パキスタンからお知らせ

パキスタンのNWA(日パ・ウェルフェアー・アソシエーション)、SORA(アフガン難民を支える会)の督永さんから日本における活動サポートお願いのメールをいただきましたので以下に転載します。

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ご無沙汰をいたしております。
先週の金曜日から降り始めた雨が、きょうも続いて6日目に
もなります…… アフガンでは雪になり夏にはカレーズを通っ
て大地を潤す恵みの雨でも、テント暮らしの人がまだ180万
人もいる被災地では地獄だと思われます……

さて、突然ですが日本でのSORAやNWAの活動が停滞して
います。マスコミが取り上げなくなると、日本での活動も途端
に少なくなるところが残念です…。アフガンやパキスタンの
写真展などを、どこか(安いところ、あるいは無料を借りて)
出来ないものでしょうか?
特に「アフガン難民を支える会ーSORA」には未亡人たちが
織ったカーペットが53枚もあり、売れても売れなくてもいいの
で展示したいと思います。まぁ、そのうちにこれも販売しなくて
はなりませんが、まずアフガンや大地震の被災地を忘れられ
ないように、写真展や展示会を手伝って下さる方はないもの
でしょうか?
日本での活動があって、現場も頑張れるのですが……

何時ものごとく、突然のお願いで申しわけありませんが、お
手伝いくださる方、当地に興味のある方などがありましたら、
ご紹介下さい。
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私も地元中心に協力してもらえそうなところをあたってみますが、このBlogをご覧の方で心当たりがございましたら以下までお知らせください。

書籍紹介

先日報告会にも参加してきたNWA(日パ・ウェルフェアー・アソシエーション)のオバハンこと督永忠子さんが書いたパキスタン大地震の記録『パーキスターン大地震 バケツ1杯の水からの支援』が出版され、Amazonからも注文できるようになったのでご紹介します。
なお、この本の印税は、全て地震被災者の支援に充てられるそうです。以下NWAより届いた紹介文を転載します。

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  NWAの地震支援活動を紹介した書籍、販売予約受付中です!
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お世話になっております。
今年もいよいよ残すところ、あとわずかとなって参りました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

あと1週間で冬至、パキスタンは1年中で最もさむい時期を迎えます。
NWAが支援を続けるヌーリー村にも雪が降り、ジープ道が封鎖されまし
た。山の被災者たちのとっては、これからが厳しい4ヶ月です。

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さて、11月にもメールでお伝えいたしましたが、NWAの地震支援活動を
紹介した書籍が出版・発売されました。
パーキスターン大地震―バケツ1杯の水からの支援
パーキスターン大地震―バケツ1杯の水からの支援
督永 忠子

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出版されます書籍情報は、下記Webサイトにもアップしています。
NWAの支援活動の様子と合わせてご覧ください。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっとでも関心を持たれた方はぜひご購入ください。

パキスタン大地震報告会

横浜で行われたNWA(日パ・ウェルフェアー・アソシエーション)のパキスタン大地震報告会に参加してきた。開場にあわせて行こうと思っていたのだが、被災者家族への手紙を書いていたらすっかり遅くなってしまった[:たらーっ:]
既にほとんど席がうまった会場に入り、僕が約半年の間ボランティアさせていただいたNWAの現地責任者督永さん、RIHOちゃんたちと久々の再会。督永さんが書いたパキスタン地震の記録「パーキスターン大地震」が販売されていたのでさっそく購入。
報告会はパワポのスライドを使いながら督永さんが説明していく形式で進められ約1時間の間参加者は皆熱心に聴いていた。懐かしい映像が次々と現れ、自分が1年前にやっていたことが鮮明に頭に蘇ってくる。自分的にちょっとショックだったのが子供の名前をかなり忘れてしまったこと。女の子は比較的覚えているのだが、男の子は「コイツ名前何だっけ???」という顔が何人も…
地震から1年以上が経過した現在の状況として、再建に携わっている被災者は全体の25%、今年の冬も180万人もの人がテント暮らしを余儀なくされているという話だった。政府からの支援金支給も滞っているようだし、パキスタン国内でも地震はすっかり過去の話になりつつあるようだ。気の毒ながらこれが現実か…1年以上継続して支援活動をしている団体は本当に少ないのだと思う。
今回の報告会および記録本のサブタイトルは「バケツ1杯の水からの支援」となっており、これはあまりにひどい地震の惨状を大火事に例えると「自分たちのやっていることはバケツの水を1杯かけるくらいなのかもしれない、しかし1杯の水でもかけ続ければいつか火は消える」という考えを表したものだ。そして、NWAはその言葉通りちゃんと水をかけ続けている[:拍手:]
正直なところ、当時、僕個人としては「できる範囲でやればいい」姿勢に対してちょっと疑問を感じており、可能であれば「(1人でも多くの被災者を救うために無理しても)やれるだけのことをやらなければならない」のではないか、具体的に言うとテント村にいた200人程度の被災者に対して手厚い支援を行うよりは、頑張って1000人程度までその手を広げてもいいのではないかと考えていた。そのために自分が忙しくなることは全く気にならなかったが、ただ自分は現地でその活動を続けていくことはできないことが分かっていたから言えなかったのだが…
しかし、今になって話を聞くとやはりバケツの水を広く撒くよりは1箇所にかけ続けることが正解だったのだなと思う。継続してNWAが支援を続けているヌーリー村の人たちは山に住む被災者の中では幸運だったと思うし、同じような被害を受けた近隣の村人からすれば不公平に思われるだろうが、どのみち複数の村に対して小さなNGOが支援を続けていくことはできない。水を1箇所にかけ続ければ少なくともそこの火は消える、でも広範囲にかけると一時的に火の勢いをそぐことはできても結局は何も変えられないのだ。

本日の1曲 柴咲コウ「Actuality」

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パキスタン地震報告会のお知らせ

NWA(日パ・ウェルフェアー・アソシエーション)の現地責任者督永忠子さん(オバハン)が今月帰国(来日?)され、大地震から1年経った被災地の様子やNWAの活動について報告会を行います。
以下、NWAからのメールを転載いたします。ぜひ足を運んでください。

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パキスタン大地震 督永忠子帰国報告会のご案内
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11月になりました。
日本では、木枯らし一番が吹いた…とニュースが伝えていましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

こちらパキスタン・イスラマバードは秋真っ只中。街中のプラタナスが紅く染まり始めています。が、地震被災地は、これからが厳しく寒い季節。被災者は、2度目の冬を迎えようとしてます。

さて、先日のメールでもお伝えいたしましたが、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)現地責任者として活動しています督永忠子が今年も11月20日(月)に帰国いたします。

日本滞在中、下記の通り、報告会を予定いたしております。
多くの皆さまに、地震後の復興の様子や、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)のこの1年の活動の様子などをご報告いたしたいと思います。

■日時:11月26日(日) 開場14:30、15:00〜
□場所:東京 (中野商工会館)

■日時:11月27日(月) 18:00〜
□場所:横浜 (神奈川県民サポートセンター)

■日時:11月30日(木) 18:30〜
□場所:東京 (代々木・国立オリンピック記念青少年総合センター)

■日時:12月01日(金) 18:30〜
□場所:名古屋 (なごやボランティア・NPOセンター)

■日時:12月02日(土) 15:00〜
□場所:滋賀県近江八幡市 (近江兄弟社学園)

■日時:12月04日(月) 13:30〜
□場所:滋賀県彦根市 (彦根教会宣教会館)

■日時:12月04日(月) 19:00〜
□場所:滋賀県彦根市 (彦根教会教会堂)

報告会の詳しい情報は、下記Webサイトにアップしています。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm

Day291 イスラマ最終日

1週間ほど被災地バラコット近く山間部の村を訪問していました。
地震発生から半年経った状況をお伝えしたいのですが、メモをおこしてUPするのにちょっと時間がかかると思います。徐々に作業を進めていきますのでしばらくお待ちください。
なお、明後日にはパキスタンを出てインドに入る予定です。[:グッド:][:グッド:][:グッド:][:男:]

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Day290 バラコットの状況

結局、昨日はサードとハマドの双子兄弟もパルヴェイズも戻ってこなかったが、申請してあるインドビザが不安なのでイスラマへ戻ることにする[:汗:]
今日も6時半頃起きて朝食をいただき、食後サダフやザフール、グルタージュ、シェール・ワイズの家などを訪れこれからイスラマに戻るとお別れを告げる。で、またお茶をいただいたりして出発できるようになったのは9時過ぎ。ジャミールとルビナの婚約者も一緒にイスラマに戻るというのでカラスから幹線道路へ下る道を使ってヌーリーを後にする。途中、シャクールの家で休憩、またお茶をいただく。シャクールもナビーダもいなかったので学校に行っているのだろう。
しばらく待ってジープをつかまえ、バラコットへ向かう。周囲の村を見ているとどうやらカワイの集落辺りにはトタン板が配布されているようだ。幹線道路から下にある集落は目に付きやすいが、ヌーリーのように山の上にある集落は見落とされがちなのかもしれない。
1時間ほどでバラコット到着。ジープ代はジャミールが支払った。自分の分を出したがどうしても受取らなかった。せっかくバラコットで時間があるので、初めに医療キャンプをしたエリアがどうなっているのか見に行くことにした。行ってみると日本人らしき人が見えたので近寄ってみるとたまたまNWAと足利工業大学の先生がソーラークッカーの実験をしているところだった。ものすごい偶然だ[:びっくり:]
バラコット全体的にはテントからシェルターへ移行しているようだが、このエリアではまだ12月時点と同じようなテント生活の人が多い。政府やNGOによって組織されたテント村だと一斉に物資の援助が行われるのだろうが、ここのようにたまたま寄り合ってテント群ができているだけのところはあまり援助が行われなかったのだろうか?手に入れたものは既に売って現金化したのかもしれないが…
医療キャンプでいちばん印象に残っている(大怪我をして額を縫った)ナシマの傷はすっかりきれいになっていて、近づいて見なければ傷跡も全く気にならない。傷が残ったら、10年後に(嫁に)もらいますよ、なんて冗談を言っていたが、その必要もなくなった(笑)。
ソーラークッカーでご飯を炊く方法をこの辺りの人たちに教え、ナシマのじいちゃんにクッカー一式を渡してイスラマに帰る。しかし、資源を節約するという観点などそもそも持っていない人たちに道具だけ渡してもなかなか定着は難しいだろう。イスラマに着いて8日ぶりにシャワーを浴びてさっぱり。もう明日はパキスタンを出国するのでぼちぼちその準備をして就寝。

本日の1曲 Savage Garden「To The Moon And Back」

↓ソーラークッカーの実験

Day289双子を待つ

パルヴェイズの話では今日サードとハマドの双子兄弟が帰ってくる予定だというので、できればこの子たちに会ってから帰りたい。
ということで今日までヌーリー滞在を延長。6時半頃に目覚め、外に出る。一緒のテントで寝ていたジャミールはまだ寝ていたので先に朝食をいただき、8時前にまたアリアたちの家へ遊びに行く。今日はサダフのオヤジがウチで昼飯を食っていけというのでほぼ午前中いっぱいサダフ、サバ、アリアたちの相手をして過ごす。近所の子が20年したらジュリア・ロバーツになるのではという素質の持主で、改めてヌーリー女子はハイレベルだなぁと実感。11時頃アムナ、ニザットたち女の子数人が山へ入っていくのが見えたので手を振って挨拶。
それから一度サルマのところへ戻り、昼食はサダフ家で食べるからいらないと告げ、持ってきていた薬一式を取ってからサダフ家へ帰る。そこで足の爪がはがれかけていたヤスミンを呼んで応急処置。消毒液を持っていなかったので水で洗えるだけ洗うが、もう何日も洗ってない足はなかなかきれいにはならない。適当なところで切り上げ、化膿しないようクリームを塗って包帯をしておく。残ったクリームと包帯は彼女に渡して、2,3日おきにきれいにして替えるよう言っておく。それから昼食をいただき、昼過ぎにザフールのところへ移動。ここも現在新しい家を工事中だったが、やはりトタン板がないのが問題だ。
午後になっても双子兄弟は帰って来ず、ほぼ完成したヌーリーMAPを持って村をぶらぶらして復興状況などを写真におさめる。建っている仮設住宅のレベルもアルバンより低く、廃材を並べた掘っ立て小屋程度の家が多い。現在、幹線道路から上がってくるジープ道を直しているというが、それが通じてトタン板が入手できるようになってから本格的に復興作業開始ということなのだろう。パルヴェイズの話ではヌーリー一帯もRed Zoneに指定されているのでいずれどこかへ移らなければならないということだが、このバラコット移転に関する情報は聞く人によって様々で何が正しいのかよく分からない。
山へ入っていた女の子たちが大量の松の葉を布に包み頭に載せて帰ってきた。これを木で組んである屋根の上に載せるのだという。その作業の様子を見ていたら、ニザットが「イスラマバードはよかった」と言ってきた。彼女はあまり僕ら対して話をするほうではなかったので、そんなことを僕に告げるというのはよっぽどその思いが強いのだろう。そういえばイクラちゃんもニザットがヌーリーに帰りたくないと話していたと言ってたような気がする。子供たちにとって、テント村の環境は物質的に満たされていただけではなく、精神的にも開放感が強かったのではないかと思う。テント村にいれば何をするにも同世代の子たちと楽しみながらできたし、親も僕らの目があったのであまり厳しくしなかったのではないだろうか。
双子が戻ってこなくても明朝にはヌーリーを出なければならなかったので、5時頃から明日会う時間がないであろうカラス村の家族を訪ね別れを告げておく。そこでまた今夜はウチへ泊まっていきなさい、夕食を食べなさいなどとお誘いを受けるが、暗くなるとヌーリーへ戻れなそうなのでお断りする。パルヴェイズのテントに戻るとルビナの婚約者が来ていて、今夜は彼と一緒に食事をすることになった。

本日の1曲 宇多田 ヒカル「Time Limit」

↓ヌーリーの仮設住宅

Day288 複雑な思い

6時半に目覚めたらもうパルヴェイズはマンセラへと出かけた後だったので一人で朝食(プラタにゆで卵)をいただく。自家製卵の黄身はまっ黄色でウマイ。滞在中はサルマが主に面倒を見てくれたのだが、今朝は着替えてさっぱりした顔をしていた。テント村ではいつもきれいにしていた衣装持ちの子だったが、昨日久々に会ったときはちょっと顔もすすけていて、服もちょっと汚れていたので気まずかったのかもしれない。
朝食後、昨日行けなかったサダフ、サバ姉妹の家を訪ねる。この一家はヌーリーでもいちばん高いところにあるので登っていくのも一苦労だ。ようやく家が近づくと「エーイ」とアリアが声をかけてきた。彼女の家はもう一段上にあったのだ。なるほど、もともと近所だからテント村でも仲良しだったのか。サダフ一家に挨拶し、またお茶をいただく。オヤジ(ジャン・ムハンマド)は兄弟たちと廃材を使って新しい共用キッチンを作っているところで、崩れた家や兄弟で並んで住んでいるテントなどを案内してくれた。サバとワジャードは久々の再会で初めはちょっとシャイな感じだったが、すぐにもとの甘えん坊に戻った。近所のヤスミンという子も交えてしばらく子供たちと遊んで過ごす。

11時頃ここを出てザフールのところへ行く。いつものようにボヘーッと隣に座り、たまに飛んでくるヘリコプターを追ったりして過ごしていると、11時半頃ムクティアールが来てシェール・アフザルのところで約束してあるランチへと案内された。今日は昼がシェール・アフザル、夜がザフール家と食事がアレンジされていると昨夜パルヴェイズに言われていたので、ザフールのオヤジに夜食事に来ますと告げて移動。行ってみるとシェール・アフザルはローティーを焼いていた。今日は彼の兄ムシュタークの婚約発表らしく、ごちゃごちゃした雰囲気の中で何人かの男と一緒にチキンをいただいた。どこへ行ってもチキンが出てくるのでちょっと申し訳なく思う。食後、ムクティアールの案内でジープ道を上がってヌーリー&(隣の)カラス村の端まで行ってみる。この次の集落まではだいぶ距離があるようで、ヌーリーと谷を挟んだカラスで大雑把に一つの村という感じだ。テント村に入っていた家族でも実際いくつかはヌーリーではなくカラスに家があることが分かった。昨日から世界初の(そして誰も使わない)ヌーリーMAPを作っており、今日はずっとそのノートを持ち歩いている。
ジープ道からずっとカラスの集落を降りていき、昨日も訪問したリアカット達の家で休憩、お茶をいただく。この辺りの家族とはテント村でも挨拶程度しかしたことがなく、名前も全然覚えていないのに向こうはさも親しげに迎えてくれるのが不思議だ。しかし、一緒にお茶を飲むだけでほとんど会話にならず、皆元気にしてるか?他に誰か来る予定があるのか?といった質問を受ける程度。まぁ、このボーッと過ごす時間がツライようだとパキスタンでは生きていけない(笑)。
この後、引き続きムナワールのテントに移動し、ここでもお茶をいただく。この家は男手が少ないからか娘婿のテントNo32に入っていた兄ちゃんも同居しているようだ。パルヴェイズのテントに戻って一休みしているとジャミールがやってきた。パルヴェイズとマンセラで会って、僕が来ているからヌーリーへ行くように言われたらしい。一通り状況などを話してから彼の案内で再びジープ道を上がり、カラス方面まで散歩に行って戻る。
夕食に招待されているので7時前にザフール家に移動。ザフールはもう自分のテントのベッドに入っていて、僕は別のテントに案内された。そこにはザフールの兄弟たちもいたのだが、食事は僕だけで彼らやオヤジは後で食べるという。招待はされたものの何だか寂しい食事だ。パキスタンの家ではたいてい食事に呼ばれると家の主人(+その兄弟がいる場合も)がゲストをもてなし、他の家族は別室で食事をしている。で、2回目になると主人もご飯を運んでくるだけで食事は家族とするようになったりで、一人ご飯になってしまう場合がままある。
食後、パルヴェイズのテントに戻ると、ワシームが来たのでしばらく話をする。イスラマのテント村とヌーリーとどっちがいいか?と聞くと、イスラマと即答されてしまい、ちょっと複雑な気持ちになった。子供たちにしてみればやはり電気も学校もきれいなトイレもクリケットグランドもある環境のほうがいいのだろう。与えすぎてはいけないと気をつけ、普通に安心して健康な生活を送れるレベルの環境を提供したつもりだったが、それでも家を失った山間部での暮らしよりはずっと良かったということだ。こういったことも若者が村を離れていく一因となっていくのだろうか、そう考えると少し気が重くなる。

本日の1曲 Madonna「One More Chance」

↓ヌーリーでの再会(その2)