モンゴル旅行 Day4 チンギス・ハーンの都

モンゴルでまた1つ誤算。
大草原の中で降ってきそうな星を眺めたいと思っていたのだが、昨夜は完璧な満月。ウチで見るより星が少ないくらい…
夜が更けてもゲルの天井から見える空がうっすら明るいくらい。星が見えすぎて北斗七星の横に死兆星が見えたらどうしようとか、60秒開放シャッターが切れる星空モード搭載のデジカメを買ってしまったりとか取り越し苦労をしてしまった[:ぶー:]

さて、夜が明け、今日は7時半起床。ゲル備え付けのベッドが固いこともあって、まだ尻と脚が痛む。ハラホリンは寒いと聞いていたが今朝はかなり冷えた。鼻水が止まらない[:ムニョムニョ:]
8時過ぎに朝食。ここの女主人(?)Suvdは町のホテルでで働いており、仕事があるので…と言って、朝食時に彼女の勤め先のホテルの場所とバスターミナルからこのGHまでの場所を書いてくれた。出かけるのはまだ早いのでしばらく本を読んで、9時半に復元されたチベット寺院エルデニ・ゾーに向かう。

↓ハラホリンでの宿


昨日は暗くなって着いたので何だか分からない街だったが、明るくなって歩いてみると大した広さではない。街道に出ると、白いチョルテンに囲まれた寺が見えてきた。40分ほど歩いてエルデニ・ソー到着。広い敷地がチョルテンに囲まれている。雰囲気はサムイエ寺みたいな感じだろうか。駐車場側の入口から入ると入場券を買わされそうなので4辺に1つある別の入口から入ってみる。寺院があるのは敷地のごく一部で大半は野原のまま。チベット風の学堂と中国風(?)の三寺、その間にある大きなチョルテンが主な建物だ。

↓エルデニ・ズー


東、中央、西の3寺にはそれぞれ三体の仏像があるが、そのパターンはそれぞれ違っていた。
東寺をお参りしているとき、管理人らしきおばさんに見つかりチケットをその場で買わされた。35000Tg は物価と比べるとかなり高いが、外国人料金ではなくモンゴル人も払っているようだった[:ふぅ〜ん:]
続いて学堂へ行ってみる。ちょうど坊さんが朝のお勤めをしているところだった。しかし、モンゴルは意外なほど白人が多く、この寺にも30人くらいの白人観光客が訪れている。
広大なエルデニ・ゾーを2時間以上かけて回り、外にある亀石とオゴタイ・ハーン宮殿跡を見るが、発掘調査は全く進んでいないようだ[:ノーノー:]

↓亀石


さて、ハラホリンから徒歩圏内で行ける観光スポットはもうないので、向かいの丘に登ってみる。車で登れるくらい緩やかな斜面なのだが、その分距離はあって、山頂のオボーが見えてきた頃には汗が流れていた。
丘の上からはエルデニ・ゾーはもちろん、ハラホリンの街が一望でき、800年前にチンギス・ハーンが建てた大モンゴル帝国の都がなんとなく想像できる。しかし、ここから騎馬隊で朝鮮半島からヨーロッパまで攻め入ったのだからそのスケールの大きさには脱帽だ。地図があれば征服欲も湧くが、当時はとにかくこの世の果てまで攻めるぞ、という気合で進軍していったのだろう。そのパワーが信じられない[:びっくり:]

世界史を学んでいない人はあまり知らないだろうが、北京を初めて都に定めたのは元のフビライ・ハーンである。ハラホリンから何千kmも離れた土地へ都を移し、今やそこが中国の首都となって久しい。漢族は北京はもともとモンゴル族が開いた都だということをちゃんと教育しているのだろうか?
30分ほどこの景色を独り占めしてからハラホリンの街へ下りていく。Suvdの働くホテルに行って昼食をとって、ついでに水道で手洗い・洗顔をする。UBを出てからだいぶほこりっぽくなたのを感じる。ゲルへ戻る道すがら商店に立ち寄ったら、ちょうど大相撲を中継していた。モンゴル語の同時通訳付きでそのまま秋場所(Akibashoをキリル文字で表記)と書いてあった。たまたま時天空の取組だったので、時天空はモンゴル人だぞ、って言ったら店のおばさんは知ってるようだったが、かといって、モンゴル人力士に強く肩入れをしているようでもなかった。
店を出るとパラパラ雨が降ってきた。激しくなるわけでもなかったが止みもしなかったので、夕暮れまではゲルの中で本を読んで過ごす。夕焼けは美しかった。

本日の1曲
Melody「Next to You」

↓丘の上のオボー

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