Day114 ちょっと残念

今日は早朝5時から再びバラコットを訪問。目的は傷の重い人たちのケアとテント村移住に関するリサーチだ。バラコット手前は数日間でかなりテント村が増えていた。徐々にテント集落が下へと下がってきているようだ。9時頃に以前ベースキャンプを張っていたポイントに到着。その周辺付近のテントは減っていた。すぐ向かいにあった子供の多い大家族も既にいなくなっていてちょっと寂しい[:ポロリ:]
何人か気になっていた傷の深い人を探して様子を見る。額を大怪我し数針縫ったナシーマの傷は完全にふさがって誰かの手で既に抜糸されていた。ナシーマはあまり表情を変えないおとなしい子だが、僕らが治療した中でもっとも印象に残っている患者の一人だ。額の傷が癒えて一安心[:ラッキー:]
後は、心の傷も癒えてもうちょっと笑顔を見せてくれるとうれしいのだが、それにはもうちょっと時間がかかるかもしれない。
ここでもやはり下へ向かって荷物を運ぶ人々が目立つ。寒さが厳しくなる前に町かもっと暖かいところのキャンプへ下っていくのだろう。
倒壊した家から家財道具を取り出す手伝いをするためコンクリート用カッターを持ってきた吉村さんを残して他のメンバーは上にあるバリパットラングへ向かう。車を降り、道路から谷近くに広がる村を見て「あれっ」と思った。なぜなら前回ここにある約50世帯に対して30張のテントと防水シートを渡したのに全く使われていなかったからだ。下に降りてみるとビニールを張っただけの家など前に来たときと変わらない。では、あげたテントはどこに行ったのか?あげたものだから村人に用途を聞きはしなかったが、たぶん売って現金に換えたのだろう。あれだけ、テントが欲しいと言ってたのに…生きる知恵といってしまえば聞こえがいいが、やはり裏切られた気持ちになってしまう[:撃沈:]
アフガニスタンではおとりキャンプというのがあって、NGOが来ると一時的に全くモノがないようなひどいキャンプを作って支援を訴え、モノをもらったらそれをすぐ金に換えてしまうということが行われているという。ここでもNGOなどが支援物資を持ってくると「うちの家族は皆死んで自分しか残っていない」とウソを語ったり、全壊した他人の家をさして「ここが自分の家だったが全て失った」などと被害の大きさを訴える程度のことは当たり前に行われている。僕の心情的にはウソをつくような不誠実な人間には支援をしたくもないのだが、こちらの感覚ではその行為に悪意はないのかもしれないし…難しい。
バリパットラングでは、気になっていた肘の傷がひどい少女を探す。様子を見たかったが病院へ行っているということだった。ちゃんと手当を受けていればいいのだが…
ここでイスラマバードに来てテント村に入って生活を希望するかというアンケートをとる。数人にヒアリングをしたところでは「まだ必要なものが家から掘り出せていないから動けない」「家畜がいるから離れられない」など、消極的な意見が多かった。とはいえ、本当に寒さが厳しくなる頃には彼らも移住を考えざるをえないだろう[:ふぅ〜ん:]
またベースキャンプへ戻って、ここでもアンケートを実施。僕は吉村さんが作業する様子をカメラに収めるため、全壊した家が連なる丘へ上がった。ここでも徐々にではあるが家財道具の掘り出しが行われていた。村人は一人レスキュー隊といったいでたちの吉村さんがカッターでコンクリートを切るのを珍しげに眺めてその威力に驚いていた。吉村さんは作業を終えた後、使い方を彼らに教えて次に来るときまで使っていいとそのカッターを置いていった。僕は、そのカッターが再び帰ってくるとは思えなかったので、置いていったら売られてしまうと言ったが、「そのときはそのときだ」というのでそれ以上何も言わなかった。
3時前にはイスラマバードへ向け帰路につく。スペースに余裕があったので座席に横になって半分以上は眠りながら帰った。
※今日から「ボランティア」というカテゴリーを新設してNWAでの活動はそちらに入れることにしました。今までの「旅」カテゴリーに入れていた分は動かすの面倒なのでそのままにします。

本日の1曲 Sheryl Crow「Live It Up」

↓倒壊した家をカッターで切り崩す

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