Day141 初めが肝心

バラコットから帰って2日になるが今のところ誰からも連絡がない[:ムニョムニョ:]
雪でも降ればやっぱりヤバイと低地へ来る決断をするのかもしれないが、ローカルスタッフが言うようにパキスタン人はあまり先のことを考えないので、今とりあえずOKなら問題が起こったときにまた考えればいいじゃんというノリで日々を過ごしているのではないかと推測する。
ま、僕が電話を待っていても何も進まないのでいつものようにテント村現場へ出かける。
行ってみると、スタッフから、泊まっているタンドール職人がちょこちょこと手伝ってくれるけど金をもらえると思っているようだ、と言うので、ワカールに作業が始まるまでは雇用しているわけではないのだから日当は出さないぞと確認させる[:バッド:]
テント村の作業で自分たちができることはあまりなくなってきたので、被災者を募る方法を考える。知らない村に行っていきなり「イスラマバードにテント村作りました。テント支給、食事の面倒もみます」というだけで山の人が信用してくれるとも思えないので、やはりだれか仲介してくれる人がほしい。そこで思いついたのが、先週ここに来た2人。1人はハングライ村から家族を入れてほしいと言ってやって来たじいちゃん。数日後また来ると言っていたのにそれきり現れない。もう1人はバタグラムの退役軍人で携帯も持っているので、まずこのおっちゃんに電話してみる。が、現在バタグラムに戻っているとのこと。来週に戻るのでまた連絡するといわれたので、とりあえず現在バタグラム周辺で低地への移動を考えている人がいたら我々のテント村を紹介してくださいと連絡先の番号を伝える。
続いて、もう1人のじいちゃんを探しに通りを挟んだエリアへ行ってみる。近くにバラコット近辺から被災者が来ていないか?と聞きまわって辿りついたのが、住宅地の中にぽかっとある空き地に設営されたクウェート赤十字の被災者キャンプだった。ここもやはりカシミーリばかり。現在170人収容で、食糧を支給し各家庭で料理をさせるなど僕らが考えている運営形態とほぼ一緒だ。責任者の方といろいろ話をする。このテント村はなかなか見つけにくいところにあるのだが、どうやって人々はここに来たのか?と質問する。回答は、はじめはH-11キャンプから紹介してもらったが、そのうち(口コミで)自動的に増えていったという。パキスタン人の口コミ情報網はスゴイ(と数日前の同じことを書いてしまった)[:たらーっ:]
結局ここではハングライ村のじいちゃんは発見できず、食事をとってから自分たちのテント村へ戻る。途中で友人から今現場に来てるんだけど、と連絡があり、あわてて帰る。バラコットでの医療キャンプ以来久々に彼と会って話をする。
3時頃テント村を出て、帰り道、スポーツコンプレックスの被災者病院を視察。ボランティアの方に中を案内してもらう。ピーク時400人いた患者は現在60人にまで減っていた。今残っている患者さんのほとんどはギブスなどがあって自由に動けない人ばかりだ。責任者は朝早くから2時くらいまでのシフトだというので、また改めて訪問することを告げて帰る。

本日の1曲 The Black Eyed Peas「Pump It」

↓被災者病院にて

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