6時に起床して外へ出る。冷え冷えとした空気、雲もなく深深とした青空、ずっと向こうには雪をかぶったディラン峰が青に映える。下を見ると、段々畑は緑で点々とピンクの絵の具を落としたように杏の花が咲いている。ここが多くの旅人が桃源郷と呼ぶ村フンザなのだ。評判通りの美しさ、僕もこの景色を見た瞬間にフンザファンになってしまった。
さて、昨日の夕食時、同宿のMさん、Sさんから、今日「チャハールム」というシーア派のイベントがあり、宿の兄ちゃんが連れて行ってくれるという話を聞いていたので、それに同行させてもらうことにしている。その前にまずはシャワー、洗濯、日記と雑用を済ませておく。
10時過ぎ宿のご主人達数人と一緒に出発、KKHまで下っていく。ギルギット側へしばらくいくと幟を持ったり、鉢巻きをしたりした数百人の男達が見えてきた。彼らは車に載せられた巨大スピーカーから流れるリズムにあわせて歌い、胸を叩きながらゆっくりとアリアバードの方へ進んでいく。僕らはなんだかよく分からないまま少し距離を置きながら集団についていった。しばらく行くとある兄ちゃんがが英語で、前から見たければついてきな、写真も撮って大丈夫といって脇をぬって先導してくれた。私立学校の教師をしている彼からこのセレモニーの意味やイスラム教の考え方、ギルギットで起こっている紛争の理由などなどいろんな話を聞いた。
今日は暖かく、歩いていて気持ちのいい陽気だ。KKH沿いの杏は満開でこの熱いムスリム集団とは対照的な春爛漫といったのどかな雰囲気を醸し出している。行進は1時間以上かけてゆっくりと進みアリアバードとの中間点あたりでストップ。それからしばらくバラバラになっていた。僕はとある兄ちゃんにお茶に誘われたので、街道沿いにあるお宅でチャイとパンをごちそうになる。くつろいでいたらそろそろ儀式が始まると言うので再び道へ出て様子を見に行く。何人か宗教指導者らしき人の演説が続いた後、いよいよヌンチャクの先がナイフになったような刃物で自らの体を叩き傷つける儀式が始まった。僕は以前イランのマシュハドでチェーンを自分の体に叩きつけるセレモニーを見たことがあったのでそれと同じかと思っていたが、ここの場合、チェーンの先に刃物がついており半端じゃなく壮絶なものだった。背中や胸はみるみるうちに傷だらけになり、そして血が流れ始めても叩きつづけるのをやめない。驚いたことにいつの間にか宿のご主人達もその集団に入っていて背中から血を流していた。たまに傷がひどい人が周囲に止められて最初100人くらいいた集団が徐々に小さくなっていく。僕はある意味狂気的なその集団を呆然としながら見、そしてカメラのシャッターを切っていた。気がつくと服には彼らの返り血が残っていた。
女性は家からその様子を遠目に眺めているだけ、まさに「男を見せる」熱い儀式だ。30分経っただろうか、いつの間にか男達は数えるほどの人数になり、集団はもと来た道を戻り始めた。自らを傷つけた男達は血をぬぐうこともせず、誇らしげに赤く染まったシャツを着て帰路につく。僕らは途中で集団を追い抜いて村へ戻る。途中で少年達がチャイとパンを配っていて、異教徒の僕らにも快く分けてくれた。これは儀式であると同時に祭りでもあるのだろう。日本だと振舞い酒が出るところだが酒が禁じられているので代わりにチャイが出るというわけだ。
帰り道は道沿いに咲き乱れる杏、村の子供達などの写真を撮りながらゆっくり戻る。宿についたのはもう4時過ぎ。丸1日使ってしまったが、貴重な経験だった。
↓自らの体に刃を叩きつける男達
いよいよスカルドゥを出てフンザへ向かう。お世話になったHさん、Aさんとバス会社のオフィスでお別れ。植林作業には戻ってこられるといいのだけど…。
今朝はなぜか腹痛で目覚めた。それから落ち着いてはいるが、長い移動は不安なので出発前に薬を買っておく。
ギルギット行ミニバスは9時半発、ギルギットまでは200km強の距離だ。出発時の乗客は3人だけだったが、途中で乗合タクシーのようにちょこちょこと人を乗せて走ることになった。来たときと同じようにスカルドゥから1時間のところにある橋のチェクポストでポリスチェック。そこからは谷を左に見ながらKKHに向け崖沿いのうねうね道が続くがミニバスなので対向車が来てもさほど苦労しない。道から見える集落には緑と杏のピンクが目立ち、1週間前とはだいぶ雰囲気が変わっている。
出発後約3時間、KKHまで70kmのところで昼食。そこから1時間半でKKHに入る。このあたり標高約1500mまで下っており、行く先々で緑が目立つ。それもこの時期ならではの新緑…目の覚めるような明るい緑が岩に囲まれた世界の中で力強く輝いている。
ギルギットまでの道はよく整備されていて1時間強で町まで10kmほどのところにある分岐点に着く。ギルギットに入る手前でポリスチェック、全ての車が停められチェックされている。僕も当然パスポートチェックを受ける。ギルギット周辺の道沿いで所々見かける鉄条網とアーミーの姿がここの現在の情勢をよく物語っている。チェックポイントから10分も走らないうちにバスターミナル到着。ここのバスターミナルは町から遠く離れており非常に不便(空港より遠いバスターミナルなのだ)。
フンザ行ミニバスの出発時刻を聞くと、18名の定員になるまで出発しないという。そして現在7名…もう4時過ぎだし11人集まるのに何時間かかるのだろう。この1時間ほど腹痛で苦しかったので少し危険でもギルギットの宿に行こうかと思い、警官に町の様子はどう?と聞いてみた。
It's not safe!
が彼の答え。それを聞いてた別の兄ちゃんもフンザに行くならそのまま行った方がいい、今ギルギットに入るのは危険だと言う。そこまで言われてはフンザに行くしかないだろう。再びミニバスのチケット売場へ行くと、あと数人で出発という状態になっていた。そして15分後には定員-1名で出発、よかった。
ギルギット-フンザ間の道もよく整備されておりミニバスは登りにも関わらず順調に飛ばしていく。そして、この車中見えた集落の緑は本当に美しかった。スカルドゥでは寒さを印象付けているだけだった真っ白なポプラの木々にも緑の葉が萌え全く別の顔を見せている。数日前アスコーレで見た冬ソナ的な白の世界からビバルディの「春」が聞こえてくるような緑の世界への見事な転換。自然の風景なのに人の筆による計算されつくした風景画のような調和を見せてくれる。向こうに見える木一本がなくなっても印象が違ってしまうだろう。僕は道中ずっと目を離さず外をずっと見入っていた。こんなに車窓を真剣に眺めたのは初めてかもしれない。
2時間半後、もうとっぷりと日が暮れた頃フンザ(カリマバード)に到着。ドライバーがどこの宿に泊まるんだ?と聞くので「決めてない。安宿が多くある所で降ろしてくれ」と答えたら、その場で降ろされた。乗客の1人が近くにあるひとつの宿を紹介してくれそのままチェックイン。ちょうど食事中だったので早速まぜてもらいがっつりご飯をかきこみ、停電中だったのでそのまま睡眠。早く明日になって明るいフンザの景色を見たいものだ。
↓(1日先取りですが)杏満開のフンザ
作業も終了したので今日はトンガルからスカルドゥへ戻る。6時に起きて外を見ると美しい青空。空気が澄んでいるのでとびきりのスカイブルーだ。当初は朝食をとってから出発する予定だったが、天気がいいと気温が上がり雪崩・崖崩れの可能性が高くなるので早朝のうちに出発することにする。
7時頃小屋を出発、日が差してくるとぐんぐん暖かくなっていく。標高2900mのトンガルから来たときと同じ川沿いのジープ道をゆっくり下っていく。来たときにジープを降りたあたりまで快調に下り、もうそろそろかなと思ったら新たな崖崩れが起こっていた。地元の人の話だとおととい起こったものだという。冬の間積もった雪が緩んでくる時期とはいえ、天気が荒れたわけでもないのに…。修復作業は既に始まっていて3人のおっちゃんが1つのスコップで土砂をどかす作業をしていた。復旧に何日かかることやら(涙)。
そのとき、パラッパラッという音がしてこぶし大の石が落ちてきた。とっさにオーバーハングしている岩の下に身を寄せてしばらく様子を見る。Aさんが用心深く上を見ながら先に崩落ポイントを渡り、それから手招きで急いで渡れと僕らを呼び寄せる。僕も彼にならって飛ぶように駆け渡り、危険地帯をやり過ごした。こんなに頻繁に落石があるとは…自分がいままで持っていた山の認識とは違った世界だ。この近辺で山歩きをするならやはりガイドは必要だろう。さらに30分くらい歩いたところで迎えのジープが見えたので荷物を降ろして到着を待つ。いや~ヒヤヒヤの林道歩きだった。
11時頃ジープに乗ってスカルドゥへの帰路につく。途中、対岸で大規模な雪崩が起こっていた(下の写真)。道が100mくらい雪と土砂に埋まってしまっている。これも来たときにはなかったので、この3日間で起こったものだ。またもビックリ。この辺りに住む人々は常に崖崩れ・落石の危険と隣り合わせに暮らしている、その厳しい生活環境に改めて大変だなぁという思いを強くした。
シガルの町近くになってくると標高はだいぶ低くなってくる。それにつれ緑が増え、木々の蕾も大きく膨らんできた。間違いなく来たときより地面の緑が広がっていて、ようやく厳しい冬が終わり春がもうそこまで来ていることを教えてくれる。
4時過ぎにスカルドゥ着、スカルドゥの町では杏も一部咲き始めていて町を離れていた数日の間にだいぶ雰囲気が変わったように感じる。きっとフンザではもっと多くの花が見られるだろう、明日はいよいよその桃源郷をめざして移動だ。
↓雪崩の現場
7時頃起床、今日はまずまずの天気。青空は少ないが北の方にある山はかなりよく見渡せる。朝食後8時頃から作業を開始。村人の参加者は昨日より少ないようだ。今日もフェンス移設作業の続き。昨日で概ねフェンスの撤去は終わっていたので今日は新しい場所へフェンスを固定していく作業が中心。数m間隔で穴を掘りそこに支柱を埋めて釘でフェンスを固定していく。ハンマーの数が限られているので同時に作業は進められない。作業をしている間、だんだん寒くなってきた。気がつくといつの間にかまた雪雲が空を覆っていて、風も吹きだしていた。
昼近くなって作業終了し、お茶を飲んで一休み。それから昼食をとり、2時ころトンガルの村へ出かける。僕らが泊まっている小屋は村から一段下がった平地にあり、村へは20分ほど坂道を上がっていかなければならない。村に着いて、子供達を集めてもらい学校へ寄付するよう預かってきた鉛筆を一人一人手渡しする。お礼を言う習慣がないので、「シュークリア(ありがとう)」と自分から言う子は一人もいない。鉛筆を渡しながらお礼を言いなさいと言ってみるが、子供達は鉛筆を受け取るとそのまま走り去っていく。援助というのは言葉では簡単だが、自立を妨げるような援助は一時的に彼らを助けたとしても長い目で見れば「頼り癖」をつけてしまうだけだ。多くの援助機関がそれに気づいてはいるものの受け手のニーズとの調整が難しいことは容易に想像がつく。きっと多くの関係者がこの問題に頭を悩ませていることだろう。
村の男の大半は作業に参加してくれていたようで見た顔が多い。作業の中心になってくれた2人のお宅に招待されお茶をごちそうになる。家に招かれている間、子供達がずっと窓から身を乗り出して僕らを覗いている。でも、こっちから近づくと女の子は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう(涙)。この辺りは水が少なく標高も高いので風呂に入ることはほとんどないようだ。そういった生活は非常にチベット的、肌も同じようにカサカサで黒く、子供はリンゴほっぺ。素足のままサイズの合わないぶかぶかの靴を履いているのが痛々しい。
村に来てようやくここの女性を間近で見る機会を得たが、写真は少女を含め一切撮らせてもらえなかった。赤いつば付装飾帽子をかぶっているのがここの女性の特色。よく見る装飾に中国の古銭や日本の5円玉が使われていた。どこから手に入れるのだろう???
↓薪拾いの子供達

朝、外に出てみると雪がちらついていた。はぁ、もう3月も終わりだというのに…(*_*)。標高2900mのここでは5月でも雪が降ることがあるらしいので、まだまだ春は遠い。葉の落ちた白いポプラの木々に雪が舞う絵はまさに「冬ソナ」のイメージ。
朝食を終え、NさんとローカルガイドのSさんが調査のためさらに1時間上がったところにあるアスコーレ村へ出発することになった。Aさんの勧めもあって、僕も雪の中アスコーレ村の様子を見について行くことにした。途中かなり大きな崖崩れが起きていたので、復旧にはかなり時間がかかるだろう。1時間ほどで到着。彼女達が宿泊するHさん宅でお茶をごちそうになる。
アスコーレ村はK2等へのトレッキングに行く際ジープが入る最後の村、つまりトレッキングの拠点となる所だ。そのためここには観光収入があり、村人のつけている時計や着ている上着が他の村より少しいいものだったりする。また、ポーター経験者が多いので英語を話す人もかなりいるようだ。しかし、残念なことに子供達が外国人慣れ、悪く言えば旅行者ズレしていて、金やペンをせびってくる子が多い。
お茶をごちそうになった後、Nさん達は調査の方法等について話し始めたので僕は邪魔にならないうちにトンガル村へ帰ることにする。幸い雪は途中でやみ視界が開けてきた。トンガルに着くと、村の男達30人ほどが参加して植林地を囲うフェンスを移設する作業が行われていた。村人の多くはシャワールカミースに厚めの上着を羽織っており、一見とび職の兄ちゃんみたいだ。早速僕も作業に参加するが、久々の慣れない肉体労働はけっこうしんどい。農業やポーター業等で普段から体を使っている彼らと一緒に作業をしていると自分の体力のなさが情けなくなってくる。できの悪い生徒になった気分だ。
2時過ぎにようやく昼食。労働後の食事はウマイ。食後さらに2時間ほど作業をして今日は終了。思ったより多くの村人が参加してくれたので順調だったようだ。この植林NPOも初めの頃は外国人が勝手にやっていると思われていて、なかなか村人の協力を得ることができなかったという。継続は力なり、なのだ。
↓トンガルの村人と一緒にパチリ

今日はNPOが4月中旬に行う植林の下準備のためトンガル村へ行く。7時に出発、シガルまでは舗装道路が続いているので快調に進み40分ほどで到着。今日もまずまずの晴天でシガル手前の峠道から見る雪をかぶったカラコルムの山々が美しい。シガルには珍しい木造のチベタンモスクが残っているが、今回は車窓から眺めるだけ。
シガルを出るとガタガタのダート道になり20km/h走行が精一杯。インダス川の支流と巨大な岩山に挟まれた道を北上していく。たまに集落を通り過ぎ、子供の姿も見かけるが手を振ってもほとんど反応がない。また、途中で会った男達の多くは光のない眼をしていたように思う。農閑期で仕事がないからだらだら過ごす毎日になり活気がなくなってしまうのだろうか?それとも大家族という大きすぎる十字架を背負って同じような毎日を繰り返すのに疲れ果ててしまったのだろうか?
11時頃ティーブレイクをとってさらに進み、1時間ほど走ったケウアというところでジープを降りる。普通ならトンガル、さらに先のアスコーレ村までジープが入るのだが崖崩れのためトンガルの10数km手前から歩かなければならなくなった。ま、(仕事ではない)僕にとってはトレッキングというおまけがついたようなもんだ。
トンガルまではジープ道をゆっくり休み休み歩いて4時間強。風が出てきてちょっと寒い。途中、雲の向こうに小さくマッシャブルムの姿を見ることができた。
5時前にトンガル村にある小屋に到着。これから3日間この小屋で過ごすことになる。村人が数人やってきてHさん、Aさん達と作業の打ち合わせ。さて、明日僕は何をするのだろう…。
↓シガル手前の峠道から
クワルドゥで朝を迎える。覚悟はしていたが体中ダニに刺され痒い。外へ出てみると晴天で朝の冷えた空気でカラコルムの山々が昨日以上に美しく見える。
洗顔を済ませ朝食をとってからスカルドゥへ戻る。朝の風は身を切るように冷たくジープの荷台で過ごす1時間はちょっとつらかった。
スカルドゥに戻ってから聞いたのだが、現在29歳のAさんが結婚したのは14歳、その時奥さんは12歳だったという。そして、最初の子は17歳のときに生まれ、もう12歳。Aさんの一番下の弟より年が上という日本では考えられない家族だ。たいてい結婚は親が決めるもので、子供の頃から許婚がいるのはかなり普通なことだという。もしここに生まれていたら全く違った人生になっていたんだろうなぁと5児のパパになっている自分を想像してみたりする。
8時頃スカルドゥに着いて町で少し買物をしてから事務所に戻る。昨日ギルギットで紛争が起こっていた関係でバスの到着が大幅に遅れていたNさんの現地ガイド・通訳のS氏がやってきてしばらく歓談。ギルギットでは既に50人以上の死者が出ているらしい。痛ましいことだ。
昼食後バザールに買物へ出かける。今日の夕食は居候の僕とNさんがスパゲティを作ることにしたので材料を購入。トマト等野菜は新鮮さが全くないうえ、かなり高いがこの地域では仕方がない。
さて夕食だが…完全に失敗。5人分のパスタを3リットルのお湯でゆでたらゆで汁がドロドロになって半分溶けたパスタになってしまった。パキスタン製パスタは予想以上に粉っぽかったのだ。申し訳ありませんm(_ _)m。
↓クワルドゥの少女
NPO事務所で居候させてもらい2日目を迎える。今日は90%の晴天。昨日は雲に隠れていた山の多くが顔を出してくれた。改めて空気もきれいでいいところだなぁと実感。午前中は洗濯やPC作業をして、昼頃ここから約5km山のほうへ上がったところにあるサトパラ湖に行ってみる。この湖には水力発電用ダムを建設していて完成したら湖中央にある島も水没したしまうと聞いたので様変わりする前に一度見ておこうという魂胆だ。舗装道路を20分くらい上がると工事エリアに入るが、特に立入禁止になっているわけでもなくそのまま上がっていく。思っていたより標高差がありすっと上りが続く。体がなまっていてちょっとキツイのが情けない(;_;)。
45分くらい歩いたところでちょっとした峠を越える。すると先に湖が見え出した。2時間くらいかかると聞いていたが1時間弱で到着。スカルドゥの飲料水源になっているだけあって水は青く澄んでいて美しい。手前から見ると三方を山に囲まれていてどん詰まりにあるように見えるが、実際にはさらに道は続いていて10km先にサトパラ村がある。湖岸に座ってしばらく景色を眺めて過ごす。歩いているときは暑かったが、休んでいるとすぐひんやりとしてくる。山の斜面を見ると工事後に予定されている水面ラインが白線で示されている。予定通り水位が上がれば島も湖岸にあるロッジも茶店も水没してしまうだろう。この風景もあとしばらくの命だと思うと残念。
3時頃からNGO現地スタッフAさんの家があるクワルドへ行く。スカルドゥから直線距離にすれば近いのだが間にインダス川があるため、かなり大回りをしなければならない。途中インダス対岸から眺めるカラコルムの山々は素晴らしかった(下の写真)。1時間くらいかかってクワルド到着。Aさん家族は19人の大所帯で子供がいっぱい。皆とにかく可愛い。でもシャイな子が多く、ウルドゥー語で話しかけてもはにかむだけであまり答えてくれない。
ここも例にもれず女性は非常に保守的で僕の存在はほとんど無視、挨拶すら避けられてしまう(涙)。しかし、女性に写真を撮られるのにはあまり抵抗がないらしく(というか実は写真を撮ってほしい)、Nさんには部屋で写真を撮ってくれと頼んでいた。それから近所の家も含め女性が赤ちゃんを連れて次々とやってきてはフォトスタジオと化した部屋で撮影が続いた。その間僕は部屋の外で男の子相手に「ムスリムの男はつらいな~」と愚痴っていた。夜は家庭料理(でもやっぱりカレー)をごちそうになる。分厚いナンが腹にたまる。食後、また子供達がやってきて少しガスランタンのある僕らの部屋で宿題を始める(この村にはまで電気がきていない)。ここでは7歳くらいからウルドゥー語(普段使っている言語はバルティック語)と英語の授業が始まるらしい。この家庭では教育は厳しく、宿題を見るのはもちろんノートまでチェックされていた。大変だ。
↓インダス川とカラコルムの峰々
今日はまあまあいい天気。昨日は暗くなってからの到着だったので気づかなかったが、ここは周囲を数々の雪山に囲まれていてラホール、ラワールピンディとは全く違った場所だ。葉を完全に落とした白いポプラ並木と雪山が寒々とした雰囲気を醸し出しているが、辺りの木々をよく見ると蕾がかなり膨らんでいて春の訪れが近いことを教えてくれる。
午前中はいろいろ周辺地域の話やギルギットの状況などを聞いたりしてゆっくり過ごし、午後、車でバザールへ送ってもらう。ここはバザール=大通りという感じ、区切られたものではなく、町の中心地がバザールだ。スカルドゥはトレッキングの拠点としては知られているがあまり観光客がやって来るところではないようで土産物屋は少なくほとんどの店はローカル向けの商店だ。人出はかなりあるがとにかく男しかいない(笑)。たまに少女を見かける程度。この辺りの人は(特に年配者)ギルギット帽をかぶっている人が多く、いい味だしている。ちょっとビンラディン系の顔も目につく。
パキスタンの田舎ではほとんど女性が表に出ることはないようで、買物も男の仕事。女性は家事と育児担当だ。この近辺もかなり保守的な土地らしく、学校の先生が男だと女の子を学校に行かせるのを嫌がる親も多いらしい。
時間をかけてぶらぶらしてみる。女性の連れがいたせいもあるがかなり注目度は高い。たまに声をかけてくる人もいるが、たいていは何者だろうと遠目に見ているだけだ。中国国境がかなり近いせいか、商店に並んでいる品物は中国製品が多い感じ。また、気候的に農業が難しいようで野菜・果物類はかなりくたびれたシロモノばかり。一通り回って、僕もギルギット帽を購入(80Rs)。ローカルも含めなかなか好評(笑)。
ちょっと驚いたのは焼かれた家やホテルがあったこと。これは今年に入って北部地域で始まったシーア派とスンニ派の抗争によるものだという。スカルドゥでは死者こそ出ていないが、かなりの被害が発生していることが分かる。4階建てのホテルが焼け跡になっていたので旅行者もターゲットにはならずとも危険がないわけではないだろう。ギルギットでは数十人の死者が出ていて、バザール、学校も開いていないというのでさらに深刻な事態であることは容易に想像できる。フンザに向かう道中がちょっと心配だ。
↓スカルドゥの女の子
早朝6時前に起こされチラスの村にあるゲートでポリスチェックを受ける。他にも数人外国人がいたのでチェックは少し時間がかかった。チェックが終わり、明るくなって気づくといつの間にかインダス川沿いの道になっていた。さすがにかなり寒い。この周辺は山賊による襲撃の可能性があるためバス等はしばらく停車し、固まって出発する。そのため次に朝食で起こされた時もバスはほとんど進んでいなかった。相変わらず食欲はなく、チャイだけ飲んで出発。
この先はインダス川を右に見ながらの谷沿いルートになるが、道から谷底まではさほど深くないので大した恐怖感はない。しかし、左側の山肌はガレ場が続き、防護ネットもないので落石を受けないだろうかと気になる。実際、KKHでは昨年日本人旅行者が落石で2名亡くなっている。11時頃ようやくギルギット、フンザ方面へ向かうKKHから分岐しスカルドゥへの道へ入る。
しかし、分岐からすぐの所にかかる橋で修復作業(おっちゃんが1人吊り橋のワイヤーの足場につかまってハンマーでトンテンカンテン叩くのをずっと繰り返しているだけなのだが…)が行われていて2時間足止め(涙)。出発したのは1時過ぎ。
今日も曇、時々雨といったさえない天気で晴れていれば見えるはずのナンガパルバット等の8000m峰も雲の彼方。ま、疲れ果てていたので景色を楽しむ余裕もあまりなかったが…。スカルドゥ方面への道に入ると集落の数もずっと減って岩と雪、それに川の世界になる。そこでたまに見かける人々は毛布のような大きなショールを羽織っていて、スターウォーズの惑星タトゥーインみたいな風景だ。
もう暗くなった6時半頃スカルドゥ近くの橋を渡り最後のポリスチェックを受ける。それから約40分後、真っ暗になってようやくスカルドゥの町に到着。出発してから約28時間が経過、さすがに疲労困憊。尻が痛い。
宿探しも面倒だなぁと思っていたら、Nさんの友人でここでNPOの活動をしているHさん、Aさんが迎えに来てくれていて事務所に泊めていただくことになった。お茶をいただいてから近くの散髪屋で久々のシャワー。疲れ果てていた体が一発で甦った。食欲も回復して夕食をいただいて、1日ぶりに横になって睡眠。あぁ快適。
↓岩に描かれた仏陀像(スカルドゥ)
今日も雨がしとしと降っている。あぁ、またダメかなと半分あきらめ気分でバス会社に予約の電話を入れてみる
…あっさりOK!
しかも、3時半の便は学割OKというので即ブッキング、これでようやく出発できる。出発1時間前にはバスターミナルへ来るようにという指示だったので、遠出はできないし中途半端なので午前中は部屋で準備をしたりメール、日記を書いて過ごす。午後チェックアウトしてネット屋へ行き、午前中作った分を送信。
2時に宿へ戻って同宿の人達とタクシーをシェアしてターミナルへ向かうが、運悪くその頃にはかなり雨が激しくなっていた。そうなるとタクシーがなかなか捕まらないうえ、料金も上がるので交渉が大変だった。何とか出発30分前にバス会社のオフィス到着。僕はあっさり発券してもらえたが(学割400Rs)、一緒のバスを予約したはずのNさんの分が予約リストに入っておらずもう席がないと言われ一悶着。親切か偶然かあるおっちゃんが自分の予約をキャンセルしてくれたので何とか2人とも乗車することができた。
バスはほぼ定刻出発。長距離を走るバスにしてはボロく、早速雨漏りしている(涙)。乗客はNさん以外全員男性、北部の人が多いので独特のギルギット帽をかぶった人が多い。予定乗車時間は22時間だが、崖崩れの復旧直後だし、今日も雨なのでそれ以上かかることは間違いないだろう。
おととい行ったタキシラを越えて、Wahで右折、北上していよいよカラコルムハイウェイに入る。この超カッコイイ名前の中国-パキスタンを結ぶハイウェイだが走ってみると普通の道路だ(当然か…)。出発して4時間くらいして夕食休憩。道は舗装道ながら状態は悪くかなりバンピーだ、おかげで車酔いには至らないものの胃が働か全く食欲がない。軽くケーキを食べて出発。その後、11時頃ベシャムの町で再度休憩。この辺りまでは谷沿いを走るわけでもなく、あまり緊張感はない。しかし、直線道路はほとんどなく、カーブの連続のため何となく気分がすぐれない状態が続いている。思っていたよりきついバス旅だ。この後まだ12時間以上乗っていなければならないと思うと不安になってくる。できるだけ眠って時が過ぎるのを待つしかない。
↓NATCO社のスカルドゥ行バス
今朝スカルドゥへ出発するつもりで早起きし、バス会社のオフィスに電話する(というか、電話屋の兄ちゃんがかけてくれた)。が、KKH(カラコルムハイウェイ)の崖崩れからまだ道路が復旧していないので運休という返事。はぁ、おととい崖崩れがあったという話は聞いていたけど、まだ直ってないのか。
仕方ないので今日は旧市街のバザールでもぶらぶらして過ごすことにする。まずは、天気がいいので洗濯。この宿では4階に外国人旅行者を泊めているらしく、皆状況と考えることは同じでつながっているベランダに出ると既にたくさん洗濯物が干してあった(笑)。11時頃までメール書きをして出発。線路を超えてフォワラニチョウクまで歩く。この六差路辺りからバザールが始まるようだが、バザールというよりは商店街という感じであまり面白くない。もっと(車の入れない)細く入り組んだ路地に店が並んでいるのかと思っていたが、普通の通り沿いに同じ業種の店がしばらく並んでいるだけだ。ガイドブックにここが見所として紹介されているということはよほど見所のない町なのだろう。宿やその周辺の居心地はいいのだが、さすがにそろそろ出発したい。
2~3時間かけて一通りバザールエリアをうろつくが、やはり大した発見もなく宿に戻る。僕はバザール散策が好きだったはずだが・・・もうかなりいろんなバザールを見たのでさすがにそう簡単に面白味を感じなくなってしまったのだろうか。感性が錆びついてしまったのだろうか、ちょっと寂しく感じる。
宿に戻って昼寝をし、PC作業をまとめて夕方ネット屋へ。この街では今までになく部屋でコーヒーを飲みながら(さらにケーキやクッキーを食べつつ)PCをいじってる時間がとても長い。明日もバスが出ないようだったらちょっと遠出してみよう。
↓モティバザール
今朝はからっと晴れたので近郊にあるタキシラ遺跡に出かける。ここはパキスタンでも最大級のガンダーラ遺跡で、世界遺産にも登録されている。
バスを乗り継いで約1時間で博物館前着。しかし、ここもまた入場料外国人200Rs、しかも遺跡群は別途200Rsが必要という高額スポット(涙)。昨日、観光案内所のオヤジは10Rsくらいって言ってたのに…交渉するがダメ。昨年までは外国人もローカルも4Rsだったらしい。一気に50倍値上げするとはひどい話だ。
とりあえず博物館は入らず遺跡群へ向かうことにした。リキシャ兄ちゃんが3ヶ所チケットなしで入れるところがあるというのでまずはそこへ向かうことにする。リキシャに乗らなくてもローカル用の乗合スズキが走ってるのでそれを利用、いちばん離れたところにあるジョーリアーン遺跡へ行く。車道から2km弱歩いて到着したその遺跡はリキシャ兄ちゃんの話とは違っていて要チケットだった(涙)。見学に来ていたパキ人学生にストゥーパとは何か?など質問を受け面白かった。が、結局外から見ただけ、学生連中も200Rsは高すぎだといって係員に抗議してくれたがダメだった。ここを出て近くのピッパラへ、ここは無料だったが小規模な遺跡でおまけみたいなもの。続いて道を戻るような感じで3ヶ所の遺跡を巡るが、やはり無料スポットは小規模なものに限られている。
昼頃から雲行きが怪しくなり、ついに雨が降り出した。あららと思ってたらリキシャの兄ちゃんが停まってくれ「Money, No Probrem」といってタダ乗りさせてくれた。次の遺跡前で降りたらちょうど雨も止んでいた。ラッキー。続いてはこの遺跡群最大のシルカップ。ここはBC2世紀にギリシア人によって建造された都市で、残された石積で町の様子が想像できる。かなり大規模な都市遺跡だ。ここも当然要チケットなのだが、平地の中にあるので外から容易に外観を見ることはできる。しかし、インドに近いこの地までギリシア人が来て町を作っていたとは…古代ギリシアの力を思い知った。
ここから東にある丘に登って上から遺跡を眺め、そのまま最後の遺跡ダルマラジカへ向かう。30分強歩いて裏から遺跡へ入る。途中でチケット!と咎められたがシルカップから歩いてきたといったらなぜかチェックなしでガイドしてくれた。ここもかなり大規模な遺跡で巨大なストゥーパと僧院、裁判所跡が残っている。わずかながら仏陀像も残っていた。見学が終わるとき、おっちゃんがガイド料を要求してきたのでポケットにあった小銭6Rsを渡したらあまりにしょぼかったのか「学生なのか」といって返してくれた。今日はたまたま1000Rs札に40Rsしかなく、小銭を出すと帰りのバス代が足りなくなってしまうのだ。
5時間以上歩きつづけて全ての遺跡を見終わった。もう2時半、博物館に戻りダメもとでもう1回交渉するが、門番のオヤジが博物館館内に入らなければ見て回っていいと自分の権限内でできる最大の譲歩をしてくれたものの結局ディスカウントはできず。
ここの感想として、遺跡の規模も大きく、石積も独特のものがあるがあまりガンダーラ(=仏教)遺跡という感じはしなかった。辺りには麦畑が広がっており、遺跡を巡りながら散策するのは気分がいいものだ。しかしトータル400Rsは取り過ぎでしょう。
タキシラのバザールに寄って宿を出て以来の食事(ナン2枚)を食べる。おかずなしでナンだけを食べるのはよほどの貧乏人だけらしく、道行く人の奇異な視線を感じる。あるおっちゃんが肉食べんのか?というので今日は金がないのだと答えると、お茶をごちそうしてくれた。それから幹線道路まで歩きラワールピンディへ帰る。帰りも雨になったがバスの車内だったので助かった。
↓ダルマラジカ遺跡(タキシラ)のストゥーパ
今朝も目覚めたのは10時近くになってしまった。そして窓の外は雨。熱帯のスコールとは違い日本の雨のようにしとしとと降り続いている。たまに止んだかな、と思うといつの間にかまた降りだしている。
しかたないので宿の部屋でたまった日記を入力したり、メールの返事を作ったりして過ごす。たまに、雨の降ってない隙をみて近所を歩き買物、食事をするだけ。ま、PC仕事(?)はたくさんやるべきことがあったので、これはこれでいいか。インドで疲れた分の休養としよう。
夜は雨の中、同宿のNさんと新疆名物ラグメンを食べに行くが店が休みだった。残念賞~。かわりにレストランでチキンビリヤーニを食べる。女性同伴だったので、ついたてで仕切られたレディースルーム(?)で食事することになった。いい経験だ。パキスタン人家族を観察するのもなかなか面白い。一夫多妻OKの国なのに見ていると女性のほうが強そうな感じ。近くに座った女の子は白人のような青い眼をしていてとても美しかったが、隣のお母さんを見て20年後の彼女を想像すると夢が打ち砕かれたような気になる。
↓ウルドゥー語で視力測定(見えても読めねえよ~)
昨夜遅くまでPCを使ってたら、今朝目覚めたのは何と10時過ぎでちょっとビックリ。
シャワーを浴び、朝食を取る。しばらくラホールで会ったNさんとしゃべっていて、午後彼女の紹介でイスラマバードの旅行会社の方と会うことになった。友人が今秋K2トレッキングを計画していて、僕もそれに誘われているので情報を入手しておきたかったのだ。
雨の中、ミニバスとタクシーを乗り継いでオフィスへ。そこで少し話を聞いた後、今日アフガニスタンから帰ってきた日本人とガイドがランチをとっているのでそこに合流しないかという話になり、願ってもないと入れていただく。
そこでお会いしたM氏は元祖バックパッカーみたいな人で、35年前、既にアフガニスタンには来たことがあって、今回2回目だという。たまげた!1US$=250円くらいの時代に世界中を回って金を稼ぎながら旅を10年以上続けていたという。当時はヒッピー時代だから放浪者は世界中たくさんいたよとおっしゃっていたが、今、旅している僕らとは比べものにならない苦労とそしてかけがえのない経験をされている。いろいろお話を伺ったが、どれもうらやましいものばかりだった。そして、近代都市イスラマバードの高級レストランでのランチも御馳走になってしまった。
僕はもうそろそろ帰国して働くつもりですと言ったら「帰る必要ないんじゃないか、とことんやったらいい、そうすればその道のプロになるから。苦しいこともあるけどな。」とおっしゃった。僕には同じような道を通ってきた友人こそ多いが、こういった「先輩」はいなかったのでその言葉はちょっと重たく聞こえた。また、年配者で「今のアフガニスタンを見ておくのもいいと思うぞ、金はそれなりにかかるけどね」と勧める人も初めてだ。イラクでの人質事件がある前は今回の旅でパキスタンから先へ行くとすればアフガニスタンに行くのも一つの選択肢だなとは思っていたが、事件以降その考えはなくなっていた。怖いからではなく、何かあったときに家族が日本中から責められるのを想像するとリスクを自分だけで背負えないことをする気持ちは萎えてしまうのだ。正直、あの事件の時帰国した3人に向けて「税金泥棒」といったプラカードを持って集まった人たちの映像を見たとき、初めて日本人を嫌な人種だと感じた。それ以来、海外で会う外国人にも自信を持って好きな国は日本と公言してきた僕の愛国心もちょっと揺らいでいる。
さて、楽しく美味しいランチを終え、イスラマバードのシンボル「シャー・ファイサル・モスク」まで車で送ってもらう。サウジアラビアからのギフト(!)というこの巨大かつモダンなモスクは、「玉ねぎドーム」というモスクの概念を超えた近代建築だ。残念ながら中には入れなかった。それから、この広い街を少し見物してラワールピンディに帰る。珍しい一日だった。
↓シャー・ファイサル・モスク
僕の乗った夜行バスはペシャワール行だったらしく、ラワールピンディorイスラマバードに行く乗客は近くの幹線道路で降ろされた。時刻は4時半、予想以上に早い到着。どうしようと思っていると、迎えのミニバスが来ていてピンディ中心街まで無料で送ってくれた。幸い予定していた宿はここから近く、歩いて行くことができた。5時前だったが普通にチェックインさせてくれた。シャワーを浴びてから仮眠。
パキスタンのバスは夜中ミュージックビデオをかなりの音量で流し続けるので、なかなか眠れない。夜行バスなのに睡眠させてくれないバスは初めてだ。一緒に乗っていた兄ちゃんに途中の休憩所で「この音楽を一晩中続けるの?」と聞いたら「そうだよ」と当り前に答えられてしまった(涙)。
というわけで昼近くまで睡眠。それから昨日ネットからDLしたメールや記事を読み、街へ出かける。昨夜、パキスタンでのスケジュールを改めて考えたらかなり日数に余裕があることに気づいたのでピンディにも数日滞在することにし、今日は近くで今後の情報収集や買物をして過ごすことにした。
昨日、宿で一緒だった人に「歩き方」パキスタン編を見せてもらって初めてこの国にもかなりの見所があることを知り、ちゃんとしたガイドブックをここらで購入しようか迷った。本屋を5軒くらい回り、ようやくロンプラのパキスタン編を見つけたがUSドルの定価よりはるかに高かったのでさすがに買えず。他に2つほどあったガイドブックも出版年が古かったり、欲しい情報がなかったりだったので結局立ち読みで済ませてしまった。
それから観光案内所へ行って近辺の見どころやトレッキング情報について聞くが、ちゃんと知ってんのかな?という感じだったのであまりあてにできそうにない。でも、いいオヤジでお茶をごちそうしてくれたうえ「またいつでも来な、日本人大歓迎だぜ、アメリカ人は嫌いだけどな」と言ってくれた。やっぱりムスリムの反米感情は高いようだ。日本もいつまでもアメリカの肩ばかり持っているとせっかく友好的なムスリムの信頼も失ってしまうかもしれない。
ここを出てサンダルを購入。バングラで買ったのがダメになるのが時間の問題だったのでこの数日ずっと買おうか迷っていたが、ついに購入。ちょっとモダンなデザイン物にしてみた(760Rs)。続いてスーパーを見つけたので、中を一回り。キッチン&冷蔵庫付の宿だったら欲しいものがたくさんあるのだが今のところでは自炊できないので石鹸1コだけ買って買える。パキ人も金持ちは結構いるらしく、車で買物に来てごっそり1000Rs以上の買物をしていくおばさんもいた。
ピンディの街にはなぜか猿回しが数人いた。芸をさせているところが見れなかったのが残念。
↓ラワールピンディの食堂にて
今日はラホールを出て夜行バスでペシャワールへ向かう予定。宿の兄ちゃんが偶然目指すカラッシュバレーの出身だったのでいろいろ情報を聞いておく。
パッキングをして11時頃街へ出かける。主な見所は既に見ているので、今日は郊外にある2つの聖者廟に行ってみることにする。まずは宿の近くで昼食、それからバス停でジャハンーギール廟へ行きたいんだけどとバス待ちのおじさんに尋ねると、バス代を出してくれたうえ乗換ポイントまで送ってくれた。
しかし、ここから先いろんな人にどのバスに乗ればいいのかと聞くが、ちゃんとした場所を知ってる人は少ないらしく、適当な答えしか返ってこない。教えてもらったバスに乗ろうとすると「このバスじゃない」の繰り返し。ラホール市内から出ないまま2時間が経過してしまった。あるミニバスでは、乗る前にジャハーンギール?と聞いて、Yesというから乗ったのに10分後、降ろされたのは駅前(涙)。さすがに切れたので金だけは取り返した。
試行錯誤を繰り返し、ようやくジャハーンギール廟に到着。しかし、入場料外国人200Rs!そりゃないだろ~(涙)。100Rsまではすぐ下がったが、それでも高いので結局入らず。近くにあるヌール・ジャハン廟を目指す。こちらはさらにマイナーな存在らしく地元の人や警察官ですらほとんど知らない。結局、道を聞いたおじさんの軽トラの荷台に乗せてもらいすぐ近くまで送ってもらった。しかし、ここの入場料はさっきのジャハーンギールと共通券になっており、やはり200Rs。というわけで数時間かけて2つの聖者廟を見つけたが、中には入らずラホールの街まで戻ってきてしまった。疲れただけの不毛な1日だ。
夕食に串焼きを食べて宿でネット。ペシャワールへ行くつもりだったが、そこから先チトラールへ抜ける峠が積雪で通れないことが判明。急遽、行先をラワールピンディに変更。宿のオーナーが自宅へ帰る車に同乗させてもらいバスターミナルまで行くことができた。
↓ジャハーンギール廟の門(中には入らず)
昨夜は久々に夜遅くまで日本人同士でしゃべっていてベッドに入ったのは3時頃。で、今朝起きてみると喉が痛く、声も出ない。昨日ラホールに着いたときから空気が悪く喉が痛いのは感じていたが、一晩でこんなにひどくなるとは思わなかった。どこに行くにも大声でいろんな人に行き方を聞かなければならない途上国の旅で声が出ないというのは本当に苦痛だ。とはいえ、ドミのベッドでいつまでも寝てるのは性にあわないので、8時頃近くの食堂で朝食を取り、コーヒーを飲んでから観光へ出発。
まずはラホール最大の名所ラホール・フォート(砦)へ行く。宿の兄ちゃんにバスを聞いて乗ったが反対方向だと言われ下車。道路を渡って正しいバスに乗ってからは、行先を確認したおじさんが乗換ポイントまで手をひいて、バスを停めて乗り込ませてくれた。
フォートの入場料は200Rs。昨日聞いていた値段だが、やっぱりあまりにも高くて入るのを迷う。学割もないというが、10分以上粘って交渉した末、半額で入れてくれることになった。ただし、チケットを返すという条件。おっちゃん、それってアンタ100Rs着服するってことだよね。ま、俺は安くなりゃそれでいいけど。
巨大な門をくぐって城内に入る。ここもデリー城と同様、入ってみたらかなりスカスカ。保存状態も良くない。ここはUNESCOの世界遺産に登録されているので当然保存作業が行われなければならないのでは…と思ったら、ここの目玉である「鏡の宮殿」が作業中のため、柵および網が設けられよく見えなかった(涙)。これで200Rsはどう考えても取りすぎだ。
見学中、ペシャワールから来ているというエンジニアのおじさんとしばらく話をして、ごめん、今日喉痛いからあまりしゃべらせないでと言ったら、喉を潤しなさいとコーラをおごってくれた。このおじさんの長男は大学まで行ったのに昨年自殺してしまったのだそうだ。明日まで生きることだけを考えてる人はどんなにひもじくても、寒くても自分の命を自分で消そうとは思わないだろう。それは動物の本能だからだ。未来を考えている人だけが自分で死を選ぶ。それは物質的な豊かさとは全く無関係だ。シンプルな生き方をしてれば自殺という悲劇は起こらないのではないだろうか。「Inocence is great」(from MATRIX)なのだ。
さて、ここを出てすぐ向かいにあるバードシャヒモスクへ。ここは世界最大級という巨大なモスクで、門をくぐってすぐのところから最大広角で撮っても両端のミナーレが写真のフレームに入らないくらい大きい。ここは無料のうえ、なかなか見応えがあって○。しかし、ムガール建築というのはどれもスケールがでかい。それだけ圧倒的な国力があったということなのだろう。
モスクを出てからはフォートの南に広がる旧市街のバザールをぶらぶら歩き。ムスリム女性を写真に撮りたいのだが、なかなかいいタイミングがない。若い娘は少ないし…。イスラム国だとやはり女性が外に出ていること自体が少ない。未婚の娘は家に隠れてるのだろうか???旧市街にあるワジール・ハーン・モスクはタイル装飾が美しいペルシア建築風のモスクで一見の価値あり。ここでちょっと休憩してから旧市街を出て、アナルカリバザールへ行くがここはただの商店街という雰囲気でイマイチ。バスで宿近くに戻って、旅行代理店を数軒あたって帰りのバンコク行チケットの値段をチェック。なぜかどこで聞いてもラホール発よりカラチ発の方が安い。
↓バードシャヒモスク
明日でパキスタンビザの期限が切れるので、1日余裕をもってインドを出る。国境は10時に開くらしいので8時半頃チェックアウト。バスは9時前に国境へ向け出発。インド最後の町でアタリ止まりではなく国境まで行ってくれた。約1時間で到着。インドルピーをできるだけ使い切りたいので、朝食をとってからイミグレへ向かう。出国印をもらってからカスタムへ行って荷物検査。幸い荷物を開けられず申告だけで済み、パキスタン側に向かう。パキスタンイミグレには入国カードもなく順番を待ってパスポートを提出するだけ。続いて隣室のカスタムへ。ここでも荷物について質問を受ける。
「サケを持ってないか?」
…持ってる。アルコールを入手できない国なのでわざわざ昨日ウィスキーのボトルを購入したのだ。でも、この質問がくるってことはアルコールは持込禁止、「Yes」といえば没収になるのだろう。ここはしらをきるしかない。
「No」
…パスポートが帰ってきて終了。
よかった、開けられずに済んだ。これで手続終了。建物を出てワガ行バスを待つ。20分くらいしてバスが来た。このバスはワガより先、目的地であるラホールまで行ってくれた。途中はかなり混んだが1時間強でラホール着。たまたまバスに乗り合わせた旅行者4人が皆同じ宿に行くのでオートリキシャーで相乗りし、2時頃に宿に着く。宿は混んでいたが何とかベッドは確保できた。日本人も多く泊まっているのでいくつか情報を聞いてから町へ出る。が、今日は日曜日で商店の多くは閉まっている。ここはイスラム国なのに金曜日ではなく日曜が休みらしい。ここはナンが安くてウマイ。カレーなしでナンだけでも十分いける味。
夜は宿にミュージシャンが5人くらいやってきてテラスで即席のパキスタン伝統音楽のコンサート。でかいピンセットみたいな楽器は初めて見たが、なかなか存在感があった。
↓宿での即席コンサートの風景
シーク教徒の聖地であるアムリッツアルへのバスは早朝5時発の1本なので早起きしてこれに乗る。出発時はもちろん日の出前で星が輝いていた。こんな時間なので対向車が少なくバスは快調に飛ばしていく。アムリッツアルが近づくにつれ道行く人のターバン着用率がグングン上がっていく(笑)。パタンコートを経由して約5時間半でアムリッツアル到着。バスターミナルより手前で降ろされたが、予定していた宿に近かったので助かった。アムリッツアルはTシャツでちょうどいいくらいの気温だ。チェックインして水シャワーを浴び洗濯終えてからしばらく横になって休む。
昼過ぎに町へ出かける。まずは両替のレートチェック。ムンバイでかなり多めに両替してしまったので3000ルピー以上余りそうだ。額が大きいので両替も慎重に1軒ずつレートを確認。1インドRs=1.41パキスタンRsがベストレート。これで3000Rs換えておく。残りのインドルピーはで買物等で使い切ってしまいたい。
両替を終え、商店街をブラブラしながら黄金寺院へ向かう。黄金寺院はシーク教の総本山であり、池の中央にある本殿が金箔で覆われているのでこう呼ばれている。ここはヒンドゥー寺院と違い異教徒の参拝も認めているのでシークのルールに従い靴を脱いで髪を布で隠してから入る。外国人の姿はあまり見かけないがヒンドゥーらしきインド人観光客はかなり多いようだ。池の真ん中に浮かぶ寺院は本当にキンキラキンだ。(古館流にいえば)まさにインドの金閣寺。シーク教徒達が沐浴している池を回って本殿へ向かう。そこへかかる橋からが渋滞で、本殿に着くまでに20分以上かかった。本殿は大理石造りで屋根等に金箔が貼られている。寺院の敷地に入ったときから音楽が流れていたが、これは本殿の中で生演奏しているものだった。建物は3階建てで内装も予想通りゴージャス。しばらく2階の回廊で音楽を聴いてから帰る。
シーク教徒は髪や髭を切ってはいけないので、男はターバンに髭もじゃというスタイルが一般的だ。苗字は皆スィンらしい、タイガー・ジェット・シンもシーク教徒だったのだろう。シークはその容貌に加え肉食OKなのでがっちりした体格の人が多く、近寄りがたい雰囲気なのだが結構フレンドリーでいい人が多い。帰り道、シークのチキン屋を見つけインド最後のディナーはここでローストチキン(ハーフ)を食べることにする。酒を持ち込んでもいいというので、近くの酒屋でビールを買って飲む。パンジャブ州は酒税が高いのかビールは高かった(65Rs)が、インド最後の夜なので贅沢してしまった。
↓黄金寺院
今朝、目を覚ますと気持ちのいい晴天。雨雲に覆われた昨日の寒空がウソのようだ。8時過ぎから街歩きを始める。ふと山を見上げると、山では昨日の雨が雪だったらしく尾根は真っ白になっていた。しかし、数日前は35度近くの気温で夏バテしてたのが、ここでは見上げれば雪山。インドは北に行くと極端に気候が変わるらしい。
デリー以来気候も過ごしやすく、チベタンや中華食堂で食事できるので、この数日一気に食欲が回復した。昨日、ここのパンがうまいことに気づいたので、早速パン屋へ行くがまだ開いていなかった。歩き出す前に空腹を満たしておきたかったが仕方がない。
まずはずーっと坂道を下って2kmほど先にあるネチュンゴンパへ行ってみる。ここはラサにあるネチュンゴンパから亡命してきた高僧が建てたものだろう。ちょうどお参りを済ませたころ朝の読経が始まったので、しばらく聞いていた。
このゴンパのすぐ脇が亡命政府機関がいろいろ集まっているエリア。朝からいろいろ手続きに来る人で賑わっていた。モモ(というか饅頭)の露店が出ていたのでここで朝食。さらに、近くのパン屋で食べ足す。
今度は坂道を登ってバススタンド近くに戻り、セキュリティオフィスでダライ・ラマ謁見のスケジュールを聞こうとするが、係の人がいないのか2階へ行けと言われる。言われるままに行ってみると、階段の下からずっと坊さんの行列。何だかよく分からないまましばらく並んでいたがどうも謁見とは関係なさそうなのでまた戻ってくる。結局、何の情報も得られず。今日謁見がなければ明日・明後日は土日なので可能性はない。もう11時近いしあきらめたほうがよさそうだ。明日早朝の下ダラムサラから出るバスでアムリットサルへ向かうので、マクロードガンジの宿をチェックアウトして移動しなければならない。マクロードガンジはラサと違って寺などの見所がないので3時間くらいあれば一通り回れてしまう。長居する必要もないので、ケーキを買って宿へ戻り、食べながらパッキングしてチェックアウト。昼食をとってからバスで下ダラムサラの町へ移動。
下ダラムサラはもうちょっと大きな町かと思っていたが、マクロードガンジと大して変わらない。観光客向けの店がないだけにただの小さな町という感じ。住民のチベタン率はだいぶ下がりインド人が多くなってくる。宿にチェックインして一休みしてからバスターミナルで出発時刻を確認し、町を一回りするが本当になにもない(笑)。時間があるので1時間ほどネットをしてから早めの夕食をとって宿に戻る。明日は5時のバスなので早く寝よう。
↓マクロードガンジからのぞむ雪山
夜行列車は約30分遅れでパタンコート着。運よく駅前に観光案内所があり、ダラムサラ行バススタンドの場所やバスの運賃を聞くことができた。バススタンドは歩いて10分ほど。朝食をとってからバスに乗ろうと思ったがすぐ出発するというので、そのまま乗り込む。ダラムサラまでは100kmほどの道のり、周辺には軍用地が多い。途中から雨になり、混雑を避けて屋根に荷物を載せていたのが裏目に出てしまった。食事休憩を含め4時間半かかってダラムサラ(マクロードガンジ)に到着。幸い着いた頃には雨はあがっていたが、とても寒い。
ここはダライ・ラマ14世がチベット亡命政府を建てたところで、現在もここがダライ・ラマの住居であり、活動の中心になっている。町中で多く見かけるのはインド人ではなくダライ・ラマを追って中国から逃げてきたチベット人でまさにインドのラサという感じだ。そして、驚いたのが白人観光客の多さ。チベット仏教の中心地だから日本人や韓国人が多く、白人は少ないかと思っていたが、チベット人の次に見かけるのが白人というくらい多い(反対に日本人らしき旅行者は数人しか見かけなかった)。白人僧侶も20~30人以上はいるのではないか。欧米ではオリエンタルが流行なのか、チベット仏教の海外布教が成功して白人仏教徒が訪れているのだろうか???
しかし、いつもながら仏教聖地に白人が大勢いる絵には違和感を覚えてしまう。きっとバチカンを大勢の日本人が訪れているのを見ているローマの人も同じように、あるいは苦々しく感じているのだろう。信仰は自由だけど、やっぱり似合う似合わないってものはあるし、それはどうしようもない。正座どころかあぐらすらかけない欧米人に仏教というのはどうもしっくりこない。日本人のクリスチャンが「神にお祈りしましょう」というのも僕には何となく作り物っぽく感じてしまう。
さて、この白人旅行者のおかげで安宿探しが意外と大変だった。いかにも白人好みの小奇麗な宿が増えていて宿の相場が上がっている。そして、いかにもなツーリストレストランもできていて、ひっそりとしたチベット人逃避の地というイメージをもって訪れた僕的にはかなりガッカリ。150Rsで見つけた宿も部屋は広いものの、落ち着いてよく見るとひどく老巧化していて、窓ガラスがまるごと1枚なかったし、しばしばネズミが部屋を這い回る気配があって気になる。ここはかなり北に位置するうえ標高も高いので、ダージリン以来1ヵ月半ぶりにシュラフ&湯たんぽを使う寒い夜になった。
さて、荷物を解いてから町を散策、ダライ・ラマ公邸を外から眺め、その手前にあるゴンパへお参りに行く。チベタンが数珠やマニ車を手に寺を訪れ、お経を唱えながら真剣に祈る姿はラサと変わらない。ダライ・ラマを追って国を捨てるのだから相当信仰心が強い人たちの集団なのだろう。しかし、亡命政府ができてもう半世紀近く経っており、ここにいる若者は第二世代のはずだ。彼らは自分の意志でインドに住んでいるわけではないし、親と同じような強力な信仰を持っている人ばかりではないだろう。彼らがここでの暮らしをどのように感じているのか聞いてみたいものだ。
↓マクロードガンジの街角

デリー最終日。荷物を預け9時半頃町へ出る。昨日は旧市街を回ったので今日は新市街見物。まずは という見本市会場みたいなところに行く。たまたまいくつか展示会が行われていたので見学。日本でよく見かける「○○博」と同じようについたてでブースが作られいろんな会社が製品を展示している。ただ、日本ほど気前よく試供品やパンフをくれたりはしないようだ。
ここを出てインド門(India Gate)へ。ムンバイのインド門(Gateway of India)と名前(日本語訳)は同じだが、その意味合いは違うものだ。ムンバイのものは19世紀にイギリスによって建てられたものだが、ここのは第二次世界大戦で亡くなったインド人兵士の慰霊碑で、もちろんインドが建てている。門の周辺は立入禁止で衛兵が監視している。この前から数キロ先の大統領官邸までラジパトという大通りが続いていて、これはポスターなどでよく目にする絵だ。この周辺の道路は非常に広く、またきれいに整備されており、数キロ北にあるオールドデリーのごちゃごちゃ混雑路地とは比べものにならない。同じ町とは思えないくらいだ。だから昔は地図でもニューデリーとデリーを区別していたのだろうか???
さて、インド門の次は国立博物館へ。ムンバイが学割OKだったので、ここも…と思っていったらBINGOだった。外人料金150Rsのところ学割で1Rs(笑)。ちょっと罪悪感を感じてしまうほどの割引率。僕の場合、博物館見学というのはかなり気力・体力を消耗する。ここもアジア最大級の規模を誇る博物館で、非常に広く展示品数も半端じゃない。興味のあるインダス文明期の発掘品や仏像、少数民族に関する展示などを重点的に見て、あまり関心のない細密画や宝石などはさらっと流す。それでも3時間近くかかってしまった。象の防具などはインドならではの展示で面白かった。そういえば、昨日初めて象車を見た。一般の客を乗せるのではないようだが、普通に車やリキシャが走る道路を歩いていたのでさすがインドと感心してしまった。
博物館を出たらもう4時過ぎ。デリーで済ますべき買物をいくつかしてから宿の下にあるチキン屋で夕食をとって夜行列車の待つ駅へ。宿のおばんさんはサイクルリキシャの連中はクレイジーだからオートを使えと言っていたが、どういう意味なのだろう。でも、安いのでサイクルを使ってしまった。
↓インド門
今日はシバラートリーというヒンドゥーの祭日でバラナシでは数日間に渡ってコンサートがあるらしいが、ここデリーではフェスティバルなどはないようだ。残念、、、
さて、ゆっくり起きて新聞をチェックするが、やはりイベントはなさそうなので普通に観光に出かける。まずはチベット寺院へ。目当てはチベタン食堂での食事だったが、期待していたチベタンブレッドはなかった。
そこからマハトマ・ガンジーが荼毘にふされたラジガート、ガンジー記念博物館を回る。ガンジーの非暴力主義やヒンドゥー社会においてアウトカーストを否定した点など先進国の人間としては彼の功績は素晴らしいと思うし、ノーベル平和賞も当然の評価だと思うのだが、実際、インド人はどう思っているのだろう。というのも、ガンジー亡き後、印パ対立や核保有、ひどくなる一方の貧富の差など、彼の思想とは全く違う方向に国が動いているようだからだ。
続いてラール・キラー(赤い城)へ行く。ガイドブックには入場料5$(外国人料金)となっていたが、行ってみると2$。うれしい誤算だ。インドの観光地ではタージマハルなど一部はかつての外国人料金を見直して若干値下げしているところがある。外国人旅行者から抗議の声が多数あがったからか、高すぎると入場者数が減って結果的にマイナスになるからか理由は知らないが、ありがたいことだ。
さて、赤い城は外壁こそとてつもなく広いが(見学できるエリアについて)中はすかすかで小さな宮殿がいくつかあるだけだ。かなりガッカリ。かつての建物はほとんど残っていないのだろうか?これだけの建物では皇帝とその家族、近臣しか住めなそうだ(笑)。
この後はチャンドニ・チョウクという商店街を経由してジャマー・モスクへ。ここも規模は巨大だが装飾的には大したことはなく、ややガッカリ。デリーに長居する人が少ないというのも分かる気がする。
昨日は珍しく1日3食食べ、今日は元気ハツラツかなと思っていたが、やはり体が重く疲れがとれないみたいだ。暑さが原因なのか、食生活が偏っていて何か必要な栄養素が不足してるのか分からない。ムンバイで両替しすぎてインドルピーが余っている(インドルピーは国外持出禁止)ので、残りの日々は多少金を使っても体にムリをさせないようにしよう。
↓ラール・キラー
3日連続の夜行列車でようやく首都デリーに到着。早朝、デリー駅に着くまでの20分間線路沿いにはスラムの小屋が連なり、車窓から見えた「しゃがんで朝のウ○コをする男」の数は100名を超える。いったい女性はどうやって用を足してるのだろうか???
7時過ぎにデリー駅に着くが、目指す安宿街はデリー駅ではなくニューデリー駅近くにある。当然、近郊列車があると思っていたが、実はないらしくホームにいた警官は駅を出てオートリキシャで行けという、隣駅へ行くのに列車を使えない、変なの…。駅を出て何人かリキシャを当たるが、高いのでしばらく歩いてからサイクルリキシャの兄ちゃんと交渉。何とか10Rsでメインバザールの安宿街へ来る。少し迷いながら予定していたGreen GHにチェックイン。シングル部屋が空いてなかったのでツイン部屋にシングル料金(80Rs)で泊めてもらう。
シャワーを浴びてすっきりしてから近くの中華屋で朝食。コルカタ以来久々に安宿街の安中華を食べれた(焼きそば15Rs)。思えばコルカタから入ってムンバイまでずーっと物価が上がり続けてきたような気がする。久々に安宿街らしいところに来た感じだ(当然白人観光客も多いけど…)。仮眠しようかと思ったが、昨夜は十分眠ったのでコーヒーを飲みながら今日のスケジュールを立て昼前に街へ出る。
まずはここからほど近い巨大ショッピングエリア「コンノートプレイス」へ行く。この中にある観光案内所に行ってイベント情報等を聞くが、ほとんど何の情報も得られず。首都の観光案内所なのだからもうちょっとニーズを考えて対応して欲しいものだ。
ここを出て本屋や靴屋などを回ってみるが、特に大型店があるわけでもなくちょっとガッカリ。2時過ぎに日本出国以来初めてマクドナルドに入る。お目当てはインドオリジナル「マハラジャ・チキンバーガー」。ヒンドゥー教徒が人口の多くを占めるこの国ではマクドといえどもビーフを堂々と売るわけにはいかないのだ。さて、それはどんなものかというとビッグマックのビーフの代わりに薄いチキンのパティを2枚挟んだものだ。チキンにはマサラ味がつけてあり、それをキャベツ、トマト等でサンドしてある。チキンは肉汁があまりないのでハンバーガーの素材としてはビーフに一歩譲ると思う。マサラ味も個人的には減点材料。Mポテ、Mドリンクのセットで99Rs、宿代を超えてしまった…(涙)。
それから駅であさっての切符を予約して宿近くのネット屋へ行く。プリーであった日本人に紹介してもらった店だが、予想以上に早く大満足。久々に日記を10日分以上更新することができた。
列車は1時間以上遅れてジョードプルに到着。今日は夜行列車の出発時刻が7時半なので宿を使わず、荷物を駅のクロークに預け1日外で過ごすため、遅れはかえって好都合だ。さらにこの駅には旅行者用の(情報はないが)ソファーが置かれた広い部屋があり、勝手にくつろげるようになっている。中にはソファーで横になっている人もいる。洗顔、歯磨きをしてから8時過ぎに街へ出る。ここインド西部のラージャスターン州は砂漠の国だが、朝は直射日光がさほど強くないので涼しいくらいだ。今までの街と比べターバンを巻いた人が目立つ。ラクダ車もよく見かける。ラクダの歩き方は独特でスターウォーズなどのCG映像を思い出してしまう。
日曜の朝なので店の多くは閉まっている。人通りの少ない通りを抜け、北西の岩山にそびえ立つメヘラーンガル砦を目指す。途中でインドに来て初めてヘビ使いを見る。しかし、笛を吹いてコブラを操るわけではなく、ガラガラヘビ(?)を棒でいじっていた。しばらく見ていたが、ヘビが芸をするのではなく人間がヘビを利用して笑いをとっているようだった。ヒンドゥー語の分からない僕には面白くも何ともないので立ち去る。
ここの旧市街も狭い道が入り組んでおり、目的地に達するのが大変だが運よく砦の直下まですんなり来ることができた。ここは観光地の割には子供等がハロー、ハローとうるさい。なんでだろうと思っていたが、砦まで歩いてくる人は少数派でたいていはオートリキシャを使うから街中で外国人を見かける機会は意外と少ないのだと後で分かった。
さて、坂を登って砦へ向かう。振り返るとブルーシティーという呼び名の通り、眼下に青い町が広がっている。昔はカーストによる制約があり、自分の家の壁さえ好き勝手に塗ることができなかったということだが、今では青い家が半数以上になっている。
砦の入場料は一般250Rsと高いが、珍しく学割があり200Rsになった。この料金にはオーディオツアーが含まれているので、まぁ仕方ないのだろう。城は巨大で見所満載、装飾も細かく美しい。マハラジャの世界を堪能することができた。城内33のポイントには入口で借りるプレーヤーによって説明が受けられる。しかも日本語も選択可というのがスゴイ。僕は自分のペースで見て回りたい人なのでツアーは嫌いだし、ガイドは高いうえうっとおしかったりもするので使わないが、このオーディオツアーはよかった。金を出す価値は十分だと思う。どんどん普及してほしいものだ。
昼過ぎに砦を出て、元来た場所に戻ろうとするが道に迷う。迷いつつ旧市街を散策。ヒンドゥー寺院を覗いたら象がいてビックリ。さすがインドだ。何とか見覚えのある道路に出て昼食。さすがに日中は暑く、長く歩いているとバテてくる。冷えたサフランラッシーが最高にウマイ。食後はマイソールという遺跡公園に行くが、あの巨大な砦を見た後ではしょぼく思え、日陰で休んでいる時間の方が長かった。
↓メヘラーンガル砦

ムンバイからの夜行列車は7時過ぎアーマダバード着。今日は3日連続の夜行列車移動の2日目なので昼の休憩用に宿をとることにした。駅前でいくつかあたるが、半日料金にしてくれるところはなかった。オートリキシャのオヤジがリキシャ代タダでいいから(当然宿からコミッションを取るわけだが)近くのいい宿に連れて行くというのでそれに乗ることにした。100Rsでバス・トイレ付なのでまあまあか。
さっそくシャワーを浴びて横になり見に行くところを決める。キャリコ博物館という染織物を集めた博物館があるのでまずはここへ向かう。面倒くさいことにここはガイドツアーでしか受け付けず、10時30分までに集合しなければならない。10時前宿を出てその方面に行くバスや乗合オートを探す。なかなか大変だったがなんとか10時25分に到着。門の前には10人くらい並んでいる。しかし、10時45分くらいになっても何も起こらず、たまに顔を出す警備のオヤジと観光客が入れろ入れないを繰り返している。11時近くなってようやく中に入ったが、実はこの日午前のツアーはとっくに定員に達していてそれ以降の人は午後にまわれと言っていたのだった。博物館の担当者は非常に頑なでもう1つガイドツアーを出すことは承知しない。結局、染織物コレクション以外の部分だけを案内してもらいそれで解散となった。何だか訳分からん。貴重な時間を無駄にしてしまった。
ここからジャイナ教寺院等を経由して階段井戸へ行く。1日だけの滞在で土地勘もないとなかなかバスや乗合オートで行きたいところにいくのが難しい。しかもこの町には(割安な)サイクルリキシャがない。結局、バスを探しながら目的地へ向け歩いていくとそのまま着いてしまうという繰り返しだ。
暑い最中1時間以上歩いて階段井戸に到着。思ったより小さく、しかも水は涸れていて井戸らしくなかったが、なかなか面白い建築物だ。中はひんやりして気持ちいいがちょっと臭うので長居できない(笑)。石柱で5つのテラスが支えられており、それらが階段でつながっている。入口から階段をずーっと下っていくとだんだん暗くなり井戸に辿りつく仕組みになっている。ここ以外にもインド各地に数十箇所以上あるらしい。
ここから旧市街の中心部へ向かう。途中、カキ氷屋台があったのでつい食べてしまったが(2RS)、食べてからインドの生水で作られたカキ氷なんか食べて腹をこわさないか心配になった。結局、大丈夫だったけど。そういえばインドに入ってからも下痢は起こしていない。むしろ便秘気味(笑)。我ながら抵抗力の強い胃腸だ。
街の中心部へ行くのも数キロあるはずなのでバスに乗りたかったが、やはり捕まえられずまたも歩き通してしまった。さすがに疲れたので昼食にはアイスクリーム付のターリーを食べた。食後、旧市街の商店街を冷やかしながら宿へ向かう。5時頃宿に到着。シャワーを浴びてから出発時刻まで昼寝して過ごす。
↓階段井戸
9時チェックアウトなので少し早めに起き、昨日買った日清「Top Ramen」を作ってみるがこれまたマサラ味でまずかった。いい加減にマサラ抜きのさっぱりしたものを食べたいが、インド人にしてみればマサラは日本の醤油みたいな欠かせない存在なのだろう。
チェックアウト時荷物を預かってほしいというと、50Rsとかふざけたことをぬかすので仕方なく今夜の出発駅ムンバイセントラルまで荷物を持っていきクロークへ預ける。インド門からセントラル駅まではNo.124というバスに乗るのだが、これが全車2階建てのうえ、CST駅、クロフォード市場、さらにセントラル駅近くのスラム横丁とムンバイの主な見所を通っていくので、移動しながら市内観光もできてしまう一石二鳥バスだ。帰りはクロフォード市場で下車し、一回りしてみるが内部はただの市場で面白くもない。それからCD屋や本屋に寄りながら、昨日PCアダプターを預けたケータイ修理屋へ行く。
修理屋の兄ちゃんは自分の手に負えなかったのか下請けにだしたらしく、しばらく待たされ、その間にどこかへアダプターを取りに行った。戻ってきて早速テスト
…緑色のライトが点灯、成功だ!
とりあえず直ったようだが、いつまでもつか分からないのであまり熱を持たせないよう気をつけて使うようにしよう
午後は観光。CST駅などイギリスゴシック建築物をいくつか見てからマリンドライブへ。ここから見るムンバイは高層ビルがにょきにょき立っていてインドとは思えない風景だ。それから近くにある最先端のシネコンビルに入ってみる。入口には警備員がいてボディーチェック。危険物持ち込み防止が目的なのか、エアコン目当てで涼みにくる貧乏人をけん制するのが目的かは僕には不明。このビル内にはきれいなトイレがあって洋式便座に紙までついていた。インドのトイレもピンキリだと感心。もっともインド人は紙を使わないから減らないのかも知れないが(笑)。
それからムンバイ大学でのんびりしてから、何気なく博物館を覗くと外国人300Rs!の下に大学生6Rsの書いてあるのを発見。ダメもとで国際学生証を提示してみると6RsでOKだった。インドで初めて学割が使えて感激。知ってたらもっと早く来るんだったが、入った時点で閉館までもう1時間しかなく慌しい見学になってしまった。急ぎながらもチベット仏像、タンカ等の展示はじっくり見ておいた。
夜は今日もチキン。昨日の店の向かいにある食堂で食べたが、ビリヤニにチキンモモ焼きが丸ごと一本入っていてグッドバリュー。
↓ムンバイ ビクトリアターミナス駅
