Day20 惑星タトゥーィン

今日は同仁からシュンファに向かう途中にある文都にあるパンチェンラマ10世の生家と文都大寺へ行くことにした。
先日、ナムツォがパンチェンラマ縁の「温都」に大きなチョルテンとチベットの歴史を描いた有名なタンカがあるから見に行くといいと教えてくれたのでそれに従ってみようと思ったわけだ。しかし、「温都」という地名はガイドブックや青海省の地図を見ても見当たらないので、きっと文都の勘違いだろうと見当をつけた(温も文も中国語読みだと「ウェン」になるため[:たらーっ:])。
9時半のシュンファ行バスで出発。またも峠越えで標高3300mくらいまで上がってから一気に下っていく。1時間半くらい行ったところで文都大寺への分岐標識があり、3.5kmとなっていた。ガイドブックでは文都村からすぐ近くと書いてあったので、もうしばらく行くと文都村があるのだろう。そこで荷物を置いてから寺へ向かえばいいと思っていたのだが、文都の集落はまではさらに3〜4km下らなければならなかった。バスは停まったが、もう11時で、8km先の寺とパンチェンラマ生家を両方見て今日中にシュンファまで移動するのは難しそうに思えたので、予定変更してシュンファまで行くことにした。そこから30分弱で到着。下り坂の終わりあたりではカッパドキア的な赤い丘に囲まれた風景にでくわす[:楽しい:]
遅い朝食をとって、その店に荷物を預かってもらい2時間ほどシュンファの街を見学。しかし、北に黄河がある以外、四方を赤茶けた丘に囲まれたこの街にはいくつかの清真寺くらいしか見所はなさそうだ。丘を見ていると砂漠の惑星タトゥーインの風景を思い出す。そういえばEPIVのタトゥーインのシーンはカッパドキア周辺でロケされたんだったなぁ。
ここはサラール族というイスラム教徒の街だというので、独特の文化を感じられるものがあるかと思っていたが、他の回族たちと見た目は変わらないようでちょっとガッカリ。街角ではやたらとスイカ売りが目立つ。街は大通り中心に造られた典型的近代中国の田舎町。すこし裏通りに行くと高い土壁造りに立派な門という同仁周辺と同様の建築が多い。清真寺を見てから北の黄河にかかる建設中の橋へ行ってみる。ここから見る黄河はまだ大きく、水は青かった。もう少し下流の蘭州では茶色い黄河だったのを思い出し、どの辺りで濁っていくのだろうと想像してみる。
午後1時40分のバスで平安へ向かう。平安の近くにダライラマ14世の生家があるので、明日そこを訪れてみることにした。ちょうど昨日見たメールで友人からそこまでの行き方を教えてもらっていたし、ちょうどいいタイミングだ。バスはまたも街周辺を1時間近くうろうろしてからようやく本気で出発。概ね平地への下りだったので走りだしてからは早く、3時間ほどで平安近くの道路脇で降ろされる。
平安までの運賃をちゃんと確認していなかったので少しバスの連中にぼられたような気がする。今までの経験では、中国人は善悪が人相に表れやすいように思える。このバスのおっちゃんもそうだったが、ぼってきそうだなと思う人は大抵ぼってくるし、この人はいい人そうだなと思う場合はまず大丈夫だ。ぼられない相手としては、若い善良そうな女性を選んでおくのがいちばん問題が少ないというのが僕の方法論。楽しいコミュニケーションも含め一石二鳥というわけ[:イヒヒ:]。中年の人相の悪いオヤジがいちばん性質が悪いと思うのだが、バスの関係者はたいていこのクチなので選ぶのが難しい。
平安の地図はガイドブックにも載っておらず、あたりは「海東」と表記してある店が多かったので、ここは本当に平安なのだろうかと疑問を持ちつつ、西寧−平安の看板をあげたバスが行き交う通りを東へ歩く。幸い20分くらいで平安駅に出た。久々に見る列車の駅だ。すぐ近くに海東バスターミナルも発見し、平安=海東なのだろうと結論づける。
ここまで来るともうチュパ姿のチベタンはおらず、漢族が人口の中心を占めているようだ。アムドのチベット文化圏を巡る旅も実質今日で終わりかな[:困惑:]
しかし、ここは暑い…標高2200mくらいまで降りてきたし。1泊10元の安宿を見つけチェックインしてからシャワー屋へいって汗を流す。

本日の1曲 U2「Red Hill Mining Town」

↓シュンファの清真寺

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