Day123 ミタイー配り

今日はラマダンが明けて初めてバラコットへ行く。今日の目的はテント村入居希望者のリサーチなのでスタッフは僕を含め2人、今後の作業のことを考え他に通訳のワカールとテント村作業を手伝ってくれるエンジニアのファハルさんが同行。パキスタンではイードの時に甘いお菓子(ミタイー)を食べる習慣があるので、お土産orお見舞いの意味でミタイー100パッケージを持っていく。喜んでくれるかな???
前回同様5時に出発し、9時頃ベースキャンプ跡に到着。ここでいつもお世話になる裏の家に呼ばれ、取りまとめをお願いしていた入居希望アンケートを確認。20世帯ほどがイスラマバードのテント村へ入ることを希望していた。バラコットでもニーズがあることが分かり、ほっとした。予想通り家畜がゼロまたは1頭くらいの家庭ばかりだ。女性と子供しかいない家族で入居希望しているのだが…と相談を受けたが、親戚か誰か一人でも男を連れてこないと(こちらが人買いなどと疑われかねないし、夜間の警備など特別なケアも必要になるため)受け入れられないとお断りした[:ポロリ:]
ここでとてもショッキングな話を聞いた。それは、(被災してもいない)アフガン難民がバラコットに来て、地震で亡くなった人々の墓を暴いて手を切り取りその手ごと貴金属店に持ち込んで腕輪などの装飾品を売っているというものだ。既に4人が警察に見つかり、射殺もしくは逮捕されているという。墓を暴くことすら信じられないが、その手を切り落としてそのまま店へ持っていくという神経は全く理解できない。さすが「略奪の民」アフガン人だ[:びっくり:]
さて、お茶をごちそうになってから周辺のテントへ「イード ムバラク」と挨拶しながらミタイーを配って歩き、あわせてイスラマのテント村のことも話しておく。1家族に1つ配っていたのだが、どうも家族の数を水増しされているような気がする。モノをもらうことに慣れてしまったので、人数を聞かれる→何かもらえる→多く申告した方がいいという生活の知恵がついてしまったのだろう。子供はイーディー(お年玉)をもらえると思って僕にまとわりついてくるし…すっかりモノもらい病に冒されている。ファハルさんはこの地震によって子供たちが「もらい癖」をつけてしまったことをとても心配していた[:ムニョムニョ:]
ミタイーの数に限りがあるので、くれという人全員にあげるわけにもいかないし、配るエリアもどこかで区切らなければならないので、今日もまたモノをあげて恨まれる結果になってしまった。
続いてバリパットラングの集落へ行って、同様にミタイー配りとテント村の説明を繰り返す。この集落ではあまりイード・ミタイーの習慣がないらしく、お菓子の入った箱を渡しても「これは何だ?」と聞かれることが多かった。イーディーをせがむ子供もいない。数キロ離れただけでだいぶ反応が違うものだ[:たらーっ:]
数人治療もしたが、ここにもほぼ毎日どこかから巡回医療が入っているようなので、以前来たときのようなひどい状態の人はもういない。あるじいちゃんが咳が出るというので咳止めをあげたら、それを見ていたガキどもがいっせいに咳き込み始め、薬をくれと言ってきた。ワカールに「病気じゃないのにこの薬を飲むと死ぬぞ」と言え!と伝えると、「もう言ったよ。でも聞かないんだ。」との答え。困ったガキどもだ[:てれちゃう:]
今日はこの村で炊き出しが行われていて、牛を解体しカレーを作り、チャパティも焼いていた。そこに食器を持った子供が大勢並んでいる。この炊き出しはどこかのNGOがやっているのか?それとも村の誰かが自主的にやっているのか?と聞くと、牛をばらしていたおっちゃんが「地震で子供が死んだのだが、昨日ようやくちゃんとしたお墓を作って埋めることができたので、村の皆に料理をふるまっている」という。昔ながらの「ムラ」の共同体がしっかり生きている。
ミタイーも全て配り終え、3時頃帰路につく。帰りは珍しく渋滞。イードを親戚宅で過ごして戻ってくる人たちで混みあっているのでは?と推測。

本日の1曲 Kinki Kids「テノヒラ」

↓ビニール袋を持って炊き出しに並ぶ女の子

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