Day109 震災支援8日目

今日もイスラマバードからスタッフが来たので人員には少し余裕がある。というわけで、僕はここに来て初めて上の村へ行ってみることになった。じょにぃさんが一昨日から夕食を配布しているという谷底近くにあるバリパットラングという村だ。今日は日本から神戸を拠点とするNGOの代表である吉村さんと「不肖…」で有名なフォトグラファーの宮嶋さんも一緒だ。途中、ちょっと腹をこすったりした箇所もあるが食器等を積んだハイエースも問題なく上がっていく[:ラッキー:]
その村へは急斜面沿いにジグザグにつけられた道を10分くらい降りていかなければならない。もともとはジープ道だったようだが、石が落ちていたりして今はとても車が通れる状態ではない。
食糧配布は車道まで村人に来てもらっていたというので、じょにいさんもバリパットラングの村まで降りてきたのは初めてだという。この村には47世帯が住んでいる。どこから入手したのか、キャンプ場でよく見かけるナイロン製の2〜3人用テント(フライシートはなかった)が数張、丈夫な大型テントもいくつかあるが、トタン屋根を合わせただけの家やさらにはトウモロコシの茎と葉を重ねただけの家に住んでいる人もいた。援助物資が入りにくいのは場所柄しかたがないだろう。それでも数日前に巡回医療が来たといっていたので全く無視されていたわけではないようだ。
スタッフと相談してこの村に援助物資(テント20張、グリーンシート10張、食器、ショール、帽子など)を配布。下り10分の坂は上ると20分以上かかる。そこまで村の男や少年に来てもらって抜け駆けしないよう監視しながら一緒に荷物を降ろし、下で一度集めてから分配した。本来ならモノのない家を優先的に配布したいのだが、いきなり来て分配をしなければならないという状況ではある程度自己申告で配らざるをえない[:ムニョムニョ:]
村を回っていてまだ傷の手当が必要な人が多いと思ったので僕とじょにぃさんは残って後でベースキャンプから来る車に医療用具を載せてもらい医療活動をすることにした。吉村さん、宮嶋さんは一通り村を見てから上の車で帰りを待っていたので、彼らに「自分たちは傷の手当をしていくから残る。下から上がってくる車に乗って降りるかヒッチで降りてほしい」と連絡。1時間以上待ってようやく夕食と医療用具を積んだ車が来たので薬の詰まった段ボールを持って再び坂を下り治療開始。

治療を始めるとかなりの人が集まってきた。時間が経っているので小さな傷は乾燥して自然に治癒しているが、ひどい傷は完全に化膿していてはらってもはらっても傷口にハエがたかってくるような状態だ。
一番ひどかったのは肘の皮が10cmに渡って切られている女の子で、膿汁で包帯がまっ黄色になっている。当然その周りにはハエがたくさん群がっているがそれを追い払う気力もない。昔UNICEFか何かのCFで見たような絵が自分の目の前にあった[:ポロリ:]
痛まないよう包帯を外すだけでも一苦労。1時間以上かかって包帯を濡らしは切って少しづつはがしていくが僕らには難しい。だんだん暗くなってきたので、ベースキャンプに連絡して看護師さんに診てもらうよう依頼、とりあえず患部に保湿ガーゼをかぶせて応急処置は終了。それからじょにぃさんが母親に彼女を下のキャンプに連れて行って処置をしたい旨了解を求める。そのやりとりを聞いた少女は今まで痛みにも耐えて一言も話さなかったのに自分だけが家族と離されてどこかへ連れて行かれるという恐怖で急に泣き出した[:困惑:]
自分がこのまま知らない国へでも売られてしまうとでも思ったのかも知れない。外国人など来ることのない山の村では無理もないことだ。母親もしぶしぶながら了解したので、女の子とその姉と一緒に車でベースキャンプへ降り、急ぎ手当を受けさせる。さすがに看護師は手馴れたもので大した時間もかけずに包帯をはがし、消毒をして抗生物質のクリームを塗って処置終了。しかし、切られた皮膚があまりにも大きいので皮膚移植をしないと自然に皮膚がつながることはないだろうという判断。病院へ行くことを強くすすめる。彼女を村に帰して今日の仕事は終了。忙しかった[:汗:]

僕らのいない間に今後の方針が話し合われていて、緊急支援段階は終了との判断。医療支援キャンプは明日撤収することになった。

本日の1曲 Madonnda「Rescue me」

↓肘の傷が化膿して少女の腕にハエが集まってくる

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