Day21 ダライ・ラマの故郷

昨日は暑かった[:怒り:]
8時頃起きて宿に荷物を預け、20km程先の石灰窯という地域にあるダライ・ラマ14世の生家を訪れることにする。駅前で客待ちしている乗合タクシーで約45分。意外と乗降が多く、軽のバンに子供込み16人が乗ったことりした。法王生家のある紅崖村への分岐で下車、ここから坂道を歩いて上がっていく。しばらく行ったところで、ダンプの兄ちゃんが乗っていけと声をかけてくれたので遠慮なく乗車。運よく彼らも法王の生家を知っていたのですぐのところで降ろしてもらえた[:イヒヒ:]
生家には「紅崖小学」という額がかけられていたので、現在は小学校となっているようだが、中に学校らしき部屋はなかった。ちょうど家から出てきたおっちゃんに「大師故居はここか?」と聞くと、少女に僕を案内させるよう言ってくれた。案内された部屋には法王の親戚というおじさんがいて、お茶と油餅を出してくれ歓待してくれた。日本から1人で来たというと、ちょっと呆れたような顔をしていた。年は50歳くらいだから実際法王に会ったことはないだろう。
お茶をいただいてから家を案内していただく。(当然だが)家は改築されていて、今読んでいる法王の自伝に出てくる生家とは違っていた。転生ダライ・ラマ発見の目印となった「一風変わった樋」というのも分からなかった。正面の部屋は祈祷室となっていて3体の仏像にいくつかのタンカ、そして法王の写真が飾られており、そこでお祈りさせてもらう。もう1つチョルテンとマニ車のある部屋があり、ここにも法王の写真があった。学校というよりは小さなお堂といった感じであった。この辺りは特にチベタン色が強いわけではなく、チュパ姿の人は皆無だ。
ラサからは遠く離れており、1939年にここまで転生ラマを探しに来たというのが信じがたい。なにしろ、中国がラサに侵攻してくるまでラサにある車はダライ・ラマ13世の持つ3台の車しかなかったのだから…[:びっくり:]そして、法王自身、ラサへの旅は3ヶ月かかったと述べていらっしゃる。この小さな村からラサ、そしてインドへの亡命(これも車なしでの旅だった)と青年時代までに大変な旅を続けなければならなかった法王のご苦労は「運命」の一言では片付けられないものだろう[:ポロリ:]
おじさんにお礼を言って村を後にする。たまたま乗せてきてくれたトラックが帰ってきたので再び乗せてもらい、乗合タクシーを乗り継いで平安の街に戻る[:汗:]
荷物を拾って西寧へ向かう。30分強で着いてしまった。しかし、バスターミナルを出る前に夕立になりしばらく立ち往生。しかも、停電まで起こる[:ぶー:]
少し雨が弱まったときにターミナルを出て近くにある宿屋通りへ向かう。たまたま声をかけてきた兄ちゃんが2人部屋1人利用で36→30元にしてくれたのでチェックイン。雨が止むまで暗い部屋でウトウトして過ごす。1時間半くらいして様子を見ると雨が止んでいたのでゴルムドへの移動へ向けチケット探し。久々に列車に乗ってみようかなと思ったが、かなり高いのでバスにした。なんで列車ってそんなに高いんだろう?
ちなみにゴルムドまで列車(硬臥上段)122元に対し、寝台バスは約70元。

本日の1曲 Savage Garden「Truly Madly Deeply」

14世の生家

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