Day148 見込アリ

今日は10日ぶりにバラコットを訪問する。前回訪問時、入居希望者を決めるところまではできなかったので今日は何とか数家族でも決めておきたい。でなければ、高い交通費と時間をかけて無駄足を繰り返すばかりだ[:ふぅ〜ん:]
いつものように5時出発、7時頃アボタバードで朝食。このときはかなり寒いなぁと思ったが9時頃バラコットに到着した時点では十分日が射していてさほどの寒さではなかった。

まず、前回反応がよかったZindagi Trustのキャンプを訪問。だいぶ物資も増えていて「テントだけ」状態ではなくなっていた[:ラッキー:]
先日、このキャンプからイスラマへ下りてきた親子がNWAテント村を視察し、最大35家族くらいが移動を予定しているとの連絡を受けていたが、また少し暖かくなったせいかそこまで多くの家族が移ってくることはなさそうだ。ここにいた7家族が既にイスラマへ移る準備をしており、現在マンセラで政府の(被災証明?)チェックを受けるのを待っているということだったので彼らと連絡をとって後でマンセラにて説明をすることになった。
ここを出てバリパットラングまで上がり、谷底の村を訪問。たまたま葬式で男たちが集まっていたのでその場でテント村の説明を行うが、ここは希望者皆無。数日前に政府から山を下りるように勧められたときもここで冬を越せるような対応をしてほしいと答えたというので、もう越冬の意思は固まっているのだろう。ここのように地形的に閉鎖された村だと「村の意思」ができてしまい、個人個人の意思が表に出にくいという事情もあると思われる。とりあえず連絡先を渡してベースキャンプへ移動[:汗:]
前回訪問時と同様、ベースキャンプ周辺でも再度テント村の説明を行うが、ここでも積極的な反応はなかった。前回の訪問時に頼まれた診療証明書を作成、ナシマともう1人の元患者に渡してくる。この証明書があると政府から被災者支援金(25,000Rs?)が支払われるので彼らにとっては非常に大事なものだ。
ここで先にバラコット入りしていた吉村さん達をピックアップし、2時頃イスラマへの帰路につく。バラコットのバザール付近では重機による瓦礫撤去作業が進み、地震から50日になるのにまだ遺体が掘り出されていた。50日間建物の下敷きになっていた遺体とはどんな状態なのだろう。想像がつかない[:困惑:]
今日は珍しくバザール近くでしばらく停車して様子を見る時間を取れた。建物半壊状態ながら食堂が再開していて、おっちゃん達が崩れかかった建物の中で茶を飲んでいた。余震が続いていたらとてもこんな建物の中で茶を飲む気にはならないだろう。この様子からもだいぶ落ちついたということが見てとれる。
帰り道、Zindagi Trustキャンプからイスラマへの移住を予定している数家族とマンセラ近くで合流。改めてこちらの状況等を説明し、入居希望者の名前、数を確認。手続きが順調に進めば明後日にはイスラマバードへ来るという。その数7家族で40名、既にマンセラまで下りてきているしリストまで作成できたので彼らがNWAテント村の住人第一号になる確率はかなり高いだろう[:グッド:]
さぁ、いよいよ被災者キャンプのオープンか?

本日の1曲 Aerosmith「I Don’t Miss A Thing」

↓半壊状態ながら食堂も再開

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