横浜で行われたNWA(日パ・ウェルフェアー・アソシエーション)のパキスタン大地震報告会に参加してきた。開場にあわせて行こうと思っていたのだが、被災者家族への手紙を書いていたらすっかり遅くなってしまった[:たらーっ:]
既にほとんど席がうまった会場に入り、僕が約半年の間ボランティアさせていただいたNWAの現地責任者督永さん、RIHOちゃんたちと久々の再会。督永さんが書いたパキスタン地震の記録「パーキスターン大地震」が販売されていたのでさっそく購入。
報告会はパワポのスライドを使いながら督永さんが説明していく形式で進められ約1時間の間参加者は皆熱心に聴いていた。懐かしい映像が次々と現れ、自分が1年前にやっていたことが鮮明に頭に蘇ってくる。自分的にちょっとショックだったのが子供の名前をかなり忘れてしまったこと。女の子は比較的覚えているのだが、男の子は「コイツ名前何だっけ???」という顔が何人も…
地震から1年以上が経過した現在の状況として、再建に携わっている被災者は全体の25%、今年の冬も180万人もの人がテント暮らしを余儀なくされているという話だった。政府からの支援金支給も滞っているようだし、パキスタン国内でも地震はすっかり過去の話になりつつあるようだ。気の毒ながらこれが現実か…1年以上継続して支援活動をしている団体は本当に少ないのだと思う。
今回の報告会および記録本のサブタイトルは「バケツ1杯の水からの支援」となっており、これはあまりにひどい地震の惨状を大火事に例えると「自分たちのやっていることはバケツの水を1杯かけるくらいなのかもしれない、しかし1杯の水でもかけ続ければいつか火は消える」という考えを表したものだ。そして、NWAはその言葉通りちゃんと水をかけ続けている[:拍手:]
正直なところ、当時、僕個人としては「できる範囲でやればいい」姿勢に対してちょっと疑問を感じており、可能であれば「(1人でも多くの被災者を救うために無理しても)やれるだけのことをやらなければならない」のではないか、具体的に言うとテント村にいた200人程度の被災者に対して手厚い支援を行うよりは、頑張って1000人程度までその手を広げてもいいのではないかと考えていた。そのために自分が忙しくなることは全く気にならなかったが、ただ自分は現地でその活動を続けていくことはできないことが分かっていたから言えなかったのだが…
しかし、今になって話を聞くとやはりバケツの水を広く撒くよりは1箇所にかけ続けることが正解だったのだなと思う。継続してNWAが支援を続けているヌーリー村の人たちは山に住む被災者の中では幸運だったと思うし、同じような被害を受けた近隣の村人からすれば不公平に思われるだろうが、どのみち複数の村に対して小さなNGOが支援を続けていくことはできない。水を1箇所にかけ続ければ少なくともそこの火は消える、でも広範囲にかけると一時的に火の勢いをそぐことはできても結局は何も変えられないのだ。
本日の1曲 柴咲コウ「Actuality」
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