アーグラーを出て次の目的地カジュラホーへ向かう。
7時前にチェックアウト。フロントのおっちゃんは親切で駅までのリキシャを交渉し呼んできてくれた。おかげで25Rsで駅まで行くことができた。当日の二等切符を買ってホームで待つ。定刻は8:50発だが、始発駅はずっと先なので実際いつ到着するやらと思ってたら、アナウンスももなくON TIMEで列車が入線してきた。奇跡だ!二等車は1両しかついてないので走って乗車。思ったほど混んでおらず荷物棚に座ることができた。あとはジャンスィの駅まで4時間本を読んだりして過ごす。
初めて宮部みゆきの本を読んだが(「龍は眠る」)評判通り面白かった。しかし、読む本それぞれ違った面白さがあるもんだ。僕は滅多に本を読んでつまらないと思うことがない。我ながら単純な読者だと思う。これじゃ作家はもちろん、評論家にもなれないだろう(笑)。
4時間後定刻でジャンスィに到着。おかげで今日最終(13:15発)のカジュラホー行に間に合った。バスは満員以上。3人掛けしていた席に切符売りがもう一人押し込んできた。イヤだといったが聞く耳持たず…。それを見ていた白人が、あんたFull Fare払ってるんでしょ、3人掛けに4人でいいの?と聞いてきたので、もちろんよかねぇけど…と答えると、切符売りを捕まえて抗議してくれた。すると奴はあっさり押し込んだ男を移動させた。今になって分かったが、インド人は人を見て対応を変える。おとといのフェスで知らないオヤジが僕の席に割り込んできたのもきっと偶然ではなかったのだ。日本人だから文句を言わないだろうと計算してムリを押し付けてくるのだ。そして、白人には腰が低い。本当に性質の悪い連中だ。
バスは6時間ほどかけて19:30カジュラホー着。客引きがたくさん来たが、宿を決めてなかったのでリキシャでホテルエリアへ行って数軒あたるが、今日から1週間カジュラホー・ダンスフェスティバルがあるので宿はどこも非常に強気。満室のところも多く、200Rs以下のところはほとんどない。結局、BT付のダブル部屋を150Rsでチェックイン。ホットシャワーも出たので及第点かな。
↓ラクダ車
7時に起きてついにタージ・マハルを見に行く。入場料は5US$+500Rs(約1900円)と破格の値段だが、ここを見逃すわけにはいかないのでやむをえない。西門から入り中庭を通って門をくぐると写真で見慣れたあの絵が目の前に現れた。タージへ続く2本の道の間には細長い池があり「逆さタージ」が映っている。朝なのでちょっと霞がかかっているような感じだ。青空をバックに浮かび上がる白亜の建物は圧倒的な存在感を誇っている。早速、建物へ向かう。
タージ・マハルは宮殿のように見えるが実は巨大な墓なので、建物の中はすかすかだ。中には靴を脱いで入る。大理石の感触がひんやりして心地いい。イスラム建築らしく、ドームの中もうまく明かり採りが機能していてまあまあ明るい。中央には墓の主であるムガール5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルとシャー・ジャハーン自身の棺が並んで納められている。装飾は細部まで全く手抜きなく仕上げられている。入口のアラビア文字や至るところにある花の模様はペイントではなく貴石のはめ込みだ。そのため400年近く経った今でも色褪せることなく当時の美しさを保っている。「完璧な美」とでも表現すればいいのだろうか。
ここまで見る人を圧倒させる建物はイスファハンのイマーム広場以来だ。過去に遡っても肩を並べることができるのはバチカンのサンピエドロ大聖堂くらいくらいではないだろうか。両側にあるモスクなどを含め2時間ほど見て回る。8時半頃からツアー客が増えてきたので、朝早く来て正解だった。
タージを見てから一度宿に戻る。それから昨日見つけたアダプターをチェックしに町へ。たまたま停電中だったが、発電機のある店でチェックさせてもらい、PC起動を確認してから購入。重たい荷物が1個増えたが、これでまたPCを使えるようになるだろう。その足で駅へ向かいデリー行の列車をキャンセル。それからファテープル・スィクリーという近郊にある遺跡へ行こうと思ったが、手持ちのルピーが底をついたので、両替商かATMを探してしばらくバザールをうろうろする。
ルピーを入手し、バスターミナルに着いたのはもう2時過ぎ。すぐファテープル・スィクリーへ向かう。1時間ちょっとかかって到着。ここの遺跡は大きくモスクのある広場と宮殿の2つに分かれていて、入場料が必要なのは宮殿側だけだったので、そちらは外から眺めるだけにしてモスク側と外にあるケルバランサライなどを見て回る。ここも十分巨大で素晴らしい建築物なのだが、やはりタージ・マハルを見た後だとしょぼく見えてしまう。建物を案内するという自称学生に、一人にさせてくれと言って断ると、急に態度を変え「帰れ、写真も撮るな」などと勝手に切れだした。ここはインドきっての観光地、結局金目当ての連中ばかりだ。
5時頃アーグラーに戻ってくる。バスターミナルから宿までかなり距離があるのでリキシャのオヤジと交渉していたら「土産物屋に寄るからそこで10分品物を見ててくれ、買物はしなくていい。そうすれば俺は20Rsもらえるから30Rsのところ10Rsで行ってやる。俺もハッピー、お前もハッピーだろ」というので、胡散臭く思ったがあとは宿に帰るだけで時間はあるので了承してみた。さすがにその手の土産物屋なので、Man to Manで案内がつき、あれやこれや勧めてくる。いかにも買えそうにない高そうなものばかり見て生返事を繰り返し時間を稼ぐ。そろそろ10分かなと思い、時計をちらっと見たら相手もこちらの魂胆が分かったらしく、もういい、Bye!と言って解放してくれた。こういう手もあるもんだと感心。さらにもう1軒寄ってリキシャ代はタダになった。2軒目の店はさらにしつこかったので、たまたま軽い目眩がしたのを理由に「あぁ、やばい頭がクラクラする。宿に戻らないと…」と大げさに振舞ってそそくさと出てきた。
今日もフェスティバルがあったが、タージで満足してしまったので行かなかった。
↓タージ・マハル
早朝アーグラー着。駅前にたむろするリキシャのものすごい吹っかけプライスを聞いていると、(タージ・マハルがある町だから当然なのだが)ここが観光都市だということを実感する。交渉して10Rsで予定していた宿へ。ディスカウントしてもらい100Rsでダブル部屋をシングル利用。ここのおっちゃんはいい人だ。
一休みしておっちゃんに教えてもらった近くの店にPCのアダプターを探しに出かける。やはり新品はなかったので、修理できないかと依頼。箱を開けてヒューズを交換してもらったがダメ。回路までいかれているようだ。こりゃムリかと思ったが、友人が友人を呼びいつの間にかエンジニアの兄ちゃんが登場、基板のパーツを交換したりして何とか110Vの電圧なら使えるようになった。さすが、IT大国(?)インド。しかし、冷静に考えると変圧器を持っていない以上、日本に帰るまでPCが使えないという状況には変わりがないのだ。220V→110Vの変圧器が手に入ればいいが…。
とりあえず修理代を払って宿へ帰る。午前がこれでつぶれてしまった。タージ・マハルは朝に行きたいので明日にして、今日は雑用や情報収集に使い、夜はタージ・マホトサブというフェスティバルに行くことにしよう。まず、観光局に行ってフェスのプログラム等を入手。それから変圧器を探しにデリーへ行くための切符を予約。駅から宿まで戻るのにオートリキシャのオヤジがフォートのバススタンドまでオート3Rs、そこからバスで4Rsで行けるというので乗るが、いざ降りるときになって7Rsだと言い出す。ウソつき野郎どもに屈する気は毛頭ないので怒鳴りあいになりながらも譲らず。結局、全く関係のないおじさんがリキシャオヤジに差額の4Rsを出してくれ、苦い形の決着となった。俺が言ってるのは金の問題じゃなくて、約束の問題なのだが…彼らにはセコイ日本人としか見えてないのだろう。それが、腹立たしく、また残念だ。
この近くに小さな電気街があったので、ついでに変圧器を探し歩くとオンボロの中古ながら1個発見。明日チェックして問題なければ購入すると約束して帰る。バスターミナルから宿の方へ行くバスを探すが、これもないらしい。毎度のことながら、自分の利益のために平気で人を騙すインド人連中にはヘドがでる。やむなくサイクルリキシャで宿へ。
一休みしてからフェスへ出かける。行ってみると縁日みたいな感じで客の大半はローカルっぽかった。プログラムでは7時からファッションショーとなっていたが、ずっと歌やタブラー演奏、それに伝統舞踊であるカタカリダンスなどが続き、いっこうにショーが始まる気配はない。もっとも僕的にはそれはそれでよかったが…。
9時過ぎになってようやくショーが始まる。辺りを見るといつの間にか満席になっていた。知らないオヤジが僕と隣の人の席に強引に割って入り窮屈になった。ホント図々しい野郎だ。ショーでは、服そっちのけでモデルに見入ってたのは言うまでもない(笑)。さすがに十億人から選ばれるモデルは見事。完璧に8頭身以上はある。顔が小さく彫りの深い色白のアングロ・アーリヤのコばかり。いかにもといったヅラなので、マネキン人形が歩いているような印象を受ける。インドらしさはなく、完全にウェスタンスタイルのショーだった。
※後から聞いた話では、インドでは俳優やモデルですらカーストで決まっており、モデルのコは十億人から選ばれたわけではなく、生まれたときからモデルになる運命らしい。日本でいうと歌舞伎の血統みたいなものかな。
↓夜のガート(バラナシ)
今日も早起きしてガンガーへ行くつもりだったが起きれず。9時頃パッキングをしていたら同じフロアの旅行者が来て本交換のオファーを受ける。それをきっかけに午前中は彼とチベットやバングラデシュ、インド、中国などいろいろ共通の旅行話をして過ごす。彼はチャリダーで主にアジアを繰り返し回っているという。とても人当たりのいい人だ。
午後、チェックアウトしてまたガンガーへ。今日は上流(南側)へ歩いていく。ずーっと歩いていたら最上流のアッスィーガートまで着いてしまったので、ここからガートを離れドゥルガー寺院を見る。ヒンドゥー以外は入場禁止と聞いていたが、普通に入れてしまった。さらに歩いてバラナシ・ヒンドゥー大学の門をくぐる。すぐ校内に入るのかと思っていたが、しばらく学校の敷地内でも街が続くらしい。敷地内にある寺院はかなり遠いようなので引き返し、乗合オートでゴドゥリヤ交差点まで戻る。それからネット、夕食を済ませ荷物を拾って駅へ向かう。出発時刻まで45分以上あったので余裕かと思っていた(昨日駅からの道では15分もかからなかった)が、途中ムスリムのデモがあったり、夕方のラッシュにぶつかったりでなかなか進まず冷や汗をかいた。何とか5分前に駅に着くが、リキシャマンが(時間がかかったからか)もっとよこせと言ってくる。もう交渉してるヒマなどないので、振り切ってホームへ駆け込む。席を探し当てて荷物を置いたら1分後には列車が動き出した。マジで危なかった。
↓ダシャシュワメールのプージャ(礼拝)
6時前に起きてガンガー(ガンジス川)の日の出を見に行く。沐浴する人もいるのだから問題ないだろうとTシャツで来てしまったが今日は思いのほか寒く大失敗だった。寒いからか沐浴している人の数は思ったよりずっと少ない。そしてその10倍くらいの観光客がいて驚いた。大半は白人ツアー客で、ボートの船上から沐浴する人たちを眺め、バシャバシャとフラッシュをたいている。ガンガーに向かって祈るとその先にいるのがボートに乗った観光客という絵はいかがなものか…。ガンガーの神秘性も半減してしまう。
しばらくすると対岸のだいぶ上の方から太陽が現れた。下のほうには雲があったようだ。真っ赤な太陽がガンガーを赤く染める。寒さをこらえて来てよかったと思う瞬間だ。しばらく呆然とこの景色を眺め、1時間ほどして部屋へ戻る。
2時間くらい仮眠して9時過ぎに再び活動開始。洗濯を済ませてから乗合オートで駅へ。明日のアーグラー行夜行列車を予約。外国人窓口で予約したが、バンクレシート不要だったので助かった。駅を出てバスで釈迦が初めて説教を行ったというサールナートへ。約10kmの距離だが30分以上かかった。
まずはムルガンダクライー寺院へ向かう。仏教寺院だがキリスト教会のようなモダンな造りだ。たまたま昼休みに着いてしまったので中は見ることができなかった。この周辺は緑の美しい公園になっていて、西を見ると巨大なダメークストゥーパが目に入る。早速見に行くが、手前に柵がありは入れなかった。柵から向こう側が有料の遺跡公園になっており、入場料2US$だがストゥーパも外から十分見れたので入らず。代わりに2Rs払って博物館へ行く。ここの展示は非常に充実していた。アショーカ王石柱の上にあったライオン像だけでも見る価値アリだ。BC3Cの彫刻としては素晴らしく洗練されていると思う。
博物館を出て、チベット寺、日本寺を回って帰る。今日は曇でたまに雨もぱらつく天気で昼になってもかなり寒い。リキシャで駅から宿まで帰り一休みしてからダシャシュワメールガートでプージャ(礼拝)を見る。それから夕食、Dさんオススメの店かは不明だが、50Rs出してちょっと高級なターリーを食べてみる。ガイドブックの写真そのまま銀の大皿に小皿がたくさん載ったターリーが出てきた。ベジだが十分ウマイ。安食堂でノンベジを頼むより、ちょっといい店でベジを食べるほうがいいかもしれない。
↓ガンガーの日の出
昨夜は1時過ぎまで本を読んでいたのでゆっくり起床。明るくなって初めてバラナシの街を歩いてみたが、この宿周辺はあまりにツーリスティック(ヒッピー系ばかり…)で嫌気がさし、早速宿を移ることにした。
移動先はゴドゥリヤー交差点近くのPuskarGH。人気のある日本人宿だが運よくシングルが空いていた。この時期のインドは観光シーズンらしく、列車は満席、宿も満室ということがけっこうある。日本人の学生が多いのかと思っていたら、白人観光客の方がずっと多かった。
宿で一息ついてから昼食をとり、ヴィシュワナート寺院の方へバラナシの迷路を入っていく。世界三大迷路都市はこことエルサレム、それにザンジバルではないだろうか。寺院にはヒンドゥー教徒しか入れないし、周囲の道も狭く中の様子もよく分からない。どこが通称黄金寺院なのだろう???
ここから適当に見当をつけてガンガー方面へ歩く。出たところが火葬場のあるマニカルニカガートだった。ヒンドゥーの火葬はカトマンドゥで見ていたので驚きはなかった。ネパールと違っていたのは(火葬場に運ばれる前に葬式が終わっているからか)セレモニーがほとんどなく、身内らしき人の姿もほとんど見えないこと、女性の姿が見えなかったことだ。遺体は一度ガンガーの水に浸してからキャンプファイヤーのように積まれた薪の上に載せられ、点火。五体ほど焼かれていたが薪からはみだした顔や足が見えていたりしてちょっと怖い。さらに炭化してくると骨が見えるようになり、遺体から「人間であったもの」に変わっていくような気がする。数珠を手に冥福を祈る。ここでも写真をこっそり撮っていく恥知らずなブタ白人がいた。しばらく眺めてからガート沿いを下流へ向かって歩く。ガートはずっとつながっていて洗濯場、船着場、牛洗い場などなど生活の場でもあるのだ。たまにヤギの死体が浮かんでいたりしてギョッとしたりする。対岸は不浄の地なのでまっさらな河原。こちら側はこれだけギッシリ建物が詰まっているのに不思議なものだ。3時頃迷路を彷徨いながらなんとか宿に戻る。
部屋で日記を打っていたら「プツッ」という音がした。と思ったらアダプターの電気が消えている(涙)。不安定な電圧のせいで壊れたようだ…ついに恐れていた日が来た。本体じゃないのが不幸中の幸い、まだ希望はあるさ。
↓バラナシのガート
今日は午後2時の列車で移動するので、8時過ぎから観光開始。まずは昨日行かなかったマハーボーディ寺へ。朝のほうが順光なので写真が撮りやすい。
ここの中心は釈迦が悟りを啓いた地に建てられた塔だが、これまた改装中で足場が組んである(涙)。塔の中には金色の釈迦像がある。頭が青く着色されているので中国風(あるいはインド風?)の釈迦牟尼像だ。ここでしばらくお祈りをしてから塔を一周する。袈裟を着た日本の僧侶(というか宗教団体?)20人くらいがお経を唱えながら塔を周回している。ちょっと異様な感じ。
さすがに仏教の聖地だけあっていろんな国の仏教徒がお祈りしている。チベット僧たちはここでも五体投地をしていた。それぞれ自分専用五体投地台を持っていて毎日投地しているようだ。たまに白人僧も見かける。釈迦が悟りを啓いたという菩提樹(の子孫)の下でお祈りをしているととても清々しい気分になった。日陰で涼しいということもあるが、聖地に体を置いて祈ることで心が洗われているような気もする。
ここを出て昨日見損なったミャンマー寺、考古学博物館へ行くが、双方とも大したものではなかった。食事をしてから12時前に宿へ戻りチェックアウト。乗合オートでガヤの駅まで行く。今日はオートの屋根にバックパックを載せ、その上に座っていったのでとても気分爽快。
ガヤの駅で切符を買おうと案内所へ行くと、座席をちゃんと手配してやるからエクストラチャージを100Rs払えとか言ってくる。あんたたち駅員でしょ、旅行者騙してどうする(怒)。意味不明な金は払わんと突っぱねると改めて窓口と料金を教えてくれた。早速バラナシまでの切符を購入(70Rs)、寝台の半分で済んだ。
この列車は始発だが二等座席は自由席のみなのでなるべく早く乗り込んで席を確保したい。しかし、自由席車両がどこについているか分からない。一番前か後ろのどちらかだと思うが、ホームで乗客に聞いても英語が通じない人が多い。後ろにヤマを張って待つが失敗…前だった。あわてて車両を追っかけるが、もう乗客の大半は乗り込んでいた。空いてそうな車両を覗きながら歩いていると、あるオヤジが「ここに来い」と言うので、席あるの?と聞くとYES!よかった。子供にとった席のようだったが、その子とシェアして座る。始発ですでに満席、荷台まで人間で埋まっている。座ってしまえばあとは車窓を眺めながら3時間半の旅。
途中駅で一人の若者が強引に僕の席に腰掛けてくるので「他行けよ」というとなんか文句を言ってくる。それを見ていた近くの席にいたオヤジがその若者に外国から来た旅行者なんだから…云々と説教して追っ払ってくれた。商売に関係ないインド人は結構親切だったりする。耐え難いのは向こうから声をかけてきて、外国人をカモにして稼ぐ連中。こいつらはホントに人でなしばかり。
5時半過ぎバラナシに到着。乗合オートで旧市街に入るが着いた頃にはもう真っ暗。バラナシの街は(汚ない)迷路のように入り組んでいていきなり夜に到着しても目的地を探すのは簡単ではない。やむなく声をかけてきた客引きにいくつか希望の宿を言って連れて行ってもらう。これによってコミッション代が上乗せされるのか、あるいは宿が見つかった段階で金を請求されるのか???バラナシはツーリストシーズンらしく、人気のある宿は満室ばかり、数日滞在するつもりなのでドミは避けたい。1つ空室のある宿があったが、たまたまチェックアウトする日本人がいて、やめた方がいいというのでここもパス。彼に安宿の多いエリアを案内してもらう。途中ガートを歩いていると、うっとおしい連中がからんできて100円玉とルピーを換えてくれとか言うので「うるせえ、Fuck Off(失せろ)」と言ったら、野郎も切れて「Fuck Offだとぉ(怒)、もう一度言ってみろ、あの野郎叩きのめしてやる」とか言ってきた。一緒にいた日本人が仲裁してくれてケンカにはならずにすんだが、ここはうざい野郎が多すぎる。日本人はバカにされてるし…結局、奴らも白人にはコンプレックスがあって言いたいことを言えないから、英語で文句も言えず、お人よしの日本人をからかって優越感を感じているのだろう。
散々歩き回って何とか1泊50Rsの部屋を確保。たまたま興味のある本があったので、食事をしてからはずっと読書。
↓釈迦が悟りを啓いた菩提樹
ブッダガヤーは釈迦が悟りを啓き、仏陀になった地で仏教聖地の一つだ。そのため仏教徒を持つ各国の寺院がここに建てられている。もちろん日本の寺もある。ここでは久しぶりに2泊するし、部屋も広くて快適なので(かなり遅れていた)日記を打ったり、メールの返事を書いたりPC作業に時間を使ってしまう。
朝も返信メールを作ったりしてから10時頃町へ出る。寺と土産物屋くらいしかない小さな町だが、思った以上に白人観光客が多い。最近は白人でも仏教に関心を持つ人が多いのか、居心地のいいツーリストタウンだからやってくるのだろうか?
まずは観光案内所へ行き、バス情報を聞く。インドでは観光客が来るような町にはたいてい観光案内所があり、ガイドブックにも所在地が載っているのだが、欧米やオセアニアにあるようなものを期待すると間違いなく裏切られる。(大都市は別にして)そもそもカウンターに人がいないことが多い。パンフの類も置いてないし、おーいと呼んで出てきたオヤジは大丈夫か?って感じの人ばかり。答えを信用していいのかどうか不安になる(笑)。
インドでの公共のサービスに関する僕の印象としては、役人の考え的には先進国をモデルにしているのだが、実際そこで働いている人達には意図が全く理解されていないし、サービスというものに対するモチベーションも極めて低い。例を挙げれば、郵便局にはデカデカと「インディアポストはお客様第一です」みたいなことが書いてあるのだが、実際にはカウンターに人がいなかったり、かったるそうな態度の接客をしたりと書いてあることの意味が通じているとは思えない。また、駅には車椅子用窓口があるが、きっとこの国で車椅子を必要とする身体障害者の99%は物乞いで、列車に乗る機会など一生に一度あるかどうかではないか。
さて、話をブッダガヤーの町に戻そう。バスは早朝発しかないようなので、観光案内所の隣にある列車予約オフィスで明日の昼発バラナシ行チケットを予約する。昼の列車で4時間ほどの旅なので寝台はいらないのだが、オヤジが勝手に寝台のチケットを発券するので座席でいいと言うと、この列車に座席はないという。時刻表には確かに二等座席ありと書いてあったのだが…座席は自由席のみで予約できるのは寝台ということだろうか、勝手に寝台にするなといったらオヤジは怒り出して金払えの一点張りになったので、確認することもできずここを出た。とにかく明日早めに駅に行けばなんとかなるだろう。別に席がなくても4時間くらいどうにでもなるし、本当に寝台しかなければその場で寝台分の金を払えばいいだろう。
それから朝食をとってタイ寺を見たらもう12時。寺は12時から2時まで休みになってしまうので僕も一度宿に戻って休憩。この数日、暑さと移動が続いているせいで何だか疲れている。できるだけ休憩をとってムリしないように努めているのだが、疲れはなかなか取れない。食欲もあまりない…。
2時過ぎに再び町へ。端から各国の寺院を見て回る。正直なところ、ここにあるほとんどの国の寺院は実際に見ているので目新しさはない。朝鮮寺は見たことがなかったので一番関心があったのだが、外観が寺でなくただの平屋に仏像がおいてあるだけでガッカリ。どの寺も歴史があるわけではないし…お参りするだけ。ただ、どこも寺院内部も含め写真撮影が許されているのはありがたい。もっとも僕は寺院内でフラッシュを焚くのは抵抗があるので実際はほとんど撮っていないが…。存在感があるのはやはりチベット寺、インドにはダライ・ラマが亡命政府があるのでチベット人も多いのだ。日本の大乗仏教寺横にある大仏も目立っている。
5時まで寺めぐりを続け、早めの夕食をとって宿へ戻る。ここの中心であり、唯一歴史的意義のあるマハーボーディ寺見学は明日にしよう。
↓ブッダガヤーにある日本の大仏
昨夜9時過ぎの寝台列車でブッダガヤーへ向かう。エアコン付寝台車両で料金はAC無し車両の3倍もするのでよほど設備も違うのだろうと思っていたが、布団をくれるサービスがある程度で造りは同じだった。ちょっとガッカリ。一番上のベッドだったので、11時前には横になる。8時過ぎに起きたが、下のベッドではまだ人が寝ていたので仕方なく横になっていた。こういうとき、上のベッドは不都合だ。もっとも、自分が下だったら上のインド人は遠慮なく僕を起こしにきただろうが…。
9時過ぎに停車した駅と時刻表を見比べて既に2時間以上遅れている事に気づく。インドの列車には車内アナウンスがないので、停車した時に駅名を確認しないとどこを走っているか分からない。前回の夜行列車も遅れたし、未だに数時間の遅れは当り前のようだ。できるだけ始発に乗るようにしないといつ来るか分からない列車を何時間も駅で待ちつづける羽目になるかもしれない、気をつけよう。
車内では時刻表と格闘して今後のスケジュールをきっちり立てていたが、その作業も終わったので久々に本を読む。カトマンドゥで交換してきた「アルジャーノンに花束を」だ。数年前のベストセラーを日本で読むのはちょっとかっこ悪い気がして気が引けるので、旅先で読むのはいい機会だ。最初はひらがなばかりの文章に疲れてしまうが、普通の文章になると引き込まれていく。タイトルから恋愛小説だとばかり思っていたが違っていた(^^;A
精神遅滞者が手術で人並み以上の知能を手に入れるが、それとともにもっと大事なものを失っていく、そしてそれに気づいたとき、彼にはもう時間が残されていなかったという筋書きを考えた段階で勝負は決まっていた。興味を引かずにはいかないテーマだ。世界的ベストセラーになるのもうなずける。
旅をしていると人間は優越感を本能的に求める(それは潜在に感じている劣等感の裏返しなのだが)動物なのだということがよく分かる。白人はアジア人や黒人に対し優越感を感じ、黒人は中国人に対して優越感を感じている。中国人(漢民族)はまた漢民族=No1と考えている(これは本能よりも教育・洗脳によるものかもしれないが)ので、自国民以外に対し優越感を感じているのだろう。日本人もまた白人に対し劣等感を持つと同時に中国人など他のアジア人に対し優越感を感じている。そして、僕もやはりその中の一人であることは否定できない。仮に今、ヨーロッパを旅しているとして、白人にインド人と同じ仕打ちをされたとしても感じる屈辱感や自分の反応は違ったものになるだろう。
さて、ガヤー駅には3時間遅れで到着。ここから乗合オートリキシャを乗り継いでブッダガヤーへ。幸い暗くなる前にいいゲストハウスを見つけることができた。ホットシャワー付ダブルで100Rs。2日ぶりに人目を気にせずゆっくりできる。
↓プーリーの漁村
昨夜は蚊が多くてなかなか寝付けなかった。昼はさほど気にならなかったが、夜になったら次から次へと蚊が飛んできては刺しまくっていった。ドミ部屋だったので周りを起こさないようにこっそり虫除けを取り出して塗りたくり何とか眠った。
8時過ぎノックで起こされる。朝のお茶だ。それから30分くらいして朝食。このサンタナロッジは日本人宿で、しかも朝・夕食付なので合宿生活をしているような気分だ。今宿泊している人は5人。感じのいい人たちで、久々に日本語での会話を楽しむ。が、僕にはあまり時間がない。昼前にコナーラクのスーリヤ寺院を見に出かける。
スーリヤ寺院は12世紀に建てられた寺院で、太陽神スーリヤに捧げられたためこの名がついている。オリッサ建築の最高傑作らしい。寺院はそれ自身が巨大な馬車を模して造られており、1階部分には車輪が24個付いている。ここは入場料外国人250Rs(涙)。近くで見たいという気持ちもあったが、外壁もなく(距離はあるが)周囲を一周して眺められるようになっていたので入らなかった。砂岩に彫られた彫刻はかなり精緻なものだということが遠くからでも窺える。かつては現存しているピラミッドのような前殿に加え、さらに大きな本殿があったということだが、今残っているのはその台座部分だけ。また、前殿にも足場が組まれていて修復中。インドでこれまで見た大きな寺院や遺跡は全て修復中。作業が行われている様子はないのでおそらく2年や3年はこんな状態のままなのだろう。インド人のことだから、観にくる人のことなど全く考えてないに違いない。
ここを出て近くにある博物館へ行く。ここにはスーリヤ寺院の一部が展示してあり、近くで見れなかった部分を補うにはちょうどいいところだ。それから同じルートを通ってプリーへ戻る。インドのバス(ここだけ?)は行先を聞いて、長距離の人から優先的に座席を与えられるシステムらしく、先に来て座っていても後から来た終点まで行く人に席を譲らさせられる場合がある。フェアなのかアンフェアなのか判断の分かれるところだ。
4時頃宿に戻り、他の人にいろいろインド情報を聞いたりして過ごし夕食を待つ。この宿は2食付で1泊100Rsと安いのだが、ツケがきくので、周りにつられて飲み物やプリンなど(これが結構高い)をついつい頼んでしまい、いつの間にかかなりの出費になってしまう。うまくできたシステムだ(苦笑)。昨日の1泊に加え今日も2食とりさらに諸々注文分を加えたら245Rsにもなってしまった。居心地はとてもいいのだが、長居してたら相当金を使っていただろう。また明日から引き締めなくては…でも、現在インドの人気観光地はどこも100Rs~750Rsの外国人料金が設定されていてコツコツ節約するのがバカバカしくなってしまう状態らしい。5年前に来ておくべきだったかな。
↓スーリヤ寺院
24時間制のホテルのため、6時半に起床し7時にチェックアウト。バス停まで歩いて海岸の町プーリーへ向かう。このバスの中でふと重大なことに気づく。
パキスタンビザが3月中旬で切れる!
12月半ばにカトマンドゥで取ったビザなので、あと1ヶ月で有効期限切れのはず。取ったときは3月には余裕でパキスタンに入ってるだろうと思っていたが…それだけ予定が遅れているということだ。デリーのパキスタン大使館で新たに取得できればいいのだが、ここでのビザ取得は状況が非常に流動的なことで有名で、あまりあてにはできない。となるとあと1ヶ月以内にインド旅行を終えなければならない。この広い国を1ヶ月…体が3つくらいほしい。とにかく急げるだけ急ぐしかない。
1時間半でプーリー着。バススタンドからリキシャで予定していたサンタナロッジへ。思っていたよりすいていた。こういう状況なのでここも1泊だけの予定。朝食を食べてから早速ビーチへ。宿から海へ向かう途中には漁村があり、どこも家の前で魚を干している。独特の干物臭さが何となく懐かしい。海に出ると網にかかった魚を落とす作業がそこらで行われている。大物では太刀魚が多い。そして、波打ち際に出ると、そこら中にウ○コが…。うかつに裸足で歩けない(涙)。海からもプカプカ流れてくるし、この近くで泳ぐのもどうか…という気になってきた。紙を使わないインドでは波打ち際でウ○コして、波でウォシュレットするというのはごく自然なことなのだろう。そういえばモザンビークでもそうだったなぁ。
15分くらい歩いてウ○コゾーンを離れ、まあまあきれいなビーチに出るが、海は濁っていて茶色い。しかし、温度はOKなのでウ○コのことは忘れてしばらく水浴びを楽しみ、それから浜辺に寝転がって体を焼く。日差しは強烈だ。しばらくウトウトしてたら肩のあたりが赤くなっていたので、シャツを着て直射日光を避ける。
2時間ほどでビーチを引き上げ宿に戻り、シャワーを浴び洗濯をする。それから駅へ行って明日の列車の手配。予定していた夜行列車の寝台は満席(涙)。別の窓口のオヤジになんとかならんか?と頼むと夜7時にもう一回来いと言われる。7時に来れば切符入手できるんだなと念を押すと大丈夫だという。言ってみるもんだ。
駅を出てから、この街最大そして唯一の見所ジャガンナート寺院へ行く。とはいえ、ここもヒンドゥー教徒しか入れないので近くの図書館屋上から眺めるだけ。建物も巨大だが、そこへ向かう門前町の混雑ぶりがすごい。平日なのに初詣並みの人出。さすが人口10億の国だ。物乞い、そして(なぜか)牛も多く、しわしわ&かさかさの肌をしたばあちゃん達が参拝客の持ってきた米をもらおうと並んで器を差し出している。なぜか、女性は裸足の人が多く、男性はサンダル履きが多い。よく見るとかかとはひび割れて血がにじんでいる。僕も乾燥した地域でサンダル生活をしているとかかとひび割れてくるが、しばらく靴下を履いているといつの間にかふさがる。裸足が普通の生活をしていてもひび割れが起こるんだなぁと初めて知った。ひび割れができるとけっこう痛いものだが、彼女達は一生恒常的に痛い足を引きずって歩いているのだろうか。それとも、痛みなんか通り越してしまっているのか。
さて、ぶらぶらして7時に駅へ戻ってくると昼に話をしたオヤジは既に帰ってしまったらしく、別のオヤジしかいない。彼にかくかくしかじかで…と話をしたが、満席なものは出しようがない、彼がなんか勘違いしたのだろう、で話はオシマイ。アホらしい、まさにクタビレ損。しかし、もう本当に疲れていたので、また予約窓口に並び、取れる席を取ることにした。エアコンクラスの寝台、料金は二等寝台の3倍だがしかたがない。
↓ジャガンナート寺院前
夜行列車は予定より30分ちょっと遅れてブバネシュワール着。窓&扇風機全開なので朝方はちょっと寒かった。ガイドブックに載っている宿に行こうと思っていたがリキシャのオヤジがあまりしつこくついてくるので5Rs払って彼の勧める宿に行ってみたが、オヤジの言ってた値段より高いので、オヤジをもういいと追い払って自分で宿を探す。バックパックを背負ってるとなぜかよく犬に吠えられる。リキシャのオヤジは「Indian dog is probrem」なんてのん気なことを言ってるが、旅行者を金づるとしか思ってないあんた達の方がもっと困った存在だよ。「Indian humans are much more probrem」と言ってやろうかと思った。独力でちょっと予定より高いが新しくてきれいな宿を見つけチェックイン。金を払ってからこの宿が24時間制(チェックインから24時間滞在可)だということを知った。早朝チェックインの場合は翌朝早く部屋を出なければならないので不都合だ。
さて、1時間半ほど休んで洗濯を済ませて町へ。ここはカルカッタ以上に暑い。これで2月なのだからスゴイ、後で寺院であったオヤジに聞いたら夏は余裕で40度を超えるらしい。
10時くらいまで仮眠してから街へ。まずは観光案内所に行ってここに来た目的である「ラージラニ・ミュージックフェスティバル」の情報を聞いてみる。幸い、チケットはここで購入できた(10Rs)。そのまま旧市街を歩き、フェスティバル会場であるラージラニ寺院を覗いてみる。無料なら明るいうちに寺院を見ておこうと思ったが、入場料は外国人料金設定があり100Rs!もちろん入らず。
ブバネシュワールにはかつて多くの寺院が建てられ、今でもかなりの数が旧市街に残っている。いちばん大きなリンガラージ寺院はヒンドゥー教徒以外の入場を禁止しているが、一応門まで行ってしれっと入ろうとしてみる。が、すぐ警備のオヤジに「Get Out!」と棒で追い払われた。俺は犬か(怒)!インドの役人、警官達は本当に横柄な奴らばかり。権力を笠に着たブタ野郎だ。Public Servantという言葉を教えてあげてほしい、ねぇ田中知事。
昼食をとってから、街に点在する古いヒンドゥー寺院を何箇所か見て回る。インドに来て初めて見るヒンドゥー遺跡だ。砂岩でできているところは違うが、塔の形状などはアンコールワットを思い起こさせる。彫りこまれたヒンドゥー神も美しい。新しいヒンドゥー寺院はどこも味気ないものばかりだが、いつ頃から寺院の装飾性が失われていったのだろうか?これから各地で見るヒンドゥー遺跡が楽しみだ。
さて、猛暑の中散策を終え一度宿に帰る。途中、初めて「ラッスィー」を飲んでみた(10Rs)。ちょっと高いので、しょっちゅう飲むわけにはいかないが、冷たくてウマイ。ちなみにインドの飲み物価格は、ミルクティー小カップ 1Rs~、水1リットル 10Rs、コーラ300mlビン 8Rs、ビール大ビン 40Rs~といったところ。
1時間ほど休んでからフェスティバルへ出かける。着いた頃にはもう暗くなっていて、ライトアップされた寺院が美しい。ファンタスティックな雰囲気でとてもGood!フェスティバルは6時半定刻に開演。最初は女性ボーカルのグループ。ボーカルは非常に伸びやかな声で歌詞があるんだかないんだかよく分からない歌を歌い上げる。1曲は長く15分くらい。この後、男性ボーカルのグループが2つ続く。歌は民謡調という感じ、アコーデオンみたいなハルモニウムがいい味出している。これらのグループの中でいちばんすごいなぁと思ったのが「ターブラ」。手で叩く片面太鼓なのだが、打楽器とは思えない脅威の表現力を持つ。太鼓なのにメロディを奏でることができるのだ。演奏には相当の技術が要求されると思うが、これができたらストリートミュージシャンで食っていけるのではないだろうか。僕なら桜木町駅前でこの演奏してたら100円投げるね。
それからバイオリンと両面太鼓のコンビ。バイオリンなのだが旋律も音もオリエンタル。中国の二弧に近いように思った。そして最後に、インド音楽の華シタールの登場。シタールとターブラのコンビは今日のハイライトだった。シタールの早弾きは圧巻。あれだけ広く長い指板を押さえるのはギターの数倍大変ではないか。彼らの演奏が終わると、前のバイオリニストを加えたジャムセッション。しかし、シタールの存在感は際立っていて、バイオリンと一緒に弾くとバイオリンがかすんでしまうので、弦楽器は交互に演奏されていた。
フェスティバルは4時間で終了。初めて聞くインド音楽だったが、とても楽しめた。西洋音楽とは大きく違うが、中国の(劇のバックで使われていたりする)音楽にちょっと似ているところがあるなぁと思った。
↓ムクテーシュワラ寺院の彫刻
昨夜ネットをしていて今日が「ヴァサンタ・パンチャミー」という春の訪れを祝う祭りの日だということを知った。もっと早く分かっていれば観光案内所で情報を集めておくんだったが今日は日曜で観光案内所も閉まっている。
仕方ないので、近くの旅行代理店で航空券の値段を聞いたりしながら雑談の中でどこかでフェスティバルはやってないのかなど聞いてみる。大規模なイベントはないようだが、この日に祭られるサラスヴァーティーという女神は学問の神なので子供達が本などを像に供えるらしい。これはコルカタの南、トーリガンジあたりで盛んだという。トーリガンジは地下鉄の南端駅なのでアクセスも楽だ。早速行ってみようと駅へ行くが、閉まっている。なんとここの地下鉄、日曜は午後3時オープンだと…そんな公共の交通機関がこの世にあるとは(涙)。
バスは英語表記がほとんどないので行先がよく分からず、探すのが難しい。しばらくいろんな人に聞きまくってようやくトーリガンジ行バス乗場を発見。ここでたまたま盲目のじいさんがトーリガンジへ行を待っていたので連れて行ってやる。かなり待ってようやく乗車、トーリガンジに行く手前でじいさんが降りると言うので一緒に下車。自分は行くところがはっきりしていないのでしばらく付き合うのは別に構わないのだが、言葉が通じないためどこへ行こうとしてるのかも分からない。何人かに尋ねじいさんと話してもらい、ある程度目星がついたところで別れる。
それから近くの交番へ行って、警官にこのあたりでフェスティバルをやってないかと尋ねる。彼は英語があまり達者ではなかったが、西の方に女神像があるようなことをいう。それからお茶を一杯ご馳走してくれた。道を歩いているとちょっと着飾った女性が多いので、やっぱりイベントがあるのだろう。西へ向かう集団に適当についていくと、道沿いに等身大の女神像が立っているのを発見。おぉ、これのことか!早速写真を撮る。と、野次馬がやってきてどこかへ連れて行く、なんだなんだ?と思いつつついていくと街のそこら中に女神像があるのだった。どれもいろいろ趣向を凝らした祠に入っていて手作りっぽい(像自体は買ってくるのだろう)。初めは片っ端から写真を撮っていたが、きりがないくらい多い。そういえばバングラデシュのヒンドゥー寺院に行ったとき、職人がたくさん藁人形を作っていて、なんだこりゃと聞くと、2月初めのプージャに使うのだなどと言ってたのを思い出す。ヴァサンタ・パンチャミーはサラスヴァーティー・プージャ(礼拝)でもあったのだ。確かにサラスヴァーティーの脇には本が積まれていることが多い。
観光客も来ないただの通りに並んだ女神像を見ながら歩き回るのはなかなか楽しい。音楽をガンガンならして踊りまくっている若者や女神像に向かってお祈りや演奏をする人など様々だ。もうちょっと涼しければいいのだが…。
2時頃まで歩き回り、さすがに疲れたので地下鉄が動き出すまで駅の日陰で休む。3時過ぎに北にあるジャイナ教寺院パレシュナート・モンディールへ向かう。駅から寺まではかなり遠く探すのが大変だった。8人くらいに道を尋ねようやく到着。とてもきらびやかな装飾の美しい寺院だ。ここには4つのジャイナ教寺院が隣接して建っており、内部の写真撮影以外は見学自由だ。色ガラスを組み合わせて模様を作っているのはキリスト教会的だし、ドームやタイルはイスラム建築的でもある。僕的にはコルカタで一番印象的な建物だった。
ここを出る頃には暗くなっていたのでサダルストリートに戻り、うまいと評判のチベタン食堂でモモを食べるが、ネパールのモモの方がよっぽど美味い。いったいどういう人がこれを美味いと評価するのだろう?食後ネットをして時間を潰してから荷物を引き取り夜行列車の待つ駅へ向かう。
↓サラスヴァーティーいろいろ
昨日かなり目一杯観光したので今日は少しゆっくりできそうだ。
まずは宿をチェンジ。狭いけど140RsでBT付の部屋があったので朝イチで移動。それからコーヒーを飲んでドッキンネッショルというヒンドゥー寺院を見にでかける。ここは郊外にあるので地下鉄と列車を乗り継いでいく。途中の駅で新聞を買って、演劇・コンサート情報をチェック。インドは英字新聞が多くて安い(1~2Rs)ので助かる。午後9時から有名なミュージシャンが参加する津波被災者チャリティコンサートがあるので、これにはぜひ行きたい。9時スタートだとオールナイトなのだろうか?情報を集めて夕方には宿に戻って仮眠をとっておいた方がいいかも。
さて、10時過ぎ寺院に到着。土曜だからかいつもなのか参拝客は多く、中央にある巨大なシヴァ神を祀ってあるお堂には長い列ができていた。お堂内部の雰囲気は昨日カーリー寺院で味わったので今日は外から眺めるにとどめる。ここはシヴァ神の寺で12個ある小さな祠には全て同じような黒光りする「シヴァリンガ(男根!)」が祀られている。僕は周りの人と同じようにその巨根をなでながら、コレで苦労することがありませんようにと心の中で祈った(笑)。
今日もとても暑く、多分30℃超えているだろう。寺院の日陰で30分くらい休憩して昼食をとってから列車で終点シアルダー駅まで戻る。地下鉄代をケチって行きと違うルートをとってみたのだがこれが失敗。シアルダーから街の中心へ向かうバスが全然こない。周りの人に聞いたところではミニバスの路線があるようだが、30分以上待っても1台も来ない。これから列車の予約にコンサートの情報収集といろいろやることがあるのにいつまでも待っていられないので、地図で見当をつけ歩いていく。たぶん3kmくらい歩いて目指す州観光局に到着。しかし、閉まっていた!ガイドブックでは土曜も4時までOPENになってたのに~。ま、2001年版の「歩き方」だから情報が変わっていても当然なんだけど…。もう一つの観光局に行く前にこの近くにある鉄道予約オフィスで明日の夜行列車のチケットを取りに行く。コルカタには外国人専用予約窓口があるのだが、そこでルピー払する場合、正規両替商で両替するともらえるバンクレシ-ト必要なので、あえて一般オフィスに行ってみたが、満席なので(ウソ臭い…面倒な仕事したくないだけちゃうん?)外国人専用窓口でトライしてみろと言われる。仕方なくまた歩いて別の建物にある外国人専用窓口へ。切符は買えたが、(バンクレシートないため)悪いレートでのドル払になってしまった。しかも、こっちからルピーでいくらお釣りをくれと言わないととぼけて済まそうとしやがった(怒)。
ここを出てまたバスと地下鉄を乗り継いで6時まで開いているはずの観光局へ行くがここもクローズ(涙)。まさに骨折り損…どっと疲れがでた。しかたないので宿に戻って宿のオヤジにチケットの値段と入手方法を電話で聞いてくれと頼むが、外行って自分でやれと言われる。バングラ人のおせっかいなくらいの親切が早くも懐かしい。100kmくらいしか離れてないのに。電話屋の兄ちゃんに同じ事を頼むが、自分でタクシーで会場まで行って聞かないと確実なことは分かんねぇよと突き放される。やむなく、英語通じるかなぁと半信半疑ながらコンサート会場のある施設に電話してみるとやっぱり英語全然しゃべれない人が出て切断される(涙)。この店の兄ちゃんに事情を話して電話してもらえたが、何とコンサートは午前9時開演だった(涙)。まさか新聞がamとpm間違えてるなんて考えもしなかった。さすがインド恐るべしだ。もう苦笑するしかない。忙しいばかりでついてない1日だった。あぁ疲れた。
ま、会場まで行かずにすんだだけよしとしよう。今日もまた(高いのに)ビールを飲んでしまった。ちなみにビール大ビン1本40Rs(約100円)。新聞1~2Rs、地下鉄初乗り4Rs、安食堂での食事10~20RSと比べるとその価格の高さが歴然。日本の感覚だと1本1500~2000円くらいになるのではないだろうか。
↓ドッキンネッショル寺院
昨夜は限られたインド滞在を目一杯使うべくいろいろ考えたが、鉄道の路線図がないので細かいスケジュールは立てられなかった。そのかわり、コルカタでのスケジュールはバッチリ決定。今日はそれに沿って行動あるのみ。
9時前に宿を出て地下鉄でカーリー寺院へ向かう。平日にもかかわらずヒンドゥーの参拝客でごった返している。お堂の中に入ってカーリー像(というよりはシンボル)を見るのに30分くらい並ばなければならなかった。お堂内部はお祈りする人たちですごい熱気、扇風機が全開で回っているがそれでも暑い。ここでは毎日10時頃ヤギの首を落とし生贄として捧げるセレモニーがあると聞いていたが、時間は適当らしく10時前から1時間以上いたがセレモニーは行われなかった(死を待つヤギ数匹はいたけど…)。
ここを出て朝食をとってコルカタ公園にあるビクトリア記念堂などの建造物をいくつか見て回る。公園はきれいに整備されていて花もたくさん咲いている。今日は初夏のような気候。こんな日は公園の日陰でのんびりするのが最高なのだが、まだ行くべきところがあるのでちょっと休憩するにとどめる。
しかし、不衛生、汚い街の代名詞のようにいわれるコルカタだが、公園、地下鉄などびっくりするほどきれいなところも多い。昔は本当に汚かったのだろうが、今は特に汚い街という印象を受けることはないだろう。確かに物乞いはそこら中にいるし、ゴミ溜めもたくさんあるが、ここだけが飛びぬけて多いということはない。ホームレスもさほど汚い感じではないし、新宿西口の段ボールで寝てるオヤジ達のほうがよっぽど汚く、臭いと思う。また、TシャツにGパン姿の若い女性も結構見かけたりするし、イメージより洗練されている。
アーリア系の顔立ちは僕の好みらしく、よく見ると大した美人でもない人にも目を惹かれてしまう。そのうち、いいコを見つけてお茶でも誘ってみよう。しかし、おばさんはサリー姿が痛々しいほどデブが多い。バングラデシュではあまりデブおばさんを見かけることはなかったので、都会である程度裕福な生活を送っている人が多いということなのだろうか。
あとはフーグリー河対岸にある植物園、駅などを回って渡し船で宿へ戻る。この渡し船3.5Rsと安いが船上から眺めるハウラー橋やコルカタの街はいい眺めなのでハウラー駅に行った際は乗ってみるといいでしょう。
↓ビクトリア記念堂
バングラデシュ、10日くらいの予定だったが結局3週間滞在してしまった。考えてみると3週間で1万円くらいしか使っていない。安上がりな国だ。今度はいつ来れるだろう。
さて、ちょっと早起きして国境の町ベナポールへ向かう。バスは1時間20分ほどでベナポールに到着。イミグレを探しつつ15分ほど歩いて国境へ。イミグレは国境すぐ手前にあった。通行税300TKを払ってバングラデシュ出国手続を済ませインド側へ。インドイミグレもすぐのところにあり、相変わらずのスローな手作業ながら他に外国人がいなかったので10分程で入国手続完了。ダブルエントエリーのインドビザはもう使用済となってしまった。
国境から最寄りの駅バンガオンまでは乗合オートで行く。なかなか人が集まらず20分くらい待つことになった。切符売場のおじさんは流暢な英語を話し、かつ親切でコルカタまで15Rsの切符を買うのに500Rs札を出しても苦笑しながらちゃんとお釣りを出してくれた。国境の駅なので当然始発で、ホームにはかなりの人がいたが問題なく席を確保。だが、途中どんどん人が乗ってきて3人掛席に4人が座る状態になる。約2時間で地下鉄への乗換駅ダムダムに到着、下車して地下鉄駅を探すが近くにありそうにない。地元のオヤジに聞くと、ダムダム駅は2つあって地下鉄に接続しているのは次の駅だという。ややこしい。
再び列車に乗り込み次の駅で下車、地下鉄駅は隣接していて乗換も簡単。しかし、バングラにしてもインドにしても改札も検札もないんだよなぁ。何人がまともに金払って乗ってるんだろう???地下鉄は予想以上にきれいで、車内に英語・ヒンドゥー語・ベンガル語で書かれた路線図もあるので気楽だ。女性専用席もあった。
20分ほどで目的地パークSt駅到着。まだ3時、予定通り明るいうちにコルカタに着けた。歩いて安宿街サダルStへ行き、ガイドブックで目をつけたよさそうな安宿を3軒あたるがどこも満室と言われる。仕方なく客引きのオヤジにまかせ、170RsでダブルBT付の部屋にチェックイン。100Rsくらいで泊まるつもりだったのでちょっと誤算。
荷物を解いて両替等雑用を済ませつつ安宿街周辺をぶらぶらする。久々に白人をたくさん見た。日本人も見かける。また、韓国人もかなりいるようだ。バングラデシュと比べ宿は高いが食費はさほど変わらない。夕方、3週間ぶりにビールを買って部屋で飲む。それから夕食、魚カレーにライスで15Rsという看板がかかっている店に入ってみた。魚も大きく満足。しかし、食後、落とし穴があった。会計すると31Rsという。おかわり1杯しただけで何でこんな値段になるんだと聞くと、看板の15Rsは別の魚の場合、これは25Rsだという。さすがインド人、こすいインチキ商売をしやがる。しかし、ボッタクリストは撃沈するのが「オレ流」。そんなの分かるわけねぇだろ!と一喝し、これで十分だろと20Rsを置いて、さっさと店を出る。追いかけてはこないようだ。ネパール以降、あーだこーだと交渉をするよりは(自分の値段が相場通りだという自信があれば)怒りの表情を見せつつ有無を言わさず金を置いていくほうが効果的だということに気づいた。ただし、この手は中国では使わないほうがいいかも。
↓コルカタの人力車オヤジ
8時近くに起きてパッキング、チェックアウトし荷物を預けてからバゲルハットへ向け出発。バゲルハットには世界遺産にも登録されているシャイト・ゴンブス・モスクをはじめ、古いモスクなどが点在している町だ。
昨日と反対の道のりで、リキシャ、フェリー、バスと乗り継ぎ10時近くに到着。ここで入場料2タカを払って博物館、そしてモスク見学。モスクは予想以上に大きかった。シャイト・ゴンブスは60のドームという意味なのだが、実際には7×11列=77のドームがある。レンガ造りだがかなりの部分が修復されているようだ。ムスリムでなくても内部見学もでき、英語を話すおじさんが簡単に説明してくれた。
ここを出て周辺のモスクを巡る。標識はぜんぜんなく、ガイドブックの地図で見当をつけ近所の人に聞きながらモスクを探す。この地域はもともとジャングルだったところをカーン・ジャハン・アリという王が切り開いて町を造ったところで、周囲にはバナナやココナツが多く繁り、熱帯雨林的な雰囲気がムンムンしている。このジャングルチックな農村で道を聞きながらモスクを探し歩くこと自体とても楽しい。この辺の家は木の柱に椰子の葉で壁を貼ってトタン屋根を載せたという簡単な造りが多い。正直なところ、周辺のモスクは似たりよったりでさほど印象的なものはなかったが、バングラデシュ最後の観光をまずまず楽しむことができた。
2時過ぎ、バスでクルナへ戻る。この近辺の人は北部に比べるとアグレッシブ、かつ強欲な感じで、バスもこれでもかというくらい詰め込んで走る。しかも、そこら中で乗客と運賃のことでもめている。一度宿に戻り荷物を拾ってから別のバスターミナルからジョソール行バスに乗る。この路線、思ったより時間がかかりジョソール市街に着いたのは暗くなる直前だった。最終日でバングラ・タカも余っているのでちょっといい宿に泊まり、食事も少しリッチに肉を食べた。
数年前に出版されたガイドブックと現在の物価を比べると、宿や列車、船はさほど変わっていないのにバスの運賃だけがずば抜けて上がっている。いつも周りの乗客に料金を確認しているのでぼられているわけではないと思うのだが、なぜだろう?
↓シャイト・ゴンブス・モスク
昨年のアマゾン河上り以来の船旅だ。蒸気船は1928年コルカタで製造された外輪船(両サイドにスクリューがある船)。このタイプの船が現役なのはこことディズニーランドくらいのものではないだろうか。製造年は古いがちゃんとメンテはされており、ボロボロというわけではない。
船室は一等、二等の2クラスでいずれも2人用。三等はデッキで雑魚寝。ほとんどの人は三等だ。気温的に吹きっさらしのデッキも耐えられなくはなかったが、好奇心の視線には耐えられないだろう、というわけで二等船室にした。船はダッカからクルナまで行くが、クルナ着だと夜遅くなってしまうので、僕は途中のモングラまでにした。運賃は580TK(約1160円)、所要時間は約23時間だ。
二等船室でも扇風機がありなかなかきれい、これで十分。トイレは洋式だし、シャワーもついている(1泊なので浴びないけど…)。速度はバスよりずっと遅い(多分20km/hくらい)が、のんびりと川沿いの景色を眺めながらいくのは楽しい。たまに川イルカの姿を見かける。船からは網を仕掛ける人、田植えをする人、水浴びをする人などなど田舎の人々の生活風景を垣間見ることができる。川沿いの地域では船がメインの交通手段なので、川には大小様々な船が行き交っている。かなり大きな船なのに手漕ぎだったりしてちょっと驚く。
一等、二等船室はデッキゾーンから一応区切られていて、三等の乗客は入って来れないようになっている。たまにデッキへ降りて船内の人たちを撮影したが、(みんなヒマしてるので)その度に人だかりができ、俺も撮ってくれ~と離してくれなくなる。人だかりを引き連れて歩いてもいられないので、そういう時は一等キャビンエリアへ逃げ込む。僕は二等の切符しか持っていないが、(外国人ということで)船のマネージャーがいつでも一等エリアへ来ていいぞと言ってくれたのでフリーパスなのだ。さすがに一等エリアは豪華。カーペットがひいてあり、2階の舳先部分が観覧用デッキ(?)になっていて、ここのイスに座って眺める景色が船内でも最高だ。VIP気分満喫。午後はほとんどここで景色を楽しんで過ごす。せっかくリラックスしているときにやってきてはいつものつまらない質問をしてくる人たちがちょっとうざったい。
船はほぼ定刻の5時過ぎにモングラ到着。ここで下船し、対岸のバスターミナルまで渡し船で渡る。それからクルナ対岸のルプサという村に行くがここには宿がなく、結局クルナまで行かなければならなかった。
↓すれ違った同タイプの外輪船
夜行列車は予定通り7時頃ダッカ着。今日夕方発の蒸気船に乗れればダッカには宿泊しないが、夜行明けでシャワーを浴び仮眠を取りたいので午前中だけの宿を探す。旧市街まで行くのは面倒なので新市街で探す。いくつかあたるがやはり新市街の宿は高い。なんとか5時間80TKでOKの宿を見つけ即休憩。
11時頃起きて荷物を預けてから蒸気船のオフィスに行く。本日の運行状況を確認。予定通りらしい。チケットを予約しようとするが、ここで扱ってるのは一等だけ、二等以下は埠頭のオフィスで購入しろと言われる。これから埠頭まで行くのは面倒なので乗船時に買えばいいだろう。船室がなければデッキで寝ればいいや。船会社のオフィスを出て国立美術館へ。今までのダッカ滞在中はいつもストだったので、ここに来る機会がなかった。今日は普通に開いている。
ストの時は普通の乗用車が走ってなかったので気づかなかったが、ここの交通状態は半端じゃない。バスの車掌小僧とリキシャオヤジの戦いなど見るのは部外者的には面白い。戦わないといつまでたっても前に進めないくらいの渋滞なのだ。信号はまともに機能しておらず、大きな交差点には警官が立って交通整理をしている。
さて、博物館だが、かなり広い。解説はないが、展示品の名称には英語表記があるので助かる。初めの方にある自然科学系はしょぼいが、船の模型や彫刻、工芸品などはかなり見応えがあった。質のいいコレクションだと思う。たまに、展示ではなく僕をじっと眺める連中がいるのには閉口する。バングラ人は自然科学系の展示や古い彫刻等には結構時間をかけて見るが、モダンアートには全く興味がないらしくほとんどの人が素通りだった。
ここを出てオールドコート(高等裁判所)に寄ってから、宿で荷物を拾いフェリー埠頭へ向かう。埠頭へ向かう道も大渋滞、15分くらい全く進まない時間帯もありちょっとあせる。
6時出航なのに埠頭着は5時半。しかも、そこに船はない(涙)。近くのオヤジに聞くとここ(バダム・トーレ)ではなくショドル・ガットから出るという。昼に聞いた船会社のオヤジはバダム・トーレと言っていたが…。乗れないような気がしてきた。とにかくショドル・ガットへ行ってみる。船は並んでいるがそれらしい蒸気船は見当たらない。と、桟橋の端っこに横付けされている外輪船があった。これだ!早速、二等のチケットを購入し乗り込む。ギリギリで間に合った。
↓高等裁判所
今日もラタンとチッタゴン友人宅周遊ツアー(笑)。今日の夕方ストは解除される予定だが、今朝の新聞によるとチッタゴンエリアのみまた明日から3日間のストが始まるという。何なんだこりゃ…というわけで予定通り今夜の夜行でダッカへ向かったほうがいいだろうということで僕らの意見が一致、今日が彼と過ごす最後の日となる。
まずは街の東にある彼の友人宅を3軒訪ねて(もちろんまたお茶をご馳走になり)から、近くの仏教寺院・瞑想センターへ行く。ラタンは衣料品等を輸出する仕事をしているので顔が広い。しかし、彼曰く僕の仕事上の友人はみんなムスリムで彼らは僕のことを信用しているけど、僕は彼らを信用していない部分がある。イスラム国でマイノリティである仏教徒が生きていくのがいかにタフなことか彼や彼の兄の言葉で痛感させられる。単一民族である日本人(つまり自分)には彼らの苦労は想像し難い。
それから彼の付き合いで銀行へ。ストのためか客も少ない。ラタンについてカウンターの中まで入れてもらい、マネージャーらしき人を紹介してもらった。ここで驚いたのが、カウンターにいる行員が(マネージャーから丸見えの位置で)自席のPCでゲームをして遊んでいることだ。勤務時間中であっても客がいなければ何をしてもいいのだろうか?銀行員でさえ仕事へのモチベーションがこの程度しかないというのだから、日本人のように仕事に「やりがい」を求める人なんてまずいないのだろう。
銀行を出て駅へ行き、切符を購入。なんとラタンは切符代まで払ってくれた(しかも一等席)、というか払わせてくれないのだ。もう僕への出費は1000TK近くなっているだろう。あるときなど彼がタバコを買っている間に僕が英字新聞を買うとそれを見つけ新聞屋に俺が払うからその金を受け取るなと言ったので、僕は新聞代さえ出すことができなかった。ここまでしてもらうと感謝を通り越して怖くなってくる。
それからFoy's Lakeという湖近くにある動物園と遊園地に行くが、さすがに野郎2人では持て余してしまう。1時間ちょっとでここを出て、一度彼の家に戻る。少し休憩し、汗を流してからネット屋に連れて行ってもらうが、なぜかノートPCは接続できず。しかも、この店の兄ちゃんが勝手にいろいろいじくってハードウェアデバイスからNICを削除してしまった。ドライバのCD-ROM持って来ていないのに(涙)。おかげでドライバが見つかるまでこの先10日間ほどPCをネットにつなぐことができなかった。
ネット屋を出て、もう1軒彼の友人(珍しく女性だった)宅へお邪魔してから、おととい行ったお兄さん宅へ。しばらくここの双子たちと遊んでからお別れを言って、最後はおじさん宅へ。ラタンの話では、おじさん一家とお兄さん一家が両方とも食事に招待してくれていたらしいが、お兄さん宅ではおとといご馳走になったという理由で今晩はおじさん宅で夕食をとることにしてくれたらしい。おじさん宅でまたおかずタップリの夕食をご馳走になり、お別れを言って家へ戻る。パッキングをして一息ついたらもう出発の時間だ。いくらかでも僕への出費を返したかったが、彼が受け取らないのは明らかだし、そう申し出ること自体彼にとって失礼に思えたので、チベットで買ってずっと使っていた数珠をプレゼントした。
いよいよ出発。僕はテンプーを拾って一人で行けるからと何度も主張するが、ラタンは見送ると言って聞かない。しかも、彼の弟や友人まで一緒に駅まで連れて行くつもりだったらしい(弟は家の門までのつもりで靴を履いてこなかったのでそこで別れたが…)。結局、彼と友人1人が駅まで見送りに来ることになってしまった。。
ホームにはもう列車が入線していたので、座席を探して乗り込む。彼はその間も車掌に日本人の友人がこの席に乗ってるから気をつけて見ていてくれと頼んでくれている。出発までしばらく座席で3人で寂しくなるなぁなんて話をしていると、ラタンと僕はもちろん友人までちょっとウルウルしている。(僕もアメリカで数ヶ月のホームステイをしたことがあるが)「世界ウルルン滞在記」を見ていて、1週間程度の滞在で別れ際に涙が出るもんか?とウソくさく思っていたが、心からのホスピタリティに触れると滞在時間など問題ではないのだと実感できた。
でも、ある瞬間から僕のウルウルは消えた。それは、いつかきっと戻ってくると誓った瞬間だ。だから列車が動き出したとき、僕はGood byeではなく、こう言った「アロ デガーボ(チャクマ語でまた会いましょう)」。
↓チッタゴンの夕日

9時頃起きてラタンと一緒にチッタゴンツアーに出かける。まずは昨日もお邪魔した彼のおじさんの家に行ってお茶をご馳走になる。それからチョークバザールの店でハンバーガーの朝食。続いて近くにある彼の友人が経営しているパン・お菓子屋へ。ここでも歓迎され、好きなものを食べていいよと言われる。さっき朝食をとったばかりだから…と遠慮するといくつか適当に選んで皿に盛って持ってきてくれた。
それからバザールに行って見物、のつもりだったがラタンは初めからここで僕が気に入ったものをプレゼントしたいと思っていたようで執拗に服を勧める。ランガマティで会ってから今まで1銭も出していないのに、さらにプレゼントまでもらうわけにはいかない。欲しいのがあったら自分で買うから大丈夫と何度も断るが、結局、選んだベンガルチックなシャツの代金は払わせてくれなかった。これがチャクマ流のもてなし方なのだろうか。
ここから新市街アグラバードに出て博物館を覗くがスト中のため営業しておらず、少し離れたところにあるタイ仏教寺院へ行く。寺院とはいってもアパートの一室に仏壇とタイから寄贈さあれたという仏陀像があるだけ。このイスラム国では仏教に対する政府のサポートは全くなく、資金は全て信者の寄付に頼っているらしい。現在、資金を集めていて十分貯まったら海の近くにちゃんとした寺院を建てる計画をしているという。ここの僧はラタンの友人で僕に英語の仏教書を2冊プレゼントしてくれた。行く先々でお茶をご馳走になり、常に満腹状態。ここまでの移動は全てリキシャ。ローカルプライスだと10TK(約20円)でかなりの距離を走るものだ。2人乗っても同料金だという。リキシャマンにちょっと同情するが、ラタンはちょっとぼってくるリキシャマンの要求は相手にせず、あいつらは強欲で悪い奴らだと意に介さない。
ここからバスで海岸へ行く。港の脇に伸びる道をずっと進んで海へ出る。コックスバザールよりずっと小さいがビーチに到着。ここでスナックをつまみながらしゃべっていると、ローカルギャル4人組が何か言って僕らの気を惹こうとする。ラタンは、彼女達お前と話したがってるけど、プロかもな…と言うので半分聞こえてないふりをしていた。すると彼女達のうち1人がピーナツの袋を4つ持ってきて、プレゼントだと言って僕にくれた。お礼を言うと、いいのよ~♪といってキャッキャッしている。初対面の女性からプレゼントをもらうなんて初めてだ。やっぱりプロなのだろうか???
それからしばらくビーチを歩き、またリキシャに乗る。空港近くの道から川に出て渡し船で対岸へ。ここにまた仏教寺院があり、お茶をごちそうになる。ここから見る夕日は美しかった。もう日が沈み暗くなった頃、バスで市場へ行き魚やエビを買う。レストランの食事より食材を買って家で食べたほうが美味いよな、というので同意。それを持って帰り料理するのかと思ったら近くにあるチャクマの友人宅へ持っていって料理してくれと頼んでいた。ここには数世帯が住んでいるらしいが、皆、くつろいでねといって暖かくもてなしてくれる。チャクマ族は教育熱心で彼の家族、友人も英語を話す人が多い。ラタンの兄さんは「この国は我々(チャクマ族)にとっては地獄だ。だからいつも外国へいくチャンスを狙っている。」とまで言っていた。ムスリムは旅人に対しては優しいが、異教徒の隣人に対してはかなりアグレッシブらしい。もともとアラーを唯一神とする排他的な宗教だから仕方ないのかもしれないが…。
1時間半くらいして食事ができた。買ってきた魚に加え、たまたま猪の肉が入手できたからといって、おかずは盛りだくさん。みんなで食べる食事はこの国に来て最高のディナーだ。まだうまく手を使って食べられない僕は一番遅くなってしまったが、みんな「アステ、アステ(ゆっくりゆっくり)」と言ってくれる。超満腹になってオートでラタンの家へ帰る。今日もまた彼の友人たちが外で寝ることになってしまった。
↓チャクマ族のディナー
8時過ぎリキシャでバスターミナルへ行き、ランガマティへ向かう。チッタゴンの町を抜け1時間ほど行ったところでランガマティ郡に入る。ここに外国人チェックポストがあり、一人バスを降ろされる。バスの車掌に付き添われパーミットのチェックを受け、登録を行う。パーミットは取得済だし、ポリスにも事前連絡が入っていたようで手続きは非常にスムーズ、5分くらいで終了。
道はだんだんアップダウンが多くなり山岳地帯に入ったことを感じさせる。出発して約2時間、ランガマティの町に入る手前で2回目のチェック。ここも問題なく通過し、ランガマティへ。道から見える湖は青く美しく、チッタゴンより涼しい風が心地いい。埠頭近くにあるバススタンドで下車し、安宿を5軒ほどあたる。しかし、せっかく美しい湖沿いにあるというのにどこも窓がない、あるいは廊下側に小さくあるだけの牢獄チックな部屋ばかり…。田舎の割には値段も高いし、決めあぐねている間に波止場まで着いてしまったのでとりあえず朝食をとりつつどこに泊まるか考える。ダッカで見た情報ノートにここにあるラズボア・ビハールという仏教寺院で宿泊可能という書きこみがあったので、そこをあたってみることにする。
この町、リキシャも市バスもなく、オート三輪が一般的な交通手段だ。しかし、寺までの言い値は高く、実際どのくらいの距離があるかも分からないので、とりあえず湖を眺めつつ歩いていくことにする。しかし、予想以上に遠かった(涙)。バックパックを背負って約5km、10人以上に道を尋ねながら1時間くらいかかって到着。途中、ミャンマー系の顔立ちの人を多く見かける。彼らがこの地域の少数民族チャクマ族なのだろう。
寺は参拝禁止の時間帯だったが、見かけた坊さんに英語ができる人はいないか?と聞いたら境内へ入れてくれ、英語が分かる青年を連れてきてくれた。彼は僧侶ではないようで、宿泊が可能か尋ねると、他の坊さんに通訳してくれた。それから、彼とその友人と3人でこの寺院の最高位の僧「バナマンティ」と面会する。バナマンティはバングラデシュのダライ・ラマ的存在らしく、仏教徒のみならずヒンドゥー、イスラム教徒でも彼には敬意を払っているという。残念ながらお話はベンガル語&チャクマ語だったので僕は正座して聞いているだけで、あぁ太平洋戦争時代の話をしているな程度しか分からなかった。
30分くらいでお話が終わり「で、泊めてもらえるの?」と聞いたら、「明日から2日間ストライキだけど泊まる?僕らは4時のバスでチッタゴンへ戻る手配をしてあるんだけど」という。え、またスト!しかも2日間…(涙)。ちょっと考えたが、この後のスケジュールを考えるとここで計3日使うわけにはいかなかったので、彼らと一緒にチッタゴンまで行くことにする。
チャクマ族の青年ラタンとその友人アジズは、まず飯食おうと食堂に連れて行ってくれ目一杯の食事をご馳走してくれた。それから、彼らは自分達のバスチケットをキャンセルし、3人でミニバスに乗ってチッタゴンへ向かう。ランガマティ実質滞在時間は約5時間、残念だけど仕方がない。僕はチッタゴンへ着いてから今日のうちに夜行列車でダッカへ戻るつもりでいたが、ラタン、アジズはストの間ダッカに一人でいるより、自分の家へ来ないか、チッタゴンのいろんな所へ連れて行くよと誘ってくれる。しかし、まだ警戒心もあったので断り、ダッカへ行くと告げる。
5時過ぎ、チッタゴンへ着いてからまずアジズの家へ、奥さんと男の子2人がいて「いいお父さん」という感じだ。貿易商をしている彼の家にはCATVがあって、プロレスを見せてくれた。お茶とお菓子をごちそうになってからラタンの家へ移動。ここに荷物を置いて、近所にある彼のおじさんの家、それからお兄さんの家へ連れて行ってもらい、行く先々で歓迎を受ける。みんな暖かく、かつしつこくもなく珍客を歓迎してくれた。そして、口々にゆっくりしていってくれというので、ラタンの申し出に甘えて彼の家で2泊させてもらうことにする。夕食はお兄さんの家でいただく。チャクマ族は仏教徒なのでアルコールもOKだ。ローカル焼酎までごちそうになり、10時過ぎにラタンのアパートに戻る。
すると、彼の弟以外に友人が2人来ていて、寝るスペースがない。ラタンは、独身生活なんでしょっちゅう友人が来るんだよ、今日来ているとは思わなかった、申し訳ないと謝る。僕自身が突然やってきた居候なので謝られる筋合いではないのだが…。彼は自分のベッドを使ってくれと強く勧めるが、さすがに気が引けたので自分はマットも寝袋も持ってるから外の床でいいよと言うが彼もひかず、結局室内の床で寝ることになる。その結果、申し訳ないけど彼の友人2人が外で寝ることになってしまった。
↓ランガマティの湖
今日暑いくらいの晴天で風もなかったらもう1日コックスバザールに滞在してビーチで過ごそう。朝早めに起きて様子を見にビーチまで行ってみたが、やはり風は強く、体を焼こうという気分にもならないので移動してランガマティを目指すことにする。
チェックアウトの時フロントに、いいバス会社はどこか?と聞くと「今日はストライキだからバス出ないよ」だと…またストですか(涙)。毎週ストやってらいつまでたってもリッチになれないよ。人の国を妬む前に生産性を上げなさい。
一応バス会社のオフィスをあたってみるがやっぱり開いてない。バス駐車場にいたオヤジに聞くと4時から運行するというので一度宿に戻ってバックパックを預かってもらう。それから朝食をとりながらどうしたもんか考える。ネット屋でもあれば時間潰せるのだが、この町にはなさそうだ(あっても超スローだろう)。
検討の結果、ここから7km沖にあるマヘシュカリ島に行ってみることにする。スピードボート50TK、スローボート20TKと高いがボリではなく、ローカルも同料金だというので仕方がない。コックスバザールの川沿いには多数の漁船(一見海賊船風で格好いい)が連なって停泊していて壮観だ。赤壁の戦いで「連環の計」にはまった曹操水軍はこんな感じだったのだろうか。
さて、島まで往路はスピードボートでGo、ピアToピアわずか15分。ボートが着くマヘシュカリ島南東岸はマングローブで覆われている。長い桟橋を歩き、しつこいリキシャを振り切って進むとそこが村の中心部のようだ。商店が連なっている。この島に来る外国人はほとんどいないようで人々の視線は集まるし、2台のリキシャがいつまでたってもついてきてうざったい。東に小さな丘があり、頂上にストゥーパが建っているのでそこに行ってみることにする。途中ミャンマー寺院を発見、お参りしてくる。ここも昨日の寺同様、勝手にガイドがついてきてチップの圧力をかけてくる。寺周辺は仏教徒集落らしくミャンマー人が目立つ。家は高床式で、女性の中には顔に白いペイントをしている人がいる。ミャンマーはこうなのだろうか?陸路国境が開いていればミャンマーに寄ってからタイへ抜け帰国するという手もあるのだが、残念ながらバングラ-ミャンマー国境は開いていない。
ここからストゥーパの丘まですぐかと思ったら道はかなり大回りしていて30分くらい歩くことになったが、周囲はのんびりした田園風景で散策も楽しい。ストゥーパの丘は大して高くもないのだが、島自体ほとんど平坦なので十分遠くまで見渡すことができた。近くにはヒンドゥー寺院もあったが、中には入れてくれなかった。(今まで見た中では)最近建てられたヒンドゥー寺院は概して面白くないのでさほど惜しいという気にはならない。
ここでもう2時を回っていたので桟橋に戻る途中で昼食をとる。コックスバザールは漁業が盛んな割には魚カレーが高かったので、ここで食べる。値段もお手頃だし、魚も大きく味もGoodだ。やっぱり川魚より海魚の方が美味いような気がする。
帰りはスローボートに乗ってみる。途中かなり揺れたのでゲロ吐いている人もいた。船酔いする人はスピードボートのほうが無難でしょう。45分でコックスバザール着。時刻は3時35分、パーフェクトタイミング。荷物を拾って4時発のバスでチッタゴンへ戻るが、やはりランガマティ行バスはもうなく、やむなくチッタゴンの安宿で1泊。
↓コックスバザールの海岸