結婚式も無事終わり、今日は家全体がのんびりムード。Iは新婦と初夜を過ごすためホテルでお泊り(笑)。僕は8時頃起床。昨日招待客に配った菓子折が余っていたのでそれをパクパク食べる。朝食を終え、洗濯物を頼んでからしばらくリビングで子供の相手などしていたがヒマでまた眠くなってきたので昼寝をしてしまった。
起きたらIが来ていて、午後は新婦の親戚宅へ行くというのでそれに同行。またしても大渋滞。しかも彼女の家はI宅とはジャカルタ市内でも反対側なのでかなり遠い。車中、Iと話していてデヴィ(スカルノ大統領)夫人の話題になった。
僕「そうそう、デヴィ夫人って今でも日本でテレビ出てるんだよ。ゴッシプ番組でセレブ斬りをしてる(笑)」
I 「???何で、彼女が日本のテレビに出てるの?」
僕「(@_@)、もしかして彼女が日本人ってこと知らないの!?」
I 「え~、日本人だったの!デヴィ(Dewi→インドネシアではポピュラーな女性の名前)って名前だから当然インドネシア人だと思ってたよ。」
僕「意外と知られてないんだ。彼女日本でホステスやっててスカルノさんに見初められて第三夫人になったんだよ。ところで、彼女はインドネシアで人望あるの?」
I 「人望はどうか分からないけど、美人ということでは有名だったよ。」
僕「ふ~ん。」
※マメ知識
1.デヴィ夫人はホステスになる前は千代田生命に勤めていた。
2.人望があるのは第一夫人ファトマワティ(Fatmawati)らしい。彼女は前インドネシア大統領メガワティの母である。なお、I宅近くの幹線道路は彼女にちなんでFatmawati通りという名だった。
5人の妻を持っていたスカルノ大統領だが、さすがに日本から妾をもらったというイメージがつくのは避けたかったのだろうか。
夕方、新婦の妹(かわいい♪)と合流し、一緒に親戚宅を訪問。ここもまた豪邸だ。いつものようにお茶、ご飯、さらにデザートまでごちそうになる。しばらくお邪魔してから帰宅。Iは今夜もホテル泊まり。10時過ぎ、寝ようと思って寝室へ行くとIの義兄とその子が既にベッドで横になっていたので、Iの弟と一緒に一昨日泊まった親戚宅へ行くことになる。Cがちょっと酒を飲もうというので付き合う。
実際のところ、彼もそんなに酒を飲むわけではないので、夜のジャカルタを僕に見せてあげようという気持ちだったようだ。イスラム国なので普通に飲み屋を見かけることはないのだが、あるエリアに飲み屋が立ち並んでいた。どの店も音楽をガンガン鳴らしていて、飲んでいるのは若者が多い。そこで、Cおすすめのスペシャルドリンク。レシピはビール&ウォッカ&レッドブル&ライチジュース、味はビミョー。それから立ちんぼを見に行ったりして結局、3時間近く週末夜のジャカルタドライブを楽しんだ(しかも飲酒運転…)。
今日はついに友人Iの結婚式。昨夜はI宅がインドネシア各島からやってくる家族でいっぱいになってしまったので、近くにあるIの従姉妹宅で寝ることになった。ここが豪邸でビックリ、ダイニングに滝と池があって鯉が泳いでる(笑)。ご主人は判事さんだそうだ。そして、9時前に教会に行けばいいと言われていたのに起こされたのは日の出前の5時過ぎ。
I宅に戻りシャワーを浴びてから支度をする。僕の場合はちょっと頭を整えてただバティックというシャツを着るだけなので3分で終わるが、女性は大変だ。7時頃美容師さんが来て着付け、セットをしていた。インドネシアでは伝統的に長い髪を後ろで丸くまとめるいわゆる「デヴィ夫人」スタイルにするのだが、一般的に最近の女性はそんなに髪が長くないのでエクステンションをつけることになる。今日までデヴィ夫人のヘアスタイルがトラディショナルなインドネシア式だとは知らなかった。未だにそのスタイルを固持しているというのは彼女なりにインドネシア大統領夫人としてのプライドを持ちつづけているという証なのだろう。男達は何となく手持ちぶさたで女性の支度が整うのを待つ。
9時頃ようやく支度が終わり、車何台かに分乗して教会へ向かう。招待状には8:30からwitnessing、9:30からmatrimonyと書いてあったが、教会についたのは10時近く…いいのだろうか???
親戚が続々やってきて僕も一応紹介してもらう。意外と英語ができる人が多いのでさほどコミュニケーションに不自由はない。しばらくお茶を飲んだりしながら花嫁の到着を待つ。インドネシアでは結婚に際し、花嫁の家に花婿が迎えに行く習慣がある(ちなみにタイも同じ)ので、教会に付属する一室でそれを模して、花嫁が待つ部屋にIが入っていくというセレモニーから始まる。これがまた何の予告もなくいつの間にか始まっている(笑)。花嫁の顔を知らない僕は彼女の到着に全く気づいていなかったのだ。Iと家族がお供え物を持って花嫁を迎え、それから両家族が一緒になって食事をとる。新郎新婦は新婦の母親から食事を口に運んでもらっていた。これもセレモニーの一つなのだろう。
※I一家はバタック族なのでここで書いている「習慣」がインドネシアで一般的なのかバタック族独自のものかは分かりません。一般的に(自分達も言ってたが)バタック族は歌と踊りが好きらしい。
食事が終わりしばらくするとまたちゃんとしたアナウンスもないまま教会での結婚式が始まった。ここは日本で見る教会での式とほぼ同じ。しかし、暑いインドネシアでの式、神父さんの説教を聞きながらも皆プログラムをうちわ代わりに扇いでいる(笑)。式は1時間ほどで終了し、記念撮影をして披露宴の会場へ移動。そして、この会場がまたデカイ!ほとんど体育館並のサイズ、そこにステージがあり、少し離れてテーブルとイスがずらっと並べられている。その数約400!デヴィ夫人スタイルのおばさんが大勢集まっている。席は新郎、新婦それぞれの叔父夫婦席とその他席といった分類になっているらしい。親戚の中で「叔父」という存在は非常に重いものらしく、また叔父の中でも順位が決まっているということだ。
受付が終わると、生バンドの演奏が始まり、数人のダンサーの踊りに導かれて各親族グループごとに入場していく。新郎新婦と両親ほか2組の親戚はステージに用意された席に座っている。ここの披露宴はおたがいの親戚が新しい家族になるための儀式みたいなものだ。招かれているのはほぼ全員が親戚。友人として招かれているのは数人しかいないだろう。そのため必然的に招待客の年齢層は高く、密かにインドネシアギャルとの出会いを目論んでいた僕の期待は完全に裏切られた(T_T)
中心に座る一部のハイクラス叔父さん達以外は自由席らしい。食事はテーブルに用意されていて、まだセレモニーが始まってもいないのに食べ始めている人も多い。言葉が通じないのでなんだかよく分からないが、新郎側、新婦側にそれぞれプロの司会者がついていて掛け合い漫才のようなユーモラスな雰囲気で式が進んでいく、厳粛なムードは全くなく、お祭りっぽい感じだ。なお、イスラム国なので(新郎新婦一家はクリスチャンであっても)基本的に酒は出ない(後半になって飲みたいというリクエストがあったらしく、急遽冷えてないビールが出されたが…)。食事・歓談タイムになり、Iの従姉妹が気をつかって受付の女の子を僕の向かいに連れてきてくれたので、彼女と少ししゃべりながら食事。2階にもビュッフェ形式で料理が出ており、おばさんの中にはビニール袋に入れて持って帰る人もいた(笑)。
短い歓談タイムが終わるとスピーチが始まる。日本の披露宴でもスピーチはあまり真剣に聞いていないものだが、ここはもっとスゴイ。誰も聞いてないし、拍手すらしない(笑)。タバコを吸う人も多いし、Iはステージ上にも関わらずケータイで喋っていた!
延々とスピーチが続いた後は音楽に合わせて踊りながらお互いの家族がプレゼントを贈るセレモニーが続く。司会者が「Music Start!」(なぜか英語)というとクイズ番組のシンキングタイムのような音楽が始まり(生バンド)、それに合わせて踊りながらプレゼントを渡すのだ。初めは面白く見ていたが、これもあまりに長く続くので飽きる。それからクライマックスである「ウロス」を新郎新婦にかけるセレモニーが始まる。新郎新婦がステージから降りて中央に並んで座り、出席者が幸せを祈ってバタック族の織物であるウロスを二人にかけるのだ。当然、出席者は皆ウロスを用意している。受付でお金を出している光景は見られなかったのでこれがお祝儀代わりなのだろう。まず初めは新婦の母から二人へウロスが贈られる。このお祭りのような式で唯一しみじみとした場面だった。
後は親族グループ順に司会者からお呼びがかかり、次々とウロスがかけられていく。かけられたウロスはIの姉妹達が取って、裏で保管していく。式は実質的にこれでおしまいなので、遠縁の人たちは自分の番が終わると勝手に帰って行く。しかも、空いた席からどんどん片付けも始まってしまうのだw(゚o゚)w
形式ばらない式とはいえ、いくらなんでも失礼じゃないんだろうか???出席した全ての親戚がウロスをかけ終え、新郎新婦がステージに戻ると新郎の父親のスピーチ。72歳の父親が今回の式におけるホストとなっている。招待状も彼の名で「子供達が結婚するので…」という形式で出されている。この辺は日本と同じといえるだろう。本人(Iの父)も娘の結婚式は何回かやったが、今回は初めての息子の式なので、自分の役割は大変だと語っていた。
さて、そんな大事なスピーチなのであるが、もう半分以上の人は帰ってしまって、しかもガタガタと片付けが進行している中で行われるのは気の毒だ。続いて、新婦のスピーチ。内容は分からないが、本日のスピーチで(唯一女性が行ったこともあったのだろうが)珍しく拍手が起こった。続いてI、新婦のスピーチが素晴らしかったからか冷やかされながらマイクを持った。現地語だったので意味は分からなかったが、無難にまとめたようだ。
これにて式は終了。式が終わると残っていた女性達が装飾に使われていた花を片っ端から抜いて持って帰ってしまった。
終了時刻はおよそ5時!いやぁ、長かった。喋っている内容が分からない僕にとっては退屈な部分も間々あったが、面白い経験だった。結婚式や葬式は普段の生活では失われてしまった民族独自の伝統性を見ることができるので非常に興味深い。日本では一般的に披露宴ではほとんどの出席者はただ見ているだけだが、彼らの式は家族、親戚全員が参加して行われるところが決定的に違う。
その夜、Iは100枚以上になったウロスを示しながら、これは僕ら夫婦にとって宝物だよ、と言った。
↓教会での家族集合写真

昨夜はIとその兄弟とで夜遅くまでしゃべっていた。Iの家は想像していたより大きく寝室にはエアコンもついている。僕は寝室の1つにIとその弟と3人で寝ることになった。(これは文句じゃなくて)日本だと普通お客さんを泊めるときは個室を用意するものだが、(結婚式で親戚等が大勢集まることもあるのだろうが)ここではお客様ではなく家族の一員扱い。その方がこちらも気を使わなくて楽だけど。
さて、この家では起きたものからばらばらと朝食をとるようなので、僕も勧められるまま食卓に用意された食事をとる。お手伝いの女の子がいて、コーヒーをいれてくれたり、おかずを出してくれたりしてくれる。食後、Iと弟Cと一緒に車で街へ出かける。Iは結婚式前日ということで色々済ませなければならない用事があるようだ。
ジャカルタは人口800万を超える大都市なのだが市内交通が車(バス、タクシー、自家用車、オートバイ等)しかないので、とにかくどこに行くにも渋滞だ。家を出て大通りに入った途端もう渋滞(涙)。走っている車は9割方日本車。日本より日本車率が高いかもしれない。意外なことにスズキやダイハツの普通車がけっこう目につく、みなインドネシア仕様車らしい。マツダはほとんど見かけない。皆、何の抵抗もなく車線変更を繰り返して進んでいく、お互いさまだからか割り込みには寛容なようだ。バイクもまた半端じゃない数が走っていて、しかも一番左のレーンだけでなく、車同様にいろんなレーンを走ってはするりするりと渋滞の車の中を縦横無尽に走っていく。車にとってはひじょうにジャマな存在だ。バイクに乗ってる人は(暑いのに)皆一様に上着を着ている。なぜかと聞いてみると空気が悪いかためバイクで長く走っていると臭いが服に移ってしまうからだそうだ。なるほど。
Iはハワイ留学時代のクラスメートなのだが、彼はハワイでは車に乗っていなかったので、この厳しいジャカルタの道路を慣れた様子で運転しているのにはちょっと驚いた。印刷屋など数軒に寄ったらもう昼近くなっていた。そうそう、インドネシアのコピーは(たぶん)世界一の安さだろう。なんと最安1枚50Rp(=約60銭)、1円しないでコピーができるものなのだろうか?
家へ戻る途中citibankへ寄ってもらい100US$両替。ここは現金、T/Cとも同レートだった。たいていの両替所、銀行ではT/C取扱不可だったり、非常に低いレートだったりするので、T/Cを換えるならcitiがいいだろう。家に戻ってから改めて明日の段取りを聞き、式で着るバテイックを借りて試着してみる。サイズは大きいが1日だけだからいいだろう。食事を済ませ午後は弟Pの運転する車でIファミリーの女性達がショッピングに行くのに同乗する(もっとも出発するときは何しに出かけるのか知る由もなかったが…)。
またも渋滞。3ヶ所ほど寄っただけで5時間くらいかかった(涙)。正直、我慢できず半分くらいの時間は寝ていた。最後に寄ったショッピングセンターでは集合時間だけ決めてもらい1人で少しぶらぶらしてみた。地下には日本食レストランが2軒もありビックリ。もっともほとんど客は入っていなかったが…。食料品コーナーにも日本食がけっこう置いてある。バリはともかくジャカルタに来る日本人観光客が多いとは思えないので、これらの食堂、食材は駐在の日本人を対象にしたものなのだろう。もしかして日本食はローカルの間でもポピュラーな食べ物になっているのだろうか???
今日はジャカルタ(インドネシア)へ移動する日だ。朝早く起きて寺にでも行こうかと思ったがまたも起きれず。パッキングを済ませたらもうチェックアウトタイムの10時を回っていた。
チェックアウトして、日本人宿併設の食堂で親子丼を食べ(完全に日本の味で美味かった)、そこでインドネシアの「歩き方」を借りてコピーさせてもらう。1枚1Bの店を探すのにかなり無駄な時間を使ってしまった。昼前にまたAさんの店へ顔を出してしばらく雑談、きりのいいところで別れを告げタイ最後の昼食をとってから市バスで空港へ向かう。
市バス59番は行きと違うルートを運転しており、かなり大回りして空港へ向かうこととなった。混んでいても1時間あれば着くだろうと思っていたのに1時間半かかってしまった。車内では一人焦る。空港に着いたら所定のカウンターで手続きをしてすぐチェックイン、そのままゲートへと急ぐ。
実は、インドネシアに行く目的は旅行ではなく、かつて留学していたときのクラスメートの結婚式に出席するためなのだ。免税店でその友人Iへのお土産にウィスキーを買っておく。インドネシアはムスリム国だが彼の家はクリスチャンなので酒もOKだ。買物を済ませるとすぐ搭乗案内があり、定刻通り離陸。バンコク~ジャカルタ間は約3時間のフライト、時差もない。8時半頃スカルノハッタ国際空港着。現在、インドネシア入国にはビザが必要なのでOn Arrivalのビザカウンターへ急ぐ。ちょっと前に韓国からの便が到着していたらしく韓国人が15人くらいくらい並んでいたがビザ発行手続きはスムーズ。一人1分くらいでできるようだ。
取得の仕組みは、まず25US$を払いレシートを受け取る。それを次のカウンターで機中で配布された入国カードとともに提出。入国カードはOCRシートになっていてスキャナにかけると隣のプリンタからシールビザが出てくるようになっている。よくできているなぁと感心。ビザを入手したらイミグレへ。ここはすぐ通過し空港出口へ。まずは両替、レートが非常に悪いのでとりあえず10ドルちょっとだけチェンジ。それから到着を友人に知らせるため電話をかける。彼は不在だったが弟が出て待ってるよ~ということだったので、早速空港バス(10,000Rp=約110円)でBlockMへ行き、そこからタクシーを拾って友人宅へ。トータル2時間近くかかった。意外と遠い。ジャカルタの中心部は高層ビル、ショッピングセンター、スタバ等々あって東京の景色と大して変わらない。数年前、Iを日本に呼んだとき銀座やみなとみらいなどに連れて行ったのは失敗だったと今初めて悟った。
10時過ぎI宅到着、彼はまだ帰ってきてなかったが彼のお父さんと弟が迎えてくれた。少し雑談して夕食をいただいているとIが帰宅。数年ぶりの再会を喜ぶ。前よりだいぶ太ったな(笑)。
バンコクにはこの数年ほぼ毎年トランジットで数日滞在しているので、もう観光する気もあまりおきない。物価も決して安くはないのだが、それでも食事・マッサージがグッドバリューなのでつい立ち寄ってしまう。
北パキスタンから来たせいか今回はいつも以上に暑さがこたえる。そして、女性が肌を見せないムスリム国から来るとタイギャルの生足が余計刺激的に感じる(オヤジ入ってる…)。パキスタン人のAさんが日本に来たとき地下鉄で鼻血を出したというのもうなずける(笑)。
さて、今日は近くの寺を少し回ってから昼過ぎにカオサンのダイブショップで働いている友人Aさんを訪ねる。GW前で忙しそうだったが、いつもと変わらない調子で歓迎してくれた。彼と会ったのはもう4年前、南アフリカのケープタウンの宿、そしてその後レソトでも一緒だった。バンコクに来るたび顔を出しているので、今回は出発時以来約9ヶ月ぶりの再会だ。いつものようにカウンターで四方山話をして過ごす。驚いたのはもうタイに永住することに決め、こっちの女性と結婚していたことだった。前に会ったときはそんな話をしていなかったし、バンコクにいる間は家に泊まってもいいよなんて言ってたのに…。そのせいか少し落ち着いたように見える。途中、何人かお客が来たが、日本人学生のアホらしい質問にや白人の図々しいリクエストにも懇切丁寧に対応している。それを見ていると、俺にはとてもできんなぁと感心してしまう。できれば客を選べるようなビジネスをしたいものだ。
彼としゃべっているうちに数時間が経ち、気がつけばもう3時。これから出かけるのも面倒なのでメールをチェックしたりカオサン近辺で行ったことのない通りをブラブラして過ごす。フェイク学生証が100B→150Bに値上がりしていたのにはビックリ。Aさん曰くカオサンのショバ代が高騰しているらしい。これもバブル景気の影響か???
今夜は最後の夕食になるので食い倒れ覚悟で食堂2軒をハシゴしてタイ料理を味わう。当初、海鮮屋台で炭火焼でも食べようと思っていたのだが、サバ一匹90Bとやたら高いので却下。結局、いつものソムタム&カオパットにしてしまった。満腹で満足。
今日は予約していたインドネシア行チケットを購入し、できればそれを持ってインドネシアビザを事前に入手しておきたい。チケットを頼んでいた旅行代理店は9時半オープンなのでそれに合わせて出発するが、銀行が10時半にならないと開かなかった。結局、両替して現金を用意できたのは11時近くになってしまった(涙)。
以前にも利用したことがある旅行代理店を久々に訪れる。ここには旅行中の近況報告をメールしていたので旅の様子は分かってくれていた。バンコク→ジャカルタ→デンパサール→成田という非常に大回りなルートだがそんなチケットでも売られているものだ。しかも約350US$と値段もリーズナブル。
しばらく歓談してから近くにあるインドネシア大使館へ行くが予想通り昼休み中だったので、隣にある巨大PCコンプレックス「パンティッププラザ」に行ってみる。去年来たときは以前幅をきかせていたコピーCD,DVD屋が少なくなっていて驚いたが、現在はまた復活していた。一時的に(外圧のためか)警察の締付けが厳しかったのだろう。「エロビデオ~」と声をかけてくる連中がうっとおしい。そんなにエロDVDを買っていく日本人が多いのだろうか?白人にはあまりエロいるか?とは聞いていないようなので、やはり日本人の需要が高いのだろう。エロDVDを買ってもそう何度も見るもんじゃないし、また万が一税関で見つかるとカッコ悪いからあえて海外で買うこともないと思うのだが…。あ、ここで買うとモザイクがないのかな???
僕は音楽MP3フィルが入ったCD-ROMを4枚購入。普通のCDやDVDはパキスタンの方が安いのでここでは購入せず。最近の日本の相場を知らないのでよく分からないが、PCパーツ等は日本よりやや安い程度だろうか?ま、ここで買って帰るようなモノはないだろう。
2時過ぎ改めてインドネシア大使館へ行くが、ビザ申込は午前中のみ受付と追っ払われる。そもそも日本人はVisa on arrivalの対象なので、特別な事情がない限りは(仕事が増えるだけなので)ここでビザを出したくはなさそうだった。
続いてラチャダビセック通りにできたJusco等の大型スーパーに行ってみる。さっき、パンティッププラザ近くにあるツーリストインフォのブースでバスルートマップを入手できたのでこれを見ながら移動。
…が、失敗。
ペッブリー通りを東へ行き、エッカマイで南下するはずの23番に乗ったのだが、いきなり高速道路に入り30分以上走った。その間、進行方向は大雑把に言って南東。高速を降りた時点でどう考えてもとっくにエッカマイよりずっと東まで来てると思われた。同じ番号のバスでも高速を使うのに乗ってはいけなかったのだろう。バンコクのバスは同じ番号でも途中までしかいかなかったり、微妙にルートが違ったりするのでなかなか厄介だ。別の番号を振ってくれればいいのに…。仕方なくどこだか分からないところで下車し、現在地を確認。幸いスクンビット通り沿いだったのでこの通り沿いに進むバスを捕まえればアソークで地下鉄につながるはずだ。渋滞の中バスはノロノロと進み、地下鉄の駅に着いたのはもう4時半。そこから3駅ほど北上し、Jusco、ロビンソン、カルフールとスーパーが3軒並ぶエリアに到着。最近はバンコクでもアメリカ的な郊外型巨大ショッピングセンターが増えているようだ。こういったタイプの店が繁盛するということは、今まで(食料品中心に)買物していた近くの市場にはない製品を求める人が増えたということであろうし、それだけ所得水準、車の所有率も上がってきているということだろう。今までの食料品、衣料品中心のローカルマーケットは今後も残っていくのだろうか?
今朝話した旅行代理店のOさんは最近のタイはバブル景気が加熱していると言っていた。確かに前回来たときに比べ、ショッピングセンターは増え、エアコンバスの割合が高くなっているような気がする。物価も少し上がっているようだ。ただ、バーツ自体は少し弱くなっているようなので旅行者的には物価の上昇を為替レートがカバーしているためあまり割高感は感じない。このまま地力を伴った成長が続いていくのか、あるいはバブルがはじけるのかタイの経済は要注目だ。
↓夜ショッピングセンター前に現れた小象(エサ一袋20Btで商売してます)
今日は日曜なのでチャトゥチャク週末マーケットへ行ってみる。前回来たときも行ったのだが、今回はインドネシアの友人へのお土産を買うという大事な目的がある。カオサンからは59番のバスで乗換なしの一発だ。今日も暑く、市場の人ごみの中へ入ると熱気がさらに増し、気持ち悪くなってくるほどだ。ここに来ている白人の数はスゴイ。たぶん20~30人に1人くらいは白人だろう。よくまぁこんなに大勢タイに来るものだ。皆汗びっしょりになりながら買物している(笑)。
この巨大なマーケットを2~3時間歩き回るが、お土産によさそうなモノが見つからない。どれもこれもインドネシアでも売ってそうなのばかりだ。日本へのお土産だったらいろいろいいものがあるのだが、東南アジア圏内だとどうしてもかぶってしまう。結局、ちょっと高級そうに見える木製のキャンドルスタンドを購入。これもインドネシアで探せるだろうが、自分で買いそうなものではないのでよしとしよう。あとは日本への土産&自分用にお香を購入。インドとさほど値段が変わらないようだ。
マーケットを出て近くの巨大スーパー「BigC」へ。この暑い国での買物はやっぱりエアコンが効いている室内の方が快適だ。汗がすっとひいていく。惣菜コーナーで目をひいたローストチキン、枝豆を購入。あとは宿の近くで冷えたビールを買えば完璧だ。
続いてMBKへ移動。日曜日なので人出が多い。面白そうな映画があれば見ようと思ったがこれというものがなかった。STARWARS EP IIIは5/17上映らしい。日本公開は7月なのでタイの方がかなり早いことになる。EP Iのときは日本も同時公開だった記憶があるが、2ヶ月待たされるならここかアメリカにでも見に行こうかなと真剣に考えてしまう。
MBKはバンコクに来ると(特に理由はないが涼しいし…)必ず寄るところのでだいたい勝手が分かっている。ここの6Fにあるネット屋でメールチェック。接続が速くて驚いた。日本で使っているのと変わらない。しかし、なぜかUSBフラッシュメモリーが使えなかった。
MBKを出るともう暗くなっていたので、カオサン方面に行くバスを聞いて宿へ帰る。ビールを買って部屋で夕食。チキンは非常にジューシーでうまい。バングラ、インド、パキスタンで食べたローストチキンはどれもちょっとパサパサで、モモはいいがムネ肉がいただけない。この違いは鶏の種類によるものか人種的な好みによるものなのだろうか?世界のチキンを食べ比べ、世界初の「チキンソムリエ」になるのもいいかもしれない。
6時頃起きるともう明るくなり始めていたので荷物をまとめ空港を出る。自動ドアが開いた瞬間ムッとする空気が体を包む。インド、パキスタンでの暑さとは異質の湿度の高い東南アジアの熱気だ。そういえば昨日は空港から一歩も出てないんだった。久々のバンコクでこの空気のことはすっかり忘れていた。
バンコクは数回来ているが、今回はガイドブックがない。町の概要は頭に入っているのでバスルートマップがあれば問題なくあちこち動き回れるのだが、今回は空港深夜着だったので小さな地図1枚入手できただけ。さすがにこれだけでは町歩きは厳しい。よく来ている割にはタイ語はからっきしだし(^^ゞ
空港から59番のバスでカオサン通りを目指す。今までバンコクではチャイナタウンにばかり滞在していたのだが、今回はカオサン近くの安宿をあたってみることにした。事前にネットでいくつかよさそうな宿を調べておいたのだが、この辺の安宿は部屋にコンセントがないらしい。電源なしではPCを使えないので、この条件は譲れない。いくつかあたった末、すごく新くて清潔なMae Chaem Placeという宿を発見、エアコン、バス・トイレ付のシングルを250Btにディスカウントしてもらいチェックイン。これはグッドバリューだ。もちろんコンセントもある。
荷物を解いて、早速シャワーを浴びエアコンをガンガン効かせて一休み。それから洗濯。服が少ないので暑いところでは毎日洗濯しなければならずちょっと面倒だ。午後まで休んでカオサン通りを歩いてみる。大きな店が増えたのか以前に比べスッキリした感じだ。日本人の姿は少なく白人歩行者天国みたいになっている。バンコクに来るたびに白人が増殖しているような気がする。
無料の地図がどこかに置いてないかあたってみるが発見できず。警察に聞いてみたら、2kmほど先のツーリストポリスに行けばあるだろうというのでそこまで歩いて行ってみるが、やはりバスルートマップはなかった。カオサン周辺はBTS、地下鉄駅がないのでバスの番号がないと身動きがとれない。トゥクトゥクも高いし…。とりあえず地下鉄駅へ向かうバスの路線を確認して警察を出る。大通りに戻って地下鉄ペッブリー駅への60番バスに乗り、駅から地下鉄でラチャダビセック方面へ。去年地下鉄に乗ったときは開業記念(?)で全線一律10Btだったが、今回は10Btから段階的に料金が設定されていた。それでもBTSに比べれば割安だ。
前回見つけたラチャダビセック通りのマッサージ屋で2時間全身マッサージを受ける。たまに痛いが気持ちいい。極楽極楽。やっぱりマッサージはタイと中国に限る。他の国はまともに揉めないくせに高い。日本料理を食べたことない奴が日本料理屋をやっているようなものだ。
帰りはバスがなかなか来なかったのでカオサンに着いたのは9時頃になってしまった。楽しみにしていたソムタム&ビールの夕食。禁酒生活ともこれでオサラバだ。もうバンコクで観光するようなところもないので必然的に関心は「食」に向かってしまう。ソムタムではちょっと物足りず、その後で屋台のパッタイを食べもう1本ビールを飲んでしまった。そこでローカルの若者達に誘われ、ウィスキーをごちそうになりながらしばらく一緒に楽しむ。
↓タイの若者達と一緒に
今日はいよいよパキスタンを出てバンコクへ戻る日だ。成田からバンコクへ飛び、そこからこの旅は始まったので、バンコク到着をもってほとんどこの旅は終わると言ってもいいだろう。パキスタン航空のバンコク行予定出発時刻は11時45分なので、9時前に宿をチェックアウト、近くの食堂で朝食をとり、空港方面行乗合スズキの出発を待つ。
スズキは満席になるのを待って出発。名前はイスラマバード空港なのだが実はピンディから数kmのところにあり、近くて便利。20分ほどで到着、だがスズキは空港前まで行かず、手前500mくらいのところが終点になっていた。歩いて空港に入り、チェックイン。この空港はかなりチェックが厳重で、カスタムでは荷物を開けて検査されたりしたのでゲートに着くまでに1時間以上かかった。パキスタン航空は(酒が飲めないこともあり)評判悪いが、機体は普通にエアバスA310だったし、機内食も2~3種類あり味も悪くない。ただ、機中での映画が「King Arthur」っていうのはいくらなんでも古すぎるんじゃない(笑)?座席は9割方埋まってるようだ。予想通りCAは皆オバサンだった(笑)。
この便は香港経由(バンコク経由香港行のほうが近道のような気がするが…)で、5時間ほどして香港到着。半分以上の乗客がここで降りた。機内清掃、香港からの乗客が来る間、バンコク組は機内で出発を待つ。1時間半くらい待ってバンコクへ向け再出発。座席は再びほぼ満席状態になった。さすがに中国人が乗ってくると騒々しい。香港-バンコク便なのにムスリム乗客が多いのは意外だった。ムスリムはイスラム国のキャリアを好むのだろうか?
バンコクまでは2時間半。夕食をとって眠ってたら気づいたときにはもう着陸1分前だった。現地時間で深夜12時着だったのでイミグレはすいていたが、眠っていた間に入国カードが配られていたらしく持ってなかった僕はそれをイミグレで記入しなければならなかった。タイは通関がスムーズなのがありがたい。荷物をピックアップしてまずは両替。1US$=3902B、思ったよりいいレートだ。地図が欲しかったが、さすがにツーリストインフォは開いてなかったので入手できず。深夜着なので今夜は空港で夜を明かす。空港を一回りして寝るのによさそうな場所を探しまわる。セブンイレブンがあったので久々にカップラーメンを食べた。辛酸っぱいスープでタイに来たという実感が湧いてくる。
置き引きがいるのであまり人通りのない暗いところは避けなければならない。かなり歩き回った末、1F到着フロアのターミナル1と2の間にあるイスの上で寝ることにした。空港内はエアコンが効いていて寒いくらいだ。
昨夜は相当疲れていたにも関わらず、久々の暑い夜だったせいかあまりよく眠れなかった。起床してシャワー、また洗濯をして9時過ぎに町へ出る。町が目覚めるのは遅く、店は10時頃からポツポツと開き始める。まずは散髪&髭剃り(40Rs)。髭はもう1ヶ月以上剃ってなかったが、これから結婚式に出席するし、タイの女の子は髭が好きじゃないなのでここで剃っておこう。仕上がった髭なしの自分の顔に何となく違和感を覚えてしまう。
それからCD・DVD屋へ行く。宿の兄ちゃんに教えてもらった店は全品コピーながら(笑)品揃えは充実。DVDは150Rsと高かった(ラホールなら80Rsくらいで買える)のでCDを5枚購入。購入前に持参のノートPCでチェックさせてくれと言ったら、PCで再生するとディスクに傷がつくことがあるからダメだと言われた。そんなことってあるのか???
店を出て宿に戻り数日分の日記をPCに入力。ついでに半分くらい荷造りしておく。
2時過ぎにバスでイスラマバードへ移動。ここでロックビルサという物産展があるのでそれを見に行くが、場所がなかなか分からず1時間近く広いイスラマバードを歩いてしまった。4時前にようやく到着(入場料10Rs)。会場には多くの出店、屋台があり、所々で音楽やダンスのパフォーマンスも行われていた。バックパックに余裕があれば買物したかったのだが、これ以上荷物を増やすと後々後悔するのが目に見えているのでガマンする。
夕方、青年海外協力隊員としてイスラマバードで働いているじょにぃさんと落ち合う。彼にはチケットの手配などいろいろお世話になった。しばらく一緒にロックビルサを見てからイスラマバードのメロディ食堂街で夕食をとる。パキスタン最後の夕食なので丸ごと炭火焼きチキンにサラダ、スープなど豪華ディナーをがっつり食べる。幸せ~。じょにぃさんはそろそろパキスタン滞在2年だがウルドゥー語はバッチリ。会話だけでなく(あの意味不明な)読みまでできるのには驚いた。スゴイ!彼にいろいろ現地の様子を教えてもらった。パキスタン駐在の協力隊員の多くは女性なのだそうだ。男でさえ長くいると疲れるこの国で(男性以上に制約が多く、また目立つ存在である)外国人女性が仕事をするというのは相当大変だろう。
食後、バザールへ行ってDVD屋などを回り、締めくくりにフレッシュジュースを飲む。明日はムハンマド誕生日(祝日)なのでいくつかの建物は派手にライトアップされている。イスラム国のクリスマスみたいなものなのだ。一人だったらイスラマバードに夜来ることなんてなかっただろうから、すごくいいタイミングだった。サンキュー、じょにぃさん。
5時半頃バス車内で目覚める。ドライバー達3人はまだ眠っているようだった。ドアを開けて歯磨きをして少し歩きバスに戻る。しばらくして皆起きだしたので、この先どうやってピンディに行けばいいんだ?と聞くとギルギット発のバスが何本か通るはずなのでそれを待てという。車内にいてもしかたないので、近くの食堂でお茶&プラタの朝食。ゆっくりしてたらドライバー達もやってきた。ここで改めて何時頃バスが来るのかなど聞くと、ドライバーが50Rs払い戻しをするからミニバスで行ったらいいというので、チケットと引換えにお金をもらう。それからすぐに彼らがミニバスを停めてくれ、移動再開。さすがにミニバスは速い。しかも、空席も気にせずどんどん走ってくれる。9時前にはピールワダイモールに到着。ここから乗合タクシーでサダルバザールへ行き、以前泊まっていたAl-Azamホテルにチェックイン。やっと着いたぁ!時刻は9時半、スカルドゥを出てから38時間経っている。さすがに尻が痛い。
荷物を解いてシャワーを浴び、まずは洗濯。寒くて穿き続けだった長ズボンなどほとんどの衣類を久々に洗いスッキリ。それからネット屋へ行ってメールチェック。ここのネット屋ではノートPCがつなげるので数週間ぶりにたまっていたメールを落とす。あまりに量が多く、1時間では終わらなかった。
それから両替、航空券の入手に出かける。両替のレートは1USD=59.88PkRs、前回より0.33Rsよくなっていた。手元に現金で250US$持っており、これでチケット代にちょうどいいと思っていたのだが、少し破れているという理由で1枚の紙幣を受け取ってもらえない。やむなくシティバンクへ行きチェックを換えようとしたら、ここは口座を持ってないと両替は受付けないと言う。しかたないのでキャッシングで金をそろえ、イスラマの友人に予約してもらっていたチケットを引き取りに行く。
旅行代理店の人はコーラを出してくれるなど、いい感じのおじさんだったが、チケットをもらい金を払う(13000Rsでデポジット1000Rsは支払い済)と、もう1回チケットを見せてくれといい。それを見て「運賃が上がったので差額2000Rsを払ってくれ」と言ってきた。
そら来た…そんなことじゃないかと思った(*_*)
ここで妥協の余地を見せたら負けだ。勢いよく声を荒げ「No!予約時に金額は決まっているはずだ。俺が払う理由はない。」と突っぱねる。向こうが初めから騙すつもりでやっているのか、本当に予期しない値上げだったのかは知らないが、こんな商売を許していたらまた他の日本人がカモられるだけだ。警察呼ぶぞ、運賃の値上げならなんでそれが分かった時点で連絡しない、損失が出たとしてもその責任は買い手にはないはずだetc思いつくかぎりの理屈を並べ立て攻撃を繰り返す。おやじも、金を返すからほかで買ってくれ、ボスと相談するから明日また来てくれ、予約して友人と相談してくれ、さらには俺が給料から1000Rsだけ出すから半分の1000Rsだけ払ってくれなどといろいろ妥協案を出してくるが一切受付けず、30分ほどああだこうだの口論を続けた末、おやじはチケットをポンと投げてよこし、もう行けという手振りをした。後味は悪かったが仕方がない。自分の撒いた種だ。
旅行代理店を出てから1kmちょっと歩いて新疆ラグメンを食べに行く。前回ピンディ滞在時、店が閉まっていて食べられなかったのだ。ちょっとイメージと違ったが麺は歯ごたえがあってウマイ。
5時半頃目が覚めたら、やはりバスは停まっていた。明るくなって見ると前にもトラックが停まっている。いつになったら道路が復旧するのだろうと思ってたら、向こうから軍人を乗せたトラックがやってきた。
…ということは車が通れる?
しばらくして車内に動きがあり、どうやら崖崩れ地帯にトライするらしい。落ちるのはイヤなので、大事をとってバスを降りて問題の箇所へ先回り。確かに闇の中では危険だが、明るくなった今なら通れないことはなさそうだ。数人の乗客が降りてバスを先導して無事通過。しかし、この後不通区間待ちをしていたトラック十数台と狭い道をすれ違い通過せねばならず、まともに走れるようになるまで1時間近くかかった。そうしてKKHに入ったのは9時頃。出発後13時間以上経っている。順調なら5時間で行ける距離なのだが、すでに8時間オーバー(涙)。
9時半頃朝食休憩をとる。知らない兄ちゃん(しかも他のバスの乗客)が朝食をおごってくれた。僕のバスにはあまり英語を話す人はいなさそうだ。あとは晴天のKKHをひたすら下っていく。行きには雲に隠れていたナンガパルバットもばっちり見ることができた。チラス近くになると標高1000mを切り、Tシャツ(半袖・長袖二枚重ね)でも暑くなってくる。出発したときはこの上にフリースを着てショールを羽織っても寒いくらいだったのに…。
岩と川、そして空だけの風景の中にたまに集落が現れ、そこにだけが緑にあふれているという景観が続く。集落の雰囲気はもう初夏といった感じだ。チラスの先でポリスチェック、必要事項を記入してすぐ終了。この辺りまで来ると、美しい景色でさえだんだん目新しくなくなってくる。後はひたすら5kmおきに現れるキロポストを目で追い、あと何時間でつくかなぁと計算するだけの退屈な時間が続く。足が伸ばせる席とはいえさすがに尻が痛い。
2時頃に昼食、6時半頃お茶休憩で停車。7時頃から暗くなり、そうなると目を閉じて眠るだけ。このペースで行けば、定刻の5~6時間遅れ、午前1時過ぎにラワールピンディに着きそうだ。眠ったり起きたりを繰り返し、最後に時計を見たのが11時頃だった。
そして、午前1時過ぎ、車掌(?)に起こされる。ようやく着いたかなと思ったがちょっと様子がおかしい。少し英語を話すおっちゃんが「バスが壊れた。ピンディに行くならミニバスが来てるからこれに乗ればいい。バス会社が45Rs出すので、僕ら乗客は15Rs払えばピンディに行ける。」という。ここはピンディから約80kmのところらしい。既に乗客の多くはミニバスに移っている。
おっちゃんに「このミニバス、(中心街である)サダルまで行くの?」と聞くと、彼はドライバーに確認して
「No。バスターミナルに行く。」
「じゃ、そっから先サダルへ行くには?」
「タクシーだな」
う~ん。この夜中に何度か乗り換えて宿まで行くのは大変だし、きっと足下みられてふっかけられるだろう。結局、バスに残って朝を待つことにした。既にバス車内で30時間以上過ごしてるのでキツイといえばキツイが宿代も浮くし、あとは寝るだけだからいいだろう。バスに残ったの乗客は僕ともう一人だけ。皆を乗せたミニバスが去るのを見送ってまた眠りにつく。
↓パキスタン名物ド派手トラック
22日イスラマバード発のフライトでパキスタンを出国するので20日中にチケットを引き取る約束にしており、そのため今夜7時半発のバスでスカルドゥを出てラワールピンディへ戻らなくてはならない。というわけでメンバーは明日までカーネに滞在するが、僕は一足先に帰る。
今日は昨日以上の晴天、マッシャブルムが雪煙をあげている。メンバーと一緒の最後の朝食を済ませ、小学校の新入生に入学記念として苗木2本をプレゼントするセレモニーを行う。ここの朝礼ではパキスタン国歌と違う歌を歌っていた。何だろう?
セレモニー終了後、ジープに乗ってカーネを後にする。来るときはジープの後部座席(しかも横向き対面式)だったので、あまり景色を楽しむことができなかったが今日はフロントシートなのでバッチリだ。マチュロ手前から杏の密度が高くなり、超満開でピンク色に染まったトンネルの中を進む。夢のような世界だ。上を見上げれば青空に雪をかぶったピークが映える。文筆業でもしながら夏はマチュロの村で、そして冬は沖縄で暮らせたら最高だなぁと真剣に考えてしまった。
この村を過ぎて40分ほど行くと橋を渡る。この先はずっと舗装道路になる。スカルドゥ周辺で見るインダス川は茶色く濁っているが、ここを流れるシュヨク川(インダスの支流)は青く澄んでいて周囲の山が水面に映っている。ハプルのチェックポストを過ぎると緑が少なくなり岩の世界となる。さらに進みゴルの橋を渡ると川が合流しインダス川となり、水の色が茶色に変わる。
約4時間でスカルドゥ着。バスのチケットを購入し、ドライバーさんの家で預かってもらっていた荷物を引き取る。食堂でお茶を飲んでお世話になったドライバーのSさんともお別れ。バスの出発時刻まで6時間以上あるので安宿の部屋を40Rsで借り、そこでシャワーを浴びようとしたが、ここの水はまだ冷たく断念。食事をとったり、バザールをぶらついたりしてからバスの出発まで部屋で休む。
7時にバス会社のオフィスに行く。バスは予定通りで道路もクリアーなので明日の夕方5時半頃にはピンディに着くだろうということだった。バスはほぼ定刻通り7時半に出発。多少空席がある。僕は一番前、運転席のすぐ後ろの席をもらえたので足も伸ばせるしかなり楽だ。隣にガタイのでかい兄ちゃんが来たのでちょっときついがガマンしよう。チェックポストの場所が変わったらしく、いつもの橋ではなく空港の先でレジストレーションをさせられた。9時半頃夕食休憩。僕は食欲がなかったので車内で待っている。ウトウトして11時頃目が覚めたらバスは停まっていた。来たときと同様、夜間は危険なので固まって停車しているのだろうか?しかし、屋根の荷物を降ろしたりと車内の様子がおかしい。英語を話せそうな人に何かあったのかと聞くと「Road is blocked!」だと…(涙)。数時間前に聞いたときはクリアーと言ってたのに。さすがKKH、常に落石や崖崩れと隣り合わせの道だ。何もできないので、とにかく眠って道路が復旧するのを待つしかない。
↓水面に映るカラコルムの峰々
6時前に起きるが、谷間のため日が射しこんでくるのが遅くかなり寒い。今日も晴天でマッシャブルムがよく見える。近くをぶらぶらしてからお茶を飲みつつ日記を書く。7時半から朝食をとり、食後は上流にあるフーシェの村へ行く。ガレたジープ道を上がること1時間強でフーシェ到着。マッシャブルムが一段と大きくなった。ここは谷の最上流にある村で、K2、マッシャブルム等へのトレッキング拠点となるところだ。そのため、村人は旅行者慣れしており外国人に対してもオープンな雰囲気だ。とはいえ、アスコーレともまたちょっと感じが違う。
もう標高3000mを超えているので木は少ないが、耕作地は豊富。ヤクがそこら中にいるのどかな農村だ。フーシェこそ「風の谷」のモデルだという説もあるが、それもうなずける。しばらく村の近辺を歩いてから植林希望地の視察に出かける。川沿いに上がること1時間。暖かく気持ちのいい山歩きだが、僕は何だか頭がぼーっとして力が入らないような状態で歩いていた。ちょっと具合が悪いのだろうか?
耕作地を越えてさらに上流へ行くと対岸に林が現れ、その向こうにマッシャブルムがそびえるという素晴らしいビューポイントに出る。植林希望地はこの少し先。石が多そうだが水さえ引ければ植林可能だろうというのがメンバーの見解だった。僕はといえば歩いているうちにしもやけが痛痒くなってきたので、暖かいところに腰掛け靴を脱いで指をマッサージしていた。
視察終了後村へ帰り昼食。Mさんはビールを持ってきていてそれを雪で冷やして飲む。最高にウマイ。運動後なので皆珍しく食が進んでいた。食後、メンバーと村人とでミーティングが行われたので僕は席を外し、村人の写真を撮らせてもらったりして過ごす。このオープンな村では女の子はおろかばあちゃんまでが(孫と一緒だが)写真OKだった。他の村ではまず考えられないことだ。
2時半頃フーシェを出てカーネに戻る。運動後のビールがいい具合に効いて帰りの車ではほとんど皆が眠っていた。カーネへ着いてお茶を飲んでから川へ水浴びに行く。水は身を切るように冷たかったが、一通りタオルで体を拭くとずいぶんサッパリしていい気持ちだ。村の人たちにもこの気持ちよさを教えてあげたいものだ。
↓フーシェのばあちゃん
今日から3泊でカーネとフーシェの植林、調査に行く。もっとも3泊するのはメンバー&スタッフで僕は2泊して3日目の朝スカルドゥへ戻らなければならない。8時過ぎにメンバーが事務所に到着。お茶を飲んで9時に事務所を出る。僕はもう事務所に戻ってくることはないので、使わないものはドライバーさんの家に預け、残りの荷物を全部持っていく。町で雑用を済ませ10時にカーネへ向け出発。
予想に反して今日は晴天でとても暖かい。ジープの後部座席で揺られながら春の陽射しあふれる村をいくつか通り過ぎ、11時半前にハプルーに到着。ハプルーまでは全面舗装されていてNATCOのバスもスカルドゥから1日3往復走っている。ハプルーの食堂で昼食。味はイマイチ。
ハプルーの手前から別の道に入り少し行ったところにチェックポストがある。ここから先へ行くにはポリスの許可がいるのだが、許可を出す人のいるところへの電話が不通だったので30分以上待たされることになった。橋を渡って30分ほど行くとマチュロ村へ出る。ここは付近の村と比べ杏の木が多く、ほぼ満開の今はフンザ並みかそれ以上の美しさだ。斜面に建てられた白壁、平屋根の家々とそのてっぺんに建つ木造モスクがチベットを思いださせる。ノーザンエリアで次にブレイクするとしたらここではないだろうか。
さらに30分ちょっと進み、橋を渡るとカーネの村。ここは谷間にある村で、マチュロと標高は大して変わらないと思うのだが日照時間が少ないらしく杏もまだ固い蕾のままだ。北に延びる谷の向こうにはマッシャブルムがその雄姿を見せている。テントを設営し一息ついてから村を散歩。耕作地が少ないため男は出稼ぎに行っている人が多いらしく女性と子供の姿が目だつ。ふと見ると女の子が二人であやとりをしていた。日本人が教えたのかと思ったがちゃんとローカルネームがあったので、この地にもともと存在していたのだろう。不思議なものだ。
今日は移動だけで作業はないので散歩を終えしばらくしたら夕食。いつものようにビッグディナーで超満腹。そして食後は恒例の(?)小宴会、会の問題についてメンバーがいろいろ話していてちょっとシリアスな雰囲気だった。寝る前に空を見上げると月がこうこうと照っていた。おかげで星はあまり見えない。ちょっと残念。
↓マチュロの杏とモスク
テント場は斜面でちょっと寝づらかった。3時半頃目が覚めたら雨音が聞こえる。あぁ、今日も雨か…。そのままウトウトしていたら隣で寝ていたMさんが起きて、まだ日も昇ってないのに外へと散歩へ出かけた。僕は明るくなるまでシュラフでぬくぬく。
5時半頃テントを出る。雨は降ったりやんだりを繰り返している。昨日より雲が深く、気温も低いみたいだ。洗顔、歯磨きを済ませてから食事用テントで日記を書いていると、他のメンバーも起きてきて朝のお茶が出る。朝食まで歓談、その間雨足が強くなっていった。
幸い作業は昨日のうちに終えていたので今日はスカルドゥへ戻るだけ。ゆっくりした朝食をとって、テントの撤収もスタッフにやってもらう。それから、昨日お茶をごちそうになった家に集まり、スタッフの準備が整うのを待つ。
その間女性メンバーは村のLHW(Lady's Health Worker)や女性たちを交えヨード欠乏症の予防について聞き取り調査を行ったが、僕を含め男性は立入禁止なので散歩したりして時間をつぶす。ヨードは海草などに含まれる体に必要なミネラルの一種だが、この地域では自然に摂取することが困難なためヨード欠乏症による甲状腺障害がよく発生している。その影響で知的障害者や甲状腺がこぶのように腫れた人をよく見かけるのだ。ヨードを含んだ塩を採ることで甲状腺障害を防ぎましょうと啓蒙することが調査の目的だ。
準備が整い10時半頃出発。途中から雨が止んだ、というよりは下流では降っていなかったようだ。今朝は朝早くからコーヒーを何杯も飲んでいるのでトイレが近い。途中、停車のたびに小便をしている。
帰路、シガルの村でホテルに改装中のフォートを見に行くが、去年までなかった外国人料金300Rsができていて入らず、1時頃スカルドゥへ戻ってくる。事務所に着くと先着していたスタッフが昼食の用意をしており、程なく昼食。それからバザールが開くのを待って3時頃メンバーが買物に町へ出かけるのについていく。僕は18日のバスを予約。何と4/1から運賃が20%Upしていた。燃料費のせいだというが、20%はひどいんじゃないの…。メンバーの買物が終わるのを待って事務所に戻る。
↓シガルのチベタンモスク
今日はグラポール村へ泊りがけで植林へ行く。朝食をとって事務所でメンバーの到着を待つ。洗顔後、鏡に映った自分の顔を見てだいぶ太ってきたのに気づく(フンザの宿には鏡がなかった)。フンザでは毎晩食べ放題状態だったのでいつもおかわり3杯くらいしていたから当然か…。おかげでインドで縮まった胃は急速に再拡張。たぶん1日のカロリー摂取量は1ヶ月前の3倍以上になっているだろう。そして、食べ過ぎ生活が始まって2週間ほど経ちそれが顔にも出てきたというわけだ。しかも、現在、メンバーとの食事も大皿方式なので常に余るほど出されるし、この後続く国はタイ、インドネシアと食欲をそそる所のみ。気をつけないとプラス体重で帰国することになるかもしれない。
さて、メンバーは8時半頃到着し、9時過ぎに出発。途中、シガルのチベタンモスクに寄る。元々は仏教寺院だった木造の建物だ。かなり大きい建物で内部は大勢がお祈りできるよう(一般のモスク同様)大広間となっている。
少し引き返しシガルの手前から川を渡りグラポールへ向かう。こちら側の道はかなり整備が進んでいるので、以前トンガルへ行くときに通った対岸の道に比べスムーズに進む。約2時間、11時にグラポール着。村人の家でお茶と軽食をごちそうになってから、植林サイト内にあるテント場へ上がる。食事用の大型テントは既に設営済で、宿泊用テントもスタッフと村人が手際よく立ててくれた。至れり尽せりの楽チンキャンプだ。ここで昼食をとってしばらくゆっくりする。
午後に作業開始。村人は子供含め30人以上集まっただろうか。少し雨がぱらつく生憎の天気だったが、作業には支障なくまあまあ順調に進む。子供はカメラの向かう先々に走り寄ってきては「俺を撮ってくれ」とアピールを繰り返す。お前ら、写真はいいから働け~とハッパをかける。ここの土壌はクワルドゥと違いやや粘土質のうえ、少し掘ると石がゴツゴツと出てきてちょっと大変だ。僕もシャベルを持って作業に参加するが、やはり力不足を露呈。村人にしてみれば日本人のやることは見てられんなぁと思っていたのだろう。しばらくすると俺に任せろとでも言うようにシャベルを取り上げられた(涙)。ま、僕らが見ていることで皆頑張ってくれるので、間接的に役立ってると思うほかないか。3~4時間で作業終了。最後に子供達に鉛筆・ノート等を配布。一度もらった奴がポケットに鉛筆を隠してまた列に加わったりと素朴なようでなかなか狡猾なところもある。
全て終了して夕食。今夜はとてもグッドな中華料理だった。トレッキングもこんな感じなのだろうか、だとするとすごい豪華&楽チンだなぁ。
↓苗木用の穴を掘る子供達
今日はスカルドゥから約1時間のクワルドゥへ初めての植林作業へ行く。昨夜は久々にうまい酒を飲んで寝たので熟睡。6時前に起きて洗濯、日記をつけたりして8時頃出発。メンバーの宿泊しているホテルで合流し、クワルドゥへ向かう。
クワルドゥへは以前行ったことがあるので道は分かっている。途中で渡ったインダス川の水量が前回よりずっと増えていて驚いた。先日降った雪がどんどん融けて流れ込んでいるのだろう。
クワルドゥでの植林は建設中の病院の敷地内に行うもので本数も60本と少なく、作業ボリュームとしては少ない。村人10人ちょっとと小学生数十人と一緒に作業を行う。内容はタテヨコ80cmほどの穴を掘り、そこに木炭を入れ、土とかき混ぜた後、苗木を挿し、土をかぶせ周囲を踏み固めて終了というもの。苗木は日本のリンゴ「ふじ」と「つがる」。何だか自衛隊の艦船みたいだ(笑)。数が少ないので時間はさほどかからずして作業終了。それから手伝ってくれた小学生に鉛筆やノートをプレゼントする。女の子はとてもシャイで作業にも加わらず、先生から指示されないと記念写真も嫌がる。また、人数も男子よりずっと少ない。多くの親が女の子には教育不要と考えているからか、あるいは男女共学という環境を嫌って学校へ行かせないのか???病院の一室でお茶をいただいてから前にもお邪魔したローカルスタッフAさんのお宅へ移動。ここで昼食をごちそうになる。これまたウマイ。
食後、ゆっくりしてからスカルドゥへ戻る。今夜の食事はメンバーとは別。バザールの食堂でチキンカレーを食べてからメンバーの宿泊しているホテルへ行き、シャワーを借りる。高級ホテルでもバリバリのホットシャワーは出ないらしい(涙)。シャワーの後は昨日と同じように酒とつまみをいただいて9時頃事務所に戻る。明日の準備をしてから睡眠。
↓クワルドゥの女子学生たち
約2週間滞在したフンザを出る。宿の清算は昨夜済ませていたので、6時過ぎに部屋を出てギルギット行ミニバスを待つ。バスはタイミングよくやってきたが、乗客が少なかったため満席になるまでアリアバード~ガネッシュ間を2往復することになった。結局、アリアバードを出てのは7時過ぎ、早起きした意味がない(涙)。ギルギットまでは概ね下りなので来たときより速く、約2時間で到着。ギルギットに入る手前の橋でポリスチェックあり。パスポート内容を控えられ、どこに泊まるのかと質問を受けるが、スカルドゥへ行くと答えると問題なく通過できた。Clean Up Operationはまだ完了していないということだった。この町が落ち着きを取り戻すのはいつになるのだろうか???周囲の緑も美しいので滞在してみたかったのだが、今回の旅ではムリだった。残念。
9時15分ころバスターミナルに着いたが、スカルドゥ行を運行している3社のうち第一候補NATCOは12時発だったので、やむなく10時発のMashabrum社に乗ることにした(同社の社長はシーア派なので襲撃の標的になりやすいらしい)。朝食をとってから10時半頃出発。周囲の新緑は相変わらず瑞々しく美しいが、心なしか2週間前と比べるとやや落ち着いた色になったように見える。3回目になるこのルートだが、コースターは今までいちばん順調に進み所要約5時間半、4時過ぎにスカルドゥに到着。バス会社のオフィスまで迎えにきてもらい、久々にNPOオフィスに戻ってくる。スカルドゥは思ったほど寒くなく、むしろフンザより暖かいかもしれない。杏の花もピークは過ぎてしまったようだ。
明後日から植林を行う予定だったが、明日バスで到着予定だった日本からのメンバーが(今日イスラマバードからの飛行機が飛んだため)もう到着していたため、オフィスで顔合わせを行い、その場でスケジュール変更、明日から植林を開始することになった。
それからメンバーは宿泊先のホテルへ戻り、僕は荷解きをして一息つく。6時頃ホテルへ合流してディナー。食事前に日本から持参されたお酒とつまみをいただく。久々にさきいかや柿の種を食べた。う~ん日本の味。それから、高級ホテルでのノンベジ料理を腹いっぱい食べさせていただいた。超がつくほどの満腹。ごちそうさまでした。
↓雪の跡がくっきり
昨夜は星がたくさん見れたので今日こそは快晴だろうと思って起きたが、やはりいまいち。山には雲がかかっている。明日はここを出るので見納めにバッチリ晴れてほしかったが仕方がない。そうそう、昨夜は足の薬指にできたしもやけがジンジン痛み出してあまりよく眠れなかった。そして起きたら8時。ここではいつの7時前には目が覚めていたので珍しく朝寝坊だ。
朝食をとってイーグルネストというビューポイントへ行ってみる。標高2800mくらいあり、かなりの登りだ。集落をいくつか抜けて1時間半で到着。ジープ道なのにけっこう疲れた。どうも最近筋力が落ちているような気がする。以前にもこんな風に感じたことがあって筋萎縮症といった病気ではないかとネットで調べたことがあったが、いつの間にか普通に戻っていた。
イーグルネストからはフンザの村が一望できるが、ちょっと霞んでいてあまりはっきりしない。また、山の上のほうには雲がかかっていているのが残念だ。しばらく景色を楽しんでいたが下から吹きつけてくる風が冷たく20分ほどで降りることにした。ここには2軒ゲストハウスがあるが両方ともやや高級。チャイでも飲もうかと思ったが高いのでやめて降りることにした。途中の集落ではなぜかおばちゃん、おばあちゃんの姿が目立つ。みんな挨拶すると笑顔で返してくれる。とても気持ちのいいところだ。
帰りはのんびり杏の花を楽しんでくる。フンザでもKKH沿いはもう花が散っているがこの辺りはまだまだ大丈夫。アルティット村からの分岐でバイクの兄ちゃんに声をかけられ、後ろに乗せてもらってカリマバードまで戻ってくる。それから部屋で昼食。ようやく巨大フンザブレッドを食べ終えた(笑)。晴れている間にタオルやシュラフを干し、シャワーを浴びようとしたがどういうわけかお湯がちょろちょろとしか出ない。それでも頑張ってお湯をためながら浴びる。
明日は早朝からスカルドゥへ向かうので荷物を整理。今朝電話で聞いたところではギルギット~スカルドゥ間の道は特に問題ないようだったので、ギルギットのClean Up Operationが終了して落ち着いていれば昼過ぎには着けるだろう。でもあっちも寒いんだろうなぁ。
↓フンザの子供達(いろんな顔してる)
起きてみるとまあまあの天気。相変わらず雲は多いが、青空ものぞいている。朝食後、日記を書いてから久しぶりに洗濯をする。今の部屋は日が射してこないので室内にいるとあまり感じないが日なたに出てみるとだいぶ暖かい。メール、webチェックをしてから部屋でDLしたサイトを読んだりして過ごす。午後になるとだんだん日が翳ってきてまた昨日までの曇り空へと逆戻り。もう一息って感じだ。
出かけようと思ったころ曇ってきたので、また部屋へ戻りデジカメで撮りまくった写真の整理をした。もう9000枚くらい撮っているので、ざっと見ていくだけでも大仕事だ。1/5ほどやったら目が疲れてきたのでやめる。それから少し買物、電話をして食事へ。
ニュースを見ていたら中国での半日デモが大きく報道されていてビックリ。中国人はどうしてこう攻撃的なのだろう。別に現在日本が中国に対して不利益ななるようなことをしているわけでもないのに、UNの常任理事国入り反対という理由で日本大使館や日本企業に対して投石等の暴力的な行動を行うのは理解しがたい。戦後60年たっても何かにつけ歴史問題をほじくりかえす。日本国民としてはいい加減にしてくれと言いたいのだが、政府は言えないんだろうなぁ。中国にいる間、特に日本人という理由でハラスメントを受けたりすることはなかったのだが…誰かに焚きつけられると燃え上がりやすい気質なのだろう。デモは広州や深センにも広がっているという。深センの友人が気がかりだ。
↓雪景色(ちょっと遅いですが、今日は写真撮ってないので…)
昨日は昼寝をしたためなかなか寝付けなかった。7時頃起きると、曇りながら昨日よりはだいぶ明るい。北には久々の青空がちょっとだけ姿を見せている。昨日までは永遠に曇りが続くのでは…という天気だったので、好転の兆しが見えてほっとした。
8時頃、外へ出てみる。まだ雪は30cm近く積もっていたが道の真ん中が踏み固められて通路になっている。しかし、そこを歩いてみると凍っていて余計歩きにくい。皆、自分の家の雪かきには余念がないが、通学路の雪をどけて道を作ろうという発想はないらしい。
学校は8時半始業らしく、小さな子供達がペンギンさながらに滑る道を登校していく。とても可愛らしい。ここの女の子は写真を撮られるのをあまり気にしないようで、断られることはなかった。9時頃お世話になったマネージャー氏にお礼を言ってチェックアウト。KKHへ向かう。
車を待っていると、フランス人の男が、崖崩れがあって5kmくらい先までしか車が入れない、そこまで200Rs、反対側でも車がピストン運行しているらしいという。何だ、昨日の話では明日にはすっかりクリアーになってると言ってたのに…。シェアしても5kmに数十Rsを払う気はなかったので、とりあえず歩いていく。10分も歩かないうちにさっきのフランス人達が乗ったスズキが追いつき、乗れというので、飛び乗って20~30分進む。何箇所か小さな崩落箇所を越え、「ここまでだ」と言われて降りたところには車ではどうしようもない巨大な落石があった。ここはカリマバードまでのほぼ中間地点。仮に反対側に車が来ていないとすると20km近く歩くことになる。
崖崩れ箇所を乗り越えて、数人のローカルと一緒に足早に危険ゾーンを歩いていく。さすがに彼らのペースは速く、早歩きの僕でもついていくのが精一杯、たぶん7~8km/hくらいはあるだろう。話を聞くと崖崩れは1箇所だけではなく、カリマバード側から車が入るところまでは相当歩かなければならないようだ。いつ落石がないかとヒヤヒヤしながら必死に歩く、ふと空を見上げると鳶(?)がゆうゆうと飛んでいる。歩くのがつらくなったとき決まって思うのが「鳥になりたい」だ。
1時間半ほど歩いたころ、危険ゾーンは通過したと言われ、少しペースを落とす。それからしばらく行くと向こう側から車が来るのが見えた。最後の大きな崩落箇所を越えた先で車が引き返してくるのを待つ。結局12kmくらい歩いた計算だ。後は問題なくスズキでカリマバードまで。着いたらもう12時半になっていた。
昼食をとって宿にチェックイン。半年以上人が入ってないのではと思わせるようなしょぼいへやだったが、安いし一応ホットシャワーがあるのでまあいいか。
カリマバードではほとんど雪の跡が見えない。大した積雪ではなかったようだ。電気も普通にきている(停電が多いのは相変わらずだが…)。しかし、寒いのは一緒(涙)。いつの間にか青空が消えていて、100羽以上の鳶が低空を円を描くように舞っている。ちょっと不気味なものを感じた。
↓雪の中、そろって登校
久々の青空、昨日降り積もった雪もすっかり融けている。でも何か景色が違うような気がする。おかしいなぁ…と思ったところで
目が覚めた。夢だったんだ。
強く念じているとそれが夢にも現れてしまうらしい。さて、現実はというと…まだ真っ暗。枕もとに置いていた腕時計を見ると3時半だった。再び眠りにつく。
AM7:00
起床。窓の外は…曇。一面の銀世界で静寂そのもの。たまにドサッという音がして木に積もった雪が落ちていく。積雪は30cmを越えているだろう。これではKKHが開いてないかもしれない。持ってきた本も読み終えてしまったのでもうすることがない。外は寒いし、歩けば靴やズボンが濡れてしまう。電気もなく、日も差さないこの状況では濡れたものはなかなか乾かない。道の状況を聞くにしてもまだ早すぎるので、結局、歯磨きをしてまたシュラフにもぐりこむ。今日も停電が続いていてお湯を沸かすこともできない。
AM10:00
再び起床。フンザブレッドの朝食をとる。それから庭へ出てみるが、門に鍵がかかっていたのでそこまでにしておく。金曜ということもあるのかもしれないが、外に出ているのは屋根に登って雪かきをしている人くらいだ。宿のマネージャーも雪かきをしていたので、カリマバードまでの道が開いているか聞いてみた。分からない、後で聞いてみて連絡するという返事だったので、また部屋に戻りシュラフにもぐりこむ。日が差さないので昼近くなっても気温が上がらない。室内温度は8~10℃くらいだ。日本にいるときは雪景色を見るのが好きだったが、それは暖房の効いた快適な部屋からだから楽しめたんだなぁと実感。
AM12:00
マネージャー氏がやってきて「道路は現在作業中で、あと数時間もすれば開くと思うが今日はまだリスキーだ。明日になればクリアーになるだろう。」というので、今日もここに泊まることにする。
それからしばらく彼と火を囲みながら雑談をして過ごす。この宿のオーナーはかつてのフンザ王国の家系で今は冬イスラマバード、夏グルミットという生活をしていること、フンザ地域でも北部・中部・南部で言語が違うこと、イスマイリ派とその指導者アガ・カーンのこと、北部地域の住民はノービザで中国へ行けること、最近の印パ関係の好転には両国の過大な防衛費負担が関係しているであろうこと、狩猟とパーミットについてなどなどいろんな話をした。非常に興味深い話で楽しめた。それから部屋に戻り昼食。5食連続で巨大なフンザブレッドを食べているがまだ半分残っている。すごいパンだ。食後はまたシュラフへ入る。
PM5:00
夕食を頼み、しばらくオーナーの長男氏と雑談。ラホールでは女を買えるぞとかいったくだけた話をする。さすが金持ちの息子は話題が違うと変に感心してしまった。6時ころから夕食。食器が並んだ豪華なダイニングホールで一人食事をするのはなんだか変な気分だったが、僕一人のために作ってくれたチキンプラオは2人分のボリュームがあるうえ、チキンもたくさん入っていて大満足。そして、暗くなってくると発電機を回してライトをつけてくれた。マネージャー氏の配慮に感謝する。食後、また彼と歓談して8時頃部屋に戻る。発電気が回っている間に急いでお湯を沸かし湯たんぽを作ってからまたシュラフにもぐりこむ。
↓世界最重量のパン(?)フンザブレッド
長い夜が明け目を覚ますと今朝も曇。幸い、風は収まっているようだ。朝食後、宿をチェックアウトしてパスー村へ行ってみる。村は小さくひっそりとしている。人影もまばらで学校だけがにぎやかだ。ここはカリマバードよりだいぶ標高が高いが杏の花はかなり開いていた。とはいっても本数があまり多くないうえ、周囲に緑がなく寒々しい風景なので「春到来」にはまだまだ時間がかかりそうだ。
村を抜けKKHに戻ったところから少し引き返しパスー氷河のビューポイントをめざす。パスー氷河はこのあたりでは珍しい白いきれいな氷河らしい。道が分かりにくいと聞いていたのでゆっくりケルンを探しながら歩く。家畜止めのゲートを越えてしばらく進むと氷河湖に出るが湖水は濁っていてねずみ色をしている。その先には湖に落ち込むパスー氷河の先端が見えている。湖の右側をさらに進むとケルンが上と少し先と二つ見える。迷った末、上を選ぶがこれが失敗。少し進むとルートがなくなり、下に正しいルートが見えた。ここから正規ルートへ復帰しようとガレ場を斜降しようとしたとき、手を置いた大きな石が土砂から抜け落下、同時に足場も崩れ1~2mほど滑り落ちてしまった。幸い石が足を直撃するのは免れたが左肘を強打してしまった。ここらの石は土砂に埋まっているだけなので非常にもろく崩れてくる。油断は禁物だ。何とか正しいルートに戻りさらに氷河よりまで行くが、そこでまたケルンを見失う。何度見ても先へ向かう道が分からない。しかも20分ほど前からちらつき始めた雪がかなり本格的になってきて視界を妨げる。おそらく昨年まであったケルンも冬の間に雪と崖崩れによって消されてしまったのだろう。しばらく考えたが、これ以上ムリして進んでもこの視界では景色は望めないのは明白だったので引き返すことにした。その時、ドーンという音がして氷河の右上部分が崩落し、1m四方くらいの氷塊が落ちてきた。距離があったので直接の影響はなかったが、その振動で落石が起こるのではないかとヒヤヒヤした。
KKHへ戻るころ雪はさらに強くなっていた。周囲は雪景色と化しつつある。パスー村へ戻ってグルミットへ行く車を待とうかとも思ったがこの先40分くらいのところにある吊り橋を見ておこうと思い直し先へ進む。ヤシュバンダン村の集落からトゲトゲ植物ゾーンを抜け、無理矢理河原へ降りる。視界が悪いため橋は見えない。しかし、河原を歩いていれば間違いなく橋に出るはずだ。20分くらい歩くとようやく橋が見えてきた。思ったほど川からの高さはないが幅は広い。橋の下には積み石で足場が作ってあり、橋の入口まで上がれるようになっている。評判通りのオンボロ橋だ。足場となる板は歯抜けですき間の方がずっと多い。日本なら間違いなく通行禁止になっているところだ。しかし、このスリリングさがこの橋を観光名所にしているのだから、地元も危ないとは分かっていながら今さら補修するわけにもいかないのだろう。荷物を置いて5mくらい進んでみるが足場が悪いので渡るのはやめておく。濡れた木がビブラムソールの天敵であることはちょっと山歩きをした人なら誰でも知っている。橋の入口からKKH方面へ向かう道がついていたのでこれに沿って歩く。
…が、これまた途中でルートがぷっつり消えた。KKH側はかなり落差のある崖でとても道が続くようには思えない。5mほど斜面を上がって上からルートを探すがやはりそれらしい道は見つからない。そうこうしている間にも雪は降りつづけ茶色い地面を白く塗りつぶしていく。山道ではないものの、この寒さと雪で周囲が見えなくなっていく様子に正直心細さを感じ始めていた。時間はまだ昼過ぎだし、防寒具・寝袋も持っていたのでパニックになることはなかったが、空身で、また雪道を歩いた経験のない人だったら相当怖い思いをしたことだろう。しばらく考えた末の結論は、定石通り「引き返す」ことだった。
かなり苦労して村から河原まで降りたので、同じルートから村まで登っていく自信はなかったがさらに上流まで行けばパスー村に出るはずだ。パスーは崖の上にある集落ではないのでさほど困難なく上がれると思われた。
河原へ戻り10分ほど進んだところで斜面からKKH方面へ伸びる一筋の道を発見。「これだ」と確信。雪で道が消える前にと急ぎ気味に歩を進める。15分ほど歩いてKKHが見えたときはさすがにほっとした。KKHから振り返るとそこにあるのはもう完全な雪景色。車が通る気配もなく、あるのは雪が降り積もる音だけだった。が、車道に出ればあとは歩くのみ。グルミットまで車が全く通らなかったとしても2時間ちょっと歩けば着くはずだ。
ヤッケに積もっていく雪を払いながらトボトボと1時間弱歩いたところで後ろから1台のピックアップトラックがやってきた。あわてて手を振って止め、グルミットへ行きたい旨告げて乗せてもらう。寄り道があったためグルミットには1時間後に到着。雪の中を5時間近く歩いていたため、もう衣服が濡れていた。寒かったのでとにかく暖かいところをと村で一番高級なMarcopolo Innに行ってみる。マネージャー氏はとても親切な人で、今シーズン最初の泊り客だからと僕の言い値(正規料金の2割以下!)で泊めてくれた。しかし、雪のため村全体が停電になっていて期待していたホットシャワーは出なかった。マネージャー氏のすすめてくれたストーブで暖をとり、ボトルにお湯をもらって湯たんぽを作って寝る。雪は夜まで降り続いていた。
↓パスーの吊り橋
今日から北フンザ(ゴジャール)へ移動し、数日滞在する予定だ。荷物を近くの宿に預け、オーダーしていた巨大フンザブレッドを購入してパスーの村へ出発。天気は相変わらずさえないがしかたがない。KKHに出てミニバスを待つがなかなかこないので、1kmほど先にある警官のいる橋まで行ってみる。すると、こないだとは別の警官がお茶を淹れてくれ、さらにパスー行の車も停めて乗せてくれた。ここのポリスは皆いい人だ。
1時間半弱でパスー着。ミニバスを降りた瞬間、帽子が飛ばされそうな風!近くの山は上半分が雲に隠れ、ますます薄暗い。台風のような強風の中、帽子とザックカバーを押さえながら風に向かうように体を倒しつつ進んでいく。そうしないとバックパックがあおられてよろけてしまうのだ。こんな強風はNZのトンガリロクロッシング以来だろうか、あのときは強風のためトレイルがクローズされていたのを無理やり他の入口から入ったんだった…。
15分ほど歩いて予定していた宿に着くが、鍵がかかっている。まだ、シーズン前でオープンしてなかったのか。やむなく隣の高級ホテルに身を寄せ、さっきの宿がオープンしていないのか聞いてみると「昨日は開いてたから、今オーナーが外出しているだけだろう。俺がこれから村へ行くから見つけたら言っとくよ」と言って去っていった。軒先でしばらく宿のオーナーが帰ってくるのを待つ。その間にも時折、砂嵐のように河原の砂を巻き上げながら突風が向かってくる。まさに「風の谷」。地の神が怒っているのではないかと不安になるくらいの風が続く。いずれにしても今日は行動不能だろう。
40分くらいしたら宿のオーナーが裏口から出てきた。室内にいたのだが、風の音でノックが聞こえなかったらしい。さっそく中へいれてもらいお茶をいただく。これで一安心。実は僕がこの宿の2005年最初の宿泊者だったのだ。鍵をかけていたのも納得。しかし、あんなに日本人いるのに、みんな泊りがけの移動はしないもんだなぁ。ドミ部屋を一人利用、広いのでさらに寒々しい。風の勢いは衰えないので、その日は情報ノートや持って来た本を読んだりして過ごすのみ。しかも、風のため送電線が断線したらしくずっと停電が続いている。夜はランプを借りたが、本を読むには暗いので早く寝てしまおう。
↓一緒に帰ろう