Day139 すれ違い

1週間ぶりにバラコット訪問。もう何回来ているだろう。テント村完成も近づいたので、今日はバラコット近辺の被災者にイスラマバードNWAテント村の説明をして移住希望者を募り、移動希望日まで決めてきたい[:汗:]
5時出発としていたが待ってもワカールが現れず。4時半頃から何度か電話しても出ないので前回に引き続き置いていくことになった。仕事意識が欠如しているのはパキスタン人全体的な傾向なのか彼の社会経験のなさから来るものなのか?困ったものだ[:ムニョムニョ:]
せっかく手配したコースターの座席には僕だけ。もったいない…
このところ睡眠時間が短いので車中ではほとんど眠っていた。途中アボタバードでテント村工事を手伝ってくれているファハル氏をピックアップ。お宅におじゃまして朝食をいただいてからバラコットへ向かうことになった[:ディナー:]
渋滞もなく9時頃バラコット到着。ちょうどマイルストーンというパキスタンの障害当事者NGOと一緒にバラコットへリサーチに来ていたじょにぃさんを訪問。マイルストーンのメンバーの方とも少しお話する。日本語を達者に操るシャフィークさんから被災者の中で障害持っている方を見つけたら紹介してくださいとのリクエストを受ける。じょにぃさんは以前医療キャンプで来たときよりもずっと寒くなっていると話していた。そういえば、僕はあれ以来いつも日帰り訪問ばかりだなぁ。
マイルストーンの方々とお別れしていつものベースキャンプ近くに車を置いてさっそく近辺のテントを訪問。テントの数は前回より増えていた。ファハルさんからテント村の説明をしてもらい、寒さが厳しくなる前にイスラマバードへ移らないかと聞いてみるが反応は芳しくない[:ふぅ〜ん:]
この周辺ではもう電気も復旧し、学校も再開していることもあり、多くの人々はここで越冬するつもりのようだ。テントの傍に板を打ちつけて作った倉庫を作っている家もかなりあった。冬を越すため今のうちにできるだけ援助物資を確保してストックを作っておきたいのだろう。
お願いしてテント村に来てくださいという話ではないのだが、大人のアンタ達はいいけど子供は本当に大丈夫なのか?と言いたくなる。ここの人たちが僕らに求めているのは物資であってそれ以外での援助ではない。モノ配りのときはワッと集まってくるのに、(何も持ってきていないのが分かったので)今日はほとんど無関心だ[:くもり:]
モノが無限にあるなら彼らの要求通りに好きなだけ必要としているものをあげることもできるが、実際は不可能だ。自分たちなりに限られた資源を有効に活用する方法を考えテント村を作り、10日間近く医療活動をしてきたこの村から一人でも多くの人に来てもらいたいと思っていたのだが…完全なニーズのすれ違いになってしまった。現実は難しい。
一通りテントを回ったが、全くいい答えを得られずいったん車へ戻り、次にどうするか話し合う。前回訪問時にヒアリングしたところではパットラングなど上の村でも移住に前向きな回答はほとんどなかったというので、一度バザールより下まで降りて近辺のテント村の様子を見に行くこととした。
Zindagi Trustというテント村へ行ってみると、(まだ完成していない状態ではあったが)モノが何一つない三角テントにしゃがみこんでいる親子がいて驚いた(地面に敷くシートすらないのだ!)。テントだけ支給すればテント村だというのか、こんなひどいところもあるんだなぁ。これで堂々と外には団体名をデカデカと書いた垂れ幕を出しているのだから運営者は偽善家を通り越しサギに近い連中だろう[:怒りマーク:]
ここで我々のテント村の話をするとかなりの人が関心を持ったようで連絡先を書いた紙をくれと言われた。ここのようにバラコットにあるテント村でもカシミーリが多かった。どうしてこうもテント村にいるのは決まってカシミーリなのだろう。絶対数が多い、援助慣れしているという理由では説明できないように思うのだが…。
ここでの説明を終え、一度ベースキャンプに戻り前回アンケートを配布して移住を希望した人たちのところを回るが、彼らもすぐに移動したいというわけではないらしく、結局移動希望日を決めるところまで進んだ家族は1つもなかった。ちょっと苦い敗北感を味わいながら帰路につく。

帰りもファハルさんの家に呼ばれ遅いランチをご馳走になった。それからアボタバードでゲストハウスを経営しているナビードさんを訪問し、彼の運営するテント村で収容しきれなくなった人やアーミーが山間部から下ろしてきた家族を紹介してもらうという枠組みを決めることができた。あわせてテント村運営にあたっての注意点なども伺うことができ、非常に有意義な訪問となった。少し希望の光が見えた気がした。

本日の1曲 U2「Love and Peace or Else」

↓シートすら支給しないテント村

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