Day214 キャンプ・ジャパン

パキスタンに戻って2日目だが、さっそくカシミールへの日帰り視察へ出かける[:汗:]
6時に出発しマリー経由でムザファラバードへ。イスラマからほぼまっすぐ北上する(道はカーブの連続だが)ため、3時間ほどでムザファラ市内に着く。意外と近いところなのだ。念のためパスポートのコピーを持参しておいたが道中はポリスチェックを受けることもなかった[:イヒヒ:]
市内の様子は11月に来たときとはだいぶ変わっており、瓦礫の山はほとんどなくなっていた。しかし、ヘリコプターは相変わらず頻繁に頭上を行き来している。車を降りてみるが思ったほど寒くはない。
今日の視察目的はリクエストを受けてムザファラバードにあるテント村へ提供したテントがちゃんと使われているかどうかの確認だ。まずテント村運営団体のオフィスへ行き、そこから責任者のおやじ3人が案内に乗り込んできて車で10分ほど山を上がったところにあるテント村へ向かう。このテント村は山上にあるので広い場所が確保できず、相当な密度でテントが無秩序に設置されている。どこか1つのテントが火事になったらあっという間に延焼してしまうだろう。インフラについては、水はパイプで引いてきていくつかあるタンクから取るようになっており、電気も通じている。
ぱっと見た感じ、NWAから50張提供したテントで現在使用されているのは10張弱。しかも、僕らが来たのであわてて張ったようなものもあった。おやじの説明によるともう設置するスペースがないのと、このテントが寒さ、風に弱いので4月以降テントを張り替えるときに使いたいということだったがかなり怪しい[:ノーノー:]
カシミーリの被災者は意外とオープンでおばちゃんはよくしゃべるし、写真に対する抵抗もあまりないようだ。しばらく見てから避難小屋のようなトタン張り仮設住宅でお茶をいただく。この小屋の中にも未使用と思われるテントが2つキープされていた。どこへ行っても被災者が支援物資をストックしている。

この後、ジャパン・プラットフォームが中心となって造ったテント村「キャンプ・ジャパン」を訪問。場所はムザファラバードの橋から5km弱のところ。特にJAPANをアピールした看板もなく、地味な感じ。中に入ると何人かの日本人スタッフの姿が見えた。現在15人の日本人がここで働いているということだ。現在、政府から新規の受入れを一時停止させらているためか、先ほどのテント村とは対照的に余裕のある作りだ。テントは一般的な三角テントだがかなり大型でジャパン・プラットフォームと日本のサポートステッカーが貼ってある。水はけが悪いためか、そこら中に溝が掘ってあり夜はつまづいてしまうのではとちょっと心配。トイレは便座の周りをビニールシートで囲ったピットタイプ。かなりショボイ。畑を借りているという事情のため、こういうものしか造れなかったのだろうか???
奥のほうに学校があったのでお邪魔してみる。日本人が来ることなんか日常茶飯事だろうと思っていたが、意外とそういうでもなく皆興味深々といった様子だった。先生がクラス毎に生徒を起立させて写真を撮りなさいと勧めてくれる。その後、テーブルが用意されてオレンジが出てきた[:ラッキー:]
20分ほどで退散。キャンプ・ジャパンという打ち出しが弱いし、かなり遅い時期になってから相当の金をつぎ込んでこのプロジェクトを立ち上げた理由がよく分からない[:?:]
自衛隊にしても活動の制限ばかり多くて費用対効果ははなはだ疑問だし、日本はこんなことをやりましたという「証拠」さえできればいいのだろうか?民間だったらこんなコストパフォーマンスの低いことはやらないだろう。
これで今日の視察は終了。帰り道はほとんど眠りながら5時頃イスラマに戻ってくる。

本日の1曲 Bangles「Eternal Flame」

↓キャンプ・ジャパンの学校にて

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