Day276 ラジャバザール

昨夜、バラコットに数日間状況視察に出かけていたKさんが戻ってきた。今夜のフライトで日本へ帰国されるので、自身のヒマも手伝って今日はピンディ旧市街をご案内し、それから被災地の状況を聞くことにした。
昼食を取ってからピンディのラジャバザールへ。まずは被災者にヒアリングで要望の強かった木材カッターの価格をチェックしにいく。バラコット近辺の村ではトタン板が相当数配布されていて、村人は木の柱にそのトタン板を打ちつけて仮設住宅を作っているのだが、木を山から切り倒してきたもののカッターがないため斧で無理やり半分に割ったり、全く太さの揃わない木をそのまま柱にしている状況らしい。そこで共同のカッターが村に1台でもあればちゃんとした柱を作ることができて大変ありがたいというわけだ[:ラッキー:]
モティ・バザールでカッターを発見。イメージしていたものより小さいが値段も安い(2900Rs)。これくらいなら買ってあげられるだろうということだ。それ以外は特別MUSTはないから面白そうなものを教えてくれというので、帽子やインド式弁当箱(いわゆるババ缶)、結婚式用品店などを紹介。
店で商品を見ていると銀のお盆に小銭や10ルピー札を載せた2人組の子供が「金くれ〜」みたいな仕草をみせるので「行け!」と追っ払ったら、「チーノ」とか言い出した。カチンときたので脅かし半分で頭でも引っぱたいてやろうとダッシュで追っかけたら少年はマジでびびったらしくお盆を放り投げてバザールの雑踏へ走って行くのを追いかけある店に入ったところで捕まえた。本気で怒るつもりもなかったのだが、人だかりができるくらい注目が集まってしまいこちらも引っ込みがつかず、半泣きの子供に向かって「Never call me Chino. OK!?」と吐き捨てて帰った。途中で様子を見ていた大人から3回ほど何があったのかと聞かれたので「このガキがチーノと言って侮辱した。俺は中国人じゃないし、チーノと言われるのは不愉快だ。」と説明。概ね「OK、OK、大丈夫。もう言わないよ。」といった反応だった。Kさんのところまで戻ると皆がこちらを見ていたのでそそくさとその場を去る
それからフルーツジュースを飲んでリクエストのあった楽器屋を探すが見つからず、タクシーでイスラマに戻ってくる。それからコーヒーを飲みながらバラコットの状況などいろいろなお話を伺う。やはり村人は先日発表されたバラコット移転プランを聞いてかなり動揺しており、どうす[:たらーっ:]るのが最善策なのか分からず皆迷っていたという。Kさんがアルバン村を中心に200世帯以上ヒアリングして回ったところでは、電気は復旧しているし、食事は概ね不足なく、金についても政府から半年間の支給が決まったのでさほど心配はしていないようだ。困窮極まるといった状況ではないが、やはり確固たる情報が入らないことが不安を生み、再建への動きを遅くしているようだ。
Kさんから信用できるという人を紹介してもらったので、数日後自分の目でこれらの村を訪ねてみることにした。それがパキスタン最後の仕事になるだろう。

本日の1曲 「On My Own」(from the Sound Track “RENT”)

コメント

  1. HK より:

    木村さんが追っかけていった時、私もそこにいたのに侮辱されたということに気づかなかったのは少々問題なのかもしれません。イスラマバードを歩いていると、ほとんどの人に「chinese」といわれるのですが、中国人はパキスタン人にとってどう思われているのでしょうね?
    キムカツさんのバラコット行きが、どんな形に進展していくか、私はとても楽しみにしています。また新しい情報があれば教えてくださいね。

  2. きむかつ より:

    大人気ない振る舞いで恐縮です(^^;A
    パキスタンでも人によりけりですが、中国人をバカにする雰囲気はあるように思います。アフリカでも黒人は中国人をバカにしていますし、結局、白人に対する劣等感の反動で中国人や他のアジア人をバカにする対象にしているのだと僕は解釈しています(日本人にもそういうところがありますよね)。
    ただ、ノーザンエリアの人は(中国がKKHの工事を助けたこと、国境が近いこともあって)概して中国人に対して好意的に感じます。