カンボジアの悲劇

今日は朝洗濯を済ませてから、ヒロさんのバイクでキリングフィールドへ連れて行ってもらう。ここはポル・ポト派によって虐殺された8000人以上が埋められているところだ。現在は慰霊塔が建っており、その中に掘り起こされた犠牲者の頭蓋骨が納められている。これだけたくさんの頭蓋骨を一度に見ることができるのはここくらいではないだろうか。
ヒロさんはポル・ポトの支配手法(10~15歳くらいの少年を軍人に徴用し、秘密警察的な仕事もさせたこと、アメリカによる原爆の投下を恐れ国民を強制的にプノンペンから移住させたこと、食事や教育を十分に与えないことで抵抗の芽が生まれるのを防ごうとしたこと、虐殺の際は後ろ手に縛られ、目隠しをされた状態で首を切られたり、後頭部から撲殺されたりしたこと等々)を説明してくれた。
ナチスによる虐殺等、歴史には同様の例がいくつもあるが、カンボジアの悲惨なところは敵国との戦争状態であったわけでもないのに独裁者の意思だけで自国民を大量殺害したところにあるのだろう。
しかも、これは大昔の話ではなく、1975年からの4年間くらいの間に行われていたことなのだ。国際社会はその間この状況にどう対処したのだろうか?また、日本では世界史の一部として、学校教育においてどの程度この問題を扱っているのだろうか?帰ったらいろいろ調べてみたいことができた。
一度、宿に帰ってから昼過ぎ、ママチャリで王宮に行ってみる。タイの建築様式に近いが、そこまできらびやかでもない。日曜日だったためか、ローカルの見物客が多かった。ちょうど王宮の中を見ているときにスコール発生。これでまた1時間近く足止め。雨が小降りになってから、そのまま同じ敷地内にあるシルバー・バゴタを見る。銀の板が5000枚敷き詰めてあるのでこの名がついているが、行ってみるとほとんどカーペット敷きになっていて、あまりそのゴージャスさは感じなかった。
さきほどのスコールのせいで、町の一部は水没。国立博物館に行ってみたが、閉館時間がせまっていたので、断念。明日にする。
帰り道、セントラルマーケットに行くが、こちらももう閉店といことで入れず。おとなしく宿に戻る。スコールのせいで干していた洗濯物はまた元通りになってしまった。シャワーを浴びてからネット屋に行く。プノンペンはシエムリアップの半額以下でネットができた。
↓キリングフィールドのしゃれこうべ
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