半)
さて、後は下るだけ。といっても先は長い。ゴラクシェプはやっぱり寒い。朝晩に外で水の入ったペットボトルを振ってると氷が張ってくる。
昨夜はなかなか寝付けなかった。この数日疲れているのに寝付きが悪いのはやはり高度のせいか。脈は正常だと思うけど。普段はあきれられるほど寝つきのよい僕なのだが…(^^;A
さて今日も長丁場になりそうなので8時前に出発。昨日と同じ道をゆっくり戻る。少し疲れが足にたまっているようで太ももの裏側が張っているような感じだ。登りの足取りが重い。何度か振り返ってプモリの写真を撮る。登りとほぼ同じ時間かけてロブチェに到着。この少し下流で顔を洗い、薄いズボンに穿きかえる。しばらく進むと河原が広くなっているところに出てゾンラ方面と分岐する。トゥクラへは川を渡って左岸を行く。少し進むとエベレストで遭難したシェルパ達のチョルテンが並んでいる丘に出る。エベレストに散った日本人や白人登山家は自分が企画して失敗したわけだから仕方ないと思うが、「労働力」として参加し、命を落としたシェルパ達は本当に気の毒だと思う。しばし黙祷。
ここからトゥクラへは一気の下り、意外と早く着いたのでトゥクラはスルーして橋を渡り、少し下って広い川沿いの道に出る。このあたりから潅木も増えてきた。しかし、平坦道になってから先に見えるペリチェまでがなかなか着かない。
11時半過ぎペリチェ着。かなり大きな村でロッジばかりだが泊まってる人はいなさそう。ここの村はずれで昼食。
12時に出発。橋を渡ってから少し上り。ずーっと下りが続くとちょっとの上りでもこたえる。この先アマ・ダブラムの見晴らしがいい丘にまた遭難碑が立っていた。ここでまた写真を数枚撮る。暖かくなってきたのでデジカメのバッテリーも復活した。
ここからパンボチェまでは谷沿いの山腹ルートが続く。途中ショマレという村があり、意外と大きくて驚いた。このあたりで標高4000mを切って森林限界のようだ。徐々に木が増えてくるが、それでも燃料には足りないらしく薪を運ぶシェルパ族と次々すれ違う。こんなに木を切り倒して大丈夫なのだろうか…ヒマラヤの将来が不安になる。外国人トレッカーの存在が自然破壊に直結しているならそれをカバーするだけの金を徴収すればいいと思う。正直いってソルクーンブのパーミットが1000Rsというのは貧乏旅行者の僕ですら安いと思う。
さて、登山道に戻り、しばらく下るとパンボチェの村。下村と上村があって地図上では上村ルートに入ってしまうとそのままポルツェまで行ってしまうので、下村ルートへの入り方を探すが結局分からず。村人に聞いたところ、上村ルートをそのまま行けば、下に降りて橋に出るということだった。パンボチェから橋まではチョルテンやマニ石が多い。すれ違う薪広いのシェルパ族はますます増えるばかりだ。
橋を渡って森林地帯に入る。少し登ってミリンダの村。さらに、ここからは少し下ってデボチェに到着。ここからタンボチェまでは標高差100m以上の登り。今日はすでに15km以上歩いているので足取りは重い。
3時頃タンボチェのゴンパ(チベット寺院)着。マニ車を回してからお参りに行く。典型的なチベット寺院の造りだ。読経中に入ったのだが、その最中にフラッシュをたいて写真を撮るブタ白人がいた。坊さんが何も言わなかったので僕も黙っていたが、このブタ野郎はキリスト教教会でもミサの最中フラッシュをたくのだろうか?
タンボチェの白いチョルテン脇から一気の下り。400mくらい下るとプンギテンガの村に到着。店・ロッジが数軒あったが開いているのは1軒だけ。そこで部屋はあるかと聞くと、橋を渡った先にある村のほうがいいだろうと言われる。実際そのとおりだった。もう4時過ぎなのでここで宿泊。
↓ロブチェからプモリを望む
ロブチェ→ゴラクシェプ(所要1時間半)→エベレストBC(往復2時間45分)
→カラパタール(往復1時間45分)
7時に起床、ラーメン&コーヒーをとって8時に出発。ゴラクシェプへ向け谷沿いのゆるやかな登りを北へ北へと進む。徐々に行く手にそびえるプモリの姿が大きくなってくる。冷たい風が上から吹きつけてきてかなり寒い。歩いていて寒いと感じたのは今回初めてだ。野球帽から耳をおおえる毛糸帽子にチェンジして再出発。行程の残り1/3くらいから登っては下りを何度か繰り返し、氷河側(向かって右)へ巻くように歩く。1時間半ほどで白砂のくぼ地に数軒ロッジが建つゴラクシェプに到着。
思ったより早く着いたので荷を解いてからエベレストBCへ行くことにした。氷河の上を歩くので防寒具を着込みスパッツをしていったが、実際雪や氷の上を歩く箇所はなく、結果的には不要だった。
エベレストBCへは正面に見えるカラパタールへの道ではなく、右手にある凍った池の脇を通ってしばらく行くと標識があり、氷河沿いに北上することになる。道はしばらくアップダウンを繰り返し、氷河の左岸、小高いところについたルートに出る。あとはこのルートをほぼ真っ直ぐに2kmくらい歩く。氷河沿いの道に出れば緩やかな登りではあるがきつくはない。おかしいなと思ったら積み石を探せば大丈夫。ルート脇に巨岩&その上に積み石
があったらその先100mくらい行ったところより氷河へ下っていく。50mくらい下って氷河上に出る(といっても岩場を歩くことに変わりはない)。この先道はぐねぐねとなるので積み石に注意しつつ、先に見える氷ゾーンの方へ進む。10~15分でタルチョのかかった巨岩のあるところに出る。この先で積み石がなくなるので(標識はないが)ここがエベレストBCなのだろう。小屋から約3km、所要1時間半。冬なのでキャンプをしているパーティーは皆無。なお、BCからエベレストは見えない。そのかわりヌプツェの氷河をすぐ近くから眺められる。
今日はダブルヘッダーだ(笑)。3時まで休息し、15分に夕日のエベレストを見るべくカラパタールへ向け出発。標高差400mなので100mを15分のペースでゆっくり上がる。途中からヌプツェの影になっていたエベレストが顔を出す。ゴーキョピークといいカラパタールといい、まさに(通常の登山道からは見えない)エベレストを見るための天然の展望台だ。
カラパタールへの登りは下から見ていたとおり向かって右へ巻き気味になっている。東側の斜面に入ってから岩石ゾーンになりちょっときつい。ここから山頂のタルチョが見えるが結構遠い。積み石を目印に一歩一歩上がっていく。1時間10分ほどで到着。山頂は(GPSの高度計によると)5600mを超えていた。肩に荷物を置いて一番高いところまで上がり少し景色を楽しんでからまた肩のところまで戻る。このあたりの方が足場が安定していて安心だ。あとは日が沈んでエベレストが赤く染まるのを待つだけ。エベレストも美しいが、ヌプツェは雪の陰影がくっきりと浮き出るように見え、それ以上に印象的だった。5時頃赤に染まった東の峰をカメラにおさめ5時15分に急いで下山。25分で下まで着いてしまった。
↓エベレスト(左)とヌプツェ
ゴーキョ→チョラパス→ロブチェ(所要9時間)
今日は長丁場なので6時に起床。部屋でラーメンを食べ7時15分に出発。おばさんがミルクティーをサービスしてくれた。今日も快晴、昨日登ってきた道を戻りチョラパスへの分岐へ行く。ここまで約30分。
ここから氷河を渡って対岸(?)のドラブナクへ行くのだが、この氷河意外と幅があり、ルートを見失った箇所もあったため渡るのに40分以上かかってしまった。氷結した湖の上を渡るのはちょっと緊張。
ドラブナクからチョラパスへの道は沢沿いについている。沢の左岸を登ること40分で沢が2本に分かれる箇所に出る。左の細いほうの沢に道がついており、さらに10~15分くらい登ると傾斜もゆるくなり見晴らしのいい広いU字谷になる。この先進路は右手、尾根に向かって上がることになる。下から見ているより実際は距離がある。尾根に上がると大きな岩とタルチョがあり目指すチョラパスはじめ行く手を阻む高峰群がドドーンと現れる。たぶん、これを見たの多くはどこをどう行ったらこの山々を越えて反対側へ行けるのだろうかと思うに違いない。それほどまでに大きな壁なのだ。
とにかく目前の道を辿っていくしかない。ルートを外さないよう慎重に岩石ゾーンを進み、チョラパスの直下には11時過ぎ到着。ここまで来てもどう登っていけば峠を越せるのかよく分からない(笑)。ガレ場を一歩一歩慎重に登っていく。幸い後ろからきているパーティーはないので少し気楽だ。両手両足を使いながら急なガレ場をよじ登りながらきつかった去年のアコンカグア山頂への登りを思い出した。途中ルートを見失うが積み石を見つけ復帰。登りの途中で反対側から降りてくるパーティーとすれ違う。
15分ほど上がると峠のタルチョが見え出すが5400mの標高ではなかなか足が進まない。何とか12時ちょうどに峠に到着。反対側の斜面は雪一色でびっくりした。尾根の北と南でこんなに違うものなのか…。この先踏み跡がはっきりせず、しばらく尾根上で立ち往生する。上へ向かう足跡らしきものがあったので少し上がってみるが違うようだ。結局、雪渓のど真ん中を行くのが正解らしい。何とかさっきすれ違った人たちのものと思われる新しい足跡を見つけそれを頼りに下る。ゴーキョのおばさんがこの数日暖かい日が続いているといってたことと、もう午後でだいぶ雪が緩んでいることが気になる。雪渓の薄いところで雪が緩み、そこを踏み抜いたら…と思うとぞっとする。踏み跡を見失わないように慎重に下る。30分ほどで雪渓の端、積み石がたくさんあるところへ着いた。ここでようやく一息ついて昼食。行く手にはこれから進むべき道がずーっと伸びている。その向こうにはアマ・ダブラムの雄姿。
ここからしばらく岩石ゾーンの急な下り。15分ほど気を抜けない下りが続いた後、傾斜がゆるくなりゾンラの村への下り道となる。石がごつごつしていてあまり歩きやすい道ではない。ゾンラには2時到着。これから凍った湖の西岸を高巻きしてロブチェへ向かう。
標高的には大して登る必要はないのだが、さすがに疲れているので足どりは重い。ロブチェまでの道は予想以上に遠かった。湖は見た目より奥に長く、でっぱり尾根をいくつか越えなければならない。1時間歩いてようやくトゥクラの上部に到着。ここからさらに山腹を30分ほど歩くと河原に出てトゥクラからの道と合流。さらに1.3kmほどゆるい登りを上がるとようやくロブチェ。出発後ちょうど9時間。小屋が見えたときはさすがにほっとした。
↓チョラパスの北斜面
マッチェルモ→ゴーキョ(所要2時間半)→ゴーキョ・ピーク(往復約2時間)
7時過ぎに起床。昨夜はなかなか寝付けなかった。標高4500mくらいなので高度のせいかもしれない、少し不安だ。相変わらずコンロの気化が悪く何度も点けなおしてるうちにカンボジアで買ったライターが壊れた(涙)。ま、火花は飛ぶのでコンロへの点火は大丈夫そうだ。
ラーメンに加えオムレツを食べてから8時半に出発。昨日通った道をまた歩いて30分ちょっとでパンガへ。今日も快晴だ。
ここからGPSをONにして川沿いに続くルートを登る。急登というほどではなく、歩きやすい道ではあるが高度はかなりあるので足の行きたがるペースで歩くと息が切れてしまう。
ゆくりと先に見える川の流れ口を目指して上がっていく。石段を登り切って橋を渡るとゴーキョまでの登りはほぼ終了。
賽の河原みたいに積み石が見え、その先には1つ目の小さな湖がある。こんなとこにも鴨がいるというのはオドロキだ。この湖の右を通り過ぎ20分ほど歩くと2つ目の湖に出る。この手前にチョラパス方面への分岐があるので、偵察に行ってみる。その間にも5~6人が峠へ向かっていった。現在のところ峠越えに際して問題はないようだ。
偵察を終え、元のルートに戻る。2つ目の湖は大きく、ほとんど凍っていた。西の湖岸はチャドテンから切れ落ちている崖で歩けないので右岸を通っていく。前方左にはゴーキョピークのルートがくっきり見えている。ゴーキョのロッジはその真下にあるのだろう。
2つ目の湖を越えまた川の右岸をしばらく進むと3つ目の湖ドゥード・ポカリに出て東岸奥にロッジの屋根が見える。タルチョのゲートをくぐって11:25ロッジ着。この時期でも営業している宿のほうが多いようだが宿泊客は少ないみたい。付近はかなり風が強い。
しばらく部屋で休んで2時過ぎに外へ出て様子を見る。相変わらず風は強いが雲は出ていないようなのでゴーキョピークへ上がってみることにする。遠目にはほぼ一直線に道がついているように見えたが実際歩いてみると細かいつづら折れの連続。かなりの急登だ。特に上り始めの傾斜はきつい。
しかし、空身なので楽勝(笑)。ゆっくり息が切れない程度に上がっていくだけでどんどん高度を稼げる。一息ついて振り返ると湖がだいぶ下になていた。45分で標高5000mを超える。ルート周辺には積み石がたくさんあり道に迷う心配はないが、ある意味ちょっと不気味な光景だ。
休憩もなし85分でピーク着。山頂にはやはりタルチョが張り巡らされている。風が強くじっとしてると体温を奪われるのでヤッケを着る。落ち着いてから眺めを楽しむ。雲もなく360度ヒマラヤの山々の連続。まさに「世界の屋根」だ。見ていると今までの疲れもふっとぶ。改めて地図を見て山の位置を確認。初めて見るエベレストは思ったより近くにあった。手前(西側)斜面には積雪はなく、イマイチ絵にならない(笑)。1時間ほど山を眺めて過ごしてるうちに西の峰に日が沈んでいった。まだ、エベレストを含む東の峰は明るかったが時間が経つにつれ赤味を増していく。本当に刻一刻と色が変わっていく幻想的な風景だ。東の空は徐々に赤から深い青に色を変えていく。その移り変わりも素晴らしい。
写真をたくさん撮りたかったが寒すぎてカメラのバッテリーが消耗状態になってしまう。高所対策を考えなければ。
5時過ぎに下山開始。下りながらも何度も立ち止まってエベレスト、チョオユー方面を眺めてしまう。色彩の変化から目が離せないのだ。空が闇の一歩手前、深い群青色に変わり道も見づらくなってから急いで下る。帰りは40分で下りてきた。
↓ゴーキョピークから夕日に染まるエベレストを眺める
ポルツェ・タンガ→ドーレ→マッチェルモ(所要4時間)
7時過ぎに起床、朝食に一人利用のドミ部屋でラーメンを作る。8時半過ぎに出発。すぐ樹林帯の登りに入る。15分ほど上がるとチェックポイントの小屋に出るがここはクローズしているようだった。小屋を過ぎると傾斜はさらにきつくなり、急登をえっちらと登っていく。宿から50分くらいのところで左に二段の滝があり、ここで一本。出発したときは曇っていたがいつの間にか晴れていた。
滝の先を巻いて少し上がるとトンバの小屋、ここを過ぎて山腹の道を少し歩くとドーレに出る。ドーレの手前で森林限界を超えるので、このあたりの山腹ルートは高原的な雄大さの中とても気分よく歩ける。対岸にはポルツェとナ・ラを結ぶ道が山腹を一直線に横切っている。あさってにはあの道を歩くことになるのだろう。…長いなぁ。
ドーレまでコースタイム半分の1時間半できてしまった。もう標高は4000mなので、垂直的には今日の半分を超えている。
ドーレロッジ裏の急登を上がり再び山腹の道へ出る。このあたりまたしばらくきつい登りになる。上に見える巨岩&タルチョ(旗)のあるところがラバルマのロッジ。ここを過ぎもうちょっと進むとドゥード・コシからチョオ・ユーを眺めながらの快適水平道になる。これをサクサク歩いていくとルザの村に出る(ロッジあり)。村で少し下ってから再び登り水平道から尾根を一本巻くとゲートのようにタルチョが張られている丘に出る。このすぐ下にマッチェルモの村が広がっている。マッチェルモの谷から西を見ると左にキャジョ・リー、右にマッチェルモピークがそびえている。
ここで15分くらい休んで、またロッジ裏の急登を上がる。先にはパンガのロッジの屋根が見えている。ほぼフラットな道を20分ほど歩いてパンガ到着。ここで宿泊
…と思ったら、2軒あるロッジは両方とも閉まっていた。進むか退くか考えたがゴーキョまではまだかなり距離があるのでマッチェルモに戻ることにした(涙)。マッチェルモも一部のロッジは閉まっていて、安い部屋を探すのに一番手前の宿まで戻ることになった。森林限界を超えると燃料(薪)の調達が大変なのでトレッカーが少ないところは閉めてしまうのだろう。
↓マッチェルモ手前の丘よりチョオユーを望む
ナムチェバザール→シャンボチェ→モン・ラ峠→ポルツェ・テンガ(所要4時間半)
7時過ぎに起床。かなり寒く部屋でコンロをつけるがなかなか気化しない。朝食、パッキングを済ませ8:50に宿を出る。
ゴンパ裏の分岐を左へ進み(標識あり)つづら折れの急登を上がりシャンボチェを目指す。朝なので比較的調子がいい。40分ほどで下から見えていた建物(ロッジ)に到着し、その先少し行くとシャンボチェの飛行場だった。その先にはチョルテンがあり、右の丘からはタムセルクが間近に見える。
白いチョルテンから100mくらい先にまたチョルテンがあり、そこからクムジュンの村が見える。クムジュンまでは少し下ってマニ石の並ぶ道を通っていく。両脇には学校があるが、子供達はトレッカーなど見飽きてるようで全く注目を集めることはなかった(笑)。
クムジュンまで1時間半で到着。昼食には早いのでこの村は通過することにした。マニ石の道を抜け突き当たりの広場を右に進みモン・ラ峠を目指す。
村はずれにある四角いチョルテンを過ぎ青い屋根の家のところで左折、ここから山腹を巻いてモン・ラへの道に入る。しばらく下ってサナサからの道と合流し峠へと200~300m上がるのが一般ルートだ。けっこうしんどい。これとは別にマイナールートながらクムジュンの外れからモンラ近くまで伸びるフラットな巻き道があるはずだが見つけられなかった。
12時モン・ラ着。峠にはチョルテンがあり、周囲の景色は素晴らしい。目前にタウツェ、右奥にはアマ・ダブラムなどなど高峰がそびえている。なお、峠にもロッジ、レストラン数軒あり。
モン・ラでビスケットの昼食をとって川へと一気に下る。樹林帯の中、標高差500mを30分ほどで抜けるとポルツェ・タンガに到着。ロッジは2~3軒。まだ1時だったが、この先まで行くとドーレまでまた500mの登りになるので今日はもう行動終了としよう。
暖かいうちに水場で体を拭いて、Tシャツ、靴下等を洗濯、午後は本を読んで過ごす。
↓シャンボチェからの眺め